悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2026©りょんりょん) ※(主に)映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。ごめんなさい。

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ムカデ人間4K

つ・な・げ・て・み・た・い

シネマート新宿にて鑑賞

 原題は『The Human Centipede (First Sequence)』、直訳すると「ムカデ人間(最初の配列)」となりますでしょうか。あ、当初から三部作とかで作る気やったんかな。

 昭和の時代に公開されていたとしたら、邦題は『人間ムカデ』ってなってたろうなと思ったり。

 映画館で観たのは2011年7月に公開されたとき以来の二回目です(前回はシネ・リーブル梅田、今のテアトル梅田ですね、だったような)。タイトルほど本編内容は奇抜ではなく、丁寧に手堅く作られているのに驚いた記憶がありますし、今回改めて観て、やっぱり丁寧に手堅く作られているなと思いました。

 ディーター・ラーザー演じる超短期な変態であるヨーゼフ・ハイター博士や、北村昭博さん演じる日本人ヤクザのカツロー(ムカデ人間のリーダーでもあるw)の二人の個性が強烈過ぎて、そんな二人に比べるとキャラ的にはかなり薄い女性二人の性格みたいなものの描写を序盤に差し込んでいる辺りも、丁寧な作りの現れではないかと思います。

 また、抑えた演出(あの二人は突出してるけどねw)や、冷たくて青白い画面の雰囲気(これは4K化で印象度がアップしたかも)はかなり好き。昔の東欧映画の残滓みたいなものを感じたりもしました。

 終盤に登場する刑事二人の雰囲気もグッド。最後のプールでの撃ち合いはなかなか芸術点が高いと思います。お洒落映画のラストかよなんて思ったり、なんかフィルム・ノワール的な雰囲気でもありました。

 ただ、刑事二人、見た目や雰囲気は抜群なのに、なんか小走りしていたり銃を持って部屋の中を探索する姿がバタバタしているというか刑事に見えなくて、これは今回の発見でしたね……。あの二人の刑事を主役にしたスピンオフ映画を作ってくれないかなと初公開時に思った記憶がありますが、別に作らなくてよかったかな……。

 ハイター博士やカツローのキャラが飛び抜けていて、肝心のムカデ人間のインパクトが相対的に薄くなっているのは本作最大の欠点かもしれません(笑)。それがメインのはずなのに。これはトム・シックス監督の誤算でしょう。でも、そのお陰で本作が高く評価されたということではあるので痛し痒しかな。

 時折りゴダールっぽい文法を使おうとしてるのは微笑ましいというか。既に一般的な映画文法(技法)の一つになっているからだとは思うので、そもそもゴダールからの直接の影響かどうかは分かりませんが。

 カツローが自害するのは謎というか理由はなんとなく分かるけど(人として死にたい)、あの場面や状況でそうなるの?とは思いました。キリスト教的な教えみたいなものなのかなとも思いつつ(殉教とか)。

 多分、あのセリフは元々カツローのセリフではなかったのだと思います。当初、先頭の役は別の俳優さん(おそらく欧米人)で、その人が来られなくなり急遽北村昭博さんに変わったそうです。ですから、元々最初の先頭キャラ向けに用意されていたセリフをカツローに変わってもそのまま流用したのでしょう。日本人ヤクザでキリスト教信者というのがいないわけではないでしょうけど、それまでのキャラ付けも含めてちょいっとミスマッチになっていましたね。バッサリカットするか変更した方がよかったなとは思います。

 地下からムカデ人間の皆さんが階段を昇る場面は本当に大変そうでしたが、ハイター博士はどうやって今まで外に連れ出していたんだろうか(そして地下室に連れ戻していたんだろうか)と疑問に思うと、ずっとそのことが頭にこびり付いてしまいました。

 この『ムカデ人間』シリーズは第二作目も第三作目も面白いので、本作を気に入られた方でまだ鑑賞されていない方にはオススメです。第二作目は刺激がかなり強いですが。

 もし、ムカデ人間にされるとしたら(されたくない)、つ・な・げ・て・み・た・いをされてしまったら(されたくない)、先頭がいいですね。というか、先頭一択ですよね。

 人は何故つながりたいと思うのか。それは本作を観れば分かります(分かりませんw)。

レディ・オア・ノット2

イライラジャ・ウッド

TOHOシネマズ新宿にて鑑賞

 原題は『Ready or Not 2: Here I Come』で、Google様にお訊ねしたところ、かくれんぼ(ハイド・アンド・シーク)で言うところのかくれんぼの「もういいかい?」のあとの「もういいよ、行くよ(Ready or not, here I come!)」という意味だそうです。前作のゲームにかけているわけですね、タイトルを。

 本作の予告編は面白そうだったので、予習のために前作を観るも好みではなく、かなりの不安を抱いたままだったのですが、面白そうだという自分の直感を信じて突撃したのです。

 私は自分の直感を信じたことを後悔しているというか、間違っていたことを素直に認めます。泣ける。

 本作は前作が終わった直後から開始です。で、前作同様に本作もグダグダです。主人公達は巻き込まれ系で、特に何かを積極的にすることなく進むのも前作同様です。

 今回は主人公枠を姉妹(二人体制)にしたけど、ずっと姉妹喧嘩ばかりというのもあって、これまたグダグダ。主人公姉妹が覚悟も決めず(特に姉)、観ていてイライラ。

 敵側も同じくグダグダ。色々とキャラを揃えているけど連動性があまりないというか。もうちっと連動させてもよかったんじゃないでしょうかね~。

 終盤間近で、ほぼ殺さ不でやってきた主人公がやっとショットガンで殺しまくりの反撃モードで面白くなるかと思ったら、あっという間にそのターンも終わりヘタレモードに。それならずっと直接の殺しはしないまま押し通せばよかったのに(前作でどうだったかはもう忘れております)。

 最後は一族や幹部やサタン教?の信者の皆さんが主席の座を巡って骨肉の争いをして、みんな揃って時間切れで爆発。この人体爆発だけは前作同様よかったですね。

 元々続編は考えられてなかったというのが分かってしまうほどの後付け設定の接続の悪さも問題かな。また、続編を作りそうな気はするけど……。もう3が作られても観に行くことはないでしょうね。

 前作が好きな人は同じようなノリが若干スケールアップしているので楽しめるかも。私は合いませんでした。

マーターズ 4Kデジタルリマスター

ネタバレに殉教しています。

シネマート新宿にて鑑賞

 原題はフランス語で『Martyrs』、日本語に訳すと「殉教者達」という意味だそうです。

 1971年(のフランスなのかな)、危機管理能力のない、とある言葉を追い求めるカルト集団は、若い女性を拉致して監禁し暴力等で苦しみを与えて殉教者に仕立て上げる実験をしていたが、少女であるリュシーを担当者のポカから逃してしまう。

 リュシーはそのときに別の女性が囚えれているのを見掛けるが、助けることはできずにいたことをずっと後悔していた。

 リュシーはその後に修道院?に保護され、同室の同年代のアンナと仲良くなる。

 15年後(多分1986年頃)、リュシーは自分を監禁していた女性を新聞記事で発見し、ショットガン片手に家に乗り込み、女性を含め家族全員(配偶者、息子、娘)を撃ち殺す。

 リュシーはその家からアンナが待機している公衆電話に電話を掛ける。アンナはそこまでするとは思ってなかったものの、リュシーを助けに家に向かう。

 復讐を果たして終わりかと思っていたアンナだったが、リュシーの見えない女性(リュシーが逃げるときに見た囚われた女性)に襲われた風を装い自傷炸裂する姿を見て、実は全てリュシーの幻覚かと思っていたら、リュシーは自害して果てる。

 悲しみのあまりなのか、まだ家に居座りウジウジグダグダしていたアンナは、家に地下室があり、そこで女性が監禁されているのを発見。

 その女性を助けて呆けてたら、女性が自害?しようとしたりしてアタフタしているところにカルト集団の皆さんがやってきてアンナは監禁される。

 暴力を振るわれたりして徐々に正気を失っていったアンナは、2年程経って(多分)遂に最終段階に進む(カルト集団としては四人目の快挙らしいw)。

 カルト集団のリーダー(多分)マドモアゼルに、遂にカルト集団が実験を始めてからの初の言葉を告げてアンナは殉教。

 マドモアゼルはカルト集団の皆さんを集め、アンナから聞いた言葉を伝えるという直前に、自ら銃でアボン。というところで映画は終了

 最後のアンナの言葉は多分制作陣は考えていないと思う。観客の想像に任せるのはアリだけど、制作陣側もちゃんと考えておいてはほしいですね。そうじゃないと不誠実だなと。

 カルト集団は悪魔崇拝とも違うようですが(なのでカルト教団ではないと思う)、暴力を伴っての苦痛を乗り越えたあとに別の世界(ウィキペディアでは死後の世界らしい)が見えるらしく、それを見たときの言葉がほしいそうなのですが、今までその境地に到達したのが三人いたが言葉は聞けず。アンナは四人目で遂に言葉をマドモアゼルに告げ、その発表の場に集まるカルト集団の皆さんのwktkな感じの場面はよかったかな。

 マドモアゼルまで殉教しちゃったのは、アンナの言葉は「そんなものはなかった」的なものだったからなのかな。それをカルト集団の皆さんにそのまま伝えるのではなく、絶対に何かが見えるはずという信念のもと、もっと実験に精を出してくれという発破を掛けるためなのか。と考えるも、これはちょっと穿ち過ぎな見方ですね。

 1971年頃のカルト集団はまだ組織の体を成していなかったようですが(だから小さい子供に逃げられたりするのかw)、15年後は一応組織の体は成している風に言ってるけど、ワンオペだったりして危機管理能力はないままな組織というのはお粗末というか。

 テンポが掴み辛かったのと、なんかリュシーがショットガンをぶっ放したあとはずっとどんよりしているだけで退屈だったというか。アンナも殴られてばっかりでしたしね。個人的に衝撃度は低めでした。

8 1/2

映画史に残る名作を退屈だったなんて言っております……、ごめんなさい。

シネマ ブルースタジオにて鑑賞

 原題は『Otto e mezzo』で、イタリア語で「8.5」という意味だそうです。まぁ、直訳の邦題ですね。

 映画監督が撮影のアイデアが沸かず、クランクインを伸ばしながら、妄想、空想、そして過去を回想し、それらが入り乱れつつ、最後は自滅なのか悟りなのか、なんか分からない境地に辿り着いたっていうことでいいのかな。

 監督(フェデリコ・フェリーニ)の頭の中を衒いなく惜しげもなく晒した映画とも言えるかもしれません。

 ウィキペディアで事前に予習がてらあらすじを読んでいたのですが、それでも明確なお話の筋がが見えないというか。全部が虚構とも言えるような雰囲気はありますし。

 「Don’t think,feel.」系な映画でもあるのかなと思います。意味や意図はあるんだろうけど、それを知りたいと思う前に退屈さが障壁になってしまうというか。

 漠然としていてテンポもよくなくて、それもあってか面白さはあまり感じなかったですね。

 数十年振りに観たと思うのですが、カラーだと思い込んでいたけどモノクロでした。私の脳内にあった鮮やかな色合いの『8 1/2』は何処に行ったというのだろうか(笑)。

 北千住のシネマ ブルースタジオは初めて行きました。ちょっと椅子が……。お尻が痛かったです。それと、本作はフィルム上映だと思いますが、フィルムの状態が悪いのか、元々そうだったのか分かりませんが、画面全体がボヤっとしていたように思います。それで余計に退屈に思えたのかも。

オークストリートの異変

ちょこっとdisっちゃってますね。一部ネタバレもあります。

グランドシネマサンシャイン池袋にて鑑賞(Dolby Atmos上映)

 原題は『The End of Oak Street』で、直訳すれば「オークストリートの端っこ」でしょうか。「オークストリートの最後」っていう意味もあるのかも。オークストリートは地名(通りの名称)です。

 恐竜セックスを描写した映画は世界初では。これだけでも本作は価値あると思う(笑)。この場面だけ明らかにテイストが変わる感じですし。余程制作陣はこの場面を入れたかったんでしょう。まぁ、ここで少し険悪になっていた夫婦の仲が戻るみたいな意味はあるんですけどね。それをこの描写でやるかっていうね。

 全体として悪くはないけど興奮するほどでもなかったです。テンポは悪くはないものの、なんか引っ掛かりがなく(上記の恐竜セックス以外)ヌルっと終わった感じです。

 最初の数分は分かり難いのですが、舞台は1982年7月11日以降となっています。勿論スマホとかありませんし、パソコンとかもまだ一般家庭には浸透しておらず、ネット環境なんて何それ?っていう世界観です。なのであっという間に閉鎖空間というか舞台が完成します。ここでの時代設定の説明はうまかったなと思いました。

 人間ドラマと恐竜パニックが分離してたように思いました。周りからは仲のよい家族と見られながらも、夫婦間は離婚間近かと子供にも勘付かれているほどという状況を土台とした人間ドラマの重みがうまく混ざってなかったというか、人間ドラマを層(レイヤー)として配置したいのか、恐竜パニックと融合させたいのかがハッキリしていなかったように見えたというか。ハッキリしていなかったというか、融合させたかったけどできてなくて、層(レイヤー)みたいに見えたというのが適切かもです。

 個人的には凄く子供の存在がノイズになってたかな。ここはもう個人の嗜好なのですが、この程度の描写なら必要なかったんじゃないのかなと思ってしまうのです。恐竜に襲われるという部分での重みみたいなものにもなっていないし。作劇の都合の一番の犠牲者かもしんないですね。

 ユアン君はハンマーでティラノを一瞬KOするけど、隙を突かれてお食事されます。しかし、終盤の展開で事態が発生する少し前に戻った(タイムスリップ)配偶者のデニース(演じるのはアン・ハサウェイ)の機転で復活、というか過去の個体が登場。これはこれで面白いアイデアとは思うものの、ユアン君が失職してピザ配達の仕事をしているという伏線を活かすものとはいえ、なんかモヤモヤもするというか。マルチバース系な感じで好みでないというか。

 騒動が終わったあとのエピローグ的な場面で、恐竜セックスのときにユアン君を被写体として撮影したポラロイドカメラの写真が飾られていたのが、あるタイムライン(劇中で描写されたもの)においてユアン君は家族の前で喰い殺されたのは事実(という表現が適切かは分かんないけど)であるし、家族にはその記憶・感情は残っているという示唆なんだろうけど。

 オークストリートの周辺だけが過去(2億年程前の恐竜さん達がわんさかといた時代)と入れ替わって、偶に出現する光の球がポータルとなって現在(より少しだけ前)に戻れる設定となっており、家族はそれで現代に生還します。生還する前のやり取りはグダグダして鬱陶しかったですけどね。思わず「とっとと飛び込めよ」って口から出てしまいそうになりました。

 デニースは過去に戻ったあと、どうやって住民に危機を電話(コレクトコールw)で報せたのか分かりませんが、連絡を受けた周辺の住民は異変から助け出せた模様。助けた詳細までは制作陣は考えてはなかったのでしょう。

 もっと恐竜との戦いが観たかったというか、現代に恐竜が来た方のバージョンが観たいと思ったあなたには、意外と評判がいい映画『プリミティヴ・ウォー 恐竜戦争』がオススメです。というか、本作を鑑賞後に『プリミティヴ・ウォー 恐竜戦争』をハシゴして鑑賞するという流れがいいんじゃないかなと。

 ちょっとした脅かし場面でも体がピクってなるというか、それよりも一段階上のような驚きをするようになってしまい、もうジャンプスケア映画はあかんようになっているのかなと、個人的なショックを受けましたよ……。本作は別にジャンプスケア映画ってわけでもないんですけどね……。

 ユアン君は本気出したらフォースを使えるはずなんですが、今回はDisney+のドラマ『オビ=ワン・ケノービ』に登場した初期のオビ=ワンみたいにちょっとフォースの使い方を失念していたようです。ライトセーバーも何処かに埋めていたみたいで。残念(違う、そうじゃない)。

開戦前夜

あの話題についても触れております。

テアトル新宿にて鑑賞

 原作は未読、NHKのTVドラマ版も未視聴です(だって家にTVがないんだもの)。

 元々鑑賞予定はなかったのですが、な、なんと三浦貴大さんが出演していることをヒューマントラストシネマ渋谷にて発見というか知り、これは観ないとあかんのかなということで、色々と上映前から話題にもなっていましたし、映画の評判もよい感じだったので突撃してきました。

 TVドラマの再編集版という位置付けだからか、ちょっと長くてダルみも感じて、最後はなんか纏まりに欠けたような印象でした。尻すぼみで終わったみたいな感じというか。史実に沿ったお話なので仕方がないとはいえ、もう少しドラマ寄りな展開を考えてもよかったんじゃないのかなと。総じて悪くはないんですけどね。

 全体的に重厚な雰囲気で、俳優陣の演技はよかったと思いましたよ、素人ながら。仲野太賀さんは特によかったかな。やっぱ、独特のリズムがあって、物語を引っ張っていく力があるなぁと感じました。

 主人公の宇治田洋一を演じた池松壮亮さんですが、あの独特のセリフの喋り方が一人だけ浮いてた感じがあって、かなり気になったというか、劇中の雰囲気に溶け込んでなかったというか。

 で、肝心の三浦貴大さんはそんなにおいしいと言える場面はないものの、一応見せ場的な場面も用意されていたり、思ったよりも画面に映っていて、よかったんじゃないでしょうか。

 本作の根底にある思想としては反戦ですが、当時の国民感情、状況等の描写を入れることで、意図的に思想の幅は確保してたとは思います。

 創作上の人物は別として、登場する実在の人物(故東條英機氏をはじめ当時の内閣の面々とか)を描く部分はちょっと配慮や遠慮はあったかな。

 そして、國村隼さん演じる板倉大道陸軍少将の件で、本作を観てモデルと目される人物の遺族の方が抗議されております。

 本作は一応実話(史実)を基に作られているということから、該当する人物にあたる立場の方が実際におられ、本作で描写される時期も限定的であることから、実在された方を想像するのは容易であり、氏名や階級、役職等を変更したので創作の人物となりますと言っても、それはちょっと無理があるのではないのかなと。

 作中の時期にその立場・役職等に就いた人物が複数いて、それぞれの要素を合体させてというならまだ分かるもののね。300年くらい前の出来事であるとか、完全な創作であるならまた話は別かもですが、80年程前のことで資料等も残っており、該当する人物と直系の遺族の方もおられるという状況では悪手だったかなと。

 本作における板倉大道陸軍少将の造形は、単に作劇の都合によりそうしたってだけですしね。

 國村隼さんが演じられたことについて云々という意味では全くありません。しっかりと演じておられたと思いますし。

はなればなれに 2K修復版

ゴダールとアンナもはなればなれに

シネマリスにて鑑賞(エッセンシャル・ヌーヴェルヴァーグ)

 原題は『Bande à part』で、Google翻訳様にお訪ねしたところ、『放棄されたグループ』という訳だそうです。原作は未読。

 どうして『はなればなれに』という邦題になったのかですが、おそらく最後の方の劇中でのセリフ(「なんちゃらセパレート」って言ってました)から拝借したものと思われます。直訳よりかは分かりやすいか……。

 私は初見のつもりで鑑賞に臨みましたが、観たことあるような、覚えている場面とかは結構あったので、多分以前に観たことはあったんじゃないのかなとは思います。いつも、どんな映画でも、内容とか場面を忘れるのは私にとってはデフォですからね……。

 メインキャストの三人がカフェで踊る場面は有名ですよね。色々な映画でパクっ、あ、いや、その、オマージュされたりしてますもんね。

 劇中ではカフェでいきなり踊ることになるのですが、チェンジ・オブ・ペースみたいな意味以外はないかなと思います。無理にあの場面がどうだったとか考え込まなくていいと思いますよ。あ、三人がどう思っているのかという説明の背景としてちょっと引っ掛かる画面というか映えが必要だったからか。

 ゴダールの映画としてはサラっとしてるかもって印象です。他のゴダールの映画と比べて、映画が時間を刻む間をあまり引っ掛かりなく作ってるなと思ったのです。これって、ゴダールのコアなファンには物足りないのではと考えたんですが、でも本作はゴダールの映画の中でも人気作ですよね。お話はまぁ比較的分かりやすいからかな。

 犯罪映画の割には牧歌的で緊迫感とかはありません。そこがクライム映画とかサスペンス映画を求める人には魅力的には映らない要素でしょう。

 アンナ・カリーナ演じるオディールを幼く描き過ぎていて、御伽噺のようにも思えてしまうのですが、そこまで狙ってはないとは思いますね。でも、ウィキペディアによるとゴダールは「不思議の国のアリス・ミーツ・フランツ・カフカ」と言ってたそうなので、幼く描いたというのは意図的だったかもしれません。

 時折りメインキャスト三人を一緒くたの一人の人間にしたような風に描写してるかなと感じました。意図は分かりませんが、一蓮托生の人生を歩むことになったというお知らせというか、表現ではないかなと。

 テンポは流れるようにいいです。そして、意外と狭い行動範囲の中で動く映画です。でもね、躍動感はあるんですよね。皆さん、よく走るし(自動車も走るw)。ルーブル美術館タイムアタックとかもしてますからね(当時の記録を2秒縮めて更新w)。

 カッコ()で閉じられる部分を語るという演出は好き。ただ、本作ではあまりそういうのが出てこず。前述のようにサラっとしているという印象はこういうところから感じています。

女と男のいる舗道 4K修復版

アンナとゴダールのいる舗道

シネマリスにて鑑賞(エッセンシャル・ヌーヴェルヴァーグ)

 原題は『Vivre sa vie: Film en douze tableaux』で、Google翻訳様に確認いただいたところ、<人生を生きる:12のシーンで綴る映画>という訳になるそうです。その原題のとおり、本作は12のシーン(章立て)に分かれて主人公の晩年の人生が綴られる映画です。晩年と書きましたが、主人公は22歳くらいの設定です。

 邦題が原題からかなり離れたものになっているのは、主人公が娼婦という職業に就き、路上で男性を誘う又は誘われるという描写があるからかもしれません。原題のままだったら、確かに日本人にはあまり引っ掛からないかもですしね。

 一人の女性が流されるがままに娼婦になり、ヒモ?の男に反社に売られて銃で撃たれて死ぬお話。舞台女優に憧れるけど、今後の人生というものに対し主体性があまりない女性が娼婦になり転落していく(娼婦という職業が云々という意味ではありません)人生模様を描いた映画でしょうか。

 主人公に寄り添ってるようで、実際には突き放してるとまでは言わないけど、距離を置いて描かれているように感じました。

 そのためなのか主人公の心情がよく分からないというか、人物描写については情感みたいなものは削ぎに削いだような映画という感じで、そこにゴダール特有の即興的なカットが入ったりするのでややこしくなっているというか、どう捉えていいのか迷うというか。難解ではなく、単に伝えたいことがブレてややこしくなっているという形です(ゴダールの映画にこんなことを言ったらシネフィルから……)。

 ゴダールの映画って、主な登場人物に関しては主人公以外でも結構描くことが多いように思うのですが、本作は主人公一人に注力して描写しています。珍しいような。それもあってなのか、余計にどう受け止めていいのかという観客側としての気持ちが際立つのかも。(と書いていますが、映画によりけりですね……)

 テンポは悪いと思いつつ、章仕立てっぽくしているからか流れるように進むので、あっという間に終わった感じです。主人公の呆気ない殺され方も相俟って(唐突のFINだしw)そう感じたのかな。

 先に書いたように主人公の感情は遠くに感じるのに、映画そのものは音楽も使ってエモーショナルに訴えかけてくる感じがあって、情感スイッチみたいなもののオンオフがかなり激しくなったり。そこを狙ったのかな、ゴダールは。そのせめぎ合いを感じろってことなんかな。

 モノクロの映像によるパリの憂鬱さが、映画全体のエモーショナルさにマッチしてるというか、より効果的となった結果、逆に主人公への距離感がより際立つというか。そこまで計算はしてないとは思うけど。

 主人公が銃で撃ち殺されて、それにビビった主人公を反社に売ったヒモ?の男が車で逃げようとする場面がかなりもたついているんだけど、そのままOKテイクにしてしまうというのはゴダールらしいと言えども、あれはちょっと最後の最後でキレをなくすような形になっていたと思いますよ。それも人生、ということなんかな。

女は女である 4K修復版

ゴダールはゴダールである

シネマリスにて鑑賞(エッセンシャル・ヌーヴェルヴァーグ)

 原題は『Une femme est une femme;』で、Googleさんに翻訳を依頼したら、邦題のままを返されました(笑)。

 ゴダールが乙女心を描くとは(笑)。ただ視点が途中で若干男性寄りになったりや、男性にとって都合のいい解釈に落ち着こうとするのは、ゴダールが男性ということも影響しているのかな。まぁ、これは仕方がないよね。

 序盤は主人公にだけ注力して描くのかと思ったけど、上記のように男性側もちょっと描かれるようになって(というか、ゴダールとジャン=ポール・ベルモンドのコンビによるちょっとした想定外の産物を詰め込んだのかなと思う)、その副作用からか意外と映画全体としては物語風になってかな。

 テンポは凄くよかった。サラサラと進んでいく感じ。第四の壁を何回も突破してくるけど、それもいいアクセントになっていると思います。

 本作も即興的な部分は多いとは思いますが、映画『勝手にしやがれ』と比べるとそういう部分は減っているように思え、作劇に比重を傾けたというか、舞台劇を映画にしてみたという感じかな。

 おそらく、ゴダールの頭の中では全体設計はしっかりとできていて、だからこそ、それを壊したり、修正したり、チャチャ入れたりなんていうことができるんだと思います。

 なんていうか、映画を作ることを凄く楽しんでいる様子が伺えるというか。どう映画という土台を活かしながら、映画という文法を壊してやろうか、というのをほくそ笑みながら作っている感じが凄くします。

 本作は喜劇(コメディ)であり、ミュージカルであるそうですが、ミュージカルを小馬鹿にしてるだろ(笑)。

レディ・オア・ノット

続編は面白そうなのですが……

Disney+にて鑑賞

 2026年(令和8年)8月14日(金)から公開される映画『レディ・オア・ノット2』の予告編を映画館で観て、これは面白いかもしれないと思い、前作があるということで慌てて鑑賞しました。

 家族を夢見て依存しかけている、結婚により脳内お花畑になった主人公が、配偶者側の富豪一族の家族の都合に付き合わされるお話。

 作劇の都合全開で乗れず。開始20分くらいで主人公がしっかりと向き合って戦ってくれないと飽きるというかダレる。今回の主人公はほぼ逃げ回ってばかりだし。

 ハッキリ言ってスカっとしないので、イライラというか不満が溜まりますね。

 配偶者がずっと主人公を助ける側だったのに、最後に裏切って儀式の生贄にしようとするのが意味不明というか、そこの変貌というか心変わりを描いていないのはかなりお間抜け。過去の事件(おばさんの配偶者の件)をトラウマというか、大人になってから後悔しているのは兄の方だけど、それと関係があるのかどうか。

 富豪一族は曽祖父(主人公の配偶者からしたら高祖父にあたるのかな)がおそらく悪魔(劇中ではサタンと呼んでいる)から貰った箱の謎を解き明かしたことで大富豪になれたが、それを継続し、一族の誰かが結婚により外部から他人を一族に迎え入れるときは箱が提示するゲームをしないといけないという定めが。それをしないと一族(というか直系の血族かな)全員お亡くなりになるという呪いみたいなものが。

 主人公はかくれんぼ(HIDE AND SEEK)のカードを引いてしまうが、それは富豪一族が鬼となって大豪邸に隠れた主人公を夜明けまでに探し出し儀式のうえで殺すというもの。一応主人公は生きて捕獲して儀式をする必要はあるんだけど、殺しても仕方がないというルール。

 この儀式に主人公が勝つと一族は爆死するということで必死に主人公を殺そうと使用人も含めて(使用人は爆死の範囲外だろうにw)頑張りますが、主人公が勝ったので(逃げ切ったというかタイムアップで)富豪一族はやっぱり爆死という形で映画は終了です。この爆死場面はよかったですね。

 なんか、続編が凄く不安なんですが。予告編からは結構主人公は戦っているように思えるので、本作よりかはマシかなと思いつつ、観に行くかどうか迷う気持ちがかなり強めに出てきてしまいました。

 主人公を演じたサマラ・ウィーヴィングは、同じく俳優のヒューゴ・ウィーヴィングの姪なんですね。凄く目力がある俳優さんという印象です。

プリミティヴ・ウォー 恐竜戦争

私はミスはしない……

ヒューマントラストシネマ渋谷にて鑑賞

 制作陣の作りたいように作れたんだろうけど、色々と詰め込み過ぎているのに、それを取り纏めようとしていない(できていない)ので、テンポも悪くなってるし、要らない場面やキャラも沢山だし、そのせいか見せ場となる場面もぼやけてしまうという残念な結果に。

 恐竜のVFXとか頑張ってるのはかなり伝わるんですよ。序盤は暗くてよく見えないっていうのがあって、低予算を誤魔化しているのかなと思っていたら、中盤から結構明るい場面でも出まくりだし、人間様を啄むしで、なかなかよかったんですよ。これだけやってるんやから、下手な人間模様なんて要らないんですよ。お偉いさんにはそれが分からないんですよ。

 観客の視点を分散させたりしても(三場面疑似同時進行)、結局一つの視点であるソ連の傭兵関係の描写はおざなりになってるし、そのせいでソ連の傭兵関係に道案内人として付き添ったベトナム現地女性の米軍への恨みも空振りな描写になってしまったりね。だから、できないことは省いていこうよ。

 最初の目的地(だったかな)である第四研究所にもっと早く到着する展開にしてたらね。そこで恐竜さん達と戯れたりしてるんやから、それをしっかりと見せる展開に注力したらいいのに。

 最終目的地となるソ連のタイムリープ研究所(?)でのティラノサウルスを筆頭とした怒涛の恐竜さん達との激闘、その後の米軍の救助部隊と恐竜の群れとの銃撃戦とか、折角迫力ある場面や展開を用意してんだから、そこに至る流れをテンポよく流して、それを見せればいいのにとね。

 主人公の部隊とか米軍とかソ連軍とか、行動原理がよく分からないというか、作劇の都合で振り回されているだけなので、なんか引っ掛かりというよりも矛盾してないか?と思う流れが多数で、そういうのを描けないのなら引き算していこうよと思うのですよ。

 プリミティブ(primitive)は、原始的とか初歩的という意味だそうで、原始的な戦いというのが直訳したタイトルかな。

 一応、世界は恐竜で溢れそうになっているっていう形で終わります。

四十九 - SEEK

期待していただけにちょっとね……。

kino cinéma新宿にて鑑賞

 忍びの者だからか、空気のように存在感がなくなる主人公。画面には映ってるのに。セリフとか喋ってるのに。しっかりと戦っているのに。どうしてだろう。そこまでして忍ばんでいいのに。

 制作陣のキャパを超えて色々しようとして失敗しているというパターンでした。アクションは頑張ってるけど、撮り方や見せ方含めてもうちょい考えてほしかったかな。

 要らないキャラが多いと思ったけど、キャラを活かせていなかったっていうのが正しい言い方かもしれません。

 四十九という組織の人達に緊張感が全くないっていうのもどうなんだろう。そういう描き方をしたかったわけじゃないですよね。

 そして、四十九のメンバーって弱いよねっていう描き方もあかんような。組織のエースとその元相棒が二人掛かりでやっと倒せる敵が普通にいたりとか(そいつはラスボスでもないしw)。そういったパワーバランスを俯瞰して考えられていないというか。なので物語に起伏も出ないというか。

 本作でも菜葉菜さんにお会いするとは。最近、予告編とかも含めてですが、菜葉菜さんに遭遇する率が高いような気がします。本作ではちょっとアクションもされています。たどたどしいですが、周りは動ける人達なのでしっかりと助けてもらっており、まぁ、なんとか見れるようなものになっていましたが、観客の方がやらかさないかとヒヤヒヤしたと思いますよ(笑)。

 それと、伊能昌幸さんも出ておられました。ちょっと身体の痛みを感じないキャラで。爆死されましたが。強モブですが一応殺し屋っぽい役なので国岡さんが出てきたと一瞬ですが思いました。

 英語と日本語ミックスなのはコスギブラザーズの事情なのかな。それやったら、ケイン・コスギさんの役を外国人という設定にすればいいのに。菜葉菜さんも棒読み英語を話さなくて済んだのに。ケイン・コスギさんは英語、菜葉菜さんは日本語でっていう形でもよかったと思う。

 撮影時期的には映画『NINJA WARS ~BLACKFOX VS SHOGUN'S NINJA~』と同じかなとは思うけど、あちらの映画ではケイン・コスギさんはカタコトっぽくなりながらもなんとか日本語を頑張っていたけど、弟(シェイン・コスギさん)が監督している本作では頑張らへんかったんかなと(笑)。

 続編の予告がエンドロール後に特報として流れるんですが、本作よりお金掛かってる感じで面白そう。あ、面白いかどうかは分からないか(笑)。つか、続編も元々予定されていたんだろうに、ケイン・コスギさんを本作のみで退場させてよかったんだろうか。

 こういうアクション映画はどんどんと作ってほしいけど、日本が制作に関わるとなんか碌でもないものになる確率が高い印象が強く、かなり悲しいですね。低予算が多いからなのかな。

 それと、こういうアクション映画を日本で作るなら、宮原華音さんを是非メインでキャスティングしていただきたい。

スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ

私が手放しに褒めるなんて滅多にないですよ!!!

新宿ピカデリーにて鑑賞

 MCU(厳密にはちょっと違うけどw)がここにきて凄い傑作を放り込んできたなと。最近の映画の出来はちょっとねって感じだったMCUにとってのブランド・ニュー・デイだわ、これは。スパイダーマンという立ち位置だからできたのかもしれないですけどね。

 物語の中でしっかり活きるアクション、緩急のついたテンポ、セリフで語る部分と表情や動きで語る部分の適材適所への配置、物語が暗くなり過ぎずに適度なコメディ成分をまぶしたりと、これらの要素のどれもが奇跡的に融合した感じというか。勿論、意図しての計画的実行だったんだろうけど、これはもう大成功でしょう。

 終わり方もネッドはピーターを思い出したのかなっていう含みを持たせて(ネッドを演じたジェイコブ・バタロンは皆さんの解釈に任せると答えています)、それが劇中のピーターにとっても、我々観客にとっても希望として終幕するのも綺麗な畳み方だなと。誰がこんな傑作にしろって言ったんだよ、ったくよぉ(笑)。

 局長(長官)は最初から怪しかったよね。こういう分かりやすさも大事だと思うし、本作のバランス感覚のいいところだと思います。

 パニッシャー(フランク・キャッスル、演じるのはジョン・バーンサル)をコメディリリーフ的な使い方にして、ハルクとも戦わせ、最後にとんでもないことをしてしまった彼に対しても精神的な救済まで配慮して描いてたりと、MCUのパニッシャーのファンにはDisney+の『パニッシャー:ワン・ラスト・キル』と併せて本作も観るととてもいいかもしれません。

 えっと、Disney+の『デアデビル:ボーン・アゲイン』シーズン2は観てなくてもいいです。

 まさか、ジーン・グレイが登場してくるとは(最初は敵で、最終的には救い出す対象に)。ということは、映画『アベンジャーズ/ドゥームズデイ』でのX-MEN達との絡みはスパイディ経由なのかな。って、『アベンジャーズ/ドゥームズデイ』にスパイディって出るんでしたっけ?

 それにプロフェッサーとかマグニートーは出るようですが、演じるのはパトリック・スチュワートとイアン・マッケランなんで、あっちの映画も関係あるのだとすると、本作のジーン・グレイとは年齢的に合わないんですよね。まぁ、あっちの映画も含めるんじゃなくて、というか、ユニバース処理するってことなんかな。

 エンドロール後の映像から推測するに、スパイディの次の現場は宇宙みたいだけど、敵はあの人なんかな。アイアンマンの中の人というか。と考えると『アベンジャーズ/ドゥームズデイ』へ登場しちゃうのかな。

 スパイディが壁とか天井を這う姿が何気によかったです。トム・ホランド版のスパイディでそういう場面って今までありましたっけ?

 つか、トム・ホランド、いい俳優になったよなぁと。スパイダーマン、ピーター・パーカーと言えばトム・ホランドでしょって真っ先に連想される存在になってしまってるんじゃないでしょうか。MCUにおけるRDJの後を継げる存在になりそうな気がします。

 個人の感想ではありますが、完璧な映画はないし今後も作られないだろうとは思いいつつ、私にとってそれに一番近い映画はこれまでは『ターミネーター2』だけだったんですが、今日からは私の心の中に仕舞い込んでいる「完璧に近い映画の箱」の中に本作を入れました。

気狂いピエロ(2Kレストア版)

ピエロじゃなくてフェルディナンだ

シネスイッチ銀座にて鑑賞

 前半は流れるように少しロマンティックな要素(というか雰囲気かな)も孕みながら進んで行くけど、中盤から停滞し、マリアンヌの裏の顔が露呈していくにつれてその停滞感は増していくというか、倦怠感に変わっていくという感じでしょうか。ゴダールのことだから、そういうのは狙っているかなとも思えるけど。

 これまで何度か鑑賞しておりますが、何度観ても最後のダイナマイトに持っていかれるというか全てが上書きされるというか。なのでお話の進み具合(内容)はいつも忘れるんですが(ドッカーンした映画という感想しか言えてなかったと思う、今までw)、今回はそれではあかんと思ってなんとか覚えようとしましたが、やっぱり上書きされちゃいましたね。

 多分、中盤の停滞した感じで頭もボケっとしてしまい、最後のドッカーンで「え?あれ?あれ?」と急に現実に引き戻されたかのようになって、最後だけ強く脳裏に刻まれるという形だったのかなと。

 カットとか色味、質感は最高だし、ジャン=ポール・ベルモンドもアンナ・カリーナも素晴らしいです。

 組織の機関銃とか置かれている部屋がかなり雑な感じで、コメディのセットかなと思ったり。あんましセットの配置とかには拘りがないよね、ゴダールって。

 裕福な家の女性と結婚した主人公が、妻子がいるのに若い女性に入れ込み騙されて爆死というお話でいいのかな。いつものゴダールのようにお話自体はそれほど重要じゃないとは思うのですよ。登場人物達が映画という世界の中でどう泳ぐのかが主題であって。

 マリアンヌの裏の顔というか、当時の情勢というかゴダールの思想を思いっきり詰め込まれたキャラの顔というか、まぁ、そういうのがごっつお話に幅を利かせてきてからはちょっと退屈さも出てきてしまうんですよね。

 あ、ゴダールの映画を退屈だなんて書いちゃうとシネフィルの皆さんから総攻撃を受けそうだ。えっと、どう変換した言葉で言えばいいのでしょうか。うーん、流れに淀みができ、それが溜まったままになってしまうというか。

 その中でもジャン=ポール・ベルモンドの軽やかな動き、身のこなしがそれらを洗い出してくれたりしますし、アンナ・カリーナのマリアンヌという劇中のキャラの表情なのか、アンナ・カリーナという俳優自身の表情なのかが分からないようなアップが出てきたりでうっとりしている間に流れが淀んでいたことを忘れてしまうということもあったり。

 2026年(令和8年)8月1日の夕方からシネスイッチ銀座で本作を鑑賞したのですが、その日の昼間はTOHOシネマズ池袋で映画『オブセッション 災愛』(原題『OBSESSION』)という映画を観ていたのです。そして、本作の一応の原作のタイトルが『Obsession』だと知り、全く偶然のスケジュール調整だったとは言え、ビックリしましたね、ダイナマイトで頭を破壊したくらいに。そう言えば、ラウドネスの二代目ボーカルやイングヴェイのバックバンドのボーカルを務めたことがあるマイク・ヴェセーラはOBSESSIONというバンドもやってましたね。

※2026年(令和8年)8月12日(水)追記

 最後、ジャン=ポール・ベルモンド演じる主人公のフェルディナンがダイナマイトを頭に巻き付けて死のうとするも、ふと我に返って「そんなつもりじゃない、ちょ、待てよ」っていう感じになるのって、これって映画監督としてのジャン=リュック・ゴダール自身の悲鳴みたいなものだったのではないかなと。

オブセッション 災愛

disっちゃってますね。

TOHOシネマズ池袋にて鑑賞

 主人公がウジウジグダグダダラダラしてて、身勝手で他責思考で自分の都合の悪い現実は受け入れられず悶々としているうちに終わる映画。

 20分も必要ないだろうというお話を水増しというかかさ増ししている感じで、ラスト10分くらいでヒロインが一線を超えてからはテンポも変わりギアが入った形でよかったんだけど、それまでうだつの上がらない主人公をただただ見せられるだけというのは本当に苦痛以外のなにものでもなかったというか。

 どうせ水増しして描くなら、主人公の仲間(多分同じ職場)同士の関係性の濃淡とかをもうちょっと描写していた方が、最後のヒロインの暴走と主人公のウザさがより強調されたんとちゃうかなとは思ったり。

 最後は、ヒロインが願いが叶うとされる折れた柳に、主人公も自分のことを一途に思えと願ってしまい、これで最強のバカップル誕生かと思ったら、主人公はヒロインが願う前に飲んだ薬(睡眠薬?)のオーバードーズで死亡。なんてこったい

 主人公の死亡によりヒロインは願いというか呪いが消えて正気に戻るけど、最悪な状況のまま終わるというのはよかった。ヒロインは可哀想ではあるけどね。

 俳優もよかったしアイデアもいいと思うし演出も悪くないと思うけど、ただただ水増しかさ増しで全てチャラなのが残念。ただ、エンドロールが短いのはグッドかな。