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悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2016©りょんりょん) ※映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。

ノーカントリー

珍しくあまりdisってはいませんが、ネタバレはいつものようにしております。




オススメされたので、DVDを買って鑑賞しました。紹介された時も、追跡劇でアクションもあるって感じだったような。当然、そういうのを期待して観始めたわけですが……。

最初から、脳内で???が連呼状態。でも、不思議と画面から目を離せない。ずりずりと引き摺り込まれていくのです、映画の世界に。

冒頭からリアルな死体の山満載なのに、どうも現実感(映画だから現実じゃないけどw)がしない。いつもなら、それがネックとなって、面白くないって感じてしまうんですけどね。

この映画って、老人になって、理想を実現させる力(知力、体力)もなくなり、現実を傍観することしか出来なくなった宇宙人ジョーンズさんの語りというか愚痴だと思うのです。あの二人のファイトを中心に描くから、メインテーマを見落としがちになるとは思います(意図的だとは思います)が、メインは愚痴ですよ、宇宙人ジョーンズさんの。冒頭から、宇宙人ジョーンズさんのナレーションがありますし。来るべき時が来たらやるでっていう死亡フラグビンビンのやつですが(笑)。

観終わった後も???コールが脳内占拠だったのですが、アメリカ人というか、アメリカという国の映画で舞台となった1980年当時の思想や政治経済、文化、宗教観とかをわかっていたら、もっと理解出来たのかなって思いました。ベトナム帰還兵の問題や、犯罪の凶悪化によって、従来のやり方では対処出来なくなった嘆きですしね。

原題も、意訳すれば、「老人に国はない=老人の居場所はない」、ってことでしょうし。旧来の方法、思考ではもう追い付けない、時代は大きく変革してしまい、それに取り残されてしまっている、という暗喩もあるのでしょう。自分に都合よく展開しない、ストレスフルな現在の社会情勢の縮図というのもぶち込んでいると思うのです。

メイン3人の登場人物も、そういう描かれ方をしていますよね。ブローリン=伏兵メキシカン達にかちこまれ、志半ばで死亡。殺し屋=ブローリンを自分のルールで殺せなかったことで、自分のルールが穢されたままになってしまい、ブローリン配偶者にもルールを理解されず、殺し屋的にはトンチンカンな返答をされたままになっちゃい、理解出来ないながらも殺す(ここは多分)ことで、若干テンパったまま事故る。宇宙人ジョーンズさん=理想から逃げる、魂を自ら穢してしまう。ということで、このまま突き進んで行っても、勝者のいない結末だよってことだと思うんですよね。

最後、宇宙人ジョーンズさんが覚悟を決めて殺し屋さんと対決するのかなって思ってたんですが、原作も映画のラストの場面で終わってるみたいで、結局、宇宙人ジョーンズさんはその後どういう行動を取ったのかってわかんないし。そこは、観た人(原作は読んだ人ってことなのかな)の解釈に委ねるって部分なのでしょうけど。

わけわかめでしたけど、難解だとは思いませんでした。矛盾してますけど。多分、どうしてそういう捉え方をしちゃうの?ってボクが思ってしまって、あんたの考え方はわかんないやっていう意味合いでのわけわかめってことなんだろうなぁ。

ブローリンは帰還兵のその後の代弁者としてキャラ立ちされて、殺し屋は常識外なのに存在する悪腫瘍的な位置付けで、宇宙人ジョーンズさんは積極的な参加を嫌う傍観者=一般市民の代表と捉えると、意外とあっさりした映画なような気もしてきます。

あ、書いていて思ったんですが、凶悪犯罪の象徴として投入された殺し屋さんも、幽霊のような存在って劇中では匂わせておきながらも、結局、殺し屋自身も現実の中で翻弄されているっていう意味だったんじゃないかな、と。あの去り行く後ろ姿から、そう思いました。

個人的には、最後はブローリンVS殺し屋VS宇宙人ジョーンズさんVSメキシカンのカオスな戦いを期待しちゃいますし、それがないことによって娯楽映画としての失速は否めないかと思うのですが、あの余韻があるから傑作だという評判も出るのも頷けるところです。『キャプテン・スーパーマーケット』みたいに二種類のエンディングバージョンを作ればよかったのにぃ(違)。