悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

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ヒューゴの不思議な発明

※かなりdisってる上にかなりネタバレしています。

 

 

3D映画が最近お気に入りの僕としては、予告編を観る限りではあまり食指が動かなかったのですが、観た方のよかったという評判を多く目にしたことと、3D映像が綺麗だったという話を耳にするにつれ、これは観ておいた方がいいのではないかという気持ちにさせられ、どうせ後悔するなら、観なくて後悔するよりも、観て後悔しようという気概で観に行ってきましたよ。3D映像を大画面ではなかなか観ることが出来ませんし、機械人形(ロボットと勝手に脳内変換してましたが)も出てきますしね。

3D映像は綺麗な部分(特にオープニングは秀逸でした)も多く、映像面に対する不満はないのですが、物語と映像のリンクがほぼない(リンクというよりも溶け込んでいないと言った方がいいのかな)ことが、3D映像ではあっても、3D映画にはなっていないなと感じました。この辺りの感覚は個人的なもので、『世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶』から抱いた印象ともまた異なるものなのですが……。

監督のマーティン・スコセッシが今回3D映像にした大きな理由として、リュミエール兄弟が初めての映画を公開したときに、列車が駅に入ってくる場面で、列車が観客席に突っ込んでくると観客が錯覚して大変驚いたという逸話があり(この映画の中でも再現しています)、現在の観客に同等の衝撃を与える方法として、3D映像が適しているのではないかということで選択したみたいです。

映画前半のヒューゴ in リヨン駅の描写配分が長いしかったるいしで、メインの登場人物とも絡んだりはするんですが、どうも薄味というか、物語が大きく動く気配もないままに、退屈な時間が積み重なっていってるだけに感じました。映画館で僕が座っていた席(当然ぼっちだよ)の両隣がアベックだったんですが、それとも相まって、早く終わらないかなぁと思ってました。映画館にアベックで来るなよなぁ、ったくよぉ。

ヒューゴのこの映画の中での与えられた役割は、狂言回しというか、登場人物間同士の接着剤であって、直接的ではなく、間接的に人を再生させるというポジションであったと思います。再生対象がこの映画の中で大きくは二人で、マジシャンで映画監督だったジョルジュ・メリエスと、元々孤児で第一次世界大戦で足を負傷してしまったリヨン駅の常駐警官なのですが、ヒューゴが全編に渡って出ずっぱりな割には、彼らとの関係性の描写も薄く(これは、間接的な立ち位置故という事情もありますが)、ヒューゴが邪魔というか、ヒューゴは必要?と思ってしまうほどでした。

ヒューゴとその次に出番が多いイザベルって、映画的には特に必要がないというか、イザベルの存在がヒューゴを直接的に再生させるようなポジションではなく、結果的にはヒューゴと同じような感じで役割が被さってしまっているということもあって、長い時間登場している二人が結局何もしてないじゃんかってなっちゃって、余計に時間を長く感じたのかもしれません。

映画の大きなメインテーマ(実はメインテーマじゃないんだけど)であるジョルジュ・メリエスの再生作業は、結局は、少年の頃に彼の映画の撮影現場でジョルジュ・メリエスと出会ったことで映画好きになり、更に教授にまでなった人が担うことになります。そこから描かれる映画の後半がかなり面白かったこともあり、これなら、原作(『ユゴーの不思議な発明』)をかなり改変することになるかもしれないけど(原作は未読です)、ヒューゴとか外して、この教授を主人公に据えたらよかったんじゃないかとすら思いました。ノンフィクションじゃないんだし。レインボーからリッチー・ブラックモアを替えたら更にいいバンドになるのにと思ってしまう人間ですから、ボクって。なので、原作の主人公を外すという考え方も平気でしちゃいます。

後半の、ジョルジュ・メリエスの映画撮影場面や、彼が自分の過去と向きあうことに至る流れは、本当に素敵だったんですけどね。この映画は2時間ちょっとあるんですが、前半を30分から40分程度カットして、後半のこの展開を中軸にすれば、まぁまぁ面白かったかもレベルにはなったように思います。ヒューゴにモザイクもいれてね。

この映画のメインテーマは、「人には誰しも役割があり、重要である」というものだと思います。そういった中でのヒューゴの役割は、人同士を繋げていくことであり、それが、父親の死から逃れられずにいたヒューゴ自身も周りの人達を間接的に再生させたことで報われていくのですが、それを大きくアピールするでもなく映画が終わってしまったのには呆気に取られたというか。大団円のところの描写でわかれよってことだとは思いますけど、「それはわかるけどさぁ、一応主人公だったんだから、もうちょっとなんとかしてあげてよ」っていう気分でした。

あ、そうそう、それからヒューゴってさ、別に不思議な発明はしてないんですよね。機械人形だって、実はジョルジュ・メリエスが作ったものだし、それをヒューゴ の父親が博物館で捨てられたも同然になっていた状態だったのを無断で引き揚げてきたものだし。その機械人形にしても、切っ掛けは作るし、それは重要な要素ではあるけど、映画の宣伝が悪いのか、もっと物語に絡んでくるんかと思っていたら、そんなに出て来ないしねー。

これなら、『アイアンマン』でゲリラに捕まった社長が、有り合わせの材料で社長スーツMk.1を作るという場面がありますが、これに倣って、ヒューゴがリヨン駅で色々なところからパクりまくった部品で機械人形を直していくという過程を深く掘り下げて描写していれば、まだ興味が持続したかもしれないなぁと思いました。それなら、ヒューゴも活きてくるだろうし。

僕は、子供が中心の映画というか、物語は大嫌いなのですが、最近はそのことを忘れていたのに、ものごっつ思い出せてくれるほどでした。ヒューゴが我儘で、周りの状況が見えない盗人でしかないんですから、しゃーないですよね。やっぱし、ヒューゴっていらない子だよね……。

クリストファー・リーベン・キングズレークロエ・グレース・モレッツの吸血鬼経験役者が出演しているので、3人の吸血鬼がパリにやってきて、メリエス作の機械人形と激闘を繰り広げるお話だと脳内変換し、妄想しながら観ていたのは、内緒、にしなくてもいいです。つか、そっちの方が観たかった。

悪くはないものの、全体的な登場人物への焦点とリレーションシップのズレや、主人公が間接的にしか物語の表のテーマ(人の再生)に関与しないのに、そこのところを明示化していないので、ヒューゴが間接的に人の再生を手助けることで、自分も再生していくという表現が抽象的な提示だけになってスッキリしないというか、だから何?と思えてしまうのは、この映画の余韻をかなり悪いものにしているように感じました。あ、長々と書いてきたけど、この段落だけで言い切れてるや(泣)。