悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2024©りょんりょん) ※(主に)映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。ごめんなさい。

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KICK-ASS キック・アス ジャスティス・フォーエバー

何故か、ごっつ気に入っているにも関わらず、かなりdisってますし、本作だけではなくて、前作(原作も含めて)のネタバレも一部しちゃってます。ごめんなさい、てへ。






個人的にはスゴく楽しめたのですが、率直な感想として、この映画はかなり迷いや隙(隙間)がある映画だったな、と。

その迷いや隙(隙間)のせいで、観る人によっては、この映画のテーマや方向性みたいなものが、実際以上にブレているように感じるんじゃないかな、とも。

着地点を見失っているというか、探し続けていたけど時間切れになったというか。

思うに、この映画の迷いや隙(隙間)は、製作陣もわかっているけど、どうしようも出来ないモノであったのではないでしょうか。それをわかった上で処理するのがプロなんでしょうけれども(厳しい言い方ですが)。

前作はDVDで二回観たくらいで、原作は一回も読んだことはないので、間違っているところもあるかと思いますが、前作は原作と大きな展開はほぼ同じようなのですが、キックアス、ビッグダディ、ヒットガールという主要3キャラの設定(とキックアス自身のオチ)が、前作と原作ではかなり違うようなのです。

特に、ビッグダディとヒットガールは、根本の設定から変わっているようです。前作ではビッグダディは優秀な警察官(刑事?ニコラス・刑事?)だったのですが、レッドミスト(本作のマザーファッカー)の父親(マーク・ストロングやったんや、ちゃんと認識してなかった……)の組織に嵌められ刑務所にぶち込まれます。それを悲観した配偶者(ヒットガールの母親)は自殺。その復讐のために、娘をヒットガールとして育て、自身と共に戦う戦闘マシーンに仕上げるんですよね。

原作では、ビッグダディは元々警察官でもなんでもなく(笑)、ただの趣味で娘をヒットガールという戦闘マシーンに育てて、趣味でギャング(ヒーローには敵役が必要だろいうことで)と戦ってるらしいのです。おいおい(爆)。

前作でのビックダディが語る過去もどこまでが本当かは?なところがありますが、警察官だったことは事実のようですし、少なくとも、趣味だけで戦っているという描写ではなかったと記憶しています。

続編を作らずに前作があのまま終わるのなら、前作での設定変更は、原作ファン以外は気にならないとは思うのです。映画としての効果を狙ったものでしょうし、それが破綻しているという印象もありませんでしたから。

ただ、続編を作るとなればそうはいかないんです。映画オリジナルな展開で続編を作るのならまだしも、この映画も原作の続編(ええいややこしい)と大きな展開は同じらしいのです。

主人公は勿論キックアスなんですが、ヒットガールを中心に描きたいんだっていうパワーが画面から迸っているというのも、迷いというか隙(隙間)があるように思える推進力となっているんです。

素直に、ヒットガールを主人公に持ってきて、キックアスはゲスト扱いでもよかったと思うのに。原作があるので、そうは出来ないというのはわかるんですけどね……。

そんな状況なので、迷いや隙(隙間)だらけな映画となってしまっているにも関わらず、観客の登場人物への感情移入だけはやたらブロックする仕組みが構築され、そこだけは鉄壁な作りなので(泣)、歪さを生むしかないってところまでになっちゃったのかな。

キックアスとヒットガールも前作と同じ役者を起用ということで、役者というかヒットガールを演じたクロエの実年齢の加速度と映画の中の時間経過が違うのに、それを強引に当てはめるってことをしちゃったのも、歪さを生む土台となったようにも思えます。

前作は、改めて思うと、まとめ方のうまさもあるけど、色々な偶然と必然が重なった奇跡だったんじゃないかな、と。個人的には、映画の出来としては前作の方がはるかに上ではあると思うのですが、好みとしてはこの映画の方なんですよね。人の気持ちって不思議だわ。

かなりdisってしまったよ。orz

しかも、この映画の感想にもなってない……。まっ、いっか。