悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

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進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド

あかんわ、これ。ネタバレしてますし、disっていますが、あかんわ。



 前篇は、まぁトンデモ映画だったとは思いますが、巨人が人間を捕食するところとか、それらも含めた特撮部分とか、世界観的なものとか、楽しめる部分も幾つかあり、後篇に期待を持てるものではありました。

 しかし、この後篇、あかんわ、これは。

 前篇でネームドキャラが少し減ったからか、前篇から生き残った後篇のネームドキャラは、少しは映画世界の中で生きてるなっていう感じがしたところだけは、この映画の中ではマシな部分だったかな。製作側の意図的なものではなくて、偶然の産物っぽいけどね(笑)。

 前篇後篇と分けられていましたが、もっと時間を短くして、一本の映画とした方が良かったかなと思います。後篇の最初の数分は、前篇のダイジェストだし。商業映画としては仕方がない部分もありますが、そんなに公開日が開いてはいないのに必要だったのかなとは思いました。

 原作にあるからなのかは分かりませんが、主人公の父親が巨人の研究(というか秘密も知ってる)の過程で、実子を実験台にしているっていう設定はいいのですが、ピエール瀧も助手みたいに手伝っていたんですから、主人公にもうちょっとその辺りをチラリとでも前篇の方で絡ませておいてほしかったように思いますね。後篇でも、ピエール瀧が死ぬ間際にチョロっと「お前の兄さんが」って言うだけやし。というか、ピエール瀧が実験に絡んでる意味が映画ではなかったですね。


 シキシマ隊長が主人公のお兄さんなの?とも思うのですが(巨人にもなりますしね)、どうも違うような演出というか展開が映画ではなされていたように思えるのです。製作陣はそこまで考えていなくて、単純な技術力の問題で、主人公とシキシマ隊長が兄弟であると思えないようになってしまっていたっていうのがオチなんでしょうけどね。

 なんとなく巨人は元々は人間だったっていうのは、そうなんだろうなぁとは思いましたが、それも含めて、何故世界がこうなってしまったのかを延々とセリフだけで解説するっていうやり方はどうなんでしょうね。

 巨人ウイルス(?)が蔓延して、誰が巨人になるか分からないという期間の物語を、少し前に流行った前日譚もので映画化してほしいですね。女子の学生がコンビニで急に巨大化する場面がありましたが、面白そうでしたもん。

 オーバーロードというか、黒幕は別にいますよとかって匂わすのはいいのだけど、個人的には、この映画はこの映画でスッキリとした終わり方をしてほかったですね。残尿感がバリバリですよ。

 壁の外から見えた景色は日本っぽかったらしいのですが、もうその頃は、鑑賞に疲れ、呆れかえっていて、そこまで気付きませんでした。微妙に悔しい。

 壁の内側の世界は、無国籍風ではありましたが、日本っぽかったので、巨人ウイルスが蔓延し、世界というか、その当時の国家等が壊滅して、生き残った人達による都市国家みたいになっていったということなんでしょうね。そういう都市国家が、世界には幾つかあるのでしょう。そういう世界観はいいんだけどなー。

 主人公役の三浦春馬が終始喚いているだけ。それに便乗してか、石原さとみもキ◯ガイみたいに叫んでいるだけで、うるさいという効果しか発揮していません。エキセントリックな演技をしたから演技力が高いっていう風潮もどうにかなんないかな……。