悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2024©りょんりょん) ※(主に)映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。ごめんなさい。

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流浪の月

少しだけネタバレしています。

 

TOHOシネマズ梅田 別館スクリーン10にて鑑賞

 

 

 原作未読です。ツイッターでの評判がよかったのと、予告編を観て何かくるものがあったので映画館に突撃しました。

 重くて心が痛くなる映画でした。いい映画でしたが、何度も観たくなるという性質のものではなく、鑑賞するにはそれなりの気構えがいるなーっていう感じです。メインキャラ二人の行動が生理的に受け付けないという人もいるかもしれません。

 鑑賞後は「映画を観たなー」という感情が湧いてきました。映画を観たという実感というか、なんか心が少しざわついてる感触が残るのは本当に久し振りでした。

 松坂桃李さんは凄いな、と。なんだろう、劇中の登場人物になりきっているのに、松坂桃李という印象もしっかりと出しているというか。

 出演していることを知らなかったので、店長役で三浦貴大さんが出てきてびっくりしました。彼が出てくることによる安定感と安心感はなんなんだろう(笑)。本作に出てくるキャラクターで一番一般人を体現していたように思います。登場場面は4場面くらいで、時間にして5分程度しか登場しておりませんが。しかも、松坂桃李とはすれ違ってもいないぞ(そこは重要じゃないw)。また、終盤に登場する刑事役の人って『封刃師』でも刑事役してたあの人ですよね。今回は分からずや刑事の役でしたが。これも同様にびっくりしました。

 原作は未読なので原作でもそういう形を取っているかどうか不明ですが、佐伯文がロリコンなのかどうかという解釈において、映画としては観客に委ねるという形を取ったように見受けました。そこは曖昧にしてはいけないと思います。何かを感じる、考えてもらう(観客に提供する)ための前提条件を曖昧にするのはいけないことです。

 幼い頃の家内更紗の唇を拭うという佐伯文の行動の場面をラスト付近に持ってきたことで、やっぱりロリコンだったのかよって思ってしまう人もいるのではないでしょうか。映画としてそこは観客の想像に任せてはいけない部分だったと思います。

 佐伯文は性器だけが成長しなかったことにコンプレックスがあり、そのため自分と年齢相応の人(=大人=性交渉が必要な相手)を恋愛対象から外しており、性交渉の必要がない子供に対して愛情ではない安らぎを感じている人物だと思います。ロリコンとは違って、先の唇を拭う行動も、佐伯文は性的興奮を覚えなかったし、家内更紗も同様だった(セクハラとは感じなかった)という大事な場面なので、カットを挟むポイントが間違っていたとも思います。もう少しそこははっきりさせないといけなかった部分でしょう。とプロ相手に上から目線ですいません。

 性行為ができない人間、性行為が嫌いな人間、その二人が大人になって改めて出会い、磁石のN極とS極のようにひっつくという関係性だと思うので、その観点からも佐伯文はロリコンであってはいけない存在(本作のテーマ的には)ではないかと捉えています。

 観客の想像に任せるという手段がいけないわけではないですが、多数の他者に観てもらうことを前提にしている商業映画では、観客の想像に任せる部分と、そうではない部分(映画のテーマの表現や、登場人物の心情や行動で押さえておかないといけないもの)とは、しっかりと区別して観客に提示しておかないといけないと思います。それで作家性が薄れてしまうというのなら、商業映画では作らなければいいだけのお話です。本作ではそれが悪い意味で曖昧すぎたと思います。そこが、リアル志向なのか、ファンタジー志向(RPG的なファンタジーではなく)なのかがよく分からないというものになった結果ではないかなと。(まぁ、他者の著作を原作として映画化してる時点で、映画作家としての作家性を持ち出すのはモヤるというか、おかしいとは思いますけどね。)

 最後がグダグダというか、グチャグチャ気味で駆け足っぽく走り抜けて、そのまま終わってしまったのはちょっと呆気ないというか(原作には後日譚というか、その後のお話がエピローグ的にあるそうです)。

 先にも書いたように二人の間に恋愛感情的なものはなく(広義の意味での愛だけど)、共依存の関係に晴れてなったという結末だと私は思います。まぁ、でも、佐伯文も家内更紗も人生クラッシャー(サークルクラッシャー的な)の属性持ちのようで、その二人が一緒にいる選択をしたのは(周囲の人達的にも)ハッピーエンドなのかもしれないですね。