悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2026©りょんりょん) ※(主に)映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。ごめんなさい。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2026@りょんりょん) ※(主に)映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。ごめんなさい。

マーダー・イン・ザ・フロント・ロウ〜俺たちのベイエリア・スラッシュ物語〜

メタリカは好みじゃないですがメガデスは好きでした。

シネマート新宿にて鑑賞

 原題は『Murder in the Front Row: The San Francisco Bay Area Thrash Metal Story』で、「Murder in the Front Row」というフレーズはEXODUSの1stアルバムの曲にある歌詞から取られたタイトルのようですが、そもそもそのフレーズの元ネタは、80年代当時のベイエリア・スラッシュ界隈での観客の熱狂具合を示す言葉だそうです。

 で、私はスラッシュ(スラッシュメタル)どころかメタラーですらありませんが、長年BURRN!誌は購読し続けていたので、知っている人名やバンド名が沢山出てきて、そういう意味では飽きませんでした。

 構成は、途中からメタリカというかクリフ・バートンが主軸になっちゃって、それまでの比重というかバランスがおかしくなっているよなと感じたまま終わった印象で、80年代のスラッシュメタルのファンは楽しめるかもしれませんが、シーン(ムーブメント)や歴史を詳細に網羅していたのかというと疑問は残ります。

 まぁ、でも、今やビッグネームの皆様が気軽に出演されているのには好感が持てますし、<それだけで十分だよ>という気持ちで臨むのが本作の正しい鑑賞の仕方ではないかなとは思います。

 映画自体の完成は2019年(米国でもその頃に公開なのかな)なのですが、80年代を回想しているという形なので、コロナ禍を経過した、特に2026年の今という時期での鑑賞に際しても、大きな影響はないでしょう。

 よくよく考えると、初期のメタリカって、大佐がいて、クリフがいて、ラーズがいて、ジェイムズがいるというとんでもないラインナップだったんだなと。メガデス結成のアイデアって、このときのラインナップが大佐の脳裏にあったんじゃないのかなとか思ったり。

 劇中で、カーク・ハメットが大佐がいる時代のメタリカのライブを観て「俺ならもっとうまく弾けると思った」とか言っちゃってるんですが、そこはオイオイと思いましたね(笑)。

アミューズメント・パーク

ロメロはゾンビだけじゃない!!!

YouTube の映画とテレビ番組チャンネルにて鑑賞

 原題は『THE AMUSEMENT PARK』で、遊園地という意味ですね。

 監督はゾンビ映画の巨匠でもあるジョージ・A・ロメロで、ウィキペディアによりますと、ルーテル教会が年齢差別や高齢者虐待についての教育映画として制作を依頼したそうですが、その内容の悲惨さにより封印していたそうです。教育映画には違いないだろうけど、求められているものではないよなというのは分かります(笑)。つか、そもそも頼む相手が間違ってますよ……。

 制作年は1973年ですが、今から半世紀以上も前に、今にも通じるような世界観を構築しているのは凄いなと思うと同時に、こういう面では何も進歩していない、状況は変わっていないんだなという、本作はホラー映画ではありませんが、そうじゃないからこその怖さを感じます。

 主人公は71歳の老人で、(映画の中で社会の縮図として設定されている)アミューズメント・パークへと、何もない白い部屋から意気揚々と繰り出すも、高齢者にとってそこは暮らしやすい社会ではなく、どんどんと傷付き、お金も毟り取られたりでなくなり、結局は社会から放り出され、何もない白い部屋に帰って行くというお話です。

 周りの人の無関心さや傲慢さ、弱肉強食な社会を、老人の目から暗喩化されたアミューズメント・パークという場所を通じて映し出されますが、その裏で、そういう社会を作ってきたのも構成してきたのも老人でしょうという、冷めた視点も備わっていたと思います。

 本作の冒頭、白い部屋にはボロボロに傷付いた先客が椅子に座っており、そこに主人公がやってきて話し掛けるのですが、その先客はつれない対応を見せ、主人公はその先客に見切りを付けてアミューズメント・パークへと繰り出すわけですが、はい、そうです、その先客自身が主人公の未来の姿というか成れの果てなのです。

 こういう描写からも、私は社会も悪いけど、そういう社会を作ってきた高齢者の皆様(低所得者も障害者も含めて、かな)も悪いんじゃないのか、必ずしも被害者という立場だけじゃないよねという問い掛けではないかという受け止めです。

 暗喩表現しかない映画なので、そういう系統の映画が好きな人には刺さりまくるかなと思います。それも、そんなに難解さもないので、そういう映画を好きになりたいという人向けの練習素材としてもいいかもしれません。

 それにしても、ジョージ・A・ロメロという映画監督は、不気味な雰囲気を作り出すのがうまいというか、人を不安にさせるのが得意というか。凄いなぁと改めて思いました。

バイオレント・ナイト

クリスマス・マジック

Amazon Prime Videoにて鑑賞

 原題は『VIOLENT NIGHT』で、Google様によりますと、物騒な夜、暴力的な夜、激しい夜という意味になるそうです。確かに、物騒で暴力的で激しいクリスマス・イブの一夜の出来事でしたね。

 続編が2026年(令和8年)12月4日(金)に公開されるということで、本作のことは全く知らなかったのですが、気になったので鑑賞しました。続編を観たくなったら困るじゃないですか(笑)。まぁ、続編を鑑賞するかどうかはそのときの気分や予定次第です。

 本編の導入から丁寧に作られているなと思ったものの、途中で中弛みが出てしまったのは残念かな。ノリと勢いで突っ走った方がよかったような気はします。

 本作の主人公であるサンタクロースは実在する人物(?)で、昔は略奪者として暴れまわっていたようですが、解明されていないクリスマス・マジックでミセスC(神様のことかな)にサンタクロースに抜擢され千年以上活動しているようですが、最近の子供達の強欲さに辟易しているという設定です。

 不老ではあるようですが、不死ではないようです。普通の人間と同じく、ナイフとかで刺されれば血を流して怪我しますし、銃で撃たれまくれば死にます。撃たれまくれなくても、いいのを一発もらえば死んでしまうのでしょう(笑)。

 人間(?)時代には配偶者が居たようですが、サンタクロースとなった現在では独り身のようです。

 相手の情報(本名や経歴のほか、いい子か悪い子か判明)が分かる巻物と、手を突っ込めばプレゼントが出てくる袋を装備しており、暖炉の側で鼻(なのかな)を弄れば、その暖炉を通じて出入り(テレポートではなく、暖炉の中を粒子みたいになって高速移動する感じかな)できるようです。それを利用してラスボスを屠ったりしております。

 サンタクロースが大勢いるというシステムではなく、ワンオペでやってるようです。季節労働者というか、年間で働く日数が一日だけとはいえ、かなりな重労働で大変さが伺えます。

 8頭くらいのトナカイで引くソリは空中移動が普通にできます。そりゃ、できないと世界中をカバーできませんよね。トナカイは一頭ずつ名前がしっかりとあります。よくう○こします。

 サンタクロースがハンマー(脳天砕き)を持って暴れまわる様は面白かったです。こういうのが観たいんですよ。

 欧米の子供ってマジでサンタクロースって信じているのかな。映画でそういう表現というか描写がよく出てきたりするけど。日本の子供ってそもそも居ない(空想のキャラ)というのが分かっていますよね。

 本作はコメディタッチで描かれているものの、虐殺場面もしっかりと描かれており好感が持てますが、個人的にはシリアスバージョンも観たかったなとは思いました。

 暇潰しにサクっと観るのは大変楽しめる映画だったと思います。

アベンジャーズ/エンドゲーム:アンコール

追加映像?のネタバレをしています。

新宿ピカデリーにて鑑賞(Infinity Vision)

 原題は『AVENGERS: ENDGAME』で、Google様によりますと、エンドゲームとは元々チェス用語であり、「終盤戦」や「詰み(勝負の決着)が見えた最終局面」を意味し、転じて「物事の大詰め」や「最終的な目的・結末」を表す言葉だそうです。

 エンドロール後にもいつものように映像がありますのでご注意ください。というか、エンドロールをぶった切って追加映像が放り込まれております。この手法は少し斬新だなと思いました。

 最初の劇場公開時は、2019年(平成31年)4月26日(金)に大阪のあべのアポロシネマ(2D)、翌4月27日(土)にTOHOシネマズなんば(IMAX 3D)にて鑑賞しております。勿論、Blu-rayも購入しております。

 初見時の感想は上記リンクを参照してください。と言っても、今回の感想も似たようなものですが、ちょっとだけじんわりきたというか。タイム泥棒モノにしたのは、オリジナルアベンジャーズのメンツとのお別れを観客の皆さんと一緒に振り返ってみましょうという意図があったのかなと。

 それと、『アベンジャーズ/ドゥームズデイ』へ向けての追加映像があったりしたこととも重なりますが、初公開時から7年という時間が実際に経過している段階で、その後のMCU作品も公開されたり配信されたりという状況下において、『アベンジャーズ/ドゥームズデイ』へ向けた一作という立ち位置で鑑賞という形になりましたが、トニー・スタークとキャップの物語はやっぱりここで閉じておいた方がよかったのに、とは改めて感じました。じんわりした分、余計にそう感じました。

 追加映像等は以下のとおりでした。

①本編上映前に、トニー・スターク(アイアンマン)を演じたロバート・ダウニー・Jr.とスティーブ・ロジャース(キャプテン・アメリカ)を演じたクリス・エヴァンスの二人による1分程度の挨拶があります。

②映画本編の終わりで、過去の世界に居着いたキャップとペギーの所(ゆっくりと二人で踊っていたあの場面ですね)へロキが訪ねて来るという場面が追加されています。

③映像付きのスタッフとキャストクレジットが終わったあとに挟み込まれた、地下3.2キロの深さにある軍基地で十年抑制できていたハルクを抑えきれなくなり(この深さならハルクでもどうにもできないそうです、マジで?)、ガンマ線の研究をしているブルース・バナーの所にドクター・ドゥーム(多分)がやって来る場面があります。

④エンドロールの途中で、複数の次元が衝突しインカージョンしていくことへの警報が鳴り響き、多元宇宙の崩壊していく様に驚くTVA事務所内の場面が挟み込まれます。メビウスって誰?と思いましたが、配信ドラマ『ロキ』に出てくるキャラのようです(観てないっすよ……)。

⑤本当にエンドロールが終わったあと(笑)に、『アイアンマン』(一作目)における、テン・リングスに囚えられたトニー・スタークが洞窟でアイアンマン・マーク1のお面を作ってる場面を彷彿させるカットバックと、熱い鉄を打つ音の場面ですが(元々の本編の最後もそうでしたよね)、そのお面はアイアンマンのそれではなく、ドクター・ドゥームのお面という形に変更されています。ということは、『アベンジャーズ/ドゥームズデイ』におけるドクター・ドゥームはトニー・スターク(別次元?のかもしれませんが)ということなんやろうか。

 その他、本編内でも字幕が修正されていたりといった部分があるそうです。映像等について、本編そのものへの追加・変更はなかったとは思います。多分。

 以前、どうしてロバート・ダウニー・Jr.はドクター・ドゥームを演じることにしたのかっていうのをAIのGrokさんと妄想したことがあり、取り纏めたことがあるのです。

 この予想は大外れなのかな(そりゃそうやろw)。別次元のトニー・スタークというのはちょっと萎えるというか、うーん、どうなんやろうね。

 私が鑑賞した上映回では終演後に拍手が起こりましたが、実際に拍手している人は会場の半分も居なかったかなという感じです。私の両隣の人はしていませんでした、勿論私も(笑)。

 そして、5年経ってからサノスの指パッチンで消えていた人達が蘇るわけですが、結婚していた人が他の人と新しい家族を形成していたとして、消えていた人が戻ってきたらどうなるんだろう、どうするんだろうとは思っているんですよ。

 ところで、ふと思ったのですが、アベンジャーズ手当とかヒーロー手当とか、軍人のように年金とかってあるんだろうかと。軍人年金の場合は勤続年数が長くないとあかんけど。アベンジャーズ年金、ヒーロー年金って、何年稼働したら貰えるようになるんかなと。

 これまたふと思ったんですが、ニューヨーク決戦が終わったあと(『アベンジャーズ』一作目)に米国が世界の平和を守ったんだから、米国にお金を援助しろって言い出しそうだなと。で、ロシアと中国は米国内だけでの出来事だって言って援助は当然しないだろうし、日本は揉み手状態で援助をしまくるんだろうなと。

 最後は映画の感想とかではなくなりましたね(笑)。

ドラッグストア・カウボーイ デジタルリマスター版

名作認定されていますがdisっちゃってます。

シネマート新宿にて鑑賞

 原題は『drugstore cowboy』で、意味はそのままなのでしょう。映画監督のガス・ヴァン・サントの長編デビュー作(商業映画デビュー作でもあるのかな)。

 配偶者や仲間達と共にドラッグストアや病院からドラッグを盗んでキメる26歳のヤク中が、色々あってツキがなくなったと思い、自分が決めたジンクスもあってか足を洗うことを決心し薬物更生プログラムを受け、真面目に工場で働くようになったら、昔の知人にヤクを出せって部屋で襲われた挙句に銃で撃たれ、搬送される救急車の中で「生きていたい」と語るお話を、淡々としたトーンで描く映画。

 大きなお話とかはなく、リズムは一定なので眠たくなる人も多いかも。ところどころイメージカットみたいなのが入って、個人的にはアクセントになっていていいなと思うものの、全体の退屈さを覆すまでには至らず。

 出来事を情感を前面に押し出して表現しているわけではないので、余計に起伏を感じ難い結果になっているように思いました。

 キリスト教的価値観を知っていればもう少しお話やキャラの心情に踏み込めたかもしれないけど、まぁ、私にはかなり合わなかったということです。

踊る大捜査線 N.E.W. メトロポリスを駆け抜けろ!

セブンベア

グランドシネマサンシャイン池袋にて鑑賞

 今までの集大成というか、踊るシリーズのレガシーを兎に角ぶち込んだもので、今までのファンなら楽しめると思います。ただ、裏返せば、本作のみを観た人には何がなんやらって感じでノレないのかなとも思います。初見殺しというか。まぁ、それは長期シリーズ物の宿命ではありますけどね。

 本作を十分に楽しみたいという方は、TVシリーズと、映画の四作目(スピンオフ除く)くらいまでは観ておいた方がいいかなと思います。直近の室井さんのシリーズ二作も観ておいた方がいいかもしれませんが、私はそちらは未見でした(薦めておいてそれかw)。

 これまでの踊るシリーズらしく、ハッタリかましまくりで、ノリというか勢いのみで突っ走る芸風は相変わらず。それでも、瞬間的であっても面白いと思わせるのは流石だと思います。全く後味が残らないけど。

 テンポのよさは本当に素晴らしいというか、矢継ぎ早に仕掛けを作っているというのもあるのでしょうけど、サラサラっと流れて行くかのような展開は個人的には好みです。

 新キャラ以外にもこれまでの主要なキャラがかなり出てきますが、キャラが渋滞しているっていう印象が薄かったのも、このサラサラ流れて行くような展開というか作風だったからかなと。

 小道具や飛び道具の活かし方はうまいけど、本作の思想の芯となるような「室井さんモデル」の劇中への浸透のさせ方は少し雑だったのではないでしょうか。ここは丁寧に、展開の速度を若干落としても、お話の中に染み込ませる方がよかったんじゃないのかなとは思いました。

 民間人が警察庁の要職に就く人に気軽に会いに行けるとか、ちょっとデフォルメの度が強過ぎた感は否めないかな。

 同様に、「和久さんAI」はちょっとやり過ぎなようにも思います。いかりや長介さんの存在を本作にも残したかったという制作陣の気持ちは分かりますが……。

 織田裕二さんは老けたけど、あの青島俊作を再び熱演。結構走っています。年齢的にもしんどかったでしょうに。青島俊作=織田裕二、になりそうでなり切らないギリギリのラインを攻めた、というか、綱渡り状態で演じられたように見えました。

 青島は室井さんが警察を辞めたときに、電話で自分も一緒に辞めると言ったそうですが、室井さんからの返答はなく、その後もそのまま刑事を続けてしまっていることに自分でも疑問を抱いているという設定です(ですよね?)。

 一応、青島が刑事を続けていることへの本作としての答えは、「上に行かなくても(出世しなくても)、現場でも正しいことはできるということが分かったから」ということのようです。それが、青島という刑事を動かすエンジンということなのでしょう。仲間がいるということも理由の一つにしていましたね。

 所轄の刑事なのに、途中から本庁所属の青島と行動を共にする、白洲迅さん演じる美浦秋と、趣里さん演じる芝田ひばりとのトリオの関係性と連動性はよかったと思います。

 恩田すみれさんについて、青島が電話したりしますが留守電だったりで繋がらず。ということで本作には登場しません。ただ、設定としては存命ということのようです。終盤にある回想場面には昔の映像となりますが、登場します。室井さんも登場します。皆さん、若い。

 佐藤二朗さんは結構な場面で出ておられますので、これはカットできないわなと。フジテレビとしてはカットしたかったかもしれませんけどね。

 地下鉄歌舞伎町駅とか、歌舞伎町線とか、マジで作ってほしい(笑)。

 昨年、映画『国宝』の超大ヒットで、これまで実写映画の興行収入トップだった『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』の記録を塗り替えられてしまったのが、織田裕二ファンだった自分としては地味にショックというか少し寂しさ(笑)があったのもあり、密かに本作で『国宝』の記録を抜き返してほしいなと思っていたのですが、それはもうかなり怪しいというか、賛否両論だったりするようなのもあって難しいのかなと。最初に書いたように、初見お断り的な映画になっちゃってるというのもありますしね。抜き返せるくらいの映画になってないかなと期待はしていたんですよ、ほんとに。(興行収入がいいことがいい映画だという意味ではありません。)

 あ、そうそう、本作はイチャイチャする織田裕二さんと佐々木蔵之介さんを堪能する映画でもあります。

 続編も作られそう。というか、もしかしてTVシリーズでもやる気なのかな。

レッド・サン 4Kデジタルリマスター版

少しdisっちゃってるかも

グランドシネマサンシャイン池袋にて鑑賞(午前十時の映画祭16)

 原題は『RED SUN』で、赤い太陽という意味ですが、グーグル様によりますと、終わりのない旅、時代の転換点、あるいは危険や警告のサインとして比喩的に使われることがあるとのことです。ほほぅ。

 侍(演じるのは三船敏郎さんで、黒田重兵衛という役名)と強盗(演じるのはチャールズ・ブロンソンで、リンクという役名)のバディロードムービーで、ひょんなことからコンビを組むことになり、裏切り者の強盗(演じるのはアラン・ドロンで、ゴーシュという役名)を追うというお話です。

 お話自体は面白いけど、長く感じてテンポが悪いのは残念なところ。一応、追走劇なのに、牧歌的なのがあかんかったのかな。昔の大味な作風と言えばそのとおりかなとは思うのですが。お話の展開のさせ方もキレがなかったかなと。

 時々、黒田重兵衛がアホな侍になってしまうというか、見えてしまうのが難点でしたね。これまた作風もあるのでしょうけど。それで、キャラのブレみたいなものが気になってしまうというか。主人公の一人なだけに余計にね。

 それと、折角、三船敏郎さんを起用(というか映画自体を三船プロが企画したそうですが)しているのに、チャンバラのキレがあまりよくないのもおいおいとツッコミたくなるところ。

 あ、いや、チャンバラのキレというか、アクションの撮り方が下手というか、チャンバラアクションの撮り方が分からなかったのかな。現場で、三船敏郎さんも意見はしたとは思うけど。昔なのもありますが、日本人が言うことを欧米人が素直に聞くわけじゃないよなとは思うので、暖簾に腕押しだったのかもしれませんけどね。

 一応、武士道にもしっかりと目配せはしていて、所謂なんちゃってジャパンにはなっていないのですが(前段の感想とは逆張りになっちゃってますがw)、列車の中の幕府大使の部屋模様が凄くミスマッチで、笑えてしまうような感じになってしまっているのは御愛嬌。

 異文化交流、異信念交流という形だけど、最後の戦いでその部分を鮮明に印象付けられなかったのは惜しいかな。ちょっと、最後の裏切り者のゴーシュ達との一連の戦いが、第三勢力としてコマンチ族を混ぜてしまったというのもありますが、せせこましくなってしまっていて勿体ないというか。

 そのせいだと思いますが、黒田重兵衛とリンクの間に芽生えた奇妙な絆というか、二人の出した答えというのが軽く見えるんですよね。黒田重兵衛はリンクの事情を慮り、ゴーシュを殺しきれずに反撃されて撃たれて死亡するけど、リンクは黒田重兵衛が自身の信念より自分との約束を守ってくれたことに対する情の篤さを受け取るという、本作のテーマともなるものなのに。

 アラン・ドロンは最初と最後が主な出番のラスボスポジで、途中はチラッと顔見世している程度で、ガッツリ出ているという印象は薄いです。

 コマンチ族の描き方は、今ではクレームが出るかもしれませんね。実際には侵略者を迎え撃つ現地住民の構図なんですけどね。

 観る前と観た後に某映画評論家の解説みたいなのがあるのですが、必要ないです、要らないです。時間が勿体ないので今後は止めてください。

八つ墓村

祟りじゃ~、ネタバレ村の祟りじゃ~~

新宿ピカデリーにて鑑賞

 まさか原作を無視というか、換骨奪胎して、Jホラー、Jスプラッターに全寄せしてくるとは。原作レ○プには違いないとは思うけど、関係者もよくこれでゴーサインを出したよなと。

 金田一耕助ファンや横溝正史ファンは憤慨すると思うけど、JホラーやJスプラッターファンは思わずニコニコな笑顔になれます。清水崇という映画監督を据えた理由がこれかと。清水崇さんのホラー映画のファンならオススメかなと(コアなファンはもうちょっと色を出せとか思うかもだけど)。

 この古典の部類に入る探偵小説を、しかも有名な私立探偵が出てくるお話を、元々そういう素養が原作にあったとは言え(以前の映画化の際にもそういう要素を加味されたことがあったとは言え)、何度か映画化・映像化さている作品を、ほんまによくこういうマジもんのホラー・スプラッター映画の型に嵌めたよなと。

 渥美清さんが金田一耕助を演じた「祟りじゃ」というセリフで有名な1977年版の映画『八つ墓村』も、ここまで非現実的な意味で、明確に呪い(祟り)が原因(真相)だったということにはしてなかったと思います(してましたっけ?)。

 本作において、その割を喰ったのが私立探偵の金田一耕助で、存在が最早空気。本作では主人公のはずなのに。終盤では「こんなん相手じゃ自分は何もできない」(こんな感じ)と言うセリフを言わされ白旗上げるし。思わず映画にツッコんじゃいましたよ。

 最初はJホラーやJスプラッターの要素・風味を取り入れようとしてるだけっぽく見えて、令和の今の時代が舞台だろうに、リアリティラインも調整できてないグダった映画やと中盤辺りまで思ってましたが、マジの呪い(祟り)による連続殺人だったという落とし込みだと分かって時点で俄然楽しくなりましたし、この英断を私は強く支持したい。

 犯人の森美也子はかつての落武者の子孫で、八つ墓村で謀られて屠られた先祖の呪いを晴らすため、祟りを成就するために頑張ります。ほんまもんの呪いという超常の力で祟ります。そりゃ、通常の人間でしかない金田一耕助では対応できませんって(笑)。

 横溝正史さんや歴代の金田一耕助という存在から祟られるんとちゃうかな、本作の監督(共同で脚本も)を務めた清水崇さんは(笑)。

 テンポは悪いし無駄に長いとは思いますので、映画そのものの評価としては低品質だったとしか言いようがありません。

 田治見家に攻め入ろうとする村人を警察が阻止しようとしてたのに、攻め入れらてしまったら、急に何処かに消えていたり。目の前で凶行が繰り広げられているのに。

 人物相関とかお話自体すら、何度も映像化されてたりするんで、もう内容は知ってますよねっていう感じで観客に丸投げっぽい形で、謎解きというよりも、単にセリフで仕方なくキャラに説明させているという様すら見受けられるというか。

 キャラの作り込みというか、そういうのは全く感じませんでした。演じられた俳優さん云々ではなく、本作の作風として。メインの金田一耕助、寺田辰弥、森美也子の絡みの印象が薄いのも影響あるのでしょうね。

 高島礼子さんは一人二役ですが、たまに二人の顔が違うよなっていう箇所があったりして、合成とかだけではなくボディダブル的な形も採用していたのかなと。

 尾上松也さんの顔への白塗りが気になったというか、歌舞伎俳優なので白塗りをしないとあかん規則でもあるんかなと思ったり。

 と、まぁ、こういう辺りに代表されるように、本当に作り自体はかなり雑だったかなと思う次第です。

 エンドロールの後に映像があります。本作のもう一人の主人公である(原作や1977年版映画では主人公)寺田辰弥が都会(多分、東京都調布市)に戻って、無事に就職もできて、朝の出勤時に、田治見家の炎上により、そのままやられたと思われていた森美也子が寺田辰弥の背後に現れるという場面となります。まだまだ祟られる、じゃなくて、続編を作りたいのかな。いや、そんなことはないか。

 なんか、貞子ウイルスじゃなくて、祟りウイルスに感染してしまったような感じだよなぁ、そう言えば映画の『リング』の監督って清水崇さんだったよなと思ってググってみたら、清水崇さんは『呪怨』シリーズの方でしたね、ちゃんちゃん(ごめんなさい)。

死者からの手紙

少しネタバレしています。

シネマヴェーラ渋谷にて鑑賞(ソヴィエト映画の世界)

2026年9月21日(月)に追記箇所あり(赤字)

 原題は『PISMA MYORTVOGO CHELOVEKA』で、意味はGoogle翻訳様によりますと「死者の手紙」ということで、邦題はほぼほぼ直訳かと思われます。

 40年前の1986年制作のようで、ペレストロイカ発動後のソ連末期だったとしても(ソ連崩壊は1991年12月)、体制批判と捉えかねないような内容の映画をよく作れたなと感心します。

 某国(多分ソ連)の軍事用コンピュータのエラー?か暴走?かで核ミサイルが発射され、それが引き金となって世界大戦が勃発(多分)。地上は放射能で汚染され、外を歩くには防護服が必須な世界が舞台となります。

 1986年4月26日に起きたチョルノービリ(チェルノブイリ)原子力発電所事故(当時はソビエト連邦構成国のウクライナ・ソビエト社会主義共和国内の出来事、現在のウクライナ)に影響や触発を受けたのかどうか、制作時期から微妙ではあります。どうなんだろう。(追記:AIのGeminiさんに聞いてみたところ、制作規模から事故発生前から企画や撮影が進められていただろうとのことで、偶然の一致だと思われます。)

 核攻撃後の世界もそうですが、何気にコンピュータのエラー(暴走)というのも、今の時代のAIの暴走等に繋がりますし、人類の懸念はここ何十年も変わっていないのかと見せつけられます。

 多くの人は戦争が続いているのか終わったのかも分からず、政府もほぼ機能せず、文明は崩壊の一途を辿り、地下のシェルター暮らしを余儀なくされる日々で、詳細な時間とかはもう分からない状態という設定のようです。

 どんよりした終末世界な雰囲気はよく出ているし、観ている方にも閉塞感と諦観を求められるような空気感も漂っていたと思います。

 主人公は60代くらいの教授(博物館勤務の人なだけかも)のおっさんというかくたびれた老人なんですが、日本や米国では考え難いキャラ設定かなと(もっと若手かイケオジを起用するでしょうから)。そういう意味では思い切ったやり方だなぁと感心しました。流石、共産国というか、商売をそんなに考えなくてもいいという側面(誤解があるかもですが)からできたことなんかな。

 主人公は戦争が起きたときにエーリクという息子(多分まだ幼い、小学生くらい?)を亡くし(というか戦火で行方不明なのかな)、それが心にずっしりと重しとなって残っている状態で、更に配偶者は放射能にやられたようで苦しんでおり、とうとう死去してしまうという、なかなかにハードな展開。

 最後は戦災孤児を引き取り、拾った枝で作ったクリスマスツリーにロウソクを灯して子供達と祝ったあと、子供達に人間の愚かさと、人間の作り出した愛を語り継いでほしいとお願いして死去。

 子供達はシェルターをあとにして外に出て歩き始めるという場面で映画は終了します。少し希望を感じさせるというか持たせる締め方で私はよかったなと思っています。

 お金の掛かってそうな場面とそうでない場面の差がかなり落差があるというか。被災した街のセットはかなり大掛かりに見えました。

 偵察ヘリとかの兵器・車両関係はいいデザインだなと思いました(実際の物ではないですよね?)。(追記:AIのGeminiさんによりますと、廃墟の場面で使用されている八輪駆動の大型トラックはMAZ-7310という車両であったり、レンスタジオという国営スタジオの制作であったため、軍や国家機関からの払い下げや実物のセットへの配置が容易であったそうです。)

クロノス・カイロス

タコの踊り喰い

シネマリスにて鑑賞

 原題は『KRONOS KAIROS』で、クロノス(KRONOS)もカイロス(KAIROS)も古代ギリシャ語で「時」という意味だそうです。クロノスは客観的・物理的な「量的な時間」、カイロスは主観的・神聖な「質的な時(好機・タイミング)」で、同じ「時」でも用法が異なるということを、Google様からお教えいただきました。

 チラっと予告編を観たときは、これはシネフィル御用達というか、「私はこの映画を理解した」というマウントを取るタイプの映画だなとは思ったんですよ。でもね、なんかビビビと来るものがあったんですよ、誤解というか錯覚でしたけどね。

 忍耐力が試される映画だとは思っていましたが、ここまでとは……。時間が短かったことだけが救いでした。心身共に充実しているときに対峙しないと、睡魔という化物に飲み込まれてしまいます。観ている間の眠気と生あくびが絶え間なかったです。

 お話の内容とか意味とかは全く分かりませんが、終末的な世界で(おそらく人類はそんなにいない)、恋人だった女性に振られたおっさんが、女性の新しい男性恋人と、自分の中にある壊れていくモノ(又は失いかけているモノ)を一緒に探そうとする、そんな過程を描いた映画だと思います。

 その壊れていくモノを修理しようとするもダメで、それに替わるようなモノをやっと見付けはするけど、それはやはり恋人だった女性のことでした(その女性が居ないと成立しないモノであった)、という流れだったのではないかなと。元恋人のおっさんは、おっさんの割にウジウジしてますね。

 で、その結果、現恋人である男性(こいつもおっさんw)の逆鱗に触れ(そりゃそうだ)、振られたおっさんは頭を撃たれて死亡。でも、元恋人は振ったおっさんとのことを思い出している。という終わり方というか締め括りだったのでしょう。

 つか、なんで、振られたおっさんは自分の元恋人の現恋人(ややこしいw)と一緒に行動しようとすんねん。お前しかいなかった、とか言ってたけど。

 現恋人は拳銃を冷蔵庫に隠しているような人で、容赦なく人を撃ちます。なんか殺し屋だそうですが、本作を観ている限りでは分かりません、そんなこと。しかも、甲殻類アレルギーらしいです。タコを生で喰おうとしている場面があるんですが、それを表現してたんですね。そんなん分からんって……。

 おっさんとか恋人とか書いてまして分かり難いかと思いますが、登場人物の名称がないので(多分)許してください。

 ハッキリ言えば、自慰映画です(本編内にもそういう場面があったりします)。内輪ウケ全開の映画です。こういうのを一般人が目にするような形で劇場公開しないでほしいとは思いますね。低品質だからです。

 置換表現というか、代替表現が多いというか、それしかないというか。なんていうかね、当てものクイズの映画なんて誰でも作れるというか、それって映画って言えるのかな、とも思うわけです。何かを当てたいから映画を観るわけじゃないんですけどね。

 カットの構成はいいと思うんですよ。一枚の写真としてならね。でも、映画でしょ、と。それらを繋げられても映画にはならないでしょ、と言いたいのです。

 それと、雰囲気もいいっちゃいいんですよ。でもね、映画になってない、という感想に辿り着いてしまうというか。

 映画学校の学生が撮るような映画でもあるかなと思います。アート系映画こそ正しい映画の在り方だという勘違い甚だしいという感じがまさにそう思えると言いましょうか(かなりの偏見ですw)。

 あ、一応主人公ポジの恋人に振られたおっさんですが、劇中ではフルチン姿になったりしています。私が観たときはボカシ(シネマリスにて鑑賞)はなくてアソコが丸見えでしたので、鑑賞される際にはその点ご留意ください。

オペレーション:カブール 極限救出48時間

少しdisってるような気がしないでもありません。

TOHOシネマズ新宿にて鑑賞

 原題は『SÁRKÁNYOK KABUL FELETT』で、Google様で検索しましたら、ハンガリー語で「カブール上空のドラゴン(群)」という意味だそうです。

 公式サイトによりますと、2021年8月にハンガリー政府が主導し、国防軍が作戦を実行した「シャーマン作戦」を基にした映画ということです。

 全体的に悪くはないけど、大きな盛り上がりもなかったよなというのが正直な感想です。極限救出という感じでもありません。

 主人公のハンガリー軍の中尉殿が、どうしてアフガニスタンで活動するハンガリー人の女医にご執心なのかを描く映画で、作戦中も女医のことが頭から離れず、浮足立ってはいませんが、ソワソワしている様が描写されております。

 本作の構成は、アフガニスタンのカブール空港におけるアフガニスタン在住のハンガリー人とその協力者等の脱出作戦任務の状況と、中尉殿が女医にご執心になった二年前(2019年かな)の出来事を交えて描く形です。

 2019年に診療所勤務(当時)の女医さんが、遠方遥々アフガニスタン駐留のハンガリー軍の拠点に来て、診療所の薬がタリバンに狙われているので守ってちょってお願いしに来たことが発端です。

 この場面で、女医が帰る際に中尉殿が「タクシーでも呼べばいいやん」と言ったセリフが胸に残っております。こんな物騒な地帯にもタクシーは呼べば来てくれるのだろうか。というか、この女医も来るときはタクシーで来たようなので呼んでも大丈夫なんかな。

 で、女医さんを診療所に送り届けるときは、軍の車両を二台使用だったというのもあって、そんな危なっかしい場所にタクシーで往来可能なのかと、ちょっとお話の整合性というか、作劇の都合過ぎないっすかねと思ったのは内緒です。

 後日、診療所で薬を配布中に、タリバンが自動車爆弾で襲撃し、中尉殿率いる部隊が応戦したのですが、砲撃の衝撃で吹っ飛んだ中尉殿(この場面はよかったというか笑えました)が女医に命を助けられたというのが、中尉殿が女医にご執心になった理由なのです。

 診療所を襲撃し、負傷中の中尉殿を殺そうしたタリバンの一人が、中尉殿を介抱している女医に喉を切られて撃退されたのですが(あの場面では喉を掻っ切られたような感じなので死んだと思ってた)、二年後、アフガニスタンから出国するためにカブール空港まで来た女医を発見し、あのときの恨みを晴らそうと拉致します。

 そのことを知った中尉殿は居ても立っても居られず、中佐殿になんとか無理を言って、四人編成部隊で夜中に女医が拉致されているタリバンが潜むビルに潜入します。

 このビル潜入場面について、女医救出も淡々と終わる感じなのですが、それがリアルなんかもしれないけど、最後の見どころでもあるので、ここをもうちょっと膨らみを持たせていればなとは思いました。中尉殿と、女医に喉を切られたタリバンのおっさんとのタイマンバトルとかあれば、尚よかったのに。

 そうそう、この突入場面、映画『ゼロ・ダーク・サーティ』における、ビン・ラディンの隠れ家への乗り込み場面を思い出しましたね。

 中尉殿の4時間の休憩中に、民間人を装って(外国の軍は空港内のみでの活動を認められているため)空港の外に出て、勤務先の病院でウダウダしている女医(診療所が破壊されたために病院へ転職した模様)を救出という展開の方が面白くなったような気はします。一応、実際にあった作戦を基にしているということもあったり、軍の協力もあったりで、事実とかなり逸脱した展開はできなかったんだろうけど。

 ハンガリー政府やハンガリー軍が協力しているからか、ハンガリー軍は現場でも人道的な判断で動くことがあるという描写がプロパガンダっぽく見えたりするのは内緒。というか、ハンガリー軍との対比で、英国軍はそういう判断で動かないという場面があるのですが、実際には英国軍の方が戦場では正解だと思うんですよね。

 映画の内容自体は置いといて(置いとくなw)、登場人物としての中尉殿も指揮官(多分)の中佐殿も渋みがあってよかった。というか、演じられた俳優さんがよかったのでしょう。主人公の中尉殿はガボール・ヤスベレーニ、中佐殿はタマーシュ・ボロヴィチというお名前です。

 中尉殿、中佐殿と書いているのは、字幕がそうなっていたからです(笑)。

オデュッセイア

ボーンシリーズではありません。

グランドシネマサンシャイン池袋(IMAXレーザーGT)にて鑑賞

 原題は『THE ODYSSEY』で、イングヴェイ様がジョー・リン・ターナーをボーカルに迎え、Yngwie J. Malmsteen's Rising Force名義で出したアルバムタイトル、ではなく(あのアルバムには「THE」という定冠詞が付いてなかったですね)、古代ギリシャの詩人ホメーロス作とされる長編叙事詩のタイトルそのままです。まぁ、それが原作ですからね。

 グーグル様によりますと、「長く波乱に富んだ冒険の旅」や「知的・精神的な遍歴」という意味もあるようです。勿論、原作から派生した意味ですね。

 私はクリストファー・ノーランという映画監督は好きでも嫌いでもなく、アクションを撮るのが下手な人だなぁという印象が強いだけの興味がない方なので(そもそも、誰が映画を監督しているのかなんてものには無頓着なもので)、予告編を観ていても惹かれるものがなかったことからスルーしようとしてたんですよ。

 で、観る予定もないので、SNSでネタバレ上等な投稿が流れたきたのをそのまま何気に読んだら、なんと怪物とかが出てきて戦う場面があると言うじゃないですか。ちょっとビックリして、それもレイ・ハリーハウゼンが撮っていた、ああいう神話系のお話っぽいとも書かれていて、こ、こ、これは観るしかないんじゃないのか、ということで観に行ったのです。

 しかも、本作はIMAX専用のカメラで撮影しているとかなんとかで、これならIMAXで観るしかねぇべなっていうことでIMAXの上映館を選択。一年半以上振りのIMAXなのですよ。

 というか、なんかね、クリストファー・ノーランのファンって、ハッキリ言って悪い意味で信者化している人が多く、個人的にはIMAXじゃなくてもよかったんですが、IMAXで観てないやんけって言われそうなのを見越したうえでの選択なのです。

 前段が長くなりましたが、本作の感想に移ります。冗長で大味だったかな。その割には外連味は足りないし。でも、3時間近くあるのに、意外と退屈とまではいかなかったです。テンポもよかったとは思えないのに。これはちょっくら不思議。

 戦争で木馬作戦という禁じ手を使ってPTSDになってしまったオデュッセウスが国へ帰還しようとするお話を、時系列とか若干いじったり、配偶者・息子パートを挟んだり、場面転換をゴニョゴニョして大仰に見せているだけって言えばそのとおりな映画でしたね。

 PTSDになってたのが原因か不明ですが、オデュッセウスの判断ミス連発で、それだけではないにしろ、最終的に兵士は全滅しちゃったりしております。なんてこったい。

 期待していた怪物とのバトル、なんていうものはほぼなかったのですが、サイクロプスとの羊さんを交えた鬼ごっことか、甲冑を着たタイタン(巨人族)との追いかけっことか、魔女が人を豚にクリエイトするところとか、冥界から復活のゾンビ兵団等々、面白い部分はちょこちょことありつつも点在的なので、全体としてはそんなに面白さが底上げされることはなかったですね。

 ラストバトルも折角のマット・デイモン起用なのに、バットマン三部作と同様にバトルアクションの撮り方が下手過ぎて迫力も緊張感もなく終わったのは残念。ロバート・パティンソンもトム・ホランドも居たのに勿体ない、本当に勿体ない。ここさえよければもっと私は面白く楽しめたのに……。

 余談ですが、私が鑑賞したのは月曜日という平日の真っ昼間の上映回で、グランドシネマサンシャイン池袋のIMAX専用であるシアター12に於いてでした。シアター12は538+(4)という席数なのですが、目視でですが9割ちょっとくらい埋まってました。何度も書きますが、月曜日という平日の真っ昼間ですよ。年齢層も幅広かったです。お前ら、働けよ、学校行けよ、バイトしろよって思いましたね。

 また、グランドシネマサンシャイン池袋では観客が多かったときは、前方の席の方から退出してもらうという規制退場という制度を設けていて、私の今回の座席はかなり後方だったので、上映が終わってから15分くらい経ってやっと出ることができるという程の盛況振りでした。ほんまに、働けよ、学校行けよ、バイトしろよって、ここでも思いましたね(笑)。

スワロウテイル 4Kリマスター

名作認定されていますがdisっちゃってますね。

グランドシネマサンシャイン池袋にて鑑賞

 私でも知ってるくらいに有名で、公開当時(1996年)は主題歌がかなり売れていたという記憶があります。今回、4Kリマスターでリバイバル上映されるということで、初めての鑑賞となりました。

 架空の都市でバンドを組んで頑張るというお話かと思っていたら(思い込む私が悪いのです)、全然そんなことはなかったぜっていう映画で、ちょっと思ってたのと違うので面食らったというのもありますが、付いていけなかったかな、私は。

 日本語と英語と中国語(北京語?上海語?)がチャンポンされていたりで、それらが普通に会話として言葉として街中で聞こえてくるのは今の日本みたいですし、移民問題も30年前に今の状況を知ってるんかっていうくらいに先取りして描写しているのは先見の明があるというか。それには驚きです。

 伊藤歩さん演じるアゲハという少女が一応中心ではありつつも全体としては群像劇なんだけど、テンポの悪さでグダグダというのもあるのか、登場人物の皆さんが何をしたいのかさっぱりイミフということが、もうね、退屈だったというか。

 アゲハが拗らせてからダラダラなお話が更に怪しくグラつき、桃井かおりさん演じる週刊誌の記者が出てきてからは、なんでか分かりませんが、登場人物全員がアホの子化してしまったかなと。

 世界観とか設定みたいなものは好みだし、よくそれを再現してるなとは思うものの、物語の流れと紡ぎ方が壊滅的なので勿体ないというか。

 バンド演奏というかライブハウスのところは面白かったです。ほんまにこの路線で作ってくれたらなぁと残念に思うばかりです。フェイホンじゃなくて本城裕二(中身は三上博史さん)として出してもよかったのにと思ってしまいました(笑)。

 渡部篤郎さん演じるランという登場人物は結構おいしい立ち位置だったかなと。三上博史さんはトップビリングでありながらも、中心人物という立ち位置でもなく、お話しの展開に抗えずに流されるままで(それは意図的だろうけど)お亡くなりになるという身も蓋もないような役に比べたら……。

バックルームズ

脳はバグるのだろうか

グランドシネマサンシャイン池袋にて鑑賞

 原題は『Backrooms』で、意味をグーグル様にて検索したところ、「現実世界から誤って壁抜けして迷い込んでしまう、終わりのない黄色い部屋や不気味な廊下が続く架空の未知の異空間(都市伝説)」という返答をいただきました。隠し部屋とかっていう意味もあったかと思います。日本では単に奥の部屋(控室とか物置部屋とか)という意味でも使われてますよね。

 予告編は何度も映画館で観ていたものの、そんなに触手は動かずだったのですが(だって同じ場所でウダウダするだけのお話だと思ったんだもん)、SNSで評判がよかったことから観に行ってきました。

 ファウンド・フッテージの短編を集めた映画『V/H/S』シリーズの雰囲気があり(POV場面も結構ありますし)、映画『グレイヴ・エンカウンターズ』と似たような形というか、あれからホラー成分を抜いて、より高品質にしたものと言いましょうか(こんなん書いたら怒られるでw)。これら二つの映画の要素を混ぜたような印象の映画でした。

 時代設定は1990年6月~1996年(だったかな)頃です。ということもあってか、劇中内での撮影にはビデオカメラが用いられているのですが、それで余計に『V/H/S』シリーズの雰囲気を感じているのかもしれません。

 脳がバグる、っていうほどではなかったものの、大変楽しめました。つか、脳がバグるというような映画ではなかったような。ジャンプスケア的な箇所もあるにはありますが、そんなに驚くとか怖いとかいう映画ではありません。

 誰かと色々と語り合いたくなる映画ではありますね。あれはどうなんだろうとか、結局あれはなんやったんやろうかとか。正解というか答えはないかもですが。

 制作陣はバックルームの設定を明確には作り込んでないように思うけど、そのせいで不気味さは増してるかも。今回はそれがうまく作用したような気がします。得体の知れなさが増幅されているというか。

 バックルームは質量その他は現世と同じ構造なんだけど、人の記憶や想像の産物で構成された空間ということなのかな(電気代の請求は現世の家主へw)。劇中で言われる犬の例えがよかったですね。「犬を見たことない人に、犬の特徴だけを教えて絵を書かせた」ような感じというね。

 誰かが(神の手みたいな存在)現世を見様見真似で作ったものが、現世と一部接点を持ってしまったということも言えるかも。人の思念の劣化コピーというか。漫画『ベルセルク』の深淵の神みたいなもんに似ているのかも。

 劇中で「async」という言葉が出てくるのですが、非対称性というか非同期処理ということで、自分の気持ちにケリを付けられなかった感情の淀みが、只々時間だけが過ぎ去って行ったことにより、ある場所へと溜まり溜まった空間がバックルームになった、ということなのかもしれません。MRI(磁気共鳴画像法)装置の会社が発見したという設定みたいなので、共鳴という現象も関係しているという示唆かな。

 バックルームに閉じ込められても、得体の知れないおっさんの脂肪は食べたくないっすよね(笑)。よく食べる気になったよな(食べたよな)というか、よく食べられるものだと分かったよなと鑑賞していて思いました。なんか、甘い香りというか、ええ匂いでもすんのかな。というか、これって人間含む生物はバックルームは正常にコピー(若しくは生成)できないっていう暗喩ですよね。

 女性の精神科医役を演じたレナーテ・レインスヴェを何かの映画で最近お見掛けしたよなとずっと思っていたのですが、映画『センチメンタル・バリュー』に出ておられました。あの映画より少し細身になった印象ですね。

 不幸(?)にもバックルームの出入口ができてしまう家具店を経営するクラークを演じるキウェテル・イジョフォーとは、今年は『サンキュー、チャック』と『エレノアってグレイト。』に続き、三回目の映画館での遭遇となりました。

 エンドロールの後の映像がいいというか、この内容で展開してもよかったような気はします(もろ『V/H/S』シリーズの一遍みたいですけどねw)。つか、そっちの方を私は観たいっす。そして、このバックルームの中にターミネーターを放り込んでみたいんですよ。そういう映画が観たいんですよ、私は。

 本作の監督であるケイン・パーソンズがYouTubeに投稿した動画を基に、今回長編映画化されたということですが、世界観や設定等を引き継いではいないようではあります。そうそう、ゲームの『Wizardry』っぽいなとも思いました。

 それから、家具店バイトのキャットを演じたルキタ・マックスウェルさんですが、なんか20代のときの上野樹里さんに似ているなぁと鑑賞中ずっと思っておりました。

ナイトシフト

夜勤って大変っすよね

ユーロスペースにて鑑賞

 国内劇場初公開(4K修復版)。原題は『NIGHTSHIFT』で、直訳すると「夜間勤務」という意味ですね。

 米国のバンドであるイーグルスの名曲「ホテル・カリフォルニア」(作曲はドン・フェルダー)を映画にしたらこんな感じなんかなと、ぼんやりと映画を観ながら思っておりました。

 24時間営業のホテルの夜間受付の人がメインではあるのですが、朝食用(?)のパンをラップで包むのと掃除しかしてないような。受付の電話に出るときに「受付です」というセリフしか言ってなかったような。あとは相槌程度かな。ちゃんと仕事せーよとばかり思っておりましたよ(笑)。

 色々な客は来るけど、客同士のすれ違いはあっても絡むのはナシでした。客同士はともかく、もうちょっと受付の人と客が絡んでもいいんじゃねと思いつつ、おそらく受付の人と客とは世界が異なる(住む世界というよりも存在している世界かな)という意味を持たせたかったのでしょうから、大きく絡んでは本作的にはあかんのでしょうね。

 大きなお話とかはなく、客が勝手にやって来て、勝手に部屋に行ったり暴れたり演奏したりするという、そんな細かい出来事が連なっているだけの、ホテルの一夜が明けるまでのお話。

 ほぼ場面もホテルの受付周辺のみです。最後の方でホテルの室内とか、一階部分とか、外の風景とかが映し出されたりしますが、その程度です。そういう点からもあんまし予算は掛かってなさそうというところから、学生映画っぽい印象も受けました。

 最後は朝焼けの中をなんか窓ガラス拭き拭きしたり、自分の顔も洗剤(多分窓ガラス用)で拭き拭きでメイクを落としたりして(余所行きの自分から素の自分に戻るというメタファーだと思われ)、なんか清々しく終わったような。まぁ、本作は別に暗い映画ではないので唐突感はないけど。

 本作も関西テレビの深夜枠で放送されてそうな映画というか。そんな印象です。