ネタバレはあんまししてませんが、豪快にdisっています。でも、三回観に行ったし、いい映画だと思っています。マジで。
観てきました。3Dで一回、2Dで二回。
うん、悪くはないと思う。楽しめたし。でも、ボクの脳内で過剰に高められた期待値を上回ることはなかったのは事実です。でも、面白いし、素晴らしい映画であることには違いありません。
今回の映画のアナウンスで一番ビックリしたのが、『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』だけの続編ではなく、これまでの旧X-MENシリーズ(1から3)や、ウルヴァリンのスピンオフ二作も含めての続編であるという触れ込みでした。確かに、『ウルヴァリン:SAMURAI』のエンドローグ後に、教授とマグニートーが仲良くウルヴァリンの前に現れて、大変やから手伝ってって言うシーンがありますが、まさかスピンオフまで組み込むとは。
Twitterとかのマニアでの評判では、これまでの全てのシリーズをうまく繋げたという意見を多く見ましたが、ボクは、『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』の続編ではあるけれども、旧X-MENシリーズやウルヴァリンの続編には成りきれなかったという意見です。つか、なってないじゃん、ちゃんと客観的になればわかるっしょ(笑)。
元々、『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』の続編として進んでいて、ただ、『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』の収益が満足いかなかったとかの事情で、それなら旧作の人気キャラ(俳優含めて)を出してしまおう、出すんやったら、あっちの続編と強引にでもしてしもてもええやんっていうノリで決められていったんだと思います。
そりゃ、旧X-MENシリーズの設定をリセットして『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』を作ってるのに(『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』は最初から旧X-MENシリーズに繋げるものであったという情報もありますが、本当なんかなー)、旧X-MENシリーズの続編にもしますっていうのは、無理が出ますわな。しかも、旧X-MENシリーズだけですら無理があるのに、ウルヴァリンのスピンオフまで入れちゃうとね、結果は明らかだったでしょうに。
未来からウルヴァリンがやってくるという内容ですし、旧X-MENのキャラが俳優も同じで出演していますが、『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』の続編であって、旧X-MENシリーズの続編ではありませんっていうやり方の方がしっくりきたと思うんです。
ファンサービスという意味では、それで十分だったんじゃないかな、と。結果論ではありますが、旧X-MENシリーズの続編ともしちゃったので、若干身動きが悪くなったように受け止めてしまっています。
事実、実際のこの映画の展開や雰囲気も、『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』の続編という面が強く、そこにヒュー・ジャックマン演じるウルヴァリンが加わったという形式で展開しています。
ヒュー・ジャックマン演じるウルヴァリンは『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』にもゲストでワンシーンだけ出演しているし、歳をなかなか取らないという設定もあり、うまく嵌まってはいますが、旧X-MENシリーズの続編という印象は、俳優が同じキャラを演じてるからそう受け取る側面はあるものの、旧X-MENシリーズの続編にもするという必然性が感じられないのです。
なんか、ここまででえらい長く書いちゃってますが、これから、映画本編の内容について書いていきます。
大まかなお話は、なかなか面白いのです。旧X-MENシリーズの続編と言わなければ、心の底からうまくまとめたよなぁって言ってそうなくらいです。
でも、何が手放しに喜べない要因を書いていくことで、原因に突き当たるのかなと考え、映画本編で思ったことを以下書いていきます。
『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』のキャラが殺されて実験材料にされてたりという、物凄く悲しい展開の割には、あっさり風味でその報告が処理されています。これは、恐らく旧X-MENシリーズの続編としたことで、そちらのキャラが大量導入されたことの弊害でもあると思います。物語の展開にうまく嵌め込んでいるように思えますが、体の良い人員整理の側面も強く匂います。
2023年の未来の世界(映画世界ではこの2023年が現在なのか)では圧倒的な強さのセンチネルに、X-MENメンバーが簡単に殺されていく様から絶望感がひしひしと伝わる割には、描き方がこれまたあっさり風味というか、死への重みがないし。ゲームのキャラクターみたいに、死んでもまた生き返るしとか、最初からやり直せばええやんっていう感じです。あ、まぁ、巻き戻してやり直したらええやんっていうのは、その通りなんですが。
あっさり風味なのがテンポのよさに繋がってはいるのですが、引っ掛かりなく進んでいってしまって、気付いたら終わってたということになってしまってるとも言えます。いつもは、テンポが大事だと言ってるこの口が(マテ)。
ウルヴァリンが入ることによる、チャールズ(敢えて1973年バージョンはこう呼びたい)とマグニートーとの関係性(そして、勿論ミスティークも)の描写を期待していたのですが、ウルヴァリンは蚊帳の外的な扱いになってしまっていて、残念だったこと。
この映画では、ウルヴァリンは狂言回しな役割を課せられているので仕方がないのですが、折角ヒュー・ジャックマンを出演させて(しかもこの蒼々たるメンツの中でもトップクレジット)ウルヴァリンを演じさせてるのに、勿体ないというか、ボクはヒュー・ジャックマンのウルヴァリンのファンなので、物足りなかったというか。
ラストバトルでの、ウルヴァリンの途中退場による不完全燃焼気味な展開もそうなんですよね(ただ、映画の展開としてはあれでよかったようには思います)。
まかぽいも最近ではお気に入りの俳優の一人なのですが、ヒュー・ジャックマンと二人並んでるシーンなんて、もうすっごくかっちょよくてねー。だから、絵的なだけではなく、物語というか、人間関係の部分にも深く喰い込んで欲しかったんですよね、ウルヴァリンには(教授とはあるにはあるけど)。
ウルヴァリンの立ち位置
X-MEN1から3:「太陽にほえろ」でいうところの、ショーケンや松田優作のポジション
X-MEN DoFP:「西部警察」における大門のポジション
そんな感じでしょうか。
最後のシーン、ウルヴァリン2023の意識は戻って、学園の中にいます。そこには、ストームもいるし、ビーストもいるし、アイスマンは二股かけてるのかローグと手を繋いでるし(あれ、ローグの能力とか含めて大丈夫なんかな)、キティもコロッサスもいるし。そして、ジーンとスットコまでもが。俳優のギャラはどんだけだったんだよ(爆)。
この最後のシーンで、あーよかったよかったって思ったんです。ただ、エンドロールが流れているときに、ふと思ったのです、いや、ほんまによかったんかって。
ウルヴァリン2023の意識は、1973年を経由して戻ってきますが、未来は変わってしまっています。そして、1973年から元に戻って継続していたはずのウルヴァリンの意識は、ウルヴァリン2023に完全に置き換えられてしまいました。1973年での一時的なものではなく。
ここでも、ウルヴァリン2023だけが犠牲を強いられ、悲しい未来を知っていて、耐えることを要求されるのですよね。そこだけを抽出すると、ウルヴァリン2023の自己犠牲による問題解決と言えなくもないですし、最初はちょっとそう思ってたんですよ。
幾ら、ヒーリングファクターがあっても、それは肉体的なもので、精神部分は違うだろうと。だから、自己犠牲を強いられたウルヴァリン2023の物語という面もしれっと導入しててうまいなぁと。
でも、それまでその世界で生きてきたウルヴァリンの意識はどうなるんやろうって思うと、切なさもあるのですが、どうも納得出来ない感情が湧いてくるんですよね。
あ、(映画の)ウルヴァリンって、記憶は色々とこれまでもいじられてるから、いいっちゃーいいのか(オイ)。
クイックシルバーも、キャラクター自体はいいのですが(お気に入りですよ)、前半だけで終了という使い方は勿体ないというか、おかしいんじゃないのかっていう疑問がかなり大きく感情を支配してしまったんですよね。
パリに連れて行かない理由は理解出来るとはいえ、映画としてそれはどうなのよと言いたいのです。しかも、最終決戦はまたアメリカ(ワシントンD.C.)に戻って来てるわけなので、そこで合流ということも考えられるだけに。まだ若い(映画の設定上)からというのはあるかもしれないけど、背に腹は代えられない状況なわけでしょ。
クイックシルバーの映画での能力はチート全開なので、最終決戦に入れ込みようがないという製作上の理由が容易にわかってしまうんですよね。クイックシルバーというキャラクターを出したのは、この映画にとっては不正解だったとしか思えません。
教授もマグニートーもビーストも、2023年では何歳なんだよ。『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』の時点で30歳前後としたら、80歳前後かよ……。教授もマグニートーもそう見えるとして、2023年のビーストは見えないだろ……。つか、2023年の学園には、マグニートーやミスティークがいなかったのが寂しかったなぁ。
最初の2023年の場面で、X-MENメンバーがセンチネルに次々と殺されていく場面で、コロッサスの銀色の顔が泣きそうな表情だったのが、一番印象に残っています。