悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2024©りょんりょん) ※(主に)映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。ごめんなさい。

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アトムとピース ~瑠衣子 長崎の祈り~

disってるかもです。




 被爆者3世であり、小学校講師でもある松永瑠衣子さんの目を通じて、東日本大震災が起こったことをきっかけとし、原発原子力のあり方に迫っていくドキュメンタリー映画。と思っていたのですが、実際は、松永瑠衣子さんの目を通じてという部分もありますが、製作者(監督なのかプロデューサーなのか編集者なのかはわかりませんが)の目を通じてという部分もかなり占めていて、大きな焦点は同じ部分かもしれませんが、細かいところで連動していないと感じられて、バラバラになってしまっていたなという感想です。もっと注力したいポイントを明確にして、そこに切り込んでいってほしかったというのが本音です。それと個人的に合わない感触の映画でもあったので、かなり評価が低くなってしまってます。

 一応、この映画の主人公というか、観客視点の代行的存在である松永瑠衣子さんが、途中であんまし出て来なくなったり、存在感が薄れてしまったりという構成は、元々の企画段階から失敗だったんじゃないかと思わされます。

 この映画で怖いなと思ったのは、原発原子力の存在ではなく、「伝えたいことがある」という思いが過度なものになると、それは単なる「押し付け」となり、それが展開、発展していくと「宗教」と同じになってしまうんだなって気付かされたことです。そういう意味ではこの映画には感謝しています(笑)。

 それから、元科学技術事務次官である伊原義徳氏が映画の最後の方でポロっと「止めることは簡単なんですよね」という意味の発言をされるのですが、簡単に止めていいじゃないですかと言いたかったです。止めることの勇気ってかなり大事なことだなと。簡単なことイコール悪いことではないですよね。

 確かにそれまで培ってきた技術を放棄するのには勇気もいるだろうし、それまでの自分を否定されることにも繋がるでしょう。でもね、それで人の命や生活が奪われたり、脅かされたりっていうのがずっと続くという環境ができるのがほんとにいいことだったのかって。

 よく「ブレないこと」が大事だと言われますが、上記のことって「ブレない」ことの悪い副作用ですよね。確かに伊原義徳氏のやってきたことはブレなかったかもしれないけど、それによって起こってしまった(伊原義徳氏が起こしてしまったという意味ではありませんが)悲劇もあったでしょうから。

 ボクは「ブレる」ことも、「ブレないこと」と同じように重要なんじゃないかな、と最近は考えるようになってきました。いや、「ブレる」こと、「ブレないこと」っていう分け方自体がおかしいのかもしれません。

 あっ、映画の感想ではなくなってるな(笑)。まぁ、考えさせられたという点では観てよかったですが、映画としては面白くなかったです。