悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2026©りょんりょん) ※(主に)映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。ごめんなさい。

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ゼイ・ウィル・キル・ユー

少しネタバレしつつ、少しdisっています。

TOHOシネマズ池袋にて鑑賞

 思ってたのと(期待していたのと)違う展開だったのと、事前のハードルを高く上げ過ぎてしまったからか、また観たいかって言うともういいかなっていう映画でした。面白くはあったけど爆発力の持続がなかったというか……。

 所々に入るギャグが滑っているようにも思いました。これは好みとか合う合わないのお話ですけどね。小洒落た感じに作ろうとしてそれがウザくノイズになってるという受け止めです。個人的にはもっとシリアスハード寄りで作ってほしかったかな。

 悪魔崇拝カルト教団というよりは、マジで悪魔に人間の生贄を捧げることで魂を売り不老不死になった人達の集団で、教団という呼び方は適切ではないような。布教とか別にしておらず、積極的に仲間を増やそうとはしていないようですし。

 不老不死になった人達は、手足をちょんぎっても、首チョンパしても、頭部破壊しても、燃やしても死にやしませんが、通常なら死亡という状態になると暫くは活動停止するものの数分で復活します。ちょんぎられた手足はすぐにくっ付けられるし、粉々に破壊された頭部は再生するし(再生には暫く、つっても1時間程度なんだろうけど時間は掛かります)、燃やされても同様なので、時間稼ぎにもなるのかどうか程度ですけどね。

 人間の生贄は必要ですが、頭と呼ばれる豚の頭部のみの悪魔?さんの皮膚に名前を書けば不老不死になります。それが消えれば(結構すぐ消せるw)不老不死は解除されてしまいます。

 不老不死になっているだけで戦闘力的には普通の人間とほぼ変わらないので(強い人は強いし弱い人は弱いw)、ここにターミネーターを放り込めば、ターミネーターが活動停止するまでずっと屠られ続けるという地獄の苦しみを味わうことになるでしょう。

 なので、爆発的に人を増やさないと世界征服は無理だろうし、そもそも人を増やし過ぎたら管理できずに派閥とかできて内紛しそうだし、豚の頭にそれだけの人数を書くスペースもないですしね(笑)。

 主人公の妹が犠牲というか自ら生贄となることで主人公は一旦不死身になって傷とか治りますが、自分の名前を妹の名前に書き換えることで死んでいた妹も復活。この場合、誰を生贄にした形になるんやろ。カルトの主要メンバーなのか、主人公なのか、それとも頭そのものなのか(生贄の対象が人間だけだろうからこれは違うかw)。そこが分からなかったです。主人公を生贄にしたとしたら、最終的には妹だけが不老不死状態になっているということかな。

 妹が名義書き換えで復活できたということは、一度死んだ人間でも復活させて不老不死にできるという設定なのかな。死体がまだほやほやなうちは有効なんだろうか。また、同姓同名が居たらどうなるんやろうとか、芸名とかはどうなるんやろうかと思いました。デスノートみたいですね。

 人体破壊は結構あるけど、破壊部分の造形の品質は意外と低い(生首とかね)のも残念ポイントかな。

トリプル・スレット

disってますし、少しネタバレもしています。

Amazonプライムビデオにて鑑賞

 アクションスターを放り込んでバトルさせてればそれだけでお前らは満足でしょ?っていう映画。ええ、満足です。と言いたいところだけど、消化不良というか、これだけのメンツを集めてこの物足りなさというか。もっとできるだろと要求するのは強欲でしょうか。

 トップクレジットはトニー・ジャー、ラスボスはスコット・アドキンス、主人公ポジ的なキャラはイコ・ウワイスという布陣。と書くだけでwktkしちゃうけど、実際は勿体ないという言葉の連呼というか……。

 ほかに、マイケル・ジェイ・ホワイト、マイケル・ビスピン、タイガー・チェンも出演。東南アジア系の人達が一応善玉で、欧米系の人達が悪玉という構図です。今の時代、思い切った配置だな(笑)。

 富豪であり福祉家の女性の警護をしている女性キャラもなかなかよかったんですが、お話にはあまり関わらず。これまた勿体ない。

 これだけのアクションスターを揃えたので群像劇っぽくしようとするのは理解できるけど、それならお話もそれに合う形への調整が必要だろうに、調整し切れませんでしたという結果に終わった映画でした。

 複雑でもないお話なのに雑な作りで、それなのにキャラに深みを持たせたいからなのか設定を色々と盛り込もうとしてグニャグチャな形に。整理せーよと言いたい。

 その割を一番喰っているのが、配偶者や仲間を殺されて復讐に燃えるイコ・ウワイスなのですが、そんなに強くないというか弱い、ほんまに弱い。だから、策を講じて敵を一網打尽にしようとするんでしょうけど、お話の雑さでコイツは一体何をやってるんだ状態に。単に無意味に掻き回しているだけという見え方になってるというか。これはバトルアクション映画だし、イコ・ウワイスに求められているのは策士タイプじゃないのにね。

 また、イコ・ウワイスがトニー・ジャーとタイガー・チェンの傭兵コンビにも復讐したいという気持ちがあったりしたら三つ巴状態にするために策を講じるというのも納得なのですが、(二人も騙されていたからという事実を知ったからというのもあるけど)そういう訳でもなく。事実を知った段階でお互いに協力してりゃあっさりと終わったような気がするんですが、それなら映画は作れないか……。

 本作でのイコ・ウワイスのキャラは前述のとおり情けないというか、残念ではありますが、表情とか雰囲気とは凄くよかったんですよ。耽美的というか。だから尚更勿体ない気持ちが強く沸き起こるんです。彼のファンには物足りないでは済まないんじゃないかな。もっとしっかりと主人公ポジに据えてよかったと思う。

 スコット・アドキンスは悪役も似合う。つか、ずっと悪役でもいいかなとも思う。ただ、ラスボスポジションとしては貫禄が少し足りない部分もあって、ラスボスの用心棒とかの役が最適なのかも。こう感じてしまうのは映画『エクスペンダブルズ2』の影響もあるかもしれません。

 武術を極めても自分よりもデカい人(プラス相手も格闘技とかに精通しているけどねw)にはなかなか通用しないという昨今のバトル描写は本作にも健在です。現実的にはそうなんかもしれないけど、それを覆す興奮を得たいのがこういう映画じゃないのかなと。そういう現実路線も嫌いではないけど、最近そればっかりの映画なような印象があって食傷気味と言いますか。

 ラストバトルも色々と大人の事情があるんでしょうけど、最後はトニー・ジャーがなんでか覚醒してタイマン勝負でスコット・アドキンスを撃破して終了なのですが、その直前にイコ・ウワイス&トニー・ジャー対スコット・アドキンス戦があるので、そこで決着でもよかったような。その戦いはスコット・アドキンスの勝利で終わるんですよ。だから余計になんで急に?というね。二転三転させたら面白いやろっていう意図なのかな。おそらく、このままでは一応トップクレジットのトニー・ジャーの印象が薄くなるという配慮でしょうけどね。

竜宮の誘い

少しネタバレしてるかも。

テアトル新宿にて鑑賞(田辺・弁慶映画祭セレクション2026)

 昨年の田辺・弁慶映画祭のグランプリ作。

 人が狂気に振れる瞬間が静かなトーンで淡々と描かれていたという印象です。ざらついた映像の質感はいいし、画面からも感じられる夏の湿度の高さがより本作の世界観の構築を高めているように思えました。本作の劇中の季節は夏じゃないと成立しないのではないでしょうか。

 グロさは正直物足りなかったです。グロい映画を見慣れていない人や耐性のない人にはどうか分かりませんが、ホラー映画をよく観るという方にはその面での刺激や迫力を期待する映画ではないと思います。というか、そういう映画に比べるとグロさはないと言っても過言ではない程度の描写です。

 そう感じるのは屍体の解体風景の直接的な描写がないからですし、それは予算の都合だろうけど、本作的にはそれでよかった気はします。だからこそ得体の知れない何かがあるような空気感にも繋がっていたのかなと。切断された足(右足だったかな)の造形はリアルでした。

 主要キャラが結構濃くて、短い登場時間でも印象に残る描き方は素晴らしかったです。何処となく現実世界でないような空気の中、主要キャラは映画の世界の中でしっかりと呼吸しているような、そんな印象です。

 主人公はクールな雰囲気作りはうまいものの、誰に対しても上から目線での対応の割には世間知らずっぽいし、鈍臭くて計画性はあまりないタイプだけど二股(彼女とセフレの同僚キャバ嬢)できるくらいにはリア充。リアル友人はいないけど。結局、人肉を食べることは叶わず最後に頭を撃たれてあぼんします。これは少し可哀相だったかな(笑)。

 主人公が人肉を食べたいという欲望を持つという映画であり、直接人肉をムシャムシャ頬張るという描写はほぼありません(一度焼いた肉の欠片みたいなものを口に含む描写はありますが、焼いてからかなりの時間が経っていたからかすぐに吐いてしまいます)。前述のとおり、主人公は結局人肉を満足に食べられずに終わります。

 主人公の彼女は結局主人公から離れらなかったのか(依存ってことかな)、屍体の解体を率先して手伝おうとしたりといい彼女振りを発揮。で、屍体をチェーンンソーで解体しようとして血を吐いて倒れたのは、チェーンソーの扱いをミスったからなんかな。ここはよく分からなかったです。

 闇稼業の二人組(”ああだ”、”こうだ”という名前、漢字は失念)もよかったです。お話の要所要所にいい形で絡んでこられていたなぁと。

―――

 私が鑑賞した2026年(令和8年)5月8日(金)の上映終了後(満席だったそうです)に監督、出演者並びにMCの皆様によるトークショーがありました。以下、うろ覚えですが壇上であった発言を書いてみます。(細部等間違っていたらごめんなさい。)

 闇稼業の二人組の車の運転について、当初は美南宏樹さんが運転担当だったのですが、普段は全く運転しないゴールド免許保有者ということで監督に交替を申し出たそうです。実際に美南宏樹さんが運転しているのを監督が見て、これは相方の伊藤広大さんの方がいいだろうということで交替提案を受け入れることに。そのため、それに合わせての調整もしたとのこと。これは交替して正解だったように思いました。

 主人公のサトウを演じた戸張瞬さんが彼女のセナ役を演じた楠本奈々瀬さんの首を絞める場面で、楠本奈々瀬さんはもっと絞めてもらってよかったそうですが、戸張瞬さんはなかなか踏み込めなかったとのこと。そりゃそうでしょう(笑)。

 主人公のサトウとキャバ嬢のマリ(演じたのは唯木美里さん)の職場裏での場面は、撮影が夏だったということもあってか蚊がいっぱい湧いて、虫よけスプレーを沢山用意したにも関わらず、スタッフ共々蚊に喰われて大変だったそうです。

 キャストはオーディションで選ばれたそうですが、主人公を演じた戸張瞬さんについて山田純監督は「人を食べそうな雰囲気を持ってそう」という理由から選んだとのこと。私もそう思いました……(おいw)。

レッド・ソニア/反逆の剣

disっちゃってますね。

新宿バルト9にて鑑賞

 迫力がなかったし、アクションにもキレがなかったし、せせこましいお話、展開に思えました。

 原作どおりなら仕方ないけど、ソニヤと皇帝の関係性をもっと深掘りさせてお話に反映させた方がよかったような気はします。

 結局皇帝側近の女戦士に主人公はタイマン対決では勝てずというのはもにょる。というか第一戦目は主人公の勝利と言ってもいいような気はするけど。二戦目は腹を刺されての完全敗北だけど。あ、でも、どちらの戦いも最後は主人公の飼い馬に女戦士はふっ飛ばされているので、勝者は馬ということか。

 皇帝が持つあの本は一体何やったんやろか。運命が書かれているとかっていうのは皇帝の思い込みで、皇帝には最終的に駄本扱いされたけど、単に本の後半は皇帝が望む内容じゃなかっただけで、あの時代における生活書みたいなもんだったんだろうか。ならなんで暗号化されているんやろうかという疑問もあるけど考えたら負けですね、多分。

 CGがアサイラムクオリティっぽい薄っぺらさというか。実際にはそれよりもお金が掛かってるのは分かるけど、なんか最近こういうクオリティのCGが多くなってきているような気がします。

 皇帝がそもそも奴隷の出身であるからなんだろうけど(主人公と同じ村出身の幼馴染同士)、ダムナティ(闘技場で戦うことを強要される囚われの奴隷戦士の呼称)の中の有名戦士だけとは思われるけど、しっかりと名前を覚えているのは為政者としてはポイント高いぞ(笑)。

 主要キャラになるんかなというメンツがあっさりやられたりはよかったし(ローナ・ミトラの役もそうだし)、昔のMMORPGのような世界観もよかったです。なので、なんか惜しい気持ちが強く残るというか。

 あ、ビキニアーマーもよかったっす。それだけで本作の意義はあったとも言えるかもしれません……。

恋する惑星 4Kレストア版

パイン缶を食べたくなる

シネマート新宿にて鑑賞

 邦題反対派・否定派ですが、本作のタイトルは『恋する惑星』でいい。というか、それ以外認めたくないというか。原題は『重慶森林』(重慶の森林という意味みたいです)ですが、うん、やっぱり本作のタイトルは『恋する惑星』ですよ。

 32年前の1994年(日本では1995年)に公開された有名な映画ですが、私は今回が初見です。もうね、大好物ですよ、これ。こういうのが観たいんですよって気持ちです。鑑賞後に映画を観たっていう気持ちが湧き出てくるのは久し振りだったかも。

 公開当時に鑑賞された方のほとんどは本作に恋してしまったんじゃないのかなと思ったり。なので未見だった私でもタイトルを知ってるくらいには有名な映画になったんでしょうし。

 前半2/5くらいが金城武を主人公にした展開で、後半3/5くらいがトニー・レオンとフェイ・オンを主人公として展開するという二部構成みたいな作りです。ウィキペディアによりますと当初は三部構成で作ろうとしていたみたいですね。

 金城武さんとトニー・レオンの色気というか艶気がビンビンに放出されているというのも本作の魅力の一つなのかなと。金城武さんは儚げさがあるし、トニー・レオンは芯の強さとそれ故の孤独さも感じるし。

 前半と後半でメインキャラ同士の絡みはなく(前半と後半が切り替わるときに金城武さんとフェイ・ウォンがすれ違う程度)、舞台となる香港のサンドイッチ屋?さんとか、そこの店主・店員さんが被ったりする程度です。

 前半は銃撃があったりとちょっとクライムサスペンス寄りのダークさを醸しつつ、後半は恋愛一直線という形(昔のトレンディドラマっぽい)だったりと、前半と後半の味わいは少し異なるのに、同じ世界、同じ場所で起きている出来事だなと思わせてしまう手腕は素晴らしいというか。

 生活感バリバリなのに(特に後半)、こんなに小洒落た風に映画として纏めるなんて、これまた凄いというか。

 金城武さんは日本語になると途端に演技がえ?って苦笑いしそうになるのはこのときから変わらずだったのかという確認もできましたね(おいw)。

サンキュー、チャック

チャックの方がサンキューって言ってる映画な気がします。

新宿ピカデリーにて鑑賞

 人によったら予告編詐欺だと思う人もいるかなと思います。私も思いましたし(笑)。ただ堪能できたので個人的に一番の予告編詐欺だったと思っている映画『マンチェスター・バイ・ザ・シー』ほど衝撃は受けてはおりませぬ……。

 全体のトーンは凄く落ち着いていて穏やかだったなと思います。先が見えていても一生懸命生きるのが大事というメッセージというか、人生謳歌しろよっていうお話なのかなという受け止めです。説教臭い映画ではありません。

 3章構成で3章目から1章目へと(一応)時系列を遡っていく流れです。以下の構成なのかなと捉えています。

1章:チャックの少年時代(7歳~17歳の時間軸)

2章:チャック39歳のとき(余命半年前、39歳の時間軸)

3章:チャックの脳内仮想空間(チャックが亡くなる前後の時間軸)

 最初はチャック(及び家族と深く関わる人達)だけ歳を取っていく世界なのかと思ったりしましたが(映画としては時系列は逆走)、そうでもないようだし。と考えてみてたんですが、3章目はチャックの脳内でのお話なのかもと考えると辻褄が合うような気がしたのです。鈴木光司さんの小説『ループ』(『リング』シリーズの最終作)の世界のような。観ている最中にふとそう思ったんです。

 チャックの脳内にて作られた仮想空間だから、1章目のチャックが少年時代のおっさん教師とかが時系列的には数十年後となる3章目にもそのまま出てきているんだろうなと考えると自然なような。つか3章目の主人公はおっさん教師ですしね。

 誰かの悪い未来(死に際の光景かな)が見える丸い部屋の秘密も、世界が滅びようとしている中でチャックの広告だけが流れる秘密も本作内では解き明かされないけど(ですよね)、それはチャックの脳内仮想空間だからという理由付けで説明はできなくても納得はできるかなと。

 原題が『The Life of Chuck』で、邦題の『サンキュー、チャック』は3章目のタイトルをもじった形。本作の内容的には原題の方が合っていますね(当然かw)。

 トムヒはそんなに出ていません。2章目には主人公としてしっかり出てるけど本作の三つの章内では一番時間が短いですし。でも俳優としてはトップクレジット!。いいダンスを見せているからなのか。しかし、トムヒ目当ての人は怒っちゃうかも。主役だーと思って観に行ったら、出番自体は少ないですからね。

 チャックの若い頃の容姿が、39歳になったらトムヒの容姿になってくるよなっていう俳優さんをしっかり選んで描いていて、そういうのは大好物なのでよかったです。

 3章目の終末感の描き方は好きですし、個人的にはこの3章目のみの展開でずっと続けてもらってもいいよなと思いました。

 舞台となる街が映画のセットっぽい形の街並みなのですが、映画の雰囲気には合っていたと思います。こういうところに一度は住んでみたい。コンパクトな範囲でなんでも揃っているような欧米のとある小さな街になんか憧れがあるのです。

 スケボーの少女は何か別の映画で最近お見かけしたような気がするのですが、思い出せておりません。なので家に帰ってウィキペディアで調べてみたところ、ヴァイオレット・マッグロウという俳優さんでした。なんと、映画『M3GAN ミーガン』の主人公ケイティ役を演じていた方でした。覚えてろよ……。ごめんなさい。

ツイッギー

ドキュメンタリー映画なのでネタバレなんてないと思います。

新宿武蔵野館にて鑑賞

 イギリスにおいて10代でモデルとしてデビューし一斉風靡したツイッギーの自伝的なドキュメンタリー映画。彼女のこれまでの軌跡が丁寧にうまく纏められていたなという感想です。

 ツイッギーはミニスカという単語と共に存在を覚えていただけで(それも私の生まれる前のことで後追いで知った状態)、活躍したのはそのモデル期のみ、それ以降は引退されていたとばかり思っておりました。映画にも出たり歌も出したりで継続して活動されていたことは露知らず。本当にごめんなさい。

 それから思ったのは、よくこんなに色々と映像素材があったなぁ、残っていたなぁということと、それをよく見つけてきたなぁということ。そういった過去の映像と、有名人・著名人とのインタビューの配分もよく考えられて配置されていたと思います。

 そうそう、映像素材が豊富ということもあるのか、他のドキュメンタリー映画よりも有名人、著名人へのインタビューの比率が少なかったように思いました。

 それから、フィル・スペクターの件は何気に怖かったというか。スタジオ内に銃を持って入るという奇行に走っていたようですので、本作内でも少し言及されていますが、ツイッギー自身が被害者になっていたかもしれないと思うとゾっとしますよね(実際に殺人事件を起こしたのは2003年みたいです)。当時の配偶者(俳優さん)と一緒の訪問でよかったなと。

 最後は現在の伴侶と共に浜辺を歩くという構図で終わるのですが、一本の映画としてうまくて綺麗な終わらせ方だなと思いました。ツイッギー御本人もかなり登場しているというのもありますが、本作におけるツイッギーへの敬意がしっかりと現れていたと感じました。

ラプソディ・ラプソディ

ネタバレしていますし、disってもいるかな。

テアトル新宿にて鑑賞

 よく分からない、へんてこな映画でした。メインの登場人物の誰もに感情移入できなかったというのもあるかも。特に主役二人の人物造形は全く頭にも心にも入ってこなかったというか。

 主人公は小さい頃に鬱気味だった母親に怒ったことがあり、その翌日に母親は自死(主人公が怒ったことが原因ではないようだけど)。それに気を病んでしまった主人公は絶対に怒らないようにしようと決意し、そのまま大人へ。

 ヒロインはレンタルビデオ店でバイトしていたときに主人公の個人情報をゲットし、それで勝手に婚姻届を出して仮想夫婦状態に。法的にはちゃんとした夫婦だけどね(笑)。

 パスポート更新のために住民票と戸籍謄本の写しを取得した主人公は、そこで初めて自分が結婚してもうすぐ一年経つことを知る。

 どんな人物が結婚相手なのか興味を抱いた主人公は探し回るも手掛かりなし。しかし、偶然通りがかったお花屋さんにその相手がいることを発見し、そこから二人は奇妙な共同生活を始めることに。

 ヒロインは今まで出会ったことのないタイプの優しい怒らない主人公に惹かれつつ、これまでの境遇から素直になれずに癇癪を起こしとうとう主人公を怒らせることに成功。主人公は怒ってキレて部屋の中をグチャグチャにした反動からかショックで気絶しお泊り入院することに。

 そのことを悔やんだヒロインは家出(?)するが、主人公の会社の同僚で主人公に想いを寄せる女性からヒロインは自分のことを探してほしいんですよと言われ、主人公はヒロインを探し出し、ヒロインのためにお花屋さんを営むことを決め会社を辞職。そして二人はやっとお互いを受け入れて本当の夫婦になりました。という映画でした。

 心に傷を持った人同士が出会うことで、お互いにその傷を労り埋める相手だと分かり、愛が芽生える(書いてて恥ずかしいw)という内容ですね、簡単に書けば。本作のタイトルが『ラプソディ・ラプソディ』とラプソディが二回繰り返されているのも主人公とヒロインの二人を指しているからなのでしょう。

 前日は眠れず徹夜状態での鑑賞となったにも関わらず、面白くないと思いながらも眠らずに最後まで鑑賞できたのは、本作の独特のテンポ感のお陰だったかもしれません。

 偏見のある書き方をしますが、主人公が勤めている会社は古い雑居ビルに2フロアくらい借りている形の小さな会社で、正直、その程度の会社の給与で横浜の結構いい場所と思われる地域のマンションの広めの部屋なんて借りて家賃は大丈夫なんかなと、そっちの方が気になって仕方がなかったです。デザイナーズマンションっぽいし。

 主人公が決して怒らないのは理由がありつつも単なる我関せずな優男だし、ヒロインも自分の境遇に甘えてワガママを押し通すことしかしない痛い人だしと、なんかとんがった人物造形に加えて、妙に現実味がないというか。

 で、あ、そうか、この映画は現実社会を舞台にしたものじゃなくて「少し不思議系」なんだなと思うと、登場人物の誰かに感情移入とかしたりせずに、ちょっと遠巻きで目を細めて全体を観るというのがいいのだなと気付いたのですが、そのときはもうエンドロールでした。ちゃんちゃん。

アギトー超能力戦争ー

いじめっこ囚人グループのアカペラがうまい件について。アヴェマリア。

グランドシネマサンシャイン池袋にて鑑賞

 TVシリーズ(前作映画含む)からのファンならかなり楽しめるとは思いますし、堪らない部分は多々あるのではないでしょうか。私はほぼ何も知らない(観ていない)状態での鑑賞でしたが、それでも展開とかお話に置いていかれるということはない作りにはなっています。観ている(知っている)に越したことはないですけどね。

 私が観た上映回では終演後に「へんてこな映画だった」という意趣の声が周りから多く聞こえてきました。個人的には軸構成の失敗がその原因ではないかなと考えています。

 ただ、軸がなく全体的にグラグラしていたのは残念ですが、映画として悪くはなかったですよとは言いたい。

 軸構成が失敗したと考えた要因の一つとして、お話の構成として核となるキャラ=実質的な主人公が不在だったことを挙げておきます。

 実質的な主人公が不在と感じたのは、所謂映画『アベンジャーズ』的なキャラの動かし方・配置の仕方が原因だったといいましょうか。群像劇ではないけど複数の主要キャラが対等な関係性を保つという形態ですね。

 おそらくファンサービスとして今回登場するTVシリーズから続投の全キャラを活躍させようとする故の結果だとは思うのですが、その弊害で一応主人公ポジの氷川さんも、TVシリーズの主人公でスペシャルゲスト扱いの津上さんも影が薄くなってしまったというか。プラス本作からの新規キャラにもスポットライトを当てんとあかんし。

 氷川さんの影が薄くなってしまったのは、氷川さんが収監されているという設定の影響も大きいでしょう。特に序盤から氷川さん抜きでお話が展開していくという形になっているので、余計にそういう印象を受けてしまったように感じます。

 本作のお話の流れでいくのなら、Gユニットを指揮する管理官を完全に主人公と固定した方が、少なくともキャラ面での軸は定まったように思えます。ライダー(変身者、装着者に関係なく)が主人公じゃないというのもアレですが『仮面ライダー響鬼』(特に前期w)という前例がありますし……。

 超能力者の能力の描き方とそれらを活かした戦いはよかったし、最後の決着がライダーキックなのもよかったですね。そういう部分はしっかりと押さえにくるのがヤラシイ(笑)。

 氷川さんがずっと人間として戦っているのもグッド。主人公ポジのキャラが人間代表というのは本作的には一つの大きな軸ではあるでしょうから、そこのところを貫いてくれたのは、本作がグラグラではありつつもなんとか立てていた状態だったことの証明なのかなと。これで氷川さんまでアギト?になっちゃう(装着じゃなくて変身しちゃうと)と収集がつかない形になっていたでしょうし。それこそ完全に軸が失われてしまうというか。

 霊丸(レイガン)みたいな能力を持っているキャラもよかったですね。劇中でいうところのギルアギト(超能力を持つようになり、更に変身可能になる個体)にはならずに、身に付けた超能力だけで戦うという姿が。分身能力を得た北條さんと能力的に被りますが、いいアクセントだったと思います。

 特殊強化装甲服<G6>装着者の方の演技が酷過ぎて(ごめんなさい)、本作の品質を著しく下げていた点については言及しておいた方がいいとは思う、擁護派のファンの方でも。演出が悪いのかもしれないけど。言い方は悪いですが、この方の演技力がしっかりとしていれば実質的な主人公として活用できたのになとも。

 で上記に関連して書きますと、本作の品質がイマイチ高くなれなかった部分として、俳優さんの演技の濃度みたいなものが映画全体として一定ではなかったというものがあります。

 調整は難しいですが、下手な方に合わせてもダメでしょうし、うまい方にばかり合わせてもダメで、どうやって一定平均を保ちつつ映画としての色合いを出すかというのができていなかったというか。邦画あるあるですけどね。素人なのに上から目線でごめんなさい。

 CGはチャチい。TVシリーズの品質から向上したわけでもなさそう。それに着ぐるみ怪人の表現の限界も見えてしまったというか。これはこれで味わいがあると言って逃げるだけの時代はもう終わりにした方がいいとは思う。

 これもまた本作の品質が高くなれなかった部分ですね。というか、これは東映側もバンダイ側も分かってるだろうし、費用対効果(要するに予算ね)的にどうしようもないというか、このまま続けていくしかないんだろうけど。こういうのがいいんだよという層も多いでしょうし。

 ラスボスがアナザーアギトの人であったり、TVシリーズの主役の一翼であったギルスが中の人の都合(俳優業は引退でしたっけ?)により既に死んでいるという設定だったりしたことに、ずっとファンだった方はどういう受け止めをしたのかなとは気になりました。

 氷川さんが冷奴(木綿か絹ごしかは不明w)をお箸で掴めるようになってよかったよかった。

 私が鑑賞したときの映画館にはゴールデンウィーク初日ということもあってかお子様も多数いたのですが、本作の鑑賞は大きいお友達ばかりでした(私もか……)。勿論、本作はそういう層を狙っているのは分かりきってはいることですが、ちょっと切なさを感じたのでした。

 あと二年後くらいには『仮面ライダー555』の25周年記念映画が作られるのかな。ただ、前作の続編という形は勘弁ですね(笑)。リブートして復讐のカイザ、又は逆襲のカイザというお話を作ってほしい。TVシリーズで二号ライダーだった氷川さんが主役(主人公)の映画が作られたという実績ができてしまったんだからいけるはず。

SAKAMOTO DAYS

SUGARちゃん

グランドシネマサンシャイン池袋にて鑑賞

 原作は未読です。

 バトルアクション全般はよかったです。ラスボスとのラストバトルもよかったけど、ラスボスの雰囲気作りはラストバトル寸前まではうまくいっていたのに、坂本太郎と戦う前にゲストキャラにけちょんけちょんにされて小物感やそんなに強くない感を出してしまうという演出はいただけないかな。それでこれまでの雰囲気作りも台無しになりましたからね。原作準拠かもしれないけど、これはかなり勿体ないというか。

 これまた原作があるから仕方ないのでしょうけど、続編ありきの作り方は好みじゃないのもありますが、一本の映画ということを考えて全体をもうちょっとスリム化(キャラの整理とか)できたらと考えると、これまた勿体ないというか。

 CGが画と馴染んでないのはそこまで予算が割けなかったのか、わざとなのか。

 それから、坂本太郎が太ったり痩せたり(元の姿?)するというのは、漫画なら笑えるという要素なのに、実写映画になると滑稽さ全開になってしまって笑えなくなる要素になっていたなと。こういう描写も原作にあるのでしょうから致し方ないというか、やらないと原作ファンから怒られるでしょうし。難しいですね。

 科学者のおっさんのやってることはマッドサイエンティストなのに、人物像がマッドサイエンティストじゃないのは減点ポイント(嘘)。普通にいい科学者だったのはなんか新鮮(笑)。

トゥ・ランド

木の高い所に引っ掛かったビニール袋を落とすにはパチンコと平らな石が必要

ユーロスペースにて鑑賞

 ハル・ハートリー監督の11年振りらしい新作映画。日本での長編映画の公開はなんと27年振りだそうです。

 兎に角素晴らしい映画でした。ハル・ハートリー監督の映画が好きな人には超オススメ。つか、観ないと損だよって大声で押し付けたいくらいです。

 本編全体に渡って愛と優しさのある視点からの描写でした。ロマンティシズムがあるのがジャームッシュとの違いかな。(どちらがいいとか悪いという意味ではありません。)

 ハートフルコメディなんだけど、この世界にずっと包まれていたい気持ちになる、そんな映画です。

 一人の有名(ヒット作や受賞作もある)な映画監督が人生の着地点(原題の『Where To Land』の訳が着陸地点だそうです)を求めて、墓地での無償の労働と、並行して遺言書を作ろうとすることから起きる、かなり静かなドタバタ劇というか、ある一日のお話。

 そう、周りは結構ドタバタしようとするんですが、主人公の映画監督が飄々としながらも芯がしっかりある人物として描かれているので、ドタバタ感はそんなにないというか、「なんか周りが言ってるな」程度の描写になっています。それは意図的なものでしょうけど。

 セリフ量は多いけど、それで何かを伝えたいっていうわけではないと思います。テンポ感を出すための推進剤というか、促進剤にそれを充てていたという感じかな。

 全ての登場人物のバックグラウンドやバックストーリー、職業とかは異なるけど、全員が平等な立場として描かれているのがよかった。立場が異なるので視点は違うけど、全員が当たり前のようにいることが許される場、それを作っている核である主人公の人物造形。ハル・ハートリー監督が理想とした姿形の表現なのかなと思ったり。

 ハル・ハートリーが監督するスーパーヒーロー映画が観たい(笑)。勿論、主人公は女性でね。

プリティ・リーサル

disっちゃってますね。少しネタバレもしちゃってますね。

Amazonプライムビデオにて鑑賞

 SNSで評判がよかったので観たのですが、誰だよ、面白いって言ってた奴は……っていうね。コメディ要素が邪魔になっていたかな。

 ラスボスポジの人がユマ・サーマンかなと思っていたらユマ・サーマンだった。つか、主役である5人のバレリーナを差し置いて最後にラスボスが私怨にけりをつける形にしているのも悪手だったように思えます。

 バレリーナ達も滅茶苦茶活躍するってわけでもなく(現実世界ではこれで十二分ですが、これは空想アクション映画ですからねw)、舞台となったホテルから逃げおおせて当初の予定どおりブダペストでバレエを踊って終わるという顛末により綺麗な形に収束させたとする制作陣の思惑なんだろうけど。

 うん、終わり方はそれでよかったとは思うけど、舞台となったホテルでの戦いの最終的なけりはバレリーナ達が担わないと残尿感が残るというか。

 いきなりリーダーというかバレリーナの先生がマフィアの倅にまとわりつかれて膝を入れて振り切ったと思いきや(この場面は本当にスカっとはしたんだけどw)、すぐに後ろから銃で頭を撃たれて死亡という展開はよかったけど、なんかそこまでだったというか。

 バレリーナ5人のキャラは立ってたけど(ステレオタイプっぽい造形だけど)、それを活かした展開でもなかったというか。かなり勿体ないなと。5人全員が生き残るのもね、緊張感と緊迫感が欠ける要因になっていました。全員生き残らないと最後のバレエの場面がなくなっちゃうので仕方はないけども。

 バレエの動きを格闘アクションに取り入れるのはよかったけど、女性(バレリーナなので細身な方が多い)対男性という構図が多くなってしまったことも影響してか、効果的ではなかったような。本作はそれをしっかりと見せるのが目的な映画なのに……。

 最近、でかい人はそれだけで強いという現実的な描き方の映画が多いですが、本作もそうだったというのも要因かな。それが悪いという意味ではなく、合っているかどうかの見極めが甘いのかなと思えてしまって。

 これならマフィアとかが相手じゃなくて、オラフ・イッテンバッハの映画のように吸血鬼とかそういう化物が相手という形の方がよかったような気はします。

サムライ 4Kレストア Le Samouraï 4K restored

disっちゃってます。

新宿ピカデリーにて鑑賞

 アラン・ドロンを愛でるだけの映画。一種のアイドル映画とも言えます。正直面白くはなかったけど、1時間45分の上映時間の中、飽きることがなかったのだけは救いかな。

 一匹狼の杜撰な計画で殺人を実行する殺し屋の役をアラン・ドロンが熱演というか、クールに演じております。

 警察側の責任者の直感(というか作劇の都合w)だけで結構な人員を割いてアラン・ドロンを監視・追跡するというのもちょっと現実っぽくはないような気はしますが、そういうのも含めて本作はかなりの雰囲気系なので、この雰囲気に呑まれない人には全く合わない映画かなと。

 アラン・ドロン演じる殺し屋も完璧主義者なのか単なるドジっ子なのかの表現がブレブレで、もっと撮影に入る前の段階(脚本とか)で煮詰めないとあかんのんとちゃうかなと鑑賞中ずっと思ってしまいました。

 また、アラン・ドロンの婚約者とか、盗んだ車(で走り出すw)のナンバープレートを交換し拳銃とか身分証を渡すおっさんとの関係性もよく分からず。殺し屋をバックアップする人達(組織?)という認識でいいのかな、一匹狼という設定からは反するけど……。まぁ、雰囲気を盛り上げるためのマクガフィンなだけなんでしょう。

 よかったのは、アラン・ドロンが車を盗む場面で、何本も持っている鍵を一本ずつ試すときの表情がおどおどしつつ必死に冷静さを装っているっていう感じが滲み出てて、本作の雰囲気には合わないとは思うんですけどなんかよかった。そんな場面が二回もあるのもナイス(笑)。

 警察が40人体制くらいでメトロ(パリの地下鉄)内においてアラン・ドロンを尾行するんですが、警察の司令部の描き方とかガジェットとか、尾行するお姉さんらのお澄まし顔もよかったですね。アラン・ドロンにばれて逃げられそうになったら急に走って追い掛けるところも。

 銃を発泡する場面は何度かあるものの、今の時代の目からするとかなりのあっさり風味なので、そこに格闘アクションが入っていればもう少し楽しめたのかなぁとも思ったり。

 婚約者にケリをつけてくると言って唯一の目撃者が勤めるバーに出向くアラン・ドロンですが、ケリをつけるというのは自分は警察にわざと撃たれて死ぬことで婚約者にはもう迷惑をかけませんという意味だったのかな。切腹みたいな感じの表現なのかな。

アンビリーバブル・トゥルース

私にとっても信じられない真実が……

2019年1月2日(水)第七藝術劇場にて鑑賞

2026年4月21日(火)ユーロスペースにて鑑賞(特集:ハル・ハートリー 90’sインディーズの伝説)

 ハル・ハートリー監督の11年振りの新作である映画『トゥ・ランド』の公開(2026年4月25日(土)から)を記念して、彼の過去作の上映が渋谷のユーロスペースにて行われていたので、なんと12年振りとなりますが突撃してきました。

 前回のユーロスペース来訪時(2014年4月28日(月))にはリヴァー・フェニックス主演の映画『ダーク・ブラッド』を鑑賞したのでした。

 最初の邦題は『ニューヨーク・ラブストーリー』(原題『The Unbelievable Truth』)だったんですね。ニューヨークと言っても舞台はロングアイランドで、大勢の日本人が真っ先に想像するニューヨークではないので(ちょっと出てはくるけど)、今の邦題『アンビリーバブル・トゥルース』(訳:信じられない真実)の方がスッと入ってくるように思います。

 で、ですよ、本作は初鑑賞だと思っていたんですよ。そりゃ、新鮮な気持ちで観ておりましたよ。やっぱ、私はハル・ハートリーは好みだわ、と思いつつ。

 そして、家に帰って記録を確認して気付きました。7年前にも観ていたことを……。信じられない真実ですよ……。あ、この場合は信じられない事実となるのか……。Unbelievable Factか……。

---以下、初鑑賞時の感想です(Filmarksに書いてました)。---

 『トラスト・ミー』よりかは、長編デビュー作ということもあったのか、厨二病臭さがなくて、観やすい作りになっています。

 ラストの展開がちょっとコケてしまった感じなのは残念なところ。

 ハル・ハートリーの作風は、ジャームッシュから小津安二郎っぽさを抜いて、少女漫画風な味付けをしたようなものだなぁと思いました。

---以上---

 改めての感想ですが、なんというか、完成度が高いとは決して言えないけど、私はごっつ大好物ですと言いましょうか。

 淡々と進むというか、ハル・ハートリーのお話の紡ぎ方は好みではあるのですが、本作の展開にのみ注目して言うと、それが足を引っ張ってしまったのかなと感じてしまう部分があるのです。盛り上がりに欠けるというか、そもそも盛り上がらないというか。

 主人公とヒロインが運命の出会いをして二人で旅立つという流れで、その運命さなりが展開的には盛り上がりの箇所だと分かりつつ、描写として盛り上がらないというのは致命的だなというか。

 それでも、これがハル・ハートリーの描き方なら、受け入れるしかないよねとは思うのですけどね。

 主人公をある意味高潔(劇中で何度も神父なのかと言わせていたり)な枠に取り込もうとしたのも淡々さに拍車をかけてしまったきらいはあるのかなと感じています。主人公をわざと取っ付き難いキャラに仕上げようという意図なのでしょうけど。

 主人公は飲酒運転のせいで恋人を死なせてしまったことから断酒していましたが、想いを寄せるヒロインがニューヨークで男性カメラマンと同棲していたことを知り、自暴自棄になって遂にお酒(ビール)を飲んでドライブしちゃうわけですが(飲酒運転ダメ絶対)、この主人公の気持ちの爆発さが淡々と描くスタイルのせいで効果的ではないのが一番の本作の弱点というか欠点だと考えます。そのまま真実が明かされる流れになるというのに……。

 事故から二年後に主人公は恋人の父親を階段から突き落として殺してしまうのですが、実はこれは冤罪で、父親が勝手に階段から落ちての事故死というのが事実で、一部始終を見ていた恋人の妹が嘘の証言をしてしまったので服役してしまうことに。

 主人公自身は殺意はなかったけど争いがあったのは事実で、自分が勢い余って押してしまった結果、恋人の父親は死んでしまった=自分が殺してしまったと思いこんでしまう結果となります。

 この真実(というか劇中的には事実だけど)が明らかになる場面もコメディチックな形での描写となっていて、物語に重さをかけたくなかったんでしょうけど、ちょっとドッチラケとなったような印象を受けました。駆け足気味でしたしね。

 まぁ、それでも面白いし、私は大好物ですけどね。disっちゃってるようになってるけど。

 主人公を演じたロバート・ジョン・バークって映画『ロボコップ3』でロボコップを演じられていたのか。道理でどっかで見たことあるよなぁと。主演のエイドリアン・シェリーは殺害されてお亡くなりになられていました。お悔やみ申し上げます。

ダーティ・エンジェルズ

disっちゃってるかな。でもいい部分はあるんですよ、勿体ない。

新宿バルト9にて鑑賞

 思ったより硬派な映画でしたが、リーダーに不向きな性格のキャラが主人公なのと、劇中での作戦が杜撰過ぎたのが相俟ってか緊張感とかなかったのは残念。起伏があまりなくダラダラ最後まで駆け抜けた感じ。最初の飛ばし具合はよかったんですけどね。

 女性ばかりのチームじゃなかったけど、終盤までは男性メンバーが死ぬ確率が高かったというのを差し引いても、予告編での女性だけのチームとかなんとかっていう売りは詐欺に近いと思う。

 ラストバトルはもうちょっと長くちゃんと見せてほしかった。それだけでもグっと映画としては締まったと思う。

 敵味方問わず、屠り屠られの方法や内容はいいんだけど、それが展開にしっかりと結び付けられず(見せ場がないという意味)というのも締まり切れなかった要因でしょう。いいキャラが多いのに悪い意味で展開の都合で消耗品になっていて、キャラ立ちを活かすものではなかったのがね。

 なんか微妙に爆破のCGがちゃちい箇所があったりしたのも気になりました。

 と、いきなりdisり全開ですが、いいところもあるんですよ。

 人質にされる大使の娘(高校生くらい)がちゃんと戦っていて、かなり好感が持てました。しっかり銃で相手を撃って屠っているのも高評価です。ここまでやるとは。というか、させるとは(笑)。

 戦い方もリアルさとファンタジーさを絶妙にブレンドしてリアルっぽく提示しているのはうまいなと思いましたし。

 敵側は余分な葛藤とかなくしっかり悪役に徹していたのもグッド。なのにね……。

 素材はよくても料理に手間取ってしまってよさが失われた、という映画だったかな。惜しい。勿体ない。配信とかだったらもう少しハードルが下がって単純に面白かったとか言ってそうですが、映画館で観ちゃいましたからね、仕方がないよね。

 メディック役のルビー・ローズをほかの何かの映画で観たよなぁと思っていたら、北村龍平監督の『ドアマン』の主人公役で出てはったんやった。