悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2024©りょんりょん) ※(主に)映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。ごめんなさい。

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赤い雪 Red Snow

disってはいませんが、面白かったということではありませんし、ネタバレもしております。

 

 

 タイトルとポスターと物語のあらすじから興味を惹かれたので、観に行ってきました。設定や関係性等について、ちょっと分からない部分が多かったので、自分の中で整理する意味で書いていきます。なので、あくまでも私がそう思ったということなので、それが正しい理解なのかどうかとは別ですし、ネタバレ全開です。

 映画の感想としては、最後の場面だけは幻想的で物悲しい雰囲気が滲み出ていてよかったです。それ以外は、察してくれ、読み解いてくれ系の映画ということと、物語が暗く重いので、観ている間から疲れを感じました。群像劇的な登場人物との接し方なので、登場人物と観客との間に意図的に距離を置いてるのかなと思うことがありました。そして、何を描きたかったのか、観客に何を提示したかったのだろうという気持ちが観終わったあとに残りました。記憶とは儚く曖昧で、自分に都合のいいものだということを提示したかったのだとしたら、内容が薄過ぎます。そこから先を映画には見せてほしいんですよね。

 物語の発端は30年程前に、永瀬正敏さん演じる白川一希の弟が行方不明になってしまったことです。それから10年後くらいの平成9年に火事があり、そのときに弟の白骨死体と思われるものが発見されます。

 ちょっとキャラクター毎に纏めた方がいいかな、ということで主要登場人物毎に書いていきます。

白川一希(演:永瀬正敏
 本編の一応主人公(主人公というより物語の中心に位置する人物という書き方が正しいような気がします)で、職業は椀の漆塗り職人?のようです。
 30年前に弟が目の前で行方不明になります。ショックから、弟が消えたときの出来事を覚えておらず、そのことが今も彼を苦しめています。その事件のせいで母親は風呂場で自殺してしまうなど、一家は悲惨な目にあったようです。
 真相は、母親は彼の弟を贔屓し溺愛していて(少なくとも彼はそう感じていた)、弟を誘拐することになる夏川結衣さん演じる犯人の(あ、書いちゃったw)江藤早奈江にお菓子で手なづけられ、自身の弟を贄に差し出した、じゃなくて、江藤早奈江が弟を連れて来てって言ったので彼女の部屋に行くように仕向けたのでした。
 そして、江藤早奈江も自分ではなくて弟を可愛がってる姿をドアの郵便受けから覗き込んで見てしまったことから弟への嫉妬心とかが沸点を超えてしまい、弟が行方不明になったときも警察や両親に曖昧なことしか言わず、良心の呵責からなのか(注意:弟がいなくなってしまえばいいという気持ちから嘘をついたのか、そういう気持ちから記憶を塗り替えてしまったのか忘れてしまったのか、イマイチ私には理解できませんでした)、そこの部分の記憶がすっぽりと抜け落ちて、そのことで自分を責め、苦しめつつ現在に至ります。
 江藤早奈江の娘である菜葉菜さん演じる江藤早百合と出会うことで少しずつ記憶が繋がっていき、最後は多分記憶を全て思い出してしまい、自分のしたことの愚かさや、そのことにより自分や家族を苦しめてしまったことにどんよりした感情になり、記憶を思い出したかったんじゃなくて、記憶を思い出したくなかったことに気付き、江藤早百合と傷の舐め合いなのか、二人で小舟で旅立って行きます(=自殺なんじゃないかな)。

江藤早百合(演:菜葉菜
 江藤早奈江の娘で、小さい頃から学校にも通わせてもらえず、押入れの中に押し込まれ、江藤早奈江が部屋に連れ込む男とのまぐわいを押入れの中から覗き見ているという生活で、碌に食事とかも与えられず、喉の渇きを癒すために夜中に水道の水をがぶ飲みしたりしていました。
 江藤早奈江が保険金目当てで殺した田中さんを紹介した佐藤浩市さん演じる宅間隆と、母親が家を出てからも同居しており(家を出て行った理由は不明)、体の関係を持ちつつ、暴力を振るわれつつも一緒に暮らしています。
 仕事は旅館の清掃員で、旅館のオーナーと体の関係があることから雇って貰えているようで、清掃のときに客が部屋に置いてあったり金庫の中の物やお金まで盗んでいたりします。他の従業員にもそのことは知られていますが、オーナーとの関係があるからなのか、見て見ぬ振りをされています。立ち寄るスーパーでも平気で万引きをしています。
 江藤早奈江が起こした二つの事件(白川一希の弟の誘拐と、田中さん殺しを火事で隠そうとしたこと)の目撃者(他にもずっと見てきたと思います)。事件のことを警察にも語りませんでしたが、自分に負い目があった模様で、最後は傷の舐め合いをしたいからなのか、白川一希と小舟に乗ってどこかへ行きます(多分、自殺なのかな)。

木立省吾(演:井浦新
 フリーのルポライターで行方不明事件と火事の件を結びつけて追っています。木立は偽名で、実は田中さんの親戚?息子?(どんな関係性なのかは不明だけど、隣に住んでいたのかな)。事件を追っていたのは、復讐のためなのか、好奇心のためなのか、ここらあたりはよく分からず。挙げ句の果てに宅間隆に殺されてしまいます。

江藤早奈江(演:夏川結衣
 江藤早百合の母親。男を取っ替え引っ替えして、保険金を掛けたりして殺していた模様。ショタコンでもあるようで、白川一希の弟を誘拐して殺害し(殺害したのはいつ頃かは不明だが、誘拐した10年後くらいまでは遺体を保持していた模様)、田中さんを殺害し証拠隠滅のため田中さんの家ごと放火したときも、白川一希の弟の遺体にまっさきに火をつけるという鬼畜。
 白川一希の弟の事件で逮捕されるも警察には何も語らず、結局は無罪放免になる。田中さんの放火事件も同様に何も語らず、無罪になった模様。警察無能(笑)。
 田中さん殺害後、一緒に住んでいたはずの宅間隆と江藤早百合のもとから出て行った理由は不明。宅間隆が娘にターゲット変更したことが理由のような気がします。

宅間隆(演:佐藤浩市
 元は大学病院に勤めていた模様。おそらく医師だったみたい(大学を出ているというやりとりからの推測)。今は、江藤早百合と一緒に住んでいるが、恋人同士という関係ではなく、肉体関係を持ち、DVするだけの間柄の模様。本人としては、いつも江藤早奈江と江藤早百合母娘の尻拭いをしてやってると思っています。
 気に食わない人物や、お金や貴金属を盗むために平気で人殺しをしているようで、劇中でも2名を殺害。殺害した人は山奥に埋めています(映像では白骨化した死体も確認できます)。
 映画の最後の方でおそらく江藤早百合に家で殺され、家は燃やされた模様。

 何故、赤い雪なのか。赤が象徴的に使われる映画ですが、血の色であるということ、事件の発端であるアパートの路面の色、後戻りできない選択をしてしまったことや何もできずに見ているだけだった後悔の色、なのかな。雪は普通は白いけど、登場人物達には赤く見えているのかもしれない、という意味なのでしょうか。
 それとも、一度白い雪の中に赤い色が染まってしまうと、もう白い雪には戻れない、という意味なのかなー。

 

クロース: 孤独のボディーガード

若干disっていますし、さりげなくネタバレかましています。

 

 


 全体的に俯瞰して物語とか人物を設定していないなって分かるのが弱点か。

 こういう場面を入れたいということだけを重視した結果、登場人物が間抜けになってしまうというよくある弱点は、プロならそろそろ解消すべき。

 ステレオタイプな人物描写は、説明描写を過度に入れずに観客に人物像を提示するのに役立ちはするけど、広がりをもたないという側面もあることは、きちんと理解して取り入れるのがいいのではないだろうか。

 莫大な資産を会社経営者の父親の死去によって受け継いだ娘が、継母の企みによって命を狙われるという展開はよくあるが、この映画での黒幕は継母ではなくライバル企業であり、継母は実は義理の娘のことを大事に思っていたというのは、これまでもあまりない展開だと思われる。継母が義理の娘を大事に思っているという部分を濃く描くとミステリー要素がなくなってしまうというジレンマを解消できなかったのが、物語が中弛みし失速してしまった要因ではないでしょうか。

 低予算なのだろうが、そこは創意工夫で補う姿勢がほしかったところ。この程度で十分だろうという思惑が、観客に透けて見えてしまうのは、観客側としては悲しい。

 主演のノオミ・ラパスは体を張り格闘アクションに取り組み、自身の演技力で演じる役に生命を吹き込んではいたが、物語の展開によってそれらがかなり犠牲になってしまっていると感じた。ただ、こういう点から、ノオミ・ラパスのファンには、期待に添える映画ではないか。

 

The Witch/魔⼥

新年早々ネタバレしています。

 

 

 いやー、驚きました、というか、すっかり騙されてしまいました。設定や展開自体は、まぁ似てるものは今までもたくさんあると思いますが、主人公の後半というか終盤の行動がね、もうね、初見の人のほとんどは騙されたんじゃないかというくらいの衝撃なんですよ。ということで、ネタバレブログなのでネタバレしていきます。

 主人公の女子高生ク・ジャユンは、ある組織の研究所で脳改造を受けて(おそらく殺人兵器として)訓練・教育されていたのですが、8歳の時に周りの人を殺しまくって研究所から脱走し、力尽きて倒れているところを、建築家で酪農家である夫妻に発見されて、過去の記憶を失ったまま育てられました。と思わせておいて、実は主人公は記憶を失っていません。過去のことをしっかりと憶えています。

 自身が脳改造の影響で余命いくばくもない状態になり、また養母が認知症になってしまっていることから、脳改造してるくらいだったある組織は多分解決策を知ってるだろうという目論見から、ある組織をおびき出そうとテレビ番組に出たりするのです。なんという策士(笑)。

 劇中のいろんな人が主人公に対して「記憶喪失だって? フン」みたいな態度をとったり、「演技力も脳改造のお陰で凄いからね」なんて言われたりしてたのですが、おそらく観客はそういう疑問をほぼ抱かなかったと思うのです。劇中の登場人物が主人公に対してそういう態度をとることで、観客に「主人公は記憶喪失なのに何言ってんだよ」っていう刷り込みをさせていたのだと思います。映画自体も策士だった(笑)。

 前半は、主人公の日常が描かれていますが、その描写が後半に凄く活きてるんですよね。この映画の観客は、はっきり言ってアクション映画を観たいという観客が多いと思いますし、そういう観客にはウダウダ何を描写してんだよってなると思うのです。はい、私がそうです(笑)。でも、この描写が本当に後半に効くんですよ。

 大抵こういう映画の主人公って、人の愛を知ったら弱体化するっていうのがパターンですが、この映画の主人公は特に弱体化しません。そこが素晴らしい。昔のことは昔のことできちんと受け入れ、自分の元からの本性も弁えているけど、その後の生活で変わった自分もきっちりと受け入れているという描写は、私は映画では観たことがありませんでした。そういうところがリアルだと感じました。前半の描写が活きている大きな部分はここだと思います。

 主人公は頭脳明晰にもなるようですが、自身の命を永らえさせる薬をゲットしたはいいけど、それを自身で作ることはできなかったのかとか、薬をゲットしたんだったら、その成分を調べて自分で調合なりできないのだろうかとか、そういう部分は引っ掛かりました。実の親からの骨髄移植があれば治るかもしれない病気って白血病とかで、脳の病気ではないような気もしますし。

 それから、もうちょっと脳改造された人達の能力の説明は欲しかったところです。頭脳明晰、怪力や素早い動きといった身体能力の向上のほか、念力とかあるようですし。主人公がそんなに容姿端麗ではないのに(失礼)、スター誕生の地区予選を勝ち抜くというのは能力を使ったのかどうか、とかね。

 映画の最後は、ある組織の女性博士には妹がいて隠遁生活を送っているようで(その人が多分主人公の実の母親でこれで骨髄問題は解決?)、その人に主人公が会っている場面となります。少し話している間に、更に主人公には実姉がいて、なにやら人質に取られているような関係性のようなことがバラされて終了です。実姉もチラっと出てきます。

 アクションも素晴らしいし、観て損は全くない映画と言い切れますが、冒頭にもpart1とか出てしまうように、続編ありきというのが残念なところです。この映画だけで完結できるように作ることも可能なのに。というか、本当に最後の場面だけカットしておけば十分なのに(続編が作られるのなら、その続編に冒頭のカットを流せばいいと思うし)。あー、続編あるなら早く観たいよー。

 

2018年映画館鑑賞記録総括

 2018年の映画館での鑑賞回数は121回(対前年比-17回)、鑑賞本数は116本(対前年比-18本)、鑑賞代金は159,900円(対前年比-17,900円)、交通費の合計額は39,730円(対前年比-7,578円)となりました。1回あたりの鑑賞代金は約1,321円約(対前年比+33円)、1回あたりの交通費は約328円(対前年比-15円)で、交通費も含めて映画1回鑑賞につき約1,650円(対前年比+19円)の費用がかかった計算となりました。鑑賞代金には会員の年会費等も含まれていますが、年々、映画鑑賞一本あたりの単価が上がってるなぁ……。年間約20万円で100本以上の映画を鑑賞できるという意味では、安上がりな趣味ではありますが。

 今年は、夏場に風邪をひいて、咳がずっと治らなかったというのもあって、8月なんて1本しか観てないという体たらくで、鑑賞本数がかなり減ってしまいました。観たい映画もそんなになかったのも要因ではありますが。映画館での鑑賞は116本となり、うち新作が100本でした。

 2018年に最初に観た映画は1月1日に大阪ステーションシティシネマで『DESTINY 鎌倉ものがたり』を、最後に観た映画は12月30日にアップリンク吉祥寺で『トラスト・ミー』でした。

 映画館別の鑑賞回数は以下のとおりです。2018年は、19箇所の映画館で映画を鑑賞させていただきました。ありがとうございます。

○TOHOシネマズなんば:23回(対前年比3回減)
○なんばパークスシネマ:20回(対前年比5回減)
○シネ・リーブル梅田:15回(対前年比2回増)
○シネマート心斎橋:11回(対前年比2回減)
○第七藝術劇場:10回(対前年比2回増)
○あべのアポロシネマ:9回(対前年比2回増)
○テアトル梅田:6回(対前年比1回減)
大阪ステーションシティシネマ:4回(対前年比2回減)
○シネ・ヌーヴォ:4回(対前年比5回減)
○立川シネマシティ:4回(対前年比1回減)
○TOHOシネマズ梅田:3回(対前年比3回増)
○梅田ブルク7:3回(対前年比2回増)
○TOHOシネマズ新宿:3回(対前年比1回増)
○キノシタホール:1回(初)
○シネマスコーレ:1回(初)
○シネマート新宿:1回(対前年比1回増)
○シネクイント:1回(初)
○ココロヲ・動かす・映画館 〇 COCOMARU THEATER:1回(初)
○アップリンク吉祥寺:1回(初)

 今回のトップスリーは昨年同様、1位がTOHOシネマズなんば、2位がなんばパークスシネマ、3位がシネ・リーブル梅田(昨年はシネマート心斎橋と同点で3位)となりました。シネマート心斎橋は4位に後退しましたが、トップフォーの顔ぶれは昨年と変わらずといったところです。

 昨年に引き続き1位のTOHOシネマズなんばは、昨年の理由と同様、IMAX上映での選択はほぼここ一択になっており、その結果の連覇となりました。

 第七藝術劇場の鑑賞回数は増えましたが、シネ・ヌーヴォはまたもやガクっと減りました。なんかね、スケジュールが合わないんですよ。ミニシアターに通いたいんですけどね(棒読み)。

 映画館で複数回鑑賞した映画は、『パシフィック・リム:アップライジング』(2回)、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(3回)、『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』(2回)でした。『パシフィック・リム:アップライジング』は複数回の鑑賞予定ではなかったのですが、前売り券をオマケ目当てで買っていたのを忘れて、公開日が鑑賞代金が安くなる日だったので、前売り券を買ったことを忘れてそちらの仕組みで購入してしまったというのがオチです。映画自体は期待はずれでしたね。

 ということで、月毎に観た中で印象に残っている映画を挙げていきます。

 1月は、『ジオストーム』がよかったです。期待をいい意味で裏切られたというか。能天気映画の傑作だと思います。また、久し振りに『さびしんぼう』を映画館で観ましたが、ダメです、私にとってこの映画は宝物過ぎます。

 2月は、未体験ゾーンで体験してしまった『ザ・ヴォイド』に衝撃を受けました。DVDを買いましたもんね。『マンハント』も想像以上におバカ映画で(←褒めてます)、憤怒なんて感じませんでした。また、ミュージカル映画は大嫌いなのに、『グレイテスト・ショーマン』には感動しました。ヒュー・ジャックマン効果です。

 3月は、『長江 愛の詩』がよかったです。意味不明なのに引き込まれる感覚って、なかなか巡り会えないんですよねー。また、『薔薇の葬列』と『ゆきゆきて、神軍』という旧作映画のパワーが凄まじかったです。

 4月は、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』はやっぱり前編かよって感じで、続きは1年も待たないとあかんのかっていう気持ちが先に出てしまって、ちょっと楽しめなかった部分があったのが残念なところです。

 5月から8月は特にありません。『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』でのトム・クルーズ様の凄まじさくらいでしょうか。

 9月は、『きみの鳥はうたえる』という映画と出会えた幸運といいますか。いい映画でした。

 10月は、『散り椿』の殺陣ですね。血がドビューって出るんですよ。いいじゃないですか(笑)。

 11月は、『ボヘミアン・ラプソディ』を。LSD(リードシンガー病)を克服する映画ということで感動しました(皆さんと感動ポイントが違い過ぎるだろw)。リードシンガーを主人公にした映画って、しかもQUEENを題材にそれを作ってしまうなんてって予告編を観て思ってしまって観る気はなかったのですが、世間の評判もよかったので、見逃したらあかんのかなって思って突撃しましたが、突撃してよかったです。

 12月は、新しく吉祥寺に誕生した映画館に行けたのがよかったですね。って、映画じゃねーじゃんか(笑)。

 前述のとおり、2018年は夏場に体調を崩したこともあって鑑賞ペースが下がりましたが、それだけではなく、映画館で観たいと思う映画が個人的には減ってしまっていることや、映画館での鑑賞という行為の内容が、映画を集中して観たいという私の気持ちから遠ざかっていってるような感覚があって、映画館で観る意味みたいなものが希薄になってきてしまっています。

 映画館での鑑賞という行為の内容が変わっていくことに対しての不満はありませんが、変わっていく方向が私にとっては受け入れられないものであるのなら、そこはお互いに別の道を行くのが最善ではないかと思うのです。と、バンド解散するみたいな感じで書いてみました(笑)。

 2019年も、どう転がっていくかは分かりませんが、適度に自分のペースでいければいいなと思います。

キル・コマンド

ネタバレしてます。disってもいるかな。

 

 


 トンデモ映画だと思って見始めたら、思ったよりもマトモで丁寧に作られていてびっくり。それでも、設定というか、世界観というか、バックグラウンドというか、それが曖昧にしか描かれていないので、その影響からか緊張感に欠けてしまっているのは残念なところでした。

 お話は、ヒロインは半分機械(元々人間で11歳のときに機械を導入したという設定)で、自分の開発している自発型ロボット(S.A.R:学習・分析・再プログラムの略)が、頻繁に再プログラムを繰り返しているので、その原因を探るために、米軍の小隊を訓練だよと騙してモルモットにして(ここは違うかw)現地に赴きますが、敵のロボットの攻撃に自分も巻き込まれてしまいましたというものです。(←ちょっと実際とは違うけど、こんな感じでいいでしょうw)

 ラストもよくある終わり方でした。敵ロボットのボスをなんとか倒したはいいけど、敵ロボットのボスのデータがヒロインにオーバーロードされて、多分、ヒロインは敵ロボットのボスと融合というか乗っ取られたのかな?と観客に思わせて終了です。

 敵側のロボット達のデザインはよかったです。特にボスキャラタイプのロボットがエイリアン(not映画)みたいで、そういう風にみせたいんだよねって気持ちがよく伝わってきました(笑)。そういうのもあってか、SF映画というよりかは、モンスター映画とホラー映画を合わせたような印象でした。

 主人公の大尉の走り方が軍人さんっぽくないというか、普段はあまり走らない人なのかな、なんて思ったり。主人公やヒロインをはじめ、その他の登場キャラクターはみんないいんだけど、それを活かし切れない退場の仕方はもう少し工夫してほしかったところです。屠られ方があっさりし過ぎというか。

 ヒロインが、トム様フォールアウトにも出ていたダブルスパイ?(1作目のラスボスの娘役)の女性と同じ役者さんだったとは見えなかった。これまたびっくり。

 

マンディ 地獄のロード・ウォリアー

面白かったのですが、いつものことですが何故かdisっていますし、ネタバレかましています。

 

 

 厨二病全開の映画。ということは、未だに厨二病に罹患している人にとってはマストな映画とも言えます。いやー、ナイフの名称とか、場面の構成とか、ほんまに厨二病真っ盛りです(←褒めてます)。なんだかんだ言いながらも面白かったですし、パンフレットも買ってしまいました。600円でしたよ、パンフレット。みんなも買おう。

 お話は単純で、カルト集団に拉致られ、目の前で焼かれて殺された配偶者の仇を討つために、ニコラス・ケイジがカルト集団以上の狂気で奴らを屠る。ただ、それだけです。あ、配偶者の仇というよりかは、自分の感情に折り合いを付けたかった、という印象が観終ったあとは残りましたねー。

 画面がかなり暗いのと、ニコケイが復讐に立ち上がるまでのお話がかったるいのと、妙にイメージ的な場面や展開をしたがったりするので、かなり見辛くてテンポも悪くなっています。また、やっとニコケイが復讐開始をして、テンションだだ上がりになったところで、なんかニコケイの暴走でいきなり敵に捕まるとか、ニコケイ自作の斧(後ろ側は槍にもなってます)というこれまた厨二病全開の武器や、人骨を切り裂く矢を放つボウガンを持っているにも関わらずチェーンソーバトルを入れたいがためにそれらを有効活用できていなかったりで(チェーンソーバトル自体は面白かったです)、テンションアゲアゲなまま逝かせてくれずに無駄にテンションを下げるような構成はどうにかならんかったのかなーって思ったり。壮絶な復讐劇で、きちんと復讐する相手を屠っているのに、なんかスカっとしずらいというか。ラスボスも、実は格闘レベルがかなり高くて無敵だったとか、厨二病ならそういう設定をぶち込まんとあかんやろーがー。

 カルト集団が、配偶者を拉致るために何かの笛(厨二病的な名前が付けられていたw)を吹いて呼び出したバイカー集団が、本当の意味でのバケモノかと思っていたら、実はLSDでイッちゃってる集団だったのは残念だったというか、本当のバケモノでよかったんじゃないかなー。ベルセルクっぽくて。描写も本当のバケモノっぽかったじゃないですか。矢が喉に刺さって大流血なのに死なないとか。これまた厨二病全開なら、そういう設定でいかんとあかんやろーがー。

 その辺りをきちんと整理して提示できていれば、ほんまに後世に残るカルト映画になったのになー、残念だなーっていう映画でした。いや、ほんまに面白かったんですけどね。Blu-rayとか出たら買うだろうし。うん、厨二病全開の映画ということで、かなり観る人を選ぶというか、合う合わないっていう部分で特に。これで、テンポがまだよければねー。

 拉致られた配偶者ですが、カルト集団の洗脳儀式のとき、洗脳補助剤として薬盛られたりしてるのに、教祖が作った歌(という設定で、教祖役の役者の方が実際に歌っているそうです)をバカにしたように笑ってしまったことで、こんなことは初めてだよって感じでテンパった教祖が激おこぷんぷんで、配偶者をニコケイの目の前で焼き殺すという展開はよかったです。

 いや、まー、かなりdisってしまったりしておりますが、ニコケイが好きな方、ニコケイのゴーストライダーに不満がある方、狂気のニコケイが好きな方達には必見の映画だと思います。

 

皆殺しの掟

ごっつ面白かったけど、何故かdisっちゃってるし、ネタバレかましています。

 

 

【WCC2018(What a Wonderful Cinema)】(ワンダーナイト・シネマカーニバル2018)

 格闘アクションが素晴らしかったです。格闘アクション好きなら、楽しめる映画だと思います。主演の二人(それと冒頭の格闘する人も含めて)、ドニーさんやイコ・ウワイス、トニー・ジャーあたりと戦っていただきたいなと思いました。

 冒頭の、いきなり始まる主役二人対黒人男性の勝負が凄いです。黒人男性はヘタレかと思っていたら、主役二人掛りでやっと倒せる強さ。ただ、このバトル自体は面白いのですが、映画の展開的に主役二人が戦うことになるんだろうなって分かってくると、最初に魅せられたこのバトルの印象が強いことから、どう足掻いても2位と3位の争いにしか思えなくて、最終対決なのにちょっとインパクトが半減しちゃってるんですよね。

 また、バレリーナの女性が主人公のジョンの彼女として登場しますが、特に(以下自主規制)でもなく、無意味なキャラクターだったと思います。多分、ガンフーアクション(これまたよかった)を見せるための舞台装置としてマンションを使いたくて、そこから彼女(とおそらく主人公のジョンも)が住んでるマンションにした方がいいのではという発想から作られたキャラクターなのではと思うのですが、それなら別の方法があったと思うし、彼女自身が大きく展開に絡むわけではなかったので、そういうことからも必要なかったのかなぁと。あ、ラストは主人公のジョンが、主人公と別れて暮らすことを選んだ彼女のところに行くのですが、それはマフィアから足を洗った、これから人生をやり直すという意味だったと思うので、そういう意味では必要なキャラクターだったのかな。

 それから、主役二人の少年時代の場面のときの役者が、成長した二人に直結しない、要するに似ていないというのはダメでしょう。似ている人が誰もいなかったのでしょうけど。

 ネタバレは以下のとおりです。
 FBIへの内通者は主役二人の義父で格闘技のトレーナーでありマフィアのボスの人。
 義父を殺したのは主人公のジョンの義兄のリー。
 主役二人が最後にリングの上で戦って、主人公のジョンが勝利。義兄のリーは、リングの下に隠しておいた銃で主人公のジョンを撃ち殺そうとしますが、主人公のジョンはその動きに気付いて、リーが持ってきていて主人公のジョンとタイマンで戦うためにリング上に置いていた銃が偶然(笑)主人公のジョンの目の前にあったので、それでリーのおでこ中央を撃ち抜いて殺します。
 FBIの人からバレリーナの彼女の居場所を教えてもらった主人公のジョンは、彼女のもとへ。で終了です。

 と、なんかいつものようにdisってしまってますが、Blu-rayかDVDが出たら買おうと思うくらい素晴らしい映画でした。ジョン役の人は、陰のあるダークヒーローが似合いそうで、これからももっとアクション映画に出てほしいものです。

 

散り椿

ネタバレはしてます。

 


 岡田准一がチャンバラアクションするっていうなら、観に行くしかないでしょう。チャンバラアクションの場面は、映画の全体量からすれば少なかったですが、それぞれは素晴らしいものでした。「殺陣」にクレジットされた中に、岡田准一もいたんですよ。これはもう信用するしかない案件です。撮影も一部やってるらしいことからも、岡田准一のプロモ映画と言っても過言ではありません。

 映画自体は、時代劇風の時代劇というか。所謂トンデモ映画です。静かに、人の情景を描きながら展開していくので、トンデモ映画とは思われにくいかもしれませんが、随所にツッコミどころ満載です。もうすぐ平成も終わりだいうこのご時世に、昭和な時代劇な雰囲気を醸しているというのに、中身はバリバリの平成というこの映画、最高でした。私は大好きです。

 一応、今の日本の役者さんの中でうまい人を揃えていると思うのですが、なんか下手というか、棒読みというか。でも、それが段々と慣れてくるのが怖いところです。池松壮亮もこんなに下手だっけと思いましたが、彼の演技自体が時代劇に合わないのかなー。

 

 ラストバトルは、岡田准一西島秀俊が親友だった頃の絆を取り戻し(というか再確認したかな、予告編の二人の椿の前の決闘がそれです)、ラスボスである奥田瑛二のところにかちこみます。剣豪という設定の二人は、モブやられキャラを簡単に屠っていきますが、調子に乗りすぎたのか弓矢の攻撃にあっさりと西島秀俊がやられちゃいます。岡田准一はキレてスーパーサイヤ人化。残りのモブやられキャラを軽く屠り、ラスボスを殴りまくって喉を掻っ切って終了。欲を言えば、もうちょっとラストバトルを長くしてほしかったところです。

 ラスボスにたどり着く前に、ちょっと強そうな人が出てきて、刀をぶるんぶるん振り回していましたが、これまたあっさりとやられるのは、よかったのか悪かったのか(笑)。『96時間/リベンジ』でいうなら、ラスボス前のあの強いおっさんがザコだったみたいな感じです。ちょっとここで長めの激闘があるのかと思っちゃったじゃないですか。

 続編があるなら、今度はもっともっと全編チャンバラアクションに振り切って、岡田准一がどんどんと斬りまくる映画にしてほしい。というか、それを観たい。

 あ、そうだ。別の映画館で観た予告編に比べて、私が鑑賞した映画館では画面の発色が悪いし暗かったんですが、これは本編がもともとそうだったのか(フィルムプリント時代は映画館や時期によってそういうのがあったり)、本編と予告編のミックス(音楽用語だ、それはw)が違ったのか、それとも映画館側の事象だったのか。どうなんだろう。

 

イコライザー2

微妙にネタバレしてるかも。disってるかも。

 

 


 微妙に設定というか、キャラクターの環境を変えてる感じの続編。前作ラストでは、マッコールさんは人助けを全面的に行なっていく姿勢を見せていましたが、今作の表向きの職業はタクシードライバーで、人助けは裏でちょこちょこっとやってる程度となっていました。

 前作以上に、まったりしているというか、淡々とし過ぎてるというか。マッコールさんの日常を描いて、その中に人助けという名の暴力制裁(笑)が挟まれます。

 今回の敵は昔の仕事仲間で、マッコールさんと同じくイコライザーとしての訓練を受けた人なんですが(マッコールさんは隊長だったらしい)、その元仕事仲間の人達との戦いがメインストーリーとして一応ではありますが設定されており、そこにマッコールさんの日常生活と人助けがサブストーリーとして組み込まれているという構成でした。

 淡々と描き過ぎていることで、ちょっと飽きる部分は正直ありますが(アクション映画を求めてる心情ですしね)、デンゼル・ワシントンの演技力と、日常生活の描き方の良さは特筆すべきものだと思います。小津安二郎の映画に(ジャームッシュではなくて)、少し必殺仕事人的なパートが入る、みたいな印象です。初見では物足りないという印象を抱きながらも、何度も観たくなるというスルメ映画なような気もします。

 マッコールさんが、元仕事仲間の人達(相手は4人)と初めて対峙したときの場面で、そこでそのまま戦いにならなかったのは、流石に正面衝突では数で劣り過ぎてマッコールさんが殺られることは確定なので逃げるしかないのかと思っていたんですが、観終わったあとは単にマッコールさんが一人ひとりジワジワやっつけたかっただけのように思いました。

 元仕事仲間の人達は、マッコールさんの本宅がある小さな港町に呼び寄せられるのですが、なんと嵐が来ていて住民は避難中でゴーストタウンの様相を呈していましたが、それがなんとなく西部劇風なテイストになっていました。

 嵐のために、風は強いし、海は荒れてて波は高いしと、元仕事仲間の人達はその環境下で悪戦苦闘します。マッコールさんは平然としているのに。という感じで、元仕事仲間の人達すらも、マッコールさんを前にするとザコです。いや、この体たらくでは元仕事仲間の人達は、前作のニコライさんにも軽く屠られるような気がするくらい、間抜けさ全開です。元仕事仲間の人達は人質すら用意していたというのに。ここはもう少し殺るか殺られるかという殺伐感がほしかったところです。淡々と描き過ぎたからか、ラストバトルまでマッタリとしちゃってたのはマイナス点だと思いました。

 そうそう、前作でも思ったんですが、マッコールさんは一応表向きは車の爆破に巻き込まれて死亡した扱いになっていますが、名前を変えてはいないんですよね。いいのかよ、バレるだろ(笑)。

 次回作は作るのかなー。個人的には観たいけど。

 

きみの鳥はうたえる

とてもとても素晴らしい映画でしたが、ちょっとdisったりもしてしまいました。ネタバレも少ししてるかな。

 


 本当に素晴らしい映画でした。あまり期待はしていなかったので、不意打ちを食らってしまったような感覚が、心の中で残ってしまっていますが。この映画は、奇跡的な部分、意図的な部分、それらが混在した部分が、本当にうまく溶け込んでいると思います。『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』と同じ匂いというか、香りがする映画にも感じました。こちらにも石橋静河さんが出演されていたなぁ。

 原作は未読ですが、映画化にあたって舞台を東京の国立近辺から函館に変更したそうですが、別に函館じゃなくてもいいよねっていうのは、言ってはダメですよね(笑)。

 ミニシアター(函館のシネマアイリス)が出資して作られた映画ということの影響も大きいのか、ミニシアター病に罹患しているっていうのはいつもなら弱点になるんだろうけど、この映画は、それすらも主人公の一夏の変化を描き出す過程の一端として効果を発揮しているような気がしました。

 主人公は、最後は自身が忌み嫌っていた面倒臭い奴になってしまうのですが、その過程の描写がよかったです(というか、その過程を提示する映画ですねw)。演じた柄本佑氏もよかった。自分でも気付かないうちに、面倒臭い奴に変わってしまっていたという、過去の自分からしたら屈辱というかイミフだろうし、今の自分からしたら正直な気持ちだろうし、なんかそういう自分自身でも理解できない、受け入れられないという感情を、素直に画面に焼き付けていたと感じました。血が通ってないロボットが、血肉に塗れた人間になっていく物語というのでしょうか。

 染谷将太氏も、これまた流石の演技でした。彼の演技スタイルは、映画の中のキャラを役者が演じるというよりかは、映画の中のキャラを染谷将太という役者に近付けるという形ではないかと思います。こういうタイプって、昔の三船敏郎石原裕次郎といった大スターから、今は織田裕二とか、要するに主人公又は主役を演じる役者じゃないと認められないスタイルだと思うのですが、それを脇役としてのポジでも発揮している彼の才能には驚くばかりです。仮にそういう役者を脇役に配置しても、主人公又は主役を喰うだけの存在にしかならない場合が多いので、新鮮に感じる部分もありました。

 石橋静河さんは、失礼ながら美人でもないし、といってブスでもないんだけど、なんか惹きつけられる容姿をお持ちだと思います。凄く存在感を画面に焼き付けたかと思ったら、彼女のいない場面ではさらりと存在を隠したりもできる(それまで画面内にいて染み付いていたはずの匂いがあっさりと消えてしまうような、でも影が薄いとかでもないんだよなー)、これまた凄い役者さんだなぁと。

 ただ、一つdisらさせてもらうと、主人公も、そして静雄も佐知子も、そんなに裕福ではないと思うんですね。本屋さんのバイトは交通費も別途支給ではなく給料込みが多いようですし、本屋でバイトされてる方には失礼な言い方になりますが、給料自体もそんなに多くはないだろうし(知人に本屋でバイトしていた人がいたので、少し実情を聞いたことがあります)。月給も手取りで12万円くらいではないでしょうか。でも、映画の中の生活水準をキープするには、手取りで20万円は最低ないと無理だと思うのです。それなのに、お昼はパン屋さんでランチとか(パン屋さんのパンって案外高いんですよ、おいしいけど)、毎日飲み歩いて、更にビリヤードしたり卓球したりダーツしたりと、どこからそんなお金が出るんだよ、と。

 私は今も貧乏ですが、昔はもっと貧乏でした。仕事をしていない時期もかなりあるという、主人公達と同様の環境だったことがあった経験から、こんな生活はできないよなと昔を思い出してしまい、映画の世界から急に現実の世界へと引き戻されてしまうって部分が幾つかありました。これは、この映画の最大級の弱点だと思います。私だけの問題なのかもしれませんが。

 リアルに貧乏生活を描いたからいいって訳じゃないのは分かりますし、映画的な見栄えも必要だし、原作もそういう展開だったんだろうということは想像に難くないですが、実際には気軽に茶店なんて行けないし、缶ジュースとか買うのも逡巡が必要だったし。こういう、映画の世界ではあるけど、現実のリアルさを設定の中に組み込む系の映画としては、この辺りの線引きや表現って難しいでしょうし、観客のバックグラウンドまでいちいち気にしてられないのは分かります。単に、私にとってのマイナスポイントのツボに嵌ってしまったって感じ、というのも理解はしてるつもりなのですが……。

 小説なら問題ない描写だけど、映画となったときに問題になってしまう描写ってあると思うのです。端的に言えば、貧乏生活を知らない人が、貧乏生活を想像したっていう気持ちがどうしても拭えないのです。あ、なんか熱くdisってしまってる(笑)。面倒臭い奴だ、俺は。

 それでもこの映画は傑作だと思いますし、私は大好きですよ。パンフレット買ったもん。特に、最後の場面の佐知子の表情は、「あー、めんどくせー」とか「えっ、なんで?」とか「いや、もう遅いし」とか、諦念以外の感情が行ったり来たりしている絶妙さを映し出していたし、この表情を奏でる石橋静河さんを観るだけでも、入場料分の価値はあるかと思います。

 

MEG ザ・モンスター

ネタバレしていますし、disってもいるかな。

 

 

 

 ステイサム+サメなので、ステイサメ映画というところでしょうか。よくサメ映画にステイサムを起用しようと考えたなぁと思います。かなり期待してしまうではないですか。

 アサイラムとかのよくあるサメ映画と比べると、予算は結構あったんだなぁという見映えではありますが、サメ映画にしてはキレイ過ぎるというか、阿鼻叫喚さが足りなさ過ぎるというか。結果的にそういう映画になってしまったように思います。

 クライマックの、メガロドンが人がたくさん遊泳しているビーチに行く場面で、お食事するのは数人程度。そこはね、もっと大量にがぶつかないと。それに、人間をパクリと飲み込む系が多いんですよね。だから、海も血の色にならないんです。それって、どうなんだろう。この映画を観る人達はそれで我慢できるのだろうか、なんて思ったり。もっと血肉骨をボリボリいってほしかったです。まぁ、メガロドンが巨大過ぎてそういう描写が難しかったのもしれませんが。

 主要登場人物もあまり食べられないので(←物騒なこと書いてるw)、展開上での危機感がないのに、更に主人公がステイサムであるということで、安心感が半端ないです。もうハラハラドキドキな展開は最初から捨て去っていたのかもしれません。パニックモンスター系の映画なのに(笑)。いや、この映画のモンスター枠は、メガロドンではなくて、ステイサムだったのか。そうに違いない。

 ステイサムはメガロドンにもタイマンを挑みます。マジです。まぁ、一応武器は持ってたし、最初は潜航艇に乗って戦ってましたけどね。擬人化されたメガロドンが出てきて、ステイサムと最後はタイマン対決すると思っていたのですが、予想は外れました(←そりゃそうだ)。

 最後は、潜航艇のメガロドンに喰われてかけて装甲がめくれた部分が丁度カッターみたいになっていて、それを利用してメガロドンの腹を裂きます。そして、ステイサムが銛を持って目を突きます。腹から流れている血を周りにいた普通のサメの大群が嗅ぎ取って、そいつらがメガロドンを共食い?してメガロドンはお亡くなりになりました。だったような気がする(苦笑)。この感想を書いてる時点で観終わってから数時間しか経っていないのに、もう詳細を忘れてしまっているとは……。

 ちなみに、メガロドンは二匹出てきます。最初の一匹目は毒薬を仕込まれた銛をお口の中に突き刺せられてしまい、やっつけられちゃいます。あっさり過ぎて、二匹目がいるよなってすぐに想像できて、ちょっとサプライズ感が少なくなってしまってました。

 そう言えば、昔に『メガロドン』というサメ映画がありましたが、その続編とかではないみたいです。この映画は原作があるそうですが、未読です(『Meg: A Novel of Deep Terror』というタイトルのようです。原作の時点でメグと名付けられていたのかw)。劇中では誰も「メグ」とは呼んでなかったような。

 

銀魂2 掟は破るためにこそある

ちょっとdisってるかもです。

 


 前作は結構面白くて、本作もかなり楽しみにしていました。かなり笑いましたが、期待程度に楽しめたかなとなると、そうでもなかったかなぁと。全体的にキレが悪かったように思いました。連載前提で表現できること、映画のようにワンオフで表現できること、この別々の要素を一緒くたにしようして失敗した、そんな感じがします。

 出演俳優は豪華ですが、その豪華さ故に、ワンポイント出演(カメオ扱い的な)という方法を打てなくなったんだろうなという、製作側の裏の事情が凄くダイレクトに観客に伝わってくる作り方は、意図的な部分もあったんだろうけど、各俳優のファンはいいとしても、そうではないファンには不親切な作りとも言えるのではないかと思いました。

 また、銀さんは一応主人公ポジではありますが、そのためか本編後半の流れにさし込もうとする無理さが、連載以上に出たような気がします。結局、後半の展開も、土方が主人公ポジにはならずに、銀さんに主人公ポジを置いたままにしてしまってるために、どのキャラも中途半端になってしまってまったように思えました。それから、アクションにもキレがないように見えました。元々のアクション自体と、撮り方も悪かったんではないかなと。

 なんていうか、オムニバス形式でした方がよかったように思います。俳優さんの頑張りは伝わるし、製作陣も頑張っていたんだとは思うのですが、その方向の整理がきちんとできていなかったのが、最大の失敗ではないかなと思ったのでした。

 

HOUSE OF BLOOD ハウス・オブ・ブラッド

ネタバレしてます。disってもいますが、かなり楽しめた映画です。

 

 

 ドイツの、『新ゾンビ』等で有名なオラフ・イッテンバッハ監督作。ウーヴェ・ボルといい、アンドレアス・シュナースといい、ドイツは奇才を生み出すことに長けているのだろうか。

 物語は二部構成で、前半と後半に分かれていますが、展開はほぼ同じです。でも、楽しめます。もう少し、前半と後半の囚人達の色付けがガラっと違ったものでもよかったかもしれません。それから、会話場面が結構あったりするのですが、ちょっとダレてたかなー。

 オープニングはかなり工夫しているなって思いました。映像で語るという感じで。でも、おそらくですが、イッテンバッハ監督は誰かのパクリというか、こういう感じで撮れば映像で語ってると思うだろうお前らっていう気持ちだったと思います。だって、ここの表現がイッテンバッハ自身の血肉になってるって感じがしなかったんだもん(笑)。映像で語る感じが序盤の展開にまで食い込んでいるのは、逆に効果を薄くする結果になっただけだと思いました。そういうことからも、血肉になってないなと思ったわけで。

 また、主人公とヒロイン(イッテンバッハ監督の当時の配偶者で、イッテンバッハが製作した映画には結婚時にはほぼ出演してるようです)の過去の遭遇場面が何度かインサートされているのですが、その場面が製作者が期待したほどには効果的になっていないんじゃないかなと。重要な場面なのに。囚人の妄想場面を入れたりもしていて、ちょっと取っ散らかってるよなと思いました。時系列をいじるのは、余程センスのある人か、ある程度全体構成を俯瞰して捉えるのがうまい人でないと、というのが私の持論です。

 物語は、脱走した囚人達が、山小屋で人断ちしている(笑)化物達に屠られてしまうという展開で、それを二回繰り返すだけです。もうちょっと、化物集団と囚人達との戦闘が長くてもよかったかなぁ。それか、SWATもちょろっと出てくるんだから、SWATとの対決も見たかったかな。

 個人的に何がよかったかっていうと、襲われるのが囚人、その中でも極悪タイプということもあってか、相手が化物であろうか、喚くことなく、臆することなく(いや、臆してはいたかw)、すぐに戦闘モードに入って戦うというところです。化物に出会う(または正体を知る)数秒前まで、化物の存在自体を信じてなかったのに。もう喚かれるのは飽きましたよ。

 主人公は、小さい頃に事故?で両親を亡くし、その事故現場でヒロイン(不老みたいです。不死でもあるのかな)に助けられたのですが、還暦くらいの年齢になってるからか、すっかりそのことも忘れていましたが、囚人達の脱走(一回目は主人公の運転のせいだけどw)に巻き込まれたことにより、ヒロインと再会できたのでした。

 2回目の化物軍団と囚人達との戦闘のあと、主人公とヒロインはなんとか山小屋から逃げ切って、車道に出て来ましたが、そこで偶然通りかかった護送車に主人公が轢かれて瀕死状態(すぐに死亡)。嘆くヒロインを、護送車から脱走した囚人(イッテンバッハ本人!)が、脳天に銃弾をお見舞いし、ジ・エンド。かと思いきや、バックでは囚人達が襲われている音、そして、ヒロインが化物として蘇生。ということで、本当に終了です。

 最後はちょっと泣かせにきたのかっていう展開でしたが、いやー、その感じで終わることは、この映画を積極的に観ようとしている人の中にはいないでしょう。捻った終幕ではないですが、一番腑に落ちる終幕だったと思います。

 この映画の化物は、頭を粉々にされても死なないみたいです。再生するのに時間が掛かるようなので、頭を破壊するのは時間稼ぎにはなりそうですが。燃やせばいいのかな。それから、いろんな年齢層の化物がいたので、人間が感染か何かして化物になるタイプなのか、イッテンバッハが何も考えずにキャスティングしただけか(後者でしょうねw)。

 アメリカ(ドイツ製の映画ですが、舞台はアメリカ)の囚人達は、とりま護送車が横転したら脱走するのか。つか、護送車の運転手全員、前を見て運転しろ(爆)。

リディバイダー

微妙にネタバレおよびdisっています。

 

 主演のダン・スティーブンスは『ザ・ゲスト』で初めて知ったのですが、醸し出す雰囲気がよかったことから、ちょっと注目している俳優さんなので、観に行ってきました。

 なかなか不思議な余韻というか。全体としては、まとめ方が下手だなとは思いましたし、主人公(ダン・スティーブンス)の気持ちみたいなものが空回ってしまってるような印象を受けたりと、映画自体の出来としてはよくはないなとは思うものの、なんとなく心の本当に隅っこにさり気なく残ってしまったような映画でした。

 この映画、丁寧に作られていると思います。しかし、その丁寧さ故にか、荒というか、何も考えてないやろうっていう部分も目立ってしまったのではないかと思います。

 POVというかFPS視点が多いので、折角のダン・スティーブンスの無駄使いのような気がしました。また、ダン・スティーブンスの露出の少なさを補うためでもあるのでしょうが、回想場面をバンバンと入れてくるんですが、これは物語の停滞感をなくすという意味と、主人公の気持ちを徐々に観客に提示していくためなんでしょうが、なんかチグハグさが出て、テンポが悪くなってしまったかなと思います。

 エコー側に行ってからのお話も、ドローンとかに襲撃される、逃げる、また襲撃される、逃げるとかの繰り返しで、主人公が何を目的に行動しようとしているのか、それとも単に状況を回避するだけで精一杯な状況を見せたいだけなのか、よく分かんなかったんですよね。

 主人公には妹と甥がおり、どうやら甥に問題(?)があるらしく、お金が入り用だったみたいですが、それが具体的にどういうものかが分からなくて、主人公の決断に最初から置いてけぼりを喰らってしまってしまいました。

 エコーに着いて最初に主人公を追い詰めるマイケルさんが、あっさりと主人公を信用?して一緒に行動するようになるのもアレレだし、主人公をスカウトした女性も、敵なのか味方なのかよく分からないし、最後には主人公を銃で撃ち殺してしまうし。

 主人公がエコーに降り立ったとき、壁に描かれた文字が反対になっていたのでエコーに着いたと確信するのですが、テレビとかに映ってる文字は特に反対になってるわけでもないし、そのエコーにある耳に装着するタイプのサポートAIみたいなもん(ごめん、どう書いていいか分からないw)の表示も正常だし。

 エコー側の人が左利き(銃を持つのが左手が多い)とかで、これも地球が反射された影響を出してるんだろうなぁと思いつつ。でも、コピーと反射(ミラーリング?)は違いますよなぁとも思いつつ。原語ではどう言ってたのかなぁ。

 エコー側の人も、自分達がエコー側だと分かっていたようですが、それでああいう行動に出るのかと考えると?マークしか出ないですし。

 エコー側で、死体がたくさん出てくる場面があるのですが、どうも死体がマネキンにしか見えなかったのですが、それが逆にちょっと不気味でした。

 なんか書いてたら、いつものとおりにdisってばっかりになってしまいましたが、暇つぶしにはなる映画だと思います。観る人は選びそうですけどね。白黒ハッキリ付けろというタイプの方にはオススメできないかなぁ。

 

海を駆ける

ラストのネタバレをしていますし、かなりdisっています。

 

 

 

 ディーン・フジオカ主演の映画で、予告編が印象に残っていたので観てきました。え?ディーン・フジオカが主演なんでしょ?1時間40分くらいある映画で、正味彼が映ってる場面を集めても15分にも満たないくらいじゃないですか???

 ディーン・フジオカの役は不可思議な力を持った、ミステスリアスな男性ではありますが、多分、お話の中心ではないし、その存在がお話をかなりかき回すってほどでもないですし。ディーン・フジオカの集客力を見越しての主演扱いなんかなぁ。集客力があるのかないのか分かんないけど。

 お話は、インドネシア人(父親)と鶴田真由さん演じる日本人(母)のハーフでインドネシア国籍を取得したという設定の太賀さん演じる大学生のタカシ、そのいとこのサチコ(サチコの母親が鶴田真由さんが演じる役の妹っていう設定みたい)、タカシの大学の友人のインドネシア人のクリス、クリスの幼馴染の新聞記者志望のイルマという4人を中心として動きます。つか、主人公ポジはサチコですね。

 ディーン・フジオカの役はネタバレすると、海からやって来た何者かで(人間ではないと思います)、テレポーテーションができたり、多言語を話せたりするほか、人の生死に関与できる(多分)力を持っているようです。劇中でも、ちょっと痴呆が入った息子を亡くした老人、タカシの母親、少年4人を屠っています。その代わりといってはなんですが、熱中症で倒れていた少女を治したり(多分、痴呆が入っていた老人の命と引き換えっぽい)、高熱を出していたサチコを回復させたり、枯れた花を咲かせたり、漁で引き上げられて既に死んでいたはずの魚を復活させたりしています。

 分からなかったのは、タカシの母親を屠った理由ですね。その直前に追いかけていた蝶々を捕まえるためのように見えたのですが。あの蝶々は死にかけていたから、なんでしょうか。それにしては、そうは見えない場面の撮り方はダメだと思います。

 少年4人を屠って、浜辺で村人に追い掛けられそうになったら、「そろそろ帰らないと」と言って、海へと去って行くディーン・フジオカ。って、こういう終わらせ方でいいのか。

 と、文句ばっかりでいつものようにdisってしまっていますが、不思議と最後まで飽きずに観られたんですよね。お金返せよとも思わなかったんですよね。もう二度と観たくはないですけどね(笑)。
 飽きずに観られたという理由は、太賀さんの演技というか、彼の演技のリズムのお陰じゃないかなと思います。彼の演技は『南瓜とマヨネーズ』で初めて観たのですが(『桐島、部活やめるってよ』のほか、彼のフィルモグラフィを眺めると何度かスクリーンでお見かけしているようなのですが)、あの映画も面白くはなかったけど(言っちゃったよw)、彼の演技だけはとても印象に残っていたのです。本作も同様に、彼の演技だけが印象に残ってしまっています。ディーン・フジオカは、映画のラストと同様に、もう私の記憶の海の中に消えてしまいました。

 Filmarksで他の人の感想をちらっと読んだのですが、どうやら私は、同じ題名で、同じ出演者で、同じロケ地で、同じ製作陣の別の映画を観たようです。どう好意的に解釈しても……。