悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

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進撃の巨人

一部ネタバレしていますし、いつものことですがdisっています。



 原作の漫画は、人気が出始めたときに途中まで面白く読んでいたのですが、人間側も巨人になったあたりから、ちょっと求めているテイストじゃないなって急激に冷めて読まなくなりました。そうしたことから、『進撃の巨人』と聞いて思い出すのは、巨人、壁、中世世界規模の文明(あくまでもボクの記憶ですが)程度でした。

 脚本(共同やったんですね)に著名な映画評論家の方が参加されていたり、ある映画評論家のブログで40点と採点され監督が激怒するとか、製作陣の一人がハリウッド云々と言い出すとか、映画の周辺にネタとなる燃料を振りまいてるなっていう印象が強いですが、ツイッターのボクのTLでは結構評判が良かったりしたこともあったのと、この映画は前編で後編もあることから、もうちょっとあとで観ようと思っていましたが、ツイッターでのネタバレが酷くて(苦笑)、とっとと観た方がいいだろうと重い腰を上げて観てきました。

 うん、40点っていう採点は妥当だったんじゃないかなと思います(爆)。

 巨人が出現し、人が喰われ出すところまでは、絶望感も緊迫感も迫力もあって、これは面白い映画なんじゃないかって思わされました。しかし、「二年後」の展開から、もっと言うと、石原さとみ國村隼が登場したあたりから、かなりモタつくというか、かったるい展開になって、最初の「面白くなるんじゃないか貯金」がどんどん減らされていってしまったという印象です。

 この映画がとほほ寸前だったのは、人物描写だと思います。キャラをあまり詳細に描く気がない、または描けない(そのことが悪いという意味ではありません)のに、メイン級のキャラを多く出し過ぎたのが悪く作用してしまったのではないでしょうか。

 その為なのか、ある程度名の知れた俳優さんをキャスティングし、俳優さんの力でキャラ立てしてくれっていう算段だったのでしょうが、ミスキャスティングも多いように思えて、これも効果的ではなかったのではないでしょうか。

 一例として、現状に怯えて、彼氏とずっと一緒にいないとダメなキャラに、武田梨奈さんをキャスティングする意味はないですよね。で、彼氏(オーズの中の人だったらしいw)が殺されたあとはキレてノリノリアクションで特攻するのですが、おいおい、さっきまでのキャラ作りはどうしたんだよっていう有様でして。原作でそうだったのなら仕方がないですが。

 それに主人公を誘惑する子持ちビッチ女と、イモ食い姉ちゃんの区別がよく付いていなくて、っていうか、このあたりのキャラも、映画としては二人も要らないというか。弓矢の姉ちゃんもおったなー。誰が誰か分からなかったですね、画面が暗かったというのもありますし。勿論、ボクの識別能力のなさも……。相貌失認なんかな……。

 メイン級というか、普通のモブキャラよりも、名前があるキャラの方が、巨人に喰われるにしても、悲壮感とか緊迫感とかは出るとは思いますが、なら、そうなるような演出、展開をしてキャラを活かさないとダメだと思うのです。この映画は、それをやっていないとボクは感じました。

 それなら、キャラを絞り込んで、一人のキャラに注力させるような演出、展開が望ましかったのではないかなと思うのです。原作があるので無理な注文だとは思いますが。

 個人的に面白かったのは、三浦貴大が思ったよりも出番が多かったというところです。なんか、上からの保護者目線で微笑ましく観てしまいましたよ。主人公に悪態つくというキャラでしたが、その絡みのお陰でしたね。

 主人公の三浦春馬は、役に合っていなかったというか、キャラを掴みきれていなかったように見えました。それに、理想を語るだけで、結局は何もせずに喚くだけっていう主人公にイライラしたっていうのもあって、余計に合っていないなと思ってしまったのでしょう。

 なんだかんだとdisってきましたが、後編には期待していますし、観に行くつもりです。