悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

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フォックスキャッチャー

ネタバレしていますが、実話ベースなのでネタバレと言えるのかどうか。


フォックスキャッチャー



原作(?):Mark Schultz
監督:Bennett Miller
脚本:E. Max Frye、Dan Futterman
出演:Channing Tatum(as Mark Schultz)、Steve Carell(as John du Pont)、Mark Ruffalo(as David Schultz)ほか

なんばパークスシネマで鑑賞



 最初の場面からの、不穏な空気と緊張感が、淡々と静かに進んで行く展開と重なりあって、いつの間にか映画の世界に引き込まれていました。

 実話を元に構成されているとのことですが、映画としての再構成も当然ながらされているようで、劇中での時間の流れは1987年から1988年にかけて、1年から2年程度の期間のお話っぽく作られています。

 映画の中では、デイブ・シュルツがジョン・デュポンに射殺されるのは、1988年のソウルオリンピックが終わってからの最初の冬という流れに思えますが、実際にその事件が起きたのは1996年1月ということで、ソウルオリンピックからは8年経過していることになります。

 総合格闘技のビデオとかをフォックスキャッチャーの選手が観てたりしてますが、この時代はまだなかったと思いますし、あったとしてもテレビとかビデオになるくらい知名度は高くなかったと思います。こういうところが、映画としてのフィクションだったのかな、と。

 もうね、チャニング演じるマーク・シュルツと、スティーブ・カレル演じるジョン・デュポンの病的な雰囲気が凄まじいです。病んでる質は二人とも違うんだけど、明らかに病んでるやろっていう描写なんですよね。

 事実がどうであったかは分かりませんが、この映画から感じたことは、マーク・シュルツもジョン・デュポンも同類というか、お互いにお互いが必要だったモノ(お互いに持っていない能力やモノに対する憧れというものではなく)を持っていて、それによって互いに求め、引き寄せられる運命にあったのかな、ということです。

 ただ、違ったのは、マーク・シュルツは兄であるデイブ・シュルツも求めていたことで、ジョン・デュポンはそのポジションは自分じゃないといけないと思い込んでいたがために、狂気の引き金が引かれることになってしまったんじゃないか、という作りだったとボクは思っています。だから、デイブ・シュルツに執着したんでしょうね、ジョン・デュポンは。

 お山の大将でいることに疑問すら感じない、ある意味天然培養で育ってきたジョン・デュポンにとっては、それは耐え難い、考えられない現実を知らされたことになったのかもしれません。

 マーク・シュルツは、そういうジョン・デュポンを徐々に受け入れられなくなり、内なる爆発を起こしてしまったんでしょうね。

 ジョン・デュポンも、レスリングを実際には教えることなんて(高いレベルで)出来ない自分と、それが出来るデイブ・シュルツを比較して、デイブ・シュルツが邪魔というか、それは自分でないといけないんだという気持ちから、殺すというよりも、排除しようとしたのかなと。

 物語は、終盤近くまで、チャニングの視点から観たジョン・デュポンという形で進みます。ソウルオリンピック後に、チャニングがフォックスキャッチャーを辞めてからは、(この映画を観ている)観客の視点から観るジョン・デュポンへという構成へシフトします。

 ここの視点のシフトが、ちょっとうまくいってなかったように思います。それは、チャニングの演技がそれほど素晴らしかったことの、不幸な弊害だったのではないでしょうか。

 マーク・シュルツは、この映画を観て結構怒っていたみたいですが(ジョン・デュポンとの描写が、同性愛を想起させる云々が理由だったみたいです)、この映画が賞とかでノミネートされたら、一転して良かったとか言ったりしていて、なんか、チャニングが演じた病的な雰囲気のままの人なんかな、って思っちゃいました。猪木のジャングルファイトにも出ていたみたいですね。

 劇中で、ジョン・デュポンというか、フォックスキャッチャーのドキュメンタリーを作っているのですが、本当にあるのなら観たいなぁ。