悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2017©りょんりょん) ※映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。

スティーブ・ジョブズ

マカーではありますが、disっています。


 これほどに、一見さんお断りな映画だとは思いませんでした。普通に、ジョブズのしてきたことを振り返るという内容か、ジョブズに焦点を当てたドラマかと思っていました。ジョブズの人間性に焦点を当てたという映画ではありましたが、ドラマではなかったように思います。

 Macintosh好き、Apple好き、ジョブズ好きで、それぞれのこれまでの経緯や背景、ウォズニアックをはじめとした登場人物の名前や役割等を、ある程度は知っていないと楽しめないと思います。しかも、事実を構成している要素をパズルにし、全体をデフォルメして、1984年のMacintosh発表会、NEXT STEPじゃなくてCubeでしたねの発表会、iMacの発表会という3つの似たような舞台を土台というか額にして、そこにパズルのピースを埋めていくという作業をしている映画となっているのです。

 また、ジョブズとリサの関係を軸として、リサの母親、スカリー、ハーツフェルドとの関係性の軸を交差させ、ジョブズの人間性を浮き彫りにしようとする側面をコーディネートし、ジョアンナ・ホフマンが観客への視点の代役というかクッションになるという構成ですが、そんなんね、余程それらの人々や状況、背景との関係性に詳しくないとわかんないっすよ。

 つーか、Macintoshが爆死みたいな扱いになってたけど、そんなことないよね。どっちかつったら成功だよね。

 それと、この映画は会話劇でもあるのです。英語話者ではない人には、余計に置き去りにされてしまう要素が満載です。英語的な言い回しでの展開も散りばめられていたので(と思いますw)、吹き替えにしたからいいというものでもないと思います。

 ボクには、一体この映画を作ってどうしたいのか、何を表現したいのか、商品(劇場公開品)として売りたいのか、着地点はどこなのか、さっぱり理解できませんでした。劇中でも出てくる言葉で「現実歪曲空間」(Reality distortion field)というのがありますが、もしかして、それをジョブズという偶像を使って表現したかっただけなのでしょうか。

 どうせなら、iPhoneの発表会までやれば、この映画の物語的には少しはオチがついたのかなとも思えたのですけどね。