悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2017©りょんりょん) ※映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。

FAKE

かなり面白かったです。多分、disってません。ネタバレはしております。




 面白かったです。即興演奏を曲に仕立て上げたという感じの映画でした。ドキュメンタリーという表層的な体裁をとっているので、そう感じるのは普遍的なものなのかもしれませんが。

 あのゴーストライラー騒動って、まだ2年ちょっと前なのですね。もう4年か5年は経ったような気がしていました。世間一般ではかなり風化したんじゃないでしょうか。この映画は、その騒動の顛末を追いかけるというものではなく、その騒動の主役である佐村河内守氏の今とそれからを描こうとしています(ラスボスは新垣隆氏に設定していると思われます)。

 ボクは、ゴーストライラー騒動が出るまで、佐村河内守氏の存在は知りませんでした。広末涼子主演の映画『桜、ふたたびの加奈子』のテーマ曲を担当していたということで、その映画をいい映画だったなという感想を持っていたボクは、テーマ曲ってどんな感じやったっけって思ったくらいでした。未だに佐村河内守氏が作曲したと設定されていた曲を、自分の意思で聴いたことはありません。どこかで流れているのを耳にしたことはあるかもしれませんが、それを佐村河内守氏が作曲したと設定されていた曲として認識してはいません。

 そんなボクがこの映画を観に行った理由は、偶然観た予告編が面白かったことと、なかなか映画としての評判がよかったからです。

 佐村河内守氏を通して、報道や情報に対する接し方といった提示の部分もあるかと思いますが、愛情、友情、感情の揺れ、そういったものを主軸に置いて製作されたのかなと感じました。劇中の最後の方で、佐村河内夫婦二人を撮りたかったという旨の発言が監督からあったことからも、ゴーストライラー問題の内容とかはどうでもよくて、大きな騒動を引き起こした当事者のその後が知りたかったんだろうなって推測します。

 ところどころ飼われている猫が映されるのですが、ドキュメンタリー映画で関係ないカットをさも意味ありげに映すというものが個人的には多いと思っているのですが(場面転換の合図として用いてるのもあるのでしょうが、どうもそういう場面を入れることが高尚だと思い込んでるというか、それを利用しようとしてると感じるのです)、それをパロってるだけなんでしょうけど、そういうところがこの映画のあざといところでもあり、観客に対する問いかけにもなっているように思えました。

http://www.takashi-niigaki.com/news/576
 この映画を観る前に新垣隆氏のマネジメント会社から、このような経緯というかやり取り(上記のものが事実かどうかは不明ですが)があったことを先に読んで知っていたので、この映画を事実を基にしたドキュメンタリー映画として捉えるのは、個人的には抵抗がありました。ただ、ドキュメンタリー映画だからといって、事実(または真実)を映している、事実(または真実)を追いかけているわけではなく、あくまでも事実(または真実)、あるいはそれに類似する事象を映像に捉えて構成することがメインの映画の手法の一つってだけですもんね。ドキュメンタリーの体裁をとった映画はモキュメンタリーとして区分されるように思っていますが、そもそもそういう区分が間違っているように、最近は考えるようになっています。

 佐村河内氏が豆乳とケーキが大好きというのは、紛れもない事実なんだろうと思います。この映画での唯一の事実と真実が一致しているところではないでしょうか(笑)。

 これが最大のネタバレですが、終盤で、監督が佐村河内守氏に曲を作ってみようよと提案というか煽ります。佐村河内守氏は、昔に住んでいた部屋が狭いという理由から楽器は捨てたらしいのですが(こらこらw)、改めてシンセサイザーを買って作曲活動に励みます。その曲がエンドロールにも流れるのですが、そのエンドロールにも、パンフレットにも、公式サイトにも、作曲者名とかが出ていないのが不穏です(笑)。

 監督も、音楽家としての佐村河内守氏の設定で遊びながら、実在の人物としての佐村河内守氏の人柄にその設定を再び落とし込んだときにどうなるのかという実験みたいなものをしたかったんじゃないかな、なんて思ったりも。