悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2024©りょんりょん) ※(主に)映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。ごめんなさい。

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アラン・ホールズワースのこと

 プリンスが亡くなって一年後にホールズワースまで亡くなるなんて。2017年4月16日(現地時間)死去。享年70歳。今の時代としては、少し死には早い年齢か。2014年9月30日の大阪・ブルーノートで行われたライブに行っておいてよかったという気持ちと、まだホールズワースが亡くなったという実感を持てない気持ちが、私の心の中で複雑にフュージョンしています。

 私が初めてホールズワースを知ったのは、当時大好きだったエドワード・ヴァン・ヘイレンが影響を受けたギタープレイヤーとしてホールズワースの名前をインタビュー等で挙げていたからです。私が一番初めに聴いたホールズワースのアルバムは、当時の最新作であった『Secrets』でした。

 そして、ホールズワースのプレイに多大なる影響を受けて、スタインバーガーアラン・ホールズワース・モデルを買ったんですよね。初めて自分で稼いだお金で買ったギターでした。35万円くらいしたなー(遠い目)。

 今の私がホールズワースで連想することは、孤高で不遇のギタープレイヤーだったということです。雑誌とかのインタビューで、お金がなくて機材を売ったとかっていうお話もありました。自分の理想の音が出せる楽器「Synthaxe」が登場するも、一般的には売れなくて製造販売が短期間で中止となり、修理部品もないことから、自身で所有する現物が壊れてしまうとどうしようもないという危惧・不安から、あまりライブツアーには持ち出せなくなってしまったというお話も。そういう逸話を聞く度に悲しくなったりもしたものです。

 それと、ホールズワースに影響を受けたというギタープレイヤー、エドワードにしてもそうですが、そういう人達のプレイからはあまりホールズワースの影響を垣間見ることができないというのが孤高のギタープレイヤーという印象にも拍車を掛けてしまっていたように思います。エドワードのライトハンド奏法は、ホールズワースのコードボイシングやソロプレイを真似しようとしたけど、指が届かなかったので両手でやるようになった結果生まれたなんていうお話もありました。

 または、ビル・コナーズの一時期のように、U.K.リユニオンのときのAlex Machacekのように、ホールズワースのコピープレイに終始してしまうか。ホールズワースからの影響というと、このどちらかでしかなかったような印象が深いのです。このことからも、孤高度合いがわかるかと思います。

 ホールズワースの音楽活動において、一番の転機になるかもしれなかったっていうのは、当時の大メジャーレーベルであるワーナーから出したアルバム『Road Games』の頃ではないかと思います。このアルバムは人気もありました(CDでの再発は遅かったですが)。

 この当時、レコード契約がなかったホールズワースに、エドワードが強引?にワーナーと契約させて(Van Halenがワーナー所属)、エドワード自身がプロデュースをする予定だったそうです。エドワードのVan Halenでのツアーが終わり次第、二人でレコーディングに入る予定を当初は立てていたそうですが、ホールズワースがそれを待てずに勝手に(って言ったら失礼だけど)作り上げてしまったとのことです。

 私は、ホールズワースに足りなかったのはコマーシャル性というか、もうちょっと一般的にもわかるような翻訳だったと思うのです。ホールズワースはそんなものはいらないと言ったと思いますが。この『Road Games』のときに、もしエドワードがプロデュースしていたら、ホールズワースに足りなかったものが付け足されていたのではないか、それも、ホールズワースも快く受け入れるような何かが、と思えてなりません。

 正直、私が若い頃はホールズワースのギターソロが大好きで、曲自体はそんなに好きにはなっていませんでした。ホールズワースの批評でよく書かれていたのは曲の弱さだったように記憶していますが、私もそう思っていました。ただ、今は、曲自体も悪くない、というかいいじゃんって感じに変わってきています。聴き慣れたからなのかどうかは、自分ではよくわかりません。ただ、若い頃よりもすっと自然に心に馴染んでるような気がするのです。

 ホールズワースと言えば、ドラムはゲイリー・ハズバンドが一番合っていたと思うのですが(ゲイリー・ハズバンドはブライアン・アダムスに似ていたぞw)、あるときの日本公演で、ゲイリー・ハズバンドのプレイが激し過ぎて、バスドラのペダルが折れたか何かで壊してしまったことがあったのですが、バンドメンバーであったスティーブ・ハントやジミー・ジョンソン、ホールズワース自身がその出来事を微笑ましく見ていました。その光景が凄く記憶に残っています。

 そういやー、その頃は『Road Games』はまだ聴いたことがなくて(CDは出てないわ、LPはもう売ってないわで)、ネットもなかった時代でなかなか調べたり聴いたりは簡単ではなくて、ライブに来られてたホールズワースのマニアの方に「あれは『Road Games』っていうアルバムに入ってる曲ですよ」って教えられたんだよなー。それを知ってるマニアの方を羨ましく思うと同時に、恨めしくも思ったものです(笑)。

 いつもながら支離滅裂ですが、私がギターを弾いていた時期の一番の憧れであったのはアラン・ホールズワースであることは事実です。アラン・ホールズワースのようなギターソロが弾きたい人生でした。それは今でもです。

アラン・ホールズワース R.I.P.