悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2024©りょんりょん) ※(主に)映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。ごめんなさい。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2024@りょんりょん) ※(主に)映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。ごめんなさい。

きみの鳥はうたえる

とてもとても素晴らしい映画でしたが、ちょっとdisったりもしてしまいました。ネタバレも少ししてるかな。

 


 本当に素晴らしい映画でした。あまり期待はしていなかったので、不意打ちを食らってしまったような感覚が、心の中で残ってしまっていますが。この映画は、奇跡的な部分、意図的な部分、それらが混在した部分が、本当にうまく溶け込んでいると思います。『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』と同じ匂いというか、香りがする映画にも感じました。こちらにも石橋静河さんが出演されていたなぁ。

 原作は未読ですが、映画化にあたって舞台を東京の国立近辺から函館に変更したそうですが、別に函館じゃなくてもいいよねっていうのは、言ってはダメですよね(笑)。

 ミニシアター(函館のシネマアイリス)が出資して作られた映画ということの影響も大きいのか、ミニシアター病に罹患しているっていうのはいつもなら弱点になるんだろうけど、この映画は、それすらも主人公の一夏の変化を描き出す過程の一端として効果を発揮しているような気がしました。

 主人公は、最後は自身が忌み嫌っていた面倒臭い奴になってしまうのですが、その過程の描写がよかったです(というか、その過程を提示する映画ですねw)。演じた柄本佑氏もよかった。自分でも気付かないうちに、面倒臭い奴に変わってしまっていたという、過去の自分からしたら屈辱というかイミフだろうし、今の自分からしたら正直な気持ちだろうし、なんかそういう自分自身でも理解できない、受け入れられないという感情を、素直に画面に焼き付けていたと感じました。血が通ってないロボットが、血肉に塗れた人間になっていく物語というのでしょうか。

 染谷将太氏も、これまた流石の演技でした。彼の演技スタイルは、映画の中のキャラを役者が演じるというよりかは、映画の中のキャラを染谷将太という役者に近付けるという形ではないかと思います。こういうタイプって、昔の三船敏郎石原裕次郎といった大スターから、今は織田裕二とか、要するに主人公又は主役を演じる役者じゃないと認められないスタイルだと思うのですが、それを脇役としてのポジでも発揮している彼の才能には驚くばかりです。仮にそういう役者を脇役に配置しても、主人公又は主役を喰うだけの存在にしかならない場合が多いので、新鮮に感じる部分もありました。

 石橋静河さんは、失礼ながら美人でもないし、といってブスでもないんだけど、なんか惹きつけられる容姿をお持ちだと思います。凄く存在感を画面に焼き付けたかと思ったら、彼女のいない場面ではさらりと存在を隠したりもできる(それまで画面内にいて染み付いていたはずの匂いがあっさりと消えてしまうような、でも影が薄いとかでもないんだよなー)、これまた凄い役者さんだなぁと。

 ただ、一つdisらさせてもらうと、主人公も、そして静雄も佐知子も、そんなに裕福ではないと思うんですね。本屋さんのバイトは交通費も別途支給ではなく給料込みが多いようですし、本屋でバイトされてる方には失礼な言い方になりますが、給料自体もそんなに多くはないだろうし(知人に本屋でバイトしていた人がいたので、少し実情を聞いたことがあります)。月給も手取りで12万円くらいではないでしょうか。でも、映画の中の生活水準をキープするには、手取りで20万円は最低ないと無理だと思うのです。それなのに、お昼はパン屋さんでランチとか(パン屋さんのパンって案外高いんですよ、おいしいけど)、毎日飲み歩いて、更にビリヤードしたり卓球したりダーツしたりと、どこからそんなお金が出るんだよ、と。

 私は今も貧乏ですが、昔はもっと貧乏でした。仕事をしていない時期もかなりあるという、主人公達と同様の環境だったことがあった経験から、こんな生活はできないよなと昔を思い出してしまい、映画の世界から急に現実の世界へと引き戻されてしまうって部分が幾つかありました。これは、この映画の最大級の弱点だと思います。私だけの問題なのかもしれませんが。

 リアルに貧乏生活を描いたからいいって訳じゃないのは分かりますし、映画的な見栄えも必要だし、原作もそういう展開だったんだろうということは想像に難くないですが、実際には気軽に茶店なんて行けないし、缶ジュースとか買うのも逡巡が必要だったし。こういう、映画の世界ではあるけど、現実のリアルさを設定の中に組み込む系の映画としては、この辺りの線引きや表現って難しいでしょうし、観客のバックグラウンドまでいちいち気にしてられないのは分かります。単に、私にとってのマイナスポイントのツボに嵌ってしまったって感じ、というのも理解はしてるつもりなのですが……。

 小説なら問題ない描写だけど、映画となったときに問題になってしまう描写ってあると思うのです。端的に言えば、貧乏生活を知らない人が、貧乏生活を想像したっていう気持ちがどうしても拭えないのです。あ、なんか熱くdisってしまってる(笑)。面倒臭い奴だ、俺は。

 それでもこの映画は傑作だと思いますし、私は大好きですよ。パンフレット買ったもん。特に、最後の場面の佐知子の表情は、「あー、めんどくせー」とか「えっ、なんで?」とか「いや、もう遅いし」とか、諦念以外の感情が行ったり来たりしている絶妙さを映し出していたし、この表情を奏でる石橋静河さんを観るだけでも、入場料分の価値はあるかと思います。

 

MEG ザ・モンスター

ネタバレしていますし、disってもいるかな。

 

 

 

 ステイサム+サメなので、ステイサメ映画というところでしょうか。よくサメ映画にステイサムを起用しようと考えたなぁと思います。かなり期待してしまうではないですか。

 アサイラムとかのよくあるサメ映画と比べると、予算は結構あったんだなぁという見映えではありますが、サメ映画にしてはキレイ過ぎるというか、阿鼻叫喚さが足りなさ過ぎるというか。結果的にそういう映画になってしまったように思います。

 クライマックの、メガロドンが人がたくさん遊泳しているビーチに行く場面で、お食事するのは数人程度。そこはね、もっと大量にがぶつかないと。それに、人間をパクリと飲み込む系が多いんですよね。だから、海も血の色にならないんです。それって、どうなんだろう。この映画を観る人達はそれで我慢できるのだろうか、なんて思ったり。もっと血肉骨をボリボリいってほしかったです。まぁ、メガロドンが巨大過ぎてそういう描写が難しかったのもしれませんが。

 主要登場人物もあまり食べられないので(←物騒なこと書いてるw)、展開上での危機感がないのに、更に主人公がステイサムであるということで、安心感が半端ないです。もうハラハラドキドキな展開は最初から捨て去っていたのかもしれません。パニックモンスター系の映画なのに(笑)。いや、この映画のモンスター枠は、メガロドンではなくて、ステイサムだったのか。そうに違いない。

 ステイサムはメガロドンにもタイマンを挑みます。マジです。まぁ、一応武器は持ってたし、最初は潜航艇に乗って戦ってましたけどね。擬人化されたメガロドンが出てきて、ステイサムと最後はタイマン対決すると思っていたのですが、予想は外れました(←そりゃそうだ)。

 最後は、潜航艇のメガロドンに喰われてかけて装甲がめくれた部分が丁度カッターみたいになっていて、それを利用してメガロドンの腹を裂きます。そして、ステイサムが銛を持って目を突きます。腹から流れている血を周りにいた普通のサメの大群が嗅ぎ取って、そいつらがメガロドンを共食い?してメガロドンはお亡くなりになりました。だったような気がする(苦笑)。この感想を書いてる時点で観終わってから数時間しか経っていないのに、もう詳細を忘れてしまっているとは……。

 ちなみに、メガロドンは二匹出てきます。最初の一匹目は毒薬を仕込まれた銛をお口の中に突き刺せられてしまい、やっつけられちゃいます。あっさり過ぎて、二匹目がいるよなってすぐに想像できて、ちょっとサプライズ感が少なくなってしまってました。

 そう言えば、昔に『メガロドン』というサメ映画がありましたが、その続編とかではないみたいです。この映画は原作があるそうですが、未読です(『Meg: A Novel of Deep Terror』というタイトルのようです。原作の時点でメグと名付けられていたのかw)。劇中では誰も「メグ」とは呼んでなかったような。

 

銀魂2 掟は破るためにこそある

ちょっとdisってるかもです。

 


 前作は結構面白くて、本作もかなり楽しみにしていました。かなり笑いましたが、期待程度に楽しめたかなとなると、そうでもなかったかなぁと。全体的にキレが悪かったように思いました。連載前提で表現できること、映画のようにワンオフで表現できること、この別々の要素を一緒くたにしようして失敗した、そんな感じがします。

 出演俳優は豪華ですが、その豪華さ故に、ワンポイント出演(カメオ扱い的な)という方法を打てなくなったんだろうなという、製作側の裏の事情が凄くダイレクトに観客に伝わってくる作り方は、意図的な部分もあったんだろうけど、各俳優のファンはいいとしても、そうではないファンには不親切な作りとも言えるのではないかと思いました。

 また、銀さんは一応主人公ポジではありますが、そのためか本編後半の流れにさし込もうとする無理さが、連載以上に出たような気がします。結局、後半の展開も、土方が主人公ポジにはならずに、銀さんに主人公ポジを置いたままにしてしまってるために、どのキャラも中途半端になってしまってまったように思えました。それから、アクションにもキレがないように見えました。元々のアクション自体と、撮り方も悪かったんではないかなと。

 なんていうか、オムニバス形式でした方がよかったように思います。俳優さんの頑張りは伝わるし、製作陣も頑張っていたんだとは思うのですが、その方向の整理がきちんとできていなかったのが、最大の失敗ではないかなと思ったのでした。

 

HOUSE OF BLOOD ハウス・オブ・ブラッド

ネタバレしてます。disってもいますが、かなり楽しめた映画です。

 

 

 ドイツの、『新ゾンビ』等で有名なオラフ・イッテンバッハ監督作。ウーヴェ・ボルといい、アンドレアス・シュナースといい、ドイツは奇才を生み出すことに長けているのだろうか。

 物語は二部構成で、前半と後半に分かれていますが、展開はほぼ同じです。でも、楽しめます。もう少し、前半と後半の囚人達の色付けがガラっと違ったものでもよかったかもしれません。それから、会話場面が結構あったりするのですが、ちょっとダレてたかなー。

 オープニングはかなり工夫しているなって思いました。映像で語るという感じで。でも、おそらくですが、イッテンバッハ監督は誰かのパクリというか、こういう感じで撮れば映像で語ってると思うだろうお前らっていう気持ちだったと思います。だって、ここの表現がイッテンバッハ自身の血肉になってるって感じがしなかったんだもん(笑)。映像で語る感じが序盤の展開にまで食い込んでいるのは、逆に効果を薄くする結果になっただけだと思いました。そういうことからも、血肉になってないなと思ったわけで。

 また、主人公とヒロイン(イッテンバッハ監督の当時の配偶者で、イッテンバッハが製作した映画には結婚時にはほぼ出演してるようです)の過去の遭遇場面が何度かインサートされているのですが、その場面が製作者が期待したほどには効果的になっていないんじゃないかなと。重要な場面なのに。囚人の妄想場面を入れたりもしていて、ちょっと取っ散らかってるよなと思いました。時系列をいじるのは、余程センスのある人か、ある程度全体構成を俯瞰して捉えるのがうまい人でないと、というのが私の持論です。

 物語は、脱走した囚人達が、山小屋で人断ちしている(笑)化物達に屠られてしまうという展開で、それを二回繰り返すだけです。もうちょっと、化物集団と囚人達との戦闘が長くてもよかったかなぁ。それか、SWATもちょろっと出てくるんだから、SWATとの対決も見たかったかな。

 個人的に何がよかったかっていうと、襲われるのが囚人、その中でも極悪タイプということもあってか、相手が化物であろうか、喚くことなく、臆することなく(いや、臆してはいたかw)、すぐに戦闘モードに入って戦うというところです。化物に出会う(または正体を知る)数秒前まで、化物の存在自体を信じてなかったのに。もう喚かれるのは飽きましたよ。

 主人公は、小さい頃に事故?で両親を亡くし、その事故現場でヒロイン(不老みたいです。不死でもあるのかな)に助けられたのですが、還暦くらいの年齢になってるからか、すっかりそのことも忘れていましたが、囚人達の脱走(一回目は主人公の運転のせいだけどw)に巻き込まれたことにより、ヒロインと再会できたのでした。

 2回目の化物軍団と囚人達との戦闘のあと、主人公とヒロインはなんとか山小屋から逃げ切って、車道に出て来ましたが、そこで偶然通りかかった護送車に主人公が轢かれて瀕死状態(すぐに死亡)。嘆くヒロインを、護送車から脱走した囚人(イッテンバッハ本人!)が、脳天に銃弾をお見舞いし、ジ・エンド。かと思いきや、バックでは囚人達が襲われている音、そして、ヒロインが化物として蘇生。ということで、本当に終了です。

 最後はちょっと泣かせにきたのかっていう展開でしたが、いやー、その感じで終わることは、この映画を積極的に観ようとしている人の中にはいないでしょう。捻った終幕ではないですが、一番腑に落ちる終幕だったと思います。

 この映画の化物は、頭を粉々にされても死なないみたいです。再生するのに時間が掛かるようなので、頭を破壊するのは時間稼ぎにはなりそうですが。燃やせばいいのかな。それから、いろんな年齢層の化物がいたので、人間が感染か何かして化物になるタイプなのか、イッテンバッハが何も考えずにキャスティングしただけか(後者でしょうねw)。

 アメリカ(ドイツ製の映画ですが、舞台はアメリカ)の囚人達は、とりま護送車が横転したら脱走するのか。つか、護送車の運転手全員、前を見て運転しろ(爆)。

リディバイダー

微妙にネタバレおよびdisっています。

 

 主演のダン・スティーブンスは『ザ・ゲスト』で初めて知ったのですが、醸し出す雰囲気がよかったことから、ちょっと注目している俳優さんなので、観に行ってきました。

 なかなか不思議な余韻というか。全体としては、まとめ方が下手だなとは思いましたし、主人公(ダン・スティーブンス)の気持ちみたいなものが空回ってしまってるような印象を受けたりと、映画自体の出来としてはよくはないなとは思うものの、なんとなく心の本当に隅っこにさり気なく残ってしまったような映画でした。

 この映画、丁寧に作られていると思います。しかし、その丁寧さ故にか、荒というか、何も考えてないやろうっていう部分も目立ってしまったのではないかと思います。

 POVというかFPS視点が多いので、折角のダン・スティーブンスの無駄使いのような気がしました。また、ダン・スティーブンスの露出の少なさを補うためでもあるのでしょうが、回想場面をバンバンと入れてくるんですが、これは物語の停滞感をなくすという意味と、主人公の気持ちを徐々に観客に提示していくためなんでしょうが、なんかチグハグさが出て、テンポが悪くなってしまったかなと思います。

 エコー側に行ってからのお話も、ドローンとかに襲撃される、逃げる、また襲撃される、逃げるとかの繰り返しで、主人公が何を目的に行動しようとしているのか、それとも単に状況を回避するだけで精一杯な状況を見せたいだけなのか、よく分かんなかったんですよね。

 主人公には妹と甥がおり、どうやら甥に問題(?)があるらしく、お金が入り用だったみたいですが、それが具体的にどういうものかが分からなくて、主人公の決断に最初から置いてけぼりを喰らってしまってしまいました。

 エコーに着いて最初に主人公を追い詰めるマイケルさんが、あっさりと主人公を信用?して一緒に行動するようになるのもアレレだし、主人公をスカウトした女性も、敵なのか味方なのかよく分からないし、最後には主人公を銃で撃ち殺してしまうし。

 主人公がエコーに降り立ったとき、壁に描かれた文字が反対になっていたのでエコーに着いたと確信するのですが、テレビとかに映ってる文字は特に反対になってるわけでもないし、そのエコーにある耳に装着するタイプのサポートAIみたいなもん(ごめん、どう書いていいか分からないw)の表示も正常だし。

 エコー側の人が左利き(銃を持つのが左手が多い)とかで、これも地球が反射された影響を出してるんだろうなぁと思いつつ。でも、コピーと反射(ミラーリング?)は違いますよなぁとも思いつつ。原語ではどう言ってたのかなぁ。

 エコー側の人も、自分達がエコー側だと分かっていたようですが、それでああいう行動に出るのかと考えると?マークしか出ないですし。

 エコー側で、死体がたくさん出てくる場面があるのですが、どうも死体がマネキンにしか見えなかったのですが、それが逆にちょっと不気味でした。

 なんか書いてたら、いつものとおりにdisってばっかりになってしまいましたが、暇つぶしにはなる映画だと思います。観る人は選びそうですけどね。白黒ハッキリ付けろというタイプの方にはオススメできないかなぁ。

 

海を駆ける

ラストのネタバレをしていますし、かなりdisっています。

 

 

 

 ディーン・フジオカ主演の映画で、予告編が印象に残っていたので観てきました。え?ディーン・フジオカが主演なんでしょ?1時間40分くらいある映画で、正味彼が映ってる場面を集めても15分にも満たないくらいじゃないですか???

 ディーン・フジオカの役は不可思議な力を持った、ミステスリアスな男性ではありますが、多分、お話の中心ではないし、その存在がお話をかなりかき回すってほどでもないですし。ディーン・フジオカの集客力を見越しての主演扱いなんかなぁ。集客力があるのかないのか分かんないけど。

 お話は、インドネシア人(父親)と鶴田真由さん演じる日本人(母)のハーフでインドネシア国籍を取得したという設定の太賀さん演じる大学生のタカシ、そのいとこのサチコ(サチコの母親が鶴田真由さんが演じる役の妹っていう設定みたい)、タカシの大学の友人のインドネシア人のクリス、クリスの幼馴染の新聞記者志望のイルマという4人を中心として動きます。つか、主人公ポジはサチコですね。

 ディーン・フジオカの役はネタバレすると、海からやって来た何者かで(人間ではないと思います)、テレポーテーションができたり、多言語を話せたりするほか、人の生死に関与できる(多分)力を持っているようです。劇中でも、ちょっと痴呆が入った息子を亡くした老人、タカシの母親、少年4人を屠っています。その代わりといってはなんですが、熱中症で倒れていた少女を治したり(多分、痴呆が入っていた老人の命と引き換えっぽい)、高熱を出していたサチコを回復させたり、枯れた花を咲かせたり、漁で引き上げられて既に死んでいたはずの魚を復活させたりしています。

 分からなかったのは、タカシの母親を屠った理由ですね。その直前に追いかけていた蝶々を捕まえるためのように見えたのですが。あの蝶々は死にかけていたから、なんでしょうか。それにしては、そうは見えない場面の撮り方はダメだと思います。

 少年4人を屠って、浜辺で村人に追い掛けられそうになったら、「そろそろ帰らないと」と言って、海へと去って行くディーン・フジオカ。って、こういう終わらせ方でいいのか。

 と、文句ばっかりでいつものようにdisってしまっていますが、不思議と最後まで飽きずに観られたんですよね。お金返せよとも思わなかったんですよね。もう二度と観たくはないですけどね(笑)。
 飽きずに観られたという理由は、太賀さんの演技というか、彼の演技のリズムのお陰じゃないかなと思います。彼の演技は『南瓜とマヨネーズ』で初めて観たのですが(『桐島、部活やめるってよ』のほか、彼のフィルモグラフィを眺めると何度かスクリーンでお見かけしているようなのですが)、あの映画も面白くはなかったけど(言っちゃったよw)、彼の演技だけはとても印象に残っていたのです。本作も同様に、彼の演技だけが印象に残ってしまっています。ディーン・フジオカは、映画のラストと同様に、もう私の記憶の海の中に消えてしまいました。

 Filmarksで他の人の感想をちらっと読んだのですが、どうやら私は、同じ題名で、同じ出演者で、同じロケ地で、同じ製作陣の別の映画を観たようです。どう好意的に解釈しても……。

 

四月の永い夢

ネタバレしています。ちょっとだけdisってるかもですが、いい映画だったと思います。

 

 


 三浦貴大という素晴らしい役者の童貞力、ち、違った、童貞感、こ、これまた違った、朴訥とした雰囲気は、彼の唯一無二の武器になってしまってると言い切ってもいいような気がします。メインでも脇でも、というか、完全に脇じゃなくて、メイン寄りの脇が彼が俳優として一番輝くポジションのような気もします。メインを喰って光るんじゃなくて、メインを光らせて自分もさり気なく光るという絶妙さを身に付けてしまったと思います。

 で、映画ですが、なんかふんわりしたような感じの映画でした。主人公が背負ってるものは重いというか、取り返しのつかないもの(少なくとも主人公はそう思い込んでると思います、現実的にはえ?な感じですがw)であるものの、それを強調して描くのではなく、そういうものを背負っている主人公を、第三者的な視点で見つめているような印象を持ちました。

 好きになる映画というよりかは、嫌いになれない映画でした、私にとっては。かなり大好物な部類です。ただ、主人公のセリフまわしが、時々アニメっぽくなるのだけは正直辛かったです。

 冒頭の場面とか、綺麗な場面ではあるのですが、私が鑑賞した映画館の問題なのか、この映画の元々の問題なのか分かりませんが、発色がよくなかったように思います。これがもうちょっと色味が鮮やかであれば、もっと主人公の日常がいい意味で引き立てられたと思うのですが、最初の場面(終盤でも出てきますが)の少し沈んだ色味の印象が、このあとに続く主人公のいる風景に映画が意図していない暗さをもたらしていたように思うのです。

 おそらくこれは映画自体の技術力の問題のような気がしますが、もうちょっとこの場面に予算と時間を掛けた方がよかったように思います。主人公が一歩踏み出したのかどうかを観客に提示する場面だと思いますし、それがこの映画で伝えたいことだと思いますので。

 主人公は元中学校の教師(音楽?)でしたが、三年前に亡くなった元カレが原因(なのかな)で教師を辞め、うどん・そば屋でアルバイトをしながら一人暮らししています。フリーターですね。主人公が言うには、今は居心地のいい空間・時間の流れなようです。

 先にネタバレしますと、主人公は元カレが亡くなる四か月前に既に別れていたのでした。ただ、元カレの両親をはじめ、友人達らは主人公と元カレが別れていたことを知らず、元カレが亡くなってしまったことによってそれを周囲にも伝えるタイミングを逸してしまい、周囲の(おそらくそのまま結婚したであろうと思われていた)元カレの死で主人公はかなりショックを受けてしまっているという誤解(死んだことにショックは受けてるけど)の波に、主人公の心はかなり奥底に流されてしまっている状態だったのです。だから、主人公は居心地がいい空間・時間の流れを求めていたのです。(←個人の感想ですw)

 で、書いていて気付きましたが、主人公は冒頭から元カレって言ってるんですよね。それは、交際中に亡くなったという意味ではなく、亡くなる前に別れていたという、本来の意味での元カレとして言ってたんだな、と。でも、誰もその本来の意味には気付いてくれいないし、自分もそうじゃないよんだよと言い出せない、そんな状態だったんだな、って。

 世間一般的に、一歩を踏み出すことがよいとされているけど、個人的には本当にそうなのかな、とも思うのです。今が居心地がいいなら、それが例え逃げた結果だったとしても、それはそれでいいんじゃないのかな、と。一歩を踏み出すことに勇気がいるのと同様に、一歩を踏み出さないことへの勇気もあるんじゃないのかな、と。

 最後、主人公は一歩を踏み出したのかどうか。私は一歩を踏み出したと思います(三浦貴大の謝罪を聞きに行くと思うしw)が、なんか、主人公の最後の笑顔に少し引っかかったのです。中盤で、三浦貴大が主人公に向かって(主人公の)笑顔がどうこうと(詳細忘れたw)言いますが、なんとなくそれが伏線で、この主人公なら、今の居心地のよさを捨てない=一歩を踏み出さないのではないか、なんて思っちゃったのです。

 元カレは多分自殺したという設定なのかな(この監督の前作は本作ともシネマバースしてるのか)とも思いましたが、私はこの映画からはそうとは感じ取れなかったので、この感想ではそこには触れませんでした。

 

きみへの距離、1万キロ

ネタバレ全開で、disりも全開です。

 


 米国から遠隔操作の蜘蛛のようなロボットを使って、北アフリカの油田周辺を監視する会社に勤める主人公。主に夜勤です。そして、彼女にフラれたばっかりで情緒不安定です(彼女の浮気っぽいけど、まだ未練タラタラ)。

 遠隔監視中に、両親に結婚相手(相手は年の離れたおっさん)を決められて憂鬱なヒロインと、その彼氏の会話を盗み聞きして、勝手に応援することに。ヒロイン(と彼氏)を国外脱出するためのお金を送金したりと、経済的援助も惜しみません。必死のアピールもあってか、ヒロインに怪しまれながらも懐に潜り込むことに成功。

 しかし、彼氏は国外脱出のための資金集めに焦り、油田から石油を盗む仕事を引き受けてしまいます。盗んでいるところがバレて、主人公が操作するロボットが向かいますが、そのロボットを破壊しようとする彼氏。彼氏が石油ドロやってる場面で、地面に漏れ落ちる石油のカットを入れていることから死亡フラグ全開なのは分かりましたが、ロボットを破壊しているときに火花が散って漏れていた石油に引火し、やはりというか彼氏も燃えちゃいます。

 主人公はヒロインに彼氏が死んだことを告げ、ヒロインだけでも逃げることを提案。そして、運命の人は一人だけじゃないと切々に訴え、一年後のパリのとある公園で会いたいと持ちかけます。まぁ、主人公が自分の部屋の壁にヒロインを隠し撮りして印刷した紙を貼ったりしているあたりから、あぁ惚れたんだなぁというのは分かりますが、分かりますが唐突です。この映画の冒頭でフラれた元カノに似てるわけでもないし。

 ヒロインは無事に国外脱出し、パリの公園で主人公とあって、二人抱き合ってエンドです。つか、主人公、行ったこともない外国の公園なのに事前に調べてもおらず公園の広さに驚いていたりとか、時間ギリギリに着こうとしたのか乗車中のタクシーが渋滞に巻き込まれて怒ったりと、色々と頭が残念なんですっていう描写があるんですが、これってワザとなんだろうか。

 兎に角、主人公がキモいです。単なるストーカーです。ヒロインはヒロインで、彼氏が死んで悲しんでるかと思いきや、何故か会ったこともない主人公にすぐに乗り換えという、なんじゃこりゃな映画でした。

 ただ、監視用のロボットはいい。言語翻訳機能も優れているし。翻訳の仕方も色々とパターンがあるみたいですし(穏やかにとかノーマルとかだったと思う)。ほしい、このロボットはほしい(笑)。

 

「WRESTLE-1 TOUR 2018 TRIUMPH」5.2大阪・東成区民センター大会

 行ってきました。最初に書いちゃいますが、前半は良かったんですよ。でも、後半の試合がgdgd。何か、印籠的な感じで、これぞWRESTLE-1のプロレスだって思わせるような試合がなかったように思います。これぞWRESTLE-1っていう試合がどういうものかは、私にも分かりませんが(笑)。

 第1試合のアレハンドロVS頓所隼の対決ですが、この二人は手が合うのか、なかなかいい攻防で楽しめました。頓所選手は今のスピードを落とさずにもう少し体の厚みを増せば、クルーザー級を引っ張っていけるような選手になるんじゃないかなと思ったり。アレハンドロ選手は、メキシコ修行が本当に身になったんだなぁと、何故か遠い目になっちゃいます。

 第2試合は、立花誠吾&ドランク・アンディのEnfants Terriblesから追い出されそうな感じのタッグチームと、三富政行ダイナ御堂のチームの対決。立花選手は、キャラの確立のさせ方が素晴らしい。しかも、結構試合巧者だったりするし。まだそんなにキャリアはないのに(3年目くらい?)。三富選手と御堂選手は呼吸が合わない箇所が幾つかあったけど、立花選手のかき乱し振りに助けられた感じ。

 第3試合は、木村花VS朱崇花の対戦。前回の後楽園ホール大会で、タッグとは言え朱崇花選手にフォール負けした木村選手はリベンジに燃えており、それが試合にも燃え移って、熱闘になりましたが、朱崇花選手が木村選手を返り討ちに。まだまだ実力差があるのがハッキリと分かる試合でした。朱崇花選手は女子の選手としては大きな体ですが、動きが良くて素晴らしかったです。木村選手も悪くはないのですが、今回はガムシャラさが裏目に出たように思いました。

 第4試合は、社長(でも代表取締役ではないよ)のカズ・ハヤシ&タナカ岩石VS守屋博昭&上野友暉のタッグマッチ。守屋選手は関係者(敢えて客とは書かない)を会場に連れてきてくれるから接待してるんだろうけど、それを客に見せてどうするのって言いたい。私はプロレスを観にきたんであって、プロレスファンのじゃれ合いを見にきたんじゃない。それもプロレスというなら、私はいつでもプロレスファンを辞めるよ。しかも、未来のあるタナカ岩石選手を負けさせるなんて。情けないよ。上野選手は良かったです。

 この試合でテンションがダダ下がりました。折角、前の試合までで会場をかなり温めていたのに。何をしてくれとんねんって感じです。もう、守屋選手はWRESTLE-1のリングには上げないでほしい。せめて、カーベル伊藤選手くらいじゃないと。って、守屋選手と比べたらカーベル伊藤選手に失礼ですね(と、ここでヨイショしておこうw)。

 WRESTLE-1の会場ではお美しいリングアナの櫻田愛美さんが、休憩は10分程度ですとか言ってたのに、木村選手のサイン会で並んでる人が多くて、その処理(じゃなくて対応ですよねw)に手間取ってか、30分近くの休憩だったような気がします。

 第5試合は、黒潮“イケメン”二郎&土肥孝司&吉岡世起の元NEW ERAと、芦野祥太郎児玉裕輔熊ゴローのEnfants Terriblesの対決。イケメン選手の入場は楽しい。けど、試合は場外戦が多かったり、芦野選手がプロとは思えない感じで客に絡もうとしたりと、なんか後味悪い展開。彼らならもっとクオリティの高い試合ができるはずなのに。お茶をかなり濁された感じ。ところどころおっという場面があるからこそ、余計にそう感じました。土肥選手と熊ゴロー選手はどうなっていくのでしょうか。

 メインイベントは、征矢学&近藤修司河野真幸NOSAWA論外&MAZADAのベテラン組と、アンディ・ウー&伊藤貴則&佐藤嗣崇&K-ness.ビリーケン・キッド組の対戦。こちらも、場外戦が多かったりで、リングいらねーじゃん状態。メインまでの試合が盛り上がらなくても、メインが良ければ全て良しになっちゃうのがプロレス興行だと思うのですが、結局、この試合も盛り上がらないまま。若手の佐藤選手をよってたかっていじめてるだけのようにしか見えず。佐藤選手は結構デカいから違和感ありまくり(翻弄しているっていう感じじゃなかった)。しかも、どこかの木偶の坊のように動きが悪いってわけでもないし。これから期待大ですが、WRESTLE-1で成長できるのかどうか。全日本プロレスに来いよ、なんて言っちゃいそう(笑)。

 WRESTLE-1だけじゃなくて、全日本プロレスもそうですが、大阪に来たからといって、大阪で活動しているプロレスラーを上げなくてもいいと思うのです。まぁ、チケット売ってくれたりとか、営業関係もあるんでしょうけど。私は、WRESTLE-1全日本プロレスという団体の興行を観たいのであって、大阪で活動しているプロレスラーの試合を観たいわけじゃないんですよね。提供試合で1試合くらいなら問題ないですが、諸々と絡んでくるのは勘弁してほしい。昔、大阪プロレスは大好きでしたし、観にも行きましたが、それは大阪プロレスだからこそ楽しめたのであって、別の団体でそれを観たいわけじゃないんですよ。

 今回は、ごっつ楽しみにしていただけに落胆も大きいです。こんなクオリティの低い大会しかできないのが、今のWRESTLE-1なんだろうか。

アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー

直接的にはネタバレしていませんが、disってはいるのかなぁ。

 

 


 映画としての完成度はかなり高いと思います。例えば、ヴィジョンとワンダのスコットランドの一部屋での場面で、二人の関係性、これまでの時間、それからというものを観客に提供しています。そんなに大袈裟なセリフもなく、必要以上に感傷的にもならずに。こういううまさが全編に溢れています。

 アクションも素晴らしいです。この動きを単独映画でたくさん観たかったよブラックパンサーさんよーって場面や、キャップの痺れるような登場の仕方(アベンジャーズ一作目のドイツの場面を思い出しました)、ブラック・ウィドウ&オコエwithワンダと敵の中ボスとの戦いとか、本当に凄いです。サノスとハルクの肉肉しいまでの殴り合いも良かったです。チーム対チームの対決とか、こういうのを観たかったんですよ。

 ただ、アベンジャーズという映画に求められてるものってこういう内容なの?展開なの?って思ってしまうのです。アベンジャーズはヒーローが集合して戦う場なのに、それまでの映画の展開を集約するような場なのに、前編的な作り方をしていいのかなと。個人的には、アベンジャーズという名の映画にはストレートで押してほしかったのですが、かなりな変化球で攻めてきたなっていう印象が消えません。

 この映画の主人公は、サノスです。サノスはラスボスの立ち位置でありますが、その使命はアベンジャーズ側とはやり方や最終到達点は違いますが、大雑把に言えば宇宙の平和のためにという大義名分では、アベンジャーズ側と同じものです。アベンジャーズ側と違うのは、アベンジャーズは平和のために自分も犠牲にしますが、サノスは自分も犠牲にするし他者にも犠牲を強いるという部分です。アベンジャーズとサノスは正反対の立ち位置でもないということです。少し違うだけです。違う、そうじゃない、と言う感じでしょうか、雅之さん。まぁ、そのサノスが他者に強いる犠牲が圧倒的なので、反発も出るのでしょうけどね。

 流れ的には、ソーの三作目のラグナロクに似ているように思いました。ハルクというかバナーは本作でもキャラが変わったかのようにコメディリリーフな立ち位置になっていますし。主人公一人では敵わない強大な敵が現れてなんとか倒す(というか、ラグナロクでは倒したことになってたのね)という流れとか。サノスは倒されませんでしたけど。アベンジャーズ視点でのなんか終わり方が中途半端なところも似てると思います。アメコミが好きな人は本作は気に入って、アメコミ自体には特に興味がない人は、中途半端感を抱くのかなとも思います。また、考え方の違う者同士の対立という部分では、シビルウォーでもやってるので、キャラの関係性は違いますが、また同じことかよとも思うわけです。

 ビジョンさんがポンコツになり、ワンダが甲斐甲斐しくお世話をしまくるだけの映画とも言えるかも(笑)。ソーは、ラグナロクと本作によって完全にマイティーという印象からは遠ざかりましたし、ハルクも引きこもりニートになっちゃうし。逆に、アイアンマンがかなり強くなっていたり、スパイビーもなかなかやるなって印象を残します。ガーディアンズの面々はネタキャラ的な扱いで、スターロードさんは戦犯ものの行為をしてしまいます。

 ホークアイアントマンはセリフで政府?に司法取引して自宅軟禁されてるって語られるだけで、画面には登場しませんでしたが、シビルウォーでキャップが助けに来てませんでしたっけ。ホークアイアントマンも家族がいるので、司法取引という選択をしたのかな。ホークアイは次作で出演らしいですね(日本が舞台らしい)。アントマンも続編の映画が公開されるし。どうなるのでしょうか。結局、焦らされたまま、一年以上待たないといけないのがツラいのですよ(泣)。

 

薔薇の葬列

ネタバレしています。

 


 ピーター(池畑慎之介)の映画デビュー作。本作は今まで鑑賞したことがなかったのですが、本作からのピーターの顔のアップ写真は今まで色んなところで遭遇してきて、どういう映画なんだろう?ってずっと興味はありました。今年、シネ・ヌーヴォで本作を監督した松本俊夫氏の特集が組まれ、本作も上映されたので、やっとこさ鑑賞しました。

 モノクロなのに、凄く色彩を感じた映画でした。創作劇なのに、途中でガチ(?)のインタビューが入ったりとドキュメンタリーっぽい変化球を入れたり、当時としてはなかなか踏み込めない領域へ特に気負いもなく踏み込んでいたりと、芸術性を追求しているというよりかは、娯楽性を追求した映画という印象です。いや、双方がいいバランスで成り立っている奇跡的な映画、かもしれません。

 最後の展開はフルチの後期作品のような破滅的で衝動的な爆発があって、それまでなんとなくこの映画から零れ出ていた「抑圧されている社会の中の自分」が湧き上がってくる様が素晴らしかったです。破滅への道でしかないのところも、現代社会に通用する表現なのではないかと思います。本当は通用してほしくないんですけどね(笑)。

 小難しい内容の映画と思われている方もおられるかもしれませんが、全くそんなことはありません。テンポもいいですし、昭和40年代の東京の空気感も味わえますし、想像以上にポップな作りだと思います。

 主人公は、クラブのオーナーと愛人関係にあるのですが、実はクラブのオーナーは主人公の父親なのです。主人公はそれを分かっていて、オーナーの愛人になったと思っていたのです。クラブのママの座を得るためと、幼い頃の自分と母親を捨てた復讐のために、クラブのオーナーの愛人になったと思ったのです。

 でも、ラストでクラブのオーナーは主人公が自分の息子だと知って自殺し、主人公もそれでクラブのオーナーが自分の父親だと知って両目を包丁で刺すのです。主人公が大事に持っていた家族写真、主人公、母親、父親の三人で写っている写真の父親の顔の部分は、タバコで焼いたかなにかで穴がありましたが、観客にはクラブのオーナーじゃんってすぐに分かる写真ではあったので、その展開には???でした。

 

春の魔界都市めぐりツアー2018 大阪

 アメ村のBigtwin Diner SHOVELで行われたライブに参加してきましたよー。ライブは先日のTHOUSAND EYES以来ですが、まさかの同じ場所。

 で、THOUSAND EYESのときは、きちんとチケットの整理番号順に入場だったのですが、今回は開場時間がきたら勝手に入る方式。えっ、チケットに記載の整理番号って何なの?って感じ。お客さんも怒ってる人がチラホラ。そりゃ怒るわ。私も整理番号は若くて、整理番号順に呼ばれるだろうから入口付近で待っていたから最初の方に入れたけど。個人的に実害はなかったとはいえ、魔界都市めぐりツアーのスタッフ、会場であるBigtwin Diner SHOVELのスタッフは猛省していただきたい。二度とこのようなことがないように。チケットの整理番号は関係ないのなら、そうアナウンスすべき。

 いや、ほんとね。公演自体は物凄くよかっただけにね、入場時のお客さん無視な行動で、始まる前にいやーな気持ちにさせるなよって、余計に思いましたね。

 今回のトップバッターは、TEARS OF TRAGEDY。最前列で待ち構えてしまいました。1曲目(「Void Act」)のほんの最初だけボーカルのマイクがオフってるという小さなトラブルはありましたが、その後は的確な演奏で観客を魅了しました。HAYATOさんはミスもなかったな、今回は(笑)。今までのライブでは何かしらミスってたような記憶があるんですよ(爆)。

 ドラムのHIDEYUKIさんは、くしゃみで肋骨を骨折中ながら、ノリのよいドラムを叩かれていましたが、ボーカルのHARUKAさんがぼそっと足の骨が折れるまでドラムの練習をしろと仰られていました。鬼だ。悪魔だ。でも、物販で握手してもらいましたが、いやー、美人です。次回の大阪でのライブは、金髪と野獣と美女というイベントですが、自分は美女にしては弱いと発言されていましたが、いやー、美女ですよ、美女。私が言うんだから間違いありません。

 TORUさんのギターは今日もいい音でした。抜けがいいというか。当然ながら、THOUSAND EYESのときとはかなり違う音色です。YOHEIさんも安定感があって、素晴らしい。ライブ中、運指がキレイだったので見とれてしまいましたよ。

 最新の曲というアナウンスで「Astrea」を演奏されましたが、最新の曲って、HAYATOさんが作った夏の曲(TUBEっぽい曲だったはずが、シャムシェイドっぽくなったという曲w)のはずだ!

 二番手はMardelas。ベースがHIbikiさんから変わってからは初めてのライブ。勢いは今回のバンドの中では一番だったかも。新しいベースの人は、勿論Hibikiさんとはプレイスタイルは違うし、バンドの演奏もその影響はかなり受けていて、ちょっと手触りが変わった感はありますが、個人的には今の方が合ってるんじゃないかな、なんて思いました。5月にニューアルバムが発売されるので、楽しみです。ただ、マリナさんのボーカルがリバーブが掛かり過ぎなのか、キンキンしていたのは残念。

 三番手はSilex。自然に観客を乗せるピートの手腕は素晴らしい。曲も演奏も素晴らしいとしか言えないし、Hibikiさんのベースプレイは自分にとって大好物だなというのを再認識しましたが、Mashaさんのギターが高音がグシャっとなってキンキンしていたのは残念。ライブハウスのせいなのかなー。

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 途中で、司会の真壁さんのWANDS熱唱があったり、本当に色々と楽しい公演でした。夏も秋も冬も来てほしいなー。

 あ、限定3枚のサイン入りドラムヘッド、買っちゃいましたよ、てへ。だって、じゃんけんに勝てたんだもん。

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死霊のえじき:Bloodline

disっていますし、ラストのネタバレもしちゃってるかもです。

 

 ロメロのゾンビシリーズが好きな自分としては、そのリメイクだと言われれば観たいと強く思ってしまうのが人情です。例え、それがどういう出来であろうとも。ということで、NETFLIXにリストアップされていたので観ちゃいました。

 もう、なんていうかね、主人公がゲスいというか、超ワガママでマッドサイエンティスト気質全開なんですよ。自分の身勝手な行動の結果、軍人がゾンビに喰われてしまっても、自分が優先する結果(少女が病気から救われた)が得られてたんだから無問題ですよっていう行動とか。どうして、こういう人物像に描いたんだろう。

 一応、主人公の彼氏にそういうところを突っ込まれて、私を信じてって言うのみの、まるで詐欺師が人を騙そうとしているような場面が入られてはいますから、製作陣もこのような主人公の造形は織り込み済みなんだとは思うのですが、観客に対してこの主人公に共感してほしいと考えていたのだろうか。

 人とは違う血液を持っていて、そのせいでゾンビに噛まれてもある程度自分の意思を保つことができていたマックス(『死霊のえじき』のバブよりももっと行動が人間のときに近い)の、主人公に対するストーカーが凄まじいものがありますが、どうしてあんなゲスな主人公に執着するのかが分からないよ(笑)。主人公はマックスをキモいと罵っていましたが、個人的には主人公もキモかったです。

 元のロメロの『死霊のえじき』は、軍人と民間人との共同生活においての対立が描かれていましたが、本作もリメイクということからか、主人公(民間人の元医大生)と、主人公達が暮らしているところを指揮している軍人の中尉さん(主人公の彼氏の兄貴でもある)との対立軸を同様に導入しています。『死霊のえじき』では民間人の主張の方がより視聴者の代弁に近いという位置で共感を得ようとしていたと思いますが、本作は中尉さんの仰られることがほとんどごもっともですって感じで、これまたどうしてそういう逆の立ち位置にしたのかが不明。意味分からん。

 中尉さんは確かに人の上に立ちたい、支配欲が強いという傾向はあったけども、それでも全体をきちんと見て判断していたし、主人公の研究もなんだかんだ言いながら許可していたわけですから。というか、製作陣がそういう中尉さんとして描いていたから、観客がそう思うんだろうが(笑)。

 冒頭の展開もまぁまぁ面白かったし、ゾンビのお食事場面もよかったしで、ラストも主人公が多数の人を犠牲にして作り上げたワクチンのお陰で、ゾンビに噛まれても感染しないようになったというハッピーエンドなラストも悪くはないんです。でも、なんか心がどんより重いままというか、なんというか。うん、本当に、どうして主人公をああいう感じに設定して描いてしまったんだろうかっていう疑問しか残らない映画でした。

 

THOUSAND EYES ”Day Of Salvation Tour 2018” 大阪公演

 アメ村のBigtwin Diner SHOVELで行われた、千眼の3rdアルバム『DAY OF SALVATION』のレコ発ツアーの大阪公演に参加してきました。

 THOUSAND EYESを聴く切っ掛けは、TEARS OF TRAGEDYのリーダーでギターのTORUさんが参加されているバンドということと、TEARS OF TRAGEDYの曲にも参加したDOUGENさんがボーカルであるということでした。で、「Day Of Salvation」のMVが公開されたので興味本位で観たところ衝撃を受けた次第です。

 3rdのCDを買ってからは、毎日、そればっかり聴いてるような状態です。最初に聴いたときは、ギターはかっこいいし、曲も悪くはないけど……という感じでした。しかし、翌日には、もう脳内に曲が勝手に再生されてしまうような状態になり、今に至ります。久々のスルメアルバムだと思っています。ツインリードというか、ツインギターが大嫌いだった私が気にいるなんて、本当に不思議です。

 そして、そんなにお気に入りになったアルバムを作ったバンドのライブが大阪でもあるなら行きたくなるのが人情ではないですか。会場のBigtwin Diner SHOVELは、名古屋の今池3STARを一回り小さくしたような感じでたが(何故か私の中では今池3STARが広さを測る基準となっているのであーるw)、満員御礼のようで熱気が凄かったです。

 後方でのほほんと堪能しようと思っていたのに、何故か2列目くらいに陣取ってしまい、しかも、皆さんオープニングから頭を振りはるので、自分も釣られて振ってしまったじゃないですか。どうしてくれるんですか、脳が揺れてるし、首が痛いじゃないですか。(←自己責任だろ)

 演奏は勿論素晴らしかったし、KOUTAさんはかっちょ良過ぎたのですが、音がでかかったということもあるのか、KOUTAさんのサイドにいたからというのもあるのか、右耳がほぼ死亡です(KOUTAさんはステージ上手側)。そして、場所の問題でもあったようですが、TORUさんのギターがあまり聴こえなかったんですよねー。それと、KOUTAさんのギターの音の調整を何度かやっていたみたいですが、最初のバランスが一番よかったように思います。

 私は3rdの曲と、初回限定で付いてたDVDで演奏された曲しか知らない状態でライブに臨んだのですが、途中、頭がぐるんぐるんとして、特に1stと2nd(3rd以外)の曲をきちんと捉えることができなくなったりしてしまいました。一部分だけではありますが、音全体がだんごになってしまったように聴こえたのです。一時的な体力の低下に伴う集中力の散漫と、音圧に耳が負けてしまったことが原因だと考えております。この反省を次回のライブ参戦には活かしたいと思います。

 次回の大阪公演は、6月10日の日曜日に福島LIVE SQUARE 2nd LINEで、Mardelasとのツーマンでとなります。勿論、参戦する気満々ですよ。6月9日には今池3STARでもライブがあるので、そちらに参加しようかな、とも思っていたり(笑)。最後に余談ですが、TORUさんは開演前は髭を生やしていて、千眼のライブはTEARSよりワイルドな風貌でいくのかなって思ってたら、本番ではきちとんと剃られていたことを報告して終わります。

 

ゆきゆきて、神軍

ドキュメンタリーなのでネタバレという概念を当てはめていいのかどうか。

 

 有名な映画でしたが、やっと観ました。かなり破壊力のある映画でした。

 主人公のおっさんは、国という形やそのルール(憲法とか法律とか)を否定しているのに、自分のやったことに対する責任の取り方が、その国が運営する刑務所で服役することっていう厚顔無恥さで、グイグイと暴力込みで、他人の心の中に土足で踏み込むんだけど、その身勝手さをただ傍観者というか野次馬的に撮影して垂れ流してるだけなのに、立派に映画的な興奮みたいなものが醸し出されているところが凄いと感じました。

 主人公のおっさんの相手方は、日本国という枠組みの中にいる人達なので、それに対する責任の取り方が、その日本国が運営する刑務所に入って自身の自由を犠牲にしますという考え方なら、間違ってるとは言えないのか、な。

 主人公のおっさんは、最初は下手に出て、ちょっと恫喝っぽくなり、暴力を振るって自分で警察を呼び、相手を油断させて懐に入り込むという戦法を、本当にうまくやってるよなって思いました。殆どの相手に対してこういう戦法だし、相手は元々戦う気持ちというか、戦意なんてないんだから、余計に効果的なんでしょうね。そういう観点からは、詐欺師と同じというか。

 ちょっと映画自体の感想じゃなくて、主人公のおっさん自体の行動の感想になっちゃいました。映画の感想としては、佐村河内守氏を題材としたドキュメンタリー(?)映画の『フェイク』と少し似た手触りだったなぁ、と。ただ、『フェイク』自体は味付けがなされた料理で、こちらの映画は味付けせずにそのまま出された料理という、かなり大きな違いはあるのですが。どうして自分は同じ手触りを感じたんだろう。自分でも不思議です。