悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2024©りょんりょん) ※(主に)映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。ごめんなさい。

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落下の解剖学

ネタバレしていますが、結果どうなったのかというのも勿論大事な映画ですが、それだけではないのも魅力的です。久々にdisっていないかもです。

 

新宿ピカデリーにて鑑賞

 

 久し振りに映画表現における技術面、技能面において高品質な映画を観たなと思いました。素晴らしい。演出、構築力も高く、個人的には控えめに言って傑作だと言えます。私がこんなにべた褒めするなんて珍しいことですよ(笑)。

 映画の文法とかは興味はないけど(なら技術とか技能とか言うなよw)、そういう部分において参考になる映画だと思いますし、映画を作りたいと志している学生さんへは特に観ておいて損はないですよって言いたいですね。そういう映画はニコラス・ウィンディング・レフン監督、ライアン・ゴズリング主演の『ドライヴ』以来かも(私の好みではなかったですが……)。

 お話の内容は単純で、作家の女性の男性配偶者が自宅の窓から転落死し、それが作家の女性の犯行だとして裁判となります。弱視障害のある息子の証言が決め手となったのか、作家の女性は無罪となりました、というあらすじです。

 さらっとネタバレしてしまいましたが、裁判で判決が下されるまでに描かれる関係者、特に作家の女性と息子の感情があまりエモーショナルにならずに、でも突き放したような冷たい感じでもない、観客との適度な距離感を念頭においたであろう描写には唸りました。また、テンポがいいのに、それぞれの登場人物もしっかりと人物描写がされている点もよかったです。

 登場人物の誰かに感情移入させるようなタイプの映画ではなく、かといって群像劇というわけでもないので取っ付き難いと感じる方も多いかもしれませんが、そこはミステリー要素を高めるためのポイントに意図的にした部分ではないかと思っていますので、ミステリー映画が好きな方なら楽しめるかもしれません。

 本作で提示したかったテーマはバランスが大事だということだと捉えていますが、それがテーマだと何かの基準軸みたいなものをしっかりと設定しておかないと、どうしても表現をあやふやにせざるを得ない部分が、意図したもの以上にあやふやなものとして出力されてしまって、結果としてグニャグニャした映画になってしまうと思っていますが、本作はそこもしっかりと考えられていて、基準軸(映画内での事実設定)がかなりしっかりとしているなという印象です。

 劇中にて流れるピアノ曲にも不協和音的要素が含まれたものを採用しているのも、ふとしたことでバランスは崩れるということを表していて、そして、望む望まざるに関係なく、バランスを崩してでもどちらかに決めないといけない立場になることの怖さを描いているのではと思いました。裁判はどちらかを決めるところというセリフがありますが、それに集約されているのではないでしょうか。

 検察側も含めて裁判に関係する皆さん結構感情的で(笑)、自身の仮説(=主観)が真実だと思い込むという演出により、ここもまたバランスが崩れることは危険なことだと提示しているように見えました。

 製作にあたり、作家の女性が殺したのか、それとも男性配偶者の自殺なのかという部分について、前述のとおり映画内における事実もしっかりと設定しているなと感じました。映画内の演出、提示としてはそこはボヤかしていますが(裁判の結果は無罪だったけど、実際にどうだったかの描写はないことから)。

 私は作家の女性は男性配偶者を殺していないが、男性配偶者の死には関与していたのではと思いました。どうしてそう思ったのか。自分でも整理するために書いていきます。

 先ずは作家の女性には男性配偶者を殺害する明確な理由がないこと。男性配偶者を殺すことで今回のような面倒なことになりますからね。作家の女性としては離婚を選択した方が生活は楽になるかもですし。そこそこ名が売れているようで(だからこそTVのニュースにもなる)、ドイツ語翻訳の仕事もあり、一人ならどうとでもなりそうですし。

 次に作家の女性は男性配偶者への愛情はなくなっていたかもしれないけど、家族としての情はあったと思うからです。映画内の証拠としては男性配偶者の母国であるフランスにロンドン?から引っ越して生活していることです、文句はありながらも。

 続いて作家の女性は息子のことはしっかりと愛しているし、自分なりに向き合ってきていると思うからです。息子も両親には大きな不満はなかったように思えますし、息子のことを考えても男性配偶者が突然いなくなるような環境にはしたくないでしょう。

 そして息子の障害に係る費用です。作家の女性は一人での生活ならなんとかなると書きましたが、息子と暮らしていくとなると、障害に係る治療費なのかな、その費用が結構家計に負担を与えているのが伺えますが、一人で息子を引き取るとなると、男性配偶者から養育費は貰えるとしても、時間面も含めてかなり大変になってきそうで、作家の女性としては現実的な性格でもあろうと想像することから、自ら望んでその環境にしたくないという気持ちが強いと想像するからです。

 最初の警察の調べで作家の女性が嘘をついていたのは、息子に色々と知られることが嫌なのと、自分が男性配偶者の死に関与しているとは思われたくないからであって、思われたくないのはそれによって息子との関係性が崩壊してしまうからと想像しています。

 以上のことから、私は作家の女性は殺していないけど、男性配偶者の自殺でもないと考えました。不幸な事故だったのではないかと。おそらく、作家の女性と男性配偶者は口論となり、作家の女性が男性配偶者をいつもの調子で手を出して叩いたか押したか何かした拍子に、運悪く男性配偶者が落下して頭をぶつけて死亡してしまったのが真相というか(映画内における)事実ではないでしょうか。

 作家の女性が裁判が終わったあとに何もなくて、単に終わっただけと言ったのが印象的で、その点からも男性配偶者の死亡に何らかの直接的な関与はあったのかなと勘ぐりました。

 息子も半信半疑で、だからこその最後の証言が必要だったのでしょう。父親の死に関与していたとしても母親は殺してはいない、という判断をしたのかどうか。何気に臨時の保護司の息子への言葉が結末を決定付けるほど重要でしたね。

 と考えていたけど、どうも書いていて自分でそれは違うかなと思ってきた(笑)。真相は分からず終いでいいのかも。あの作家の女性のことなので、これも小説の題材になるとも考えてそうではあります。

 裁判の場面では意図的なのか、作家の女性の性格とかこれまでの行いが悪いみたいな印象を与えようとしていたと思われますが、それでも男性配偶者もたいがいだよなって思ってしまいましたね(笑)。ということはかなりなダメ男ってことですよね。

 息子役の方がアダム・ドライバーに似てるなぁと思ったのと、弁護士の人がちょっと色気があって昔のフランスの俳優さんってこういう感じだったよなぁと思いました。