悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2017©りょんりょん) ※映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。

桜、ふたたびの加奈子

ネタバレしてます。若干disっています。





原作は未読ですが、原作から設定とかもかなり変わっているようで、原作というよりも原案という形になっていると思います。原作通りの映画化を観たいと思う客層には合わないとは思いますが、映画としては素晴らしいものだったと思います。

狂気故の妄想なのか、絶望故の現実逃避なのか、それともただただ癒されたいだけなのか。

交通事故で小学校の入学式当日に娘を亡くしてしまった広末涼子が、ふとした切っ掛けで知り合った女性の娘を、自分の娘の生まれ変わりだと信じ込んでしまって付け回すというか、お近付きになって仲良くなっていくというお話なのですが、途中で広末涼子が生まれ変わりだと信じている娘を養女にしたいと申し出て断られた後は、もうホラー映画な展開になるかと思ってたんですけどね。

なるわけないっすよね(笑)。うん、でも、ホラー映画だよなとは思います。怖くはないけど。幽霊は、姿は見せないけど、劇中では存在しているという設定ですしね。広末涼子が自殺しようとした時に助けたのも、娘の幽霊だし。

輪廻転生を頑に信じ切る広末涼子を、空気読めなくてデリカシーがなくてただのアホだと思っていた夫役の稲垣吾郎が、実はきちんと理解していて、広末涼子を結果的に立ち直らせるというオチには、やられたと思いましたね。おいしいところ持っていきやがって、コンチクショー(違)。

輪廻転生は広末涼子の思い込みだよーんっていう落とし方に一瞬観客には思わせといて、本当に輪廻転生はあって、でもそれは女性の娘ではなくて、女性と同時期に知り合った元小学校教師(女性の元担任のこれまた女性)の息子だったよーんっていう展開には、さりげなくそのような伏線が最初から散りばめられていたとは言え、ちょっと唸っちゃいましたよ。

観ている時は、女性の娘が輪廻転生先だったとして、広末涼子の娘が死んだ時には妊娠7ヶ月か8ヶ月程度だったので、その時に宿っていた魂というか人格はどうなるんだろう、それらは生まれてから与えられるものなのだろうかって考えてたんですが、実は四十九日が終わってからきっちりと輪廻転生していたという展開には納得いきましたね。

映画のテーマとしては、広末涼子や稲垣吾郎が娘の死を乗り越えるっていうことだとは思うのですが、ボクは、乗り越えるんじゃなくて、忘れなくても、風化させなくてもいいんじゃないかっていうメッセージのように思えました。ずっと一緒だと思うことでの苦しみもありますが、苦しみだけじゃないんじゃないかと問いかけられているような。

それから、場面というかショットでいいものがあるんですが、どうもそれらが製作陣の血肉になってるわけじゃなくて、どっかから拝借しましたっていう感じを終始受けてしまったんですよね。その部分でのオリジナリティを感じることが出来なかったのは残念でした。いい場面が多いんですけどね。

広末涼子と稲垣吾郎の自然な演技はよかったです。稲垣吾郎は今でもSMAPの一員でアイドルなわけですが、こういう中年おっさん全開な役も許されるようになったんやなーと思うと、なんとなく感慨深いです。