ネタバレしていますし、disっています。ただ、悪い映画ではないですし、観て損はないと思います。
予告編の雰囲気から、これは凄い映画なんじゃないか、なんていう妄想が止まらなくなって、公開初日に突撃してきました。勿論、3Dです。IMAXじゃなかったけど、TOHOシネマズのTCXスクリーンで観ました。
えっと、今回のゴジラさん、鈍臭いですよね。
あっさり言えば、ゴジラ対ラドン、あ、違う、ゴジラ対ギャオス(平成版)ってノリでした。
映画は、悪くはないんですよ。終盤の戦いなんて迫力あるし、全体でもごっつかっちょええ場面もかなりあるし。
ただ、なんだろう、内容が壊滅的につまらないのと、ゴジラの出し惜しみというか、登場を引っ張り過ぎるのと、ゴジラの設定があやふやに思えたということが、想定以上に映画のよさを潰していってたように思えました。
ゴジラという名称を使う意味というか、必要性がないんですよね、この映画、ぶっちゃけると。そういう感覚では、現在の仮面ライダーのテレビシリーズにも似たものかもしれません。
放射能というか、核に対するアンチテーゼっぽいものも含まれていますが、だからどういうメッセージを届けたいの?って思ってしまうものだし。
ゴジラの存在もよくわかんないんですよね。過去の水爆とかの実験はゴジラを殺すためだったという設定ですが、そのわりには、今回のゴジラは人間の味方ですしね。トランスフォーマーですら、守ってきた人間に殺されそうになるとはって愚痴る世の中ですよ(笑)。ゴジラの忠実さに敬意を表してしまいますよ。
キックアスのパートと、渡辺謙のパートの二つが主軸で、時に交わったりしながら物語は進んでいくわけですが、正直、渡辺謙のパートは要らんかったかなぁと。
渡辺謙は、ハリウッドで活躍している日本人俳優なので、無理矢理(制作側は無理矢理っていう意識はないかもしれませんが)組み込んだっていう居座りの悪さを感じました。だって、渡辺謙、途中30分くらい出て来なくなるし。制作側は、日本へのリスペクトだったんでしょうけどね。
渡辺謙のパートがダメというんじゃなくて、この映画のトーンには合ってなかったというように思っています。キックアスの、怪獣に遭遇しても何故か逃げ切れちゃう主人公耐性全開パートのトーンが、映画全体のトーンでもありましたから。
主人公格の二人(キックアスと渡辺謙)の他人感というか、物語に絡んでいるのに絡んでないような感覚は、演出というよりも、その前の脚本とか構成の段階の問題なんやろかなぁ。
ゴジラ登場の出し惜しみも、焦らしに焦らす戦法だというのはわかるんですが、それならそれで圧倒感みたいなものがボクは欲しいわけですが、先にも書いたようにゴジラが鈍臭いことも相俟って、全くないんですよね、そんなものが。映像的には凄かったですが、映画的には凄くなかったってところでしょうか。
ゴジラはムートーって呼ばれている怪獣2匹(オスとメス)とハンディキャップマッチを行うわけですが、結構押されてるんですよね、ゴジラ。1対1でちょっとゴジラの方が強いくらいな程度なんです。見かけ倒しというか。ゴジラの弱さに、座席でズッコケましたからね、マジで。
さんざん焦らして、溜めに溜めての終盤の怪獣バトルなのに(それまで2回か3回、怪獣バトルの開始直前で別の場面に切り替えるという戦法をしておりました)、そこは圧倒的なゴジラを見せるんとちゃうんかいっていうツッコミを何回したことか。
崩れ落ちるビルの下敷きになって、ぐふって言うゴジラなんて見たいわけじゃなかったんですよね。最後の戦い疲れてぐったり寝ているゴジラはよかったけど。
よかったところは、ゴジラの放射能火炎ですね。相手の口の中に強引に放射能火炎を吹き込むところ。あれは凄かったし、インパクトあったし、説得力もありました。
それと、ゴジラの遊泳場面。最後のところもそうですが、なんか風格がありました。
前半をもうバッサリと切ってもらって、終盤のゴジラの鈍臭さをもうちょっと緩和してもらってたら、ボクは傑作だったって言ってたと思います。
終盤はよかったんですよ。悔しいけど、今の日本じゃこれは作れないよなっていうものだったし、それを映画館で観れてよかったって思えたんですよ。ただ、そこまでの道程が苦行なんですね……。
そうだ、ガメラなんだよ、この映画。ゴジラじゃなくて、ガメラのテイスト(昭和と平成を併せた)なんだよ。だから、ゴジラとして身構えて臨むと、居心地が悪いというか、違和感があるんだよ。
ボクは、予告編で想像したような映画が観たかったなぁ。あの予告編(日本版)は詐欺だよ(爆)。
マニアの皆様は、この映画は傑作だったと思い込まなくてもいいんですよと、そっとお伝えしたいですね。