悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2017©りょんりょん) ※映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。

オートマタ

えっとネタバレしつつ、disっております。




 バンデラス主演で、終末世界でロボットが人類に対して抵抗する、なーんていう映画を見逃すわけにはいかないじゃないですか。

 うん……。確かにそういう内容ではあったけど……。

 最初は、ブレードランナーっぽい雰囲気もあって、これは面白いんじゃないか、と思いましたが、なんだろう、この観終わったあとの喪失感は。映画のテーマに感化されての喪失感じゃなく、これじゃない感の成分がかなり混ざった喪失感と言うのが正確なのか……。

 後半はほとんど砂漠が舞台で、喉がかなり乾きました。心も乾いていたのは言うまでもありませぬ。

 ロボットが急速な学習で人類の英知というか思考を超えるわけですが、そういう視点というか考え方がもう人間っぽいというか。人間だから仕方がないんですけどね(笑)。劇中でもロボットに、ロボットは人間が作ったものとか喋らせて、そういう部分は仕方がないんですよって開き直っていますが(←思い込みw)、どうもそこに狭さというか、感情や感覚や考え方の窮屈さに辟易としてしまうのです。

 この映画世界でのロボットは、人間に害を加えない(これが第一プロトコル)、自己修復(ロボットが自らを、ロボットが他のロボットを修理しない)はダメ(これが第二プロトコル)という設定がされているのですが、第二プロトコルを破ったであろうロボットが出現。

 バンデラスはロボットに関係する事故とかの保険屋で、望まなくして事件に巻き込まれていき、誤解が誤解を生み、人類に反旗を翻したと勝手に思われてしまったロボット達の仲間扱いされちゃいます。所謂、巻き込まれ型の主人公です。バンデラスは家に帰りたかっただけなのに。

 ロボットのプロトコルを破るのは人間では無理だという設定です。それは、最初に作られたロボットにはプロトコルの設定がなく、8日目までは人間と愉快にお話していたのですが、9日目に人間の限界を突破してしまい、ロボットと人間との間に会話は成立しなくなりました(人間はロボットの思考に追い付けなくなったのです)。それにビビッた人類は、最初のロボットに、これから作られるロボットにプロトコルの設定を依頼したのです。だから、人間にはそのプロトコルを改ざんしたりなんていうことは無理なのです。

 その事実を知ってるロボット会社のボス(こいつがラスボス)は過剰反応し、自己修復してるロボットと一緒に逃げたと思い込んでるバンデラスを追ってロボット諸共始末するように、子分の殺し屋さん達に命令します。それに巻き込まれるバンデラスの上司や配偶者(というか彼女なのかな)と生まれたばかりの娘。散々です。

 バンデラスは自分の仕事をしてただけで、報告書を書くために上司の命で調査していただけなのに。まぁ、バンデラスがロボットのプロトコルを改ざんしたであろうとアタリを付けたモグリのロボット技術士が結構な腕前だったようで、それ故にラスボスが過剰反応しちゃったわけですが。

 モグリの技術士はスラム街に住んでいるのですが、その技術士を子供に銃を撃たせて殺す場面は良かったです。子供が簡単にヒットマンになっているというところと、子供がノリノリで一緒にいたバンデラスも殺そうとしているところから、スラム街の貧困さやそれ故に子供ですらちょっとした報酬で人殺しを平気でするような世界というのを浮き彫りにしていたところですね。この映画で唯一と言ってもいいくらい良かった場面です。こういう場面を良かったと思うボクは相当荒んでるな……。

 映画の設定としては、最初のロボットが何故か砂漠の中で未だに活動されてまして、そのロボットが第二プロトコルを改ざんして、自己修復するようなロボットを人類が住んでる都市に投入してたわけです。その目的はよくわかんないのですが、虫型のロボットを作る部品集めのようでした。としか思えなかったんですよ……。うん、ほんまによくわかんない。

 最初のロボットにはプロトコルの設定はないので、人間に直接危害を加えることはしませんでしたが、人間を言葉で煽ってさらに怒らせるという特技は持っており、それを遺憾なく発揮した故に銃で撃たれてお亡くなりになりましたが、これはギャグ場面だったのでしょうか。

 最後、バンデラス一家はどこに向かったんでしょうかね。気になりま、せん。ごめん(笑)。

 「人類」と「人間」という単語がいっぱい出てきますが、特に使い分けてはおりませんし、どちらの単語を選択していることに意図は特にありません。