悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2024©りょんりょん) ※(主に)映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。ごめんなさい。

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カニバル

ネタバレしていますが、disってはいないと思いますよ。





 スペイン南部のグラナダに住む中年男の仕立て屋が、実は女性(若い女性のみみたい)を殺して食べるという生活を営んでいる日常を、美しい画の中に閉じ込め、冷たく乾いた空気感で包み込み、人間の愛情の発生源は何だろうかという疑問という箱で店頭に出した高級な洋菓子のような佇まいの映画でした。

 最初のロングショットからの、実は主人公の車の中から覗き込んでいたショットでしたっていう展開が、これからの不穏な物語を示唆し、久し振りに画面描写だけで気持ちのいいゾクゾク感を味わえました。

 画面構成がとても素晴らしくて、映画を作ってる人はかなり参考になるかと思います。また、心情描写にしても、映画の教科書にしてもいいくらいの、懇切丁寧な作り方だったと思います。そういう意味では、ニコラス・ウィンディング・レフンが監督し、ライアン・ゴズリングが主演した『ドライヴ』とも共通していると思います。

 ただ、心情描写が懇切丁寧で、しかも主人公がシリアルキラーなのに、ほぼ普通の人(しかも、おひとりさまが大好きな中年男性ですよw)と変わらない日常風景を描いているこの映画は、万人受けはしないのかなとも思いましたし、そういうところを真似て、芸術映画を撮ったんだから崇めよ、なんていう間抜けな方向には逃げないで欲しいですけどね(笑)。

 まぁ、大抵の人は退屈だって思っちゃう映画かなーとは思います。

 こういう画で攻めてくる映画って、あんましないような気がしますので、それで浮かれてるのかもしれませんが、いやー、ボクはずっと映画の世界に引き込まれていましたよ。

 主人公は、もうかなりの年数、女性を殺しては食べてという生活をしていて、それが、本当にもう日常化しているっていうのがわかります。そして、女性の肉しか恐らく食べることが出来ない体になっています。

 シリアルキラーを描いた映画って、もう通常からぶっ飛んでる奴か、何らかの明らかなトリガー(スイッチ)によって変貌するっていうパターンが多いように見受けられるのですが、この映画の主人公は、本当にもう日常なんです。日常の延長じゃなくて、ほんまの日常。

 ボク達がお腹が空いたのでご飯を食べるという行動と、全く変わりはないんです。自分で獲物をハンティングして、自分で調理して、自分で食べるという行動を、主人公は取っているだけなのです。ボク達がスーパーへ行き、食べ物を買い物かごに入れ、お湯を沸かし、カップ麺に注ぐという生活と同じなのです。

 トリガー(スイッチ)的な部分としては、主人公も劇中で告白していますが、気に入った女性の全てが欲しいという気持ち、恐らく一般人にはそれは恋愛感情なのだと思うのですが、それが歪んだ方向、その人を食して一体化する的な発想になってしまっているのでしょう。

 それが、また、じわりとした怖さでもあります。それは主人公に対してではなくて、実は、一般社会における恋愛感情的なものもそういう発想であり、行動のみが違うのではないか、という怖さにボクは捉えました。

 よくわからなかったのは、主人公の母親みたいな感じの裁縫の上手い人がいたのですが、母親でもないし、一体誰だったんだろう。主人公の秘密を知ってるみたいだし、彼女もそうであるかのような(眷属っぽい)描写だったように思えるのですが。

 それと、終盤の展開がやや駆け足になってしまって、これまでのペースを破るという意図は感じられましたが、それまでが丁寧に作られていたので、ボクはちょっと手抜きだなと感じてしまいましたね。そこが少しだけ残念なところでした。

 ヒロインが最後に取った行動は、結果的にカミングアウトした主人公を助けることになりましたが、それはヒロインが望んだものなのか、それとも……。

 ボクは、ヒロインが主人公と心中したかったんじゃないかなって思いました。それは、主人公のした、ヒロインの妹を殺して食べたという行為を赦したっていう描写だったんじゃないかなと思います。