悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

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ローマ環状線、めぐりゆく人生たち

ネタバレ云々とは無縁な映画なのでネタバレ的なものはないですが、かーなーりdisっています。






 第70回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞とのこと。映画祭の賞は無意味ですという証拠として、この映画を差し出したとしか思えないなぁ。

 この映画を観たいと思ったのはどうしてだったのか。観たい映画をリストアップしているメモに書いてあったんで観に行ったんですが、何か他の映画と間違えていたんだろうか。

 ローマの周りに張り巡らされている環状線、その周辺に住む人々を赤裸裸に映し出す。貧しい人もいれば、裕福な人もいる。日々同じ日常を繰り返している人もいれば、時々刺激のある日常を送っている人もいる。

 冒頭のぼやけた風景は、そこに住む人々の先行きを現したものなのだろうか。それとも、それらの人々の過去から現在を象徴したものなのだろうか。

 左画面にローマ環状線を走る車、右画面に牧羊の群れを配置し、これから映画の中で提示される出来事のポイントを、この一見のどかな場面を通じて、制作側は「観客はどう捉えるのか」と挑発しているかのようにも思える。

 どんな人々がいて、どんな生活が送られていて、昼と夜の顔が違ったとして、それらを全て包み込むではなしに、無機質に時間は流れていく。そのような言葉を投げかけられたように感じられた。

 特別、この映画は難解ではない。画面に表示された人々を受け入れてあげること、そして、横にいて会話を聞いてみる、そういう姿勢になるだけで、ぐっと身近に寄ってくるだけではなく、映画自体が観客に話しかけてくるようになるのだ。

 ローマ郊外のウナギの繁殖事情は、日本にいる観客にはほぼ無関係だろう。だが、ウナギというキーワードだけに絞ってみたらどうだろうか。無関係と言えるだろうか。長年ウナギを獲り続けている老人と、その老人の話を黙々と編み物をしながら聞く老女の姿が、この映画のスタンスを象徴しているのかもしれない。

 色々な人々があり、色々な暮らしがあるから、時には衝突して大変なことが起きてしまうのかもしれない。ローマの環状線でも、日常的に事故は起こる。でも、それを救助する人がいる限り、またいつもの顔を覗かせてくれるようになるのだろう。常日頃の暮らしにも、そのような存在があるのかもしれない、と、この映画は問いかけているのだろうか。

 なーんて、思うわけねーだろー。つまんねーんだよ。ただ撮影したもんを切った貼ったしただけじゃねーかよ。こんなん資源の無駄。映画としてきちんと作れよ。友人に見せる程度のもんじゃねーかよ。お金取ってまで、他人の目に触れさせようとするんじゃねーよ。
 
 昆虫学者っぽいじいさんの、ヤシの木をボロボロにされた復讐劇が楽しみだったのに。そこも撮っとけよ。