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悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2016©りょんりょん) ※映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。

江ノ島プリズム

かなり大好きな映画です。ネタバレしています。




初めてこの映画の存在を知ったのは、シネ・ヌーヴォでポスターを観たときでした。それが、どういうわけかボクの心のどこかに引っ掛かっていたのでしょうか。何かの媒体でこの映画のことが触れられていて、興味が湧いて話の概略を読んだとき、これはボクの好きそうな映画だな、そう感じたのです。

手触り感としては、大林宣彦の旧尾道三部作(プラス『時をかける少女』もかな)に近いのではないかと思います。特に、『さびしんぼう』と同じような匂いをボクは強く感じています。

最初に観たとき、ボクの心はノスタルジックな世界へと逃避行を始めました。淡くて、切なくて、ほろ苦くて、でも、凄くキラキラした時間。忘れようとしてもふいに思い出してしまうような塊。それらがボクの心の中で踊り狂いました。

二回目に観たとき、ボクの心の中は哀切な感情に支配されました。勿論、淡くて、切なくて、ほろ苦くて、キラキラした感情もありました。でも、哀切の感情に全て上書きされるような感触がありました。

それは恐らくは、二回目ということで、既にタイムライン、時の流れ、歴史を知った上で、それでもやらなければという主人公の気持ちに同調してしまったのだと思います。

そう、それは二回目だからこそ味わえる感情だったのです。

この映画は、一回目、二回目(三回目以降もあるかもしれません)と、違った味わいが楽しめる映画でもあります。

丁寧に、情熱を込めて作られていますが、細かなミス(と呼んでいいのかどうかわかりませんが)もありますし、観客の好き嫌いにかなり左右される部分が大きいでしょう。それでもボクは、映画ファンならこの映画を観て欲しい、そう思うのです。

本田翼さん演じるミチルがもっとハッキリときちんと前もって伝えておけば回避可能な話とも言えます。そこにムカつく人は、恐らくこの映画との相性は最悪です。でも、高校生の時代ってそういうことが多くなかったでしょうか、自身を振り返ってみて。いや、今も、大人になったかもしれない今もどうでしょうか。そう思ってから観ると、忘れていた、いや、忘れようとしていた、忘れそうになっていた、何か大切なものを見つめ直せるかもしれません。

終盤の、福士蒼汰氏演じる修太が選択し実行したことによって、未来が書き換えられる変わりに、過去も書き換えられました。そして、ラストシーン。三人は再び出会います。修太は野村周平氏演じる朔のこともミチルのことも、憶えていません。朔もミチルも修太のことを憶えていません。憶えていない、というか、彼ら三人(朔とミチルは元々のタイムラインのように既に関係性が構築されています)が新しく歩んできた修正されたタイムラインでは出会っていなかったので、知らないという言葉の方が正しいでしょう。

ボクが想像するに、タイムライン(自体なのか、それを操る存在なのかはわかりませんが)が意図的に三人を会わせないようにしていたのではないでしょうか。2012年12月21日以降(恐らく12月22日から)からは、会う会わないは運、言い換えればタイムラインからの意図的介入から解放されることになったのでしょう。三人の強い結び付きは、解放された瞬間からまた紡ぎ始められたということと思いたいです。

修太がタイムプリズナーになってしまったのか、とも考えましたが、あの場面では、お互いに存在を知らなかったという演出だと思いますので、それではないのでしょう。修太は、自分の大切な思い出と引換えに朔の命を助けたんですから。だから、憶えていてはいけないんです。

修太のラストの表情が、修太自身の魂を救済しているように思えてなりません。