悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2017©りょんりょん) ※映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。

ハーフ・デイズ

ネタバレしています。少しだけdisっています。




ニューヨークを舞台に、付き合い始めて10ヶ月の20代(だと思います)のカップルが二つの選択肢を映画の冒頭で提示され、それぞれの1日が交互に描き出されるという、多分に実験的な意味合いも込められた映画でした。7月4日のアメリカ独立記念日に、女性の実家での家族団欒に向かうのか、それとも二人きりでデートするのか、どちらの選択肢を取るかで変わってくる生活を、交互に映し出しながら、映画は展開していきます。

男性の方はカナダ出身で、米国にまだ永住権がない音楽家(音楽家志望だったかな)、女性の方は地元出身で、舞台で女優として少し頭角を現し始めた頃で、更に家族には内緒にしていますが妊娠三ヶ月で、家族に打ち明けようかどうか迷っている、という人物設定があります。これらの前提条件とも言える設定も、すぐに提示されるのではなく、物語が進むにつれて、徐々に明らかになっていきます。

家族団欒の方は、表面上は穏やかに物語は進行するのですが、徐々に表面化する家族間の問題が重くのしかかってくるようになります。それでも、いつもと変わらない日常生活を必死に紡ぎ出そうとする人達の緊張感はあるのですが、でも家族ならではの安らぎ、平穏さ、温かさによって、緊張感も次第に日常の空気の中に染められていきます。

二人きりのデートの方は、一転してタクシーの中で拾った携帯電話から思わぬ事態を招き、若気の至りからか二人は暴走し始めます。こちらのパートでは、殺し屋は登場するわ、逃げ惑うわ、と団欒パートとは一転して、慌ただしい動きの中での非日常的な緊張感の中で時間が進んでいきます。

二つのパートに共通しているのは、主役二人の絆です。喧嘩もするけど離れられない二人というのが、静と動の交互の物語を見せることで、強く描かれています。

結局、どちらも最終的には、それまでの二人の日常生活に戻っていくというラストは、個人的には大好きなのですが、観る人によっては物足りなさを感じるかなとも思いました。

主演二人の演技は素晴らしかったのですが、人物像を掴むまではいってなかったかと思います。こういう形で作るのでしたら、もうちょっと人物の設定を詳細に詰めていた方がよかったのではないかと思いました。それは、二つのパートで、同じ人物なのに、こうもこの二人の行動や選択が変わるものなのかという疑問が拭い切れなかったからです。わざと、メリハリを付けるという意味で演出されている部分もあるのはわかるのですが、その振り幅が、前提条件の説明があまりないだけに、実際よりも余計に広く感じてしまうのが要因ではないでしょうか。

この映画を観て、日本ではこんな映画はまず作られないだろうなぁと思いました。実験作でアート指向ではありますが、観客を意識して作られているっていうのは、アメリカの映画だなと。でも、日本では、演技力のない俳優を起用せざえるを得なくてコケるか、演出力のないスタッフで俳優のよさを引き出せないか、はたまた演技力のある俳優と演出力のあるスタッフで作った場合でも、芸術、作家性というものに甘えようとしてしまうだろう、という理由からです。

翌日、『桐島、部活やめるってよ』っていう日本映画を観た後に、あれ?日本でもやろうと思えば作れるじゃねーかよと思ったのは内緒ですが、この映画を観終わった後はまだ『桐島、部活やめるってよ』を観てなかったので許してください。

主演の二人、ジョセフ・ゴードン=レヴィットリン・コリンズの演技は素晴らしいので、二人の俳優のファンでしたら、一見の価値ありだと思います。