少しネタバレかましています。
徐々にミスを積み重ねていく仮想世界は、現実世界への揶揄なのだろうか。
この映画から20年近く経った今、誰もがトゥルーマンと観客の役割を果たすことになろうとは、この映画は想像していたのだろうか。
ふとそんなことを思いました。
ジム・キャリーの熱演も素晴らしいですし、エド・ハリスの安定した演技も見ものです。
仮想世界は、誰が作ったかにせよ理想世界であり、ボクなら最後の選択は逆になっていたでしょう。気付いてるけど気付かないフリをして生活し続けたかもしれません。安定志向って、人間の究極の欲なのではないかなと思いました。
最後の観客の立ち位置が???な感じはあります。観客としては、トゥルーマンに舞台(=仮想世界)に戻ってほしいとは思わないのかなと。まぁ、そこはこの映画の語りたい部分で、敢えてそうさせたというのはわかりますが、ちょっと不自然な落とし方だったかな、とも思うのです。