悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2016©りょんりょん) ※映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。

おやすみなさいを言いたくて

ネタバレしてますし、disってもいるかなー。






 なかなか面白かったですが、後味は悪いというか、ネッチョリとした感覚の終わり方というか。

 主人公の女性カメラウーマンは、紛争地域とかに行って写真を撮るという仕事をしていて、業界内でも評価が高く、名前は世界的に売れてるという設定です。

 コンゴでの冒頭の場面、途中までなんのこっちゃ分からんかったんですが、自爆テロをやる女性に同行して(自爆テロの前の儀式でした)写真を撮ってたんですよね。いやー、ここの一連の場面、それが分かってから、ジワジワと恐ろしさが湧いてきました。

 結局、その自爆テロに巻き込まれた主人公は、肺に穴は空くわの大騒ぎ。アイルランドの自宅に戻ったあとも、主人公は自分の居場所がそこにはないっていうことに気付きながらも、家族と一緒にいなければという思い込みで、長女、次女、旦那と仲良くやっていこうとします。

 やっと表面的に家族の輪に入った頃、コンゴの紛争地域よりかは安全らしいケニアの難民キャンプ地での取材依頼があります。長女は学校のサークルでアフリカ関係のことを題材にして活動していたので、同行したいと駄々をこねます。

 ちょっと色々とあって、主人公と長女はケニアに行き、二人の絆は深まったように思えたのですが、取材場所が襲撃され、長女と一緒に逃げるよりも襲撃されてる状況の取材を主人公は選んでしまいます。

 そして、自宅に戻ってきてから、旦那にそのことがバレ、家を追い出されてしまいます。

 母親(主人公)から「自分の心の中のどうすることも出来ない渇望(欲望だったかな)には逆らえません、実の娘を守るよりも優先順位は高いです」って正面からあっさりとゲロられらたら、そりゃ長女は傷付くし、家庭は崩壊しますよね。

 コンゴに改めて取材に行く前に、空港まで行っていたにも関わらず、長女のアフリカでのことをまとめた発表会を見るために戻ってきたときは、あっ、家族を取ったのかって思ったんですよね。

 しかし、実は、それは家族との別れ(もうこれまでのように一緒に生活は出来ない=離婚)を言うためだったんですよね。

 長女は主人公が自分よりも仕事(主人公がやりたいこと)を選んだことに傷付きはしたけど、最終的にはそれを認めてあげるっていうのは、主人公にとっては良かったのかな。でも、今思うと、それは、もうあなたは母親じゃないんですよっていう三行半だったのかもしれません。それなら、主人公には残酷な宣言になるんですよね。次女は、母親にまた戻ってくるよねって言ってる場面との対比からも、そう思えます。

 結局、主人公はコンゴに戻って、また自爆テロの同行取材をするのですが、長女と同じ年頃の女性が今度は自爆テロに向かうと知ったとき、もう写真を撮れなくなっちゃうんですよね。

 主人公は仕事も手に付かない(オファーがなくなるとかではなくて、精神面で)ようになり、しかも、家族の元にはもう戻れないだろうっていう、幾ら世界の人のためとは言え、散々自分勝手にやってきたツケを払わされたということなんでしょう。

 この映画って、昔893だったヤツが更生して一般的な生活を送ってるけど、旧友から昔所属していた組の現状を聞いたりしてるうちに、心の中にまだ893の血が残ってることが分かって、家庭を捨てて抗争に飛び込んで行くという映画のフォーマットそのままじゃないですか。昔の『竜二』という映画を思い出しました。