悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2024©りょんりょん) ※(主に)映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。ごめんなさい。

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僕だけがいない街

ちょっぴりネタバレしています。disっています。




藤原竜也だけがいない街

 予告編で面白そうだったので突撃しました。タイムリープものだからなのか、地雷臭はかなりしてましたけどね……。

 原作未読ですが、原作の幾つかの場面をただ繋げてみただけなのかなと思いました。ぶつ切り感が強いというか。それはタイムリープものであるというのも影響はあるのでしょうけど。

 登場人物が頭が不自由な人が多いように思えるのは、製作陣のレベルの低さを反映してるんだと思います。

 ミッチーが出てきた途端、この人ラスボスだろって一発で分かる配役はどうなんでしょうね(笑)。

 藤原竜也は凄い役者ですが、この映画にはミスマッチだったように思います。藤原竜也という役者は劇薬だと思うのですよ。うまく使っていかないと崩壊するしかないっていうくらいの。なのでこの映画は、展開がうまくまとめきれてないから余計に本来の意味でぶっ飛ばされちゃったんですよ。

 藤原竜也は、役の色に染まるというタイプじゃなくて、役を藤原竜也の色に染めるというタイプだと思うのです。織田裕二石原裕次郎、三船三郎ら、スターと呼ばれる役者ってこういうタイプだと思うのですが、ただ違うのはオーラがないんですよ。いや、貶してないですよ。だからこそ、引き込まれるんですよ。で、うまい役者だったって錯覚するんです(←褒めてます)。

 あ、映画の話でしたよね。

 小学生に戻った主人公が、ミッチーに川に落とされて現在(2006年)に戻ってきますが、え?どういうことなんですか、あれは。主人公が生きているということは、ミッチーを捕まえられるじゃん。ということで、配役と物語の進行でミステリーな要素をなくしてしまうのはどうなんでしょうか。