悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2024©りょんりょん) ※(主に)映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。ごめんなさい。

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アイアンクロー

ネタバレも何も史実を基にした映画ですから。disってはいません、多分。

 

TOHOシネマズ池袋にて鑑賞

 

 素晴らしい映画でした。1970年代末期から1980年代にかけてのNWA系のアメリカンプロレスが大好きだった方にはかなり突き刺さるし楽しめる映画だと思います。

 危うげな不穏さや怪しさを醸し出しているケビンが兄弟の中では最後まで生き残り、家族に囲まれて過ごすという(映画の中での)結末は、絶望感の中の希望を感じさせてくれて、史実に基づいているとはいえ映画的には綺麗な着地点だったなと思います。なお、ケビンが中心ではありますが、全体的には群像劇の構成となっています。

 なんとなくの質感というか手触り感が映画『フォックスキャッチャー』に似ているように思えました。

 映画的な嘘というかデフォルメもしっかりとしていて、一本の映画として史実を知っている人も知らない人も雰囲気を楽しんでもらえるように作られている点は素晴らしいと感じました。省く箇所や変更している箇所も考えられていて、そこは映画としてどう道筋を立てて表現していくかを考慮した結果だと思います。

 エリック一家が好きな方や、当時からのプロレスファンには省かれ方や時系列の省略・簡略化等が気になるかもしれません。鑑賞にあたり本作はドキュメンタリー映画でも再現映画でもなく、伝記映画としての側面を持ちつつの創作映画であるという点は理解しておいた方がいいでしょう。プロレスを全く知らない人が本作を鑑賞してどのような感想を抱くのか単純に興味があります。

 本作唯一の欠点は、ザック・エフロンが鍛えすぎて、実際のケビン本人よりも体の線がかなり太くなっていることかな(笑)。もっと線が細かった印象があります(キャリア晩年は映画のようにごつい体格になっていたようですが)。ただ、よくここまで鍛え上げたよなぁと感嘆しました。今すぐにでもプロレスラーとしてデビューできそうです。

 あ、もう一つの欠点がありました。試合展開や結果が予め決まっていると思わせる描写を入れながら、そうでもないという描写(アクシデント等ではなく)も入れていたりとブレた表現になっている部分です。そこは劇中内でどちらかに統一しておいた方がよかったと思いますし、本作としては試合展開や結果は予め決まっていないというスタンスで作った方が、一家の悲劇性や呪われた一家という側面をより濃く反映できたと思います。

 実際のプロレスラーを演じられた方も結構似ていて、容姿が似ているというよりも雰囲気が似ている人を選んだのかなという感じです。特にハーリー・レイステリー・ゴディはよくこんなに似ている人を連れてきたなーと思いました。ザック・エフロンはケビン・フォン・エリック役というよりもリック・フレアー役の方が似合っていそうな気がしました。

 仕方がないこととして、兄弟間の身長の差が史実というか実際との比較でなんか違和感があるのですが、そこまでツッコミ入れちゃダメっすよね。

 

<史実と本作との大きな相違点と補足(ウィキペディアほか参照)>

生年月日(没日)/身長・体重(公称値)

フリッツ・フォン・エリック/1929年8月16日~1997年9月10日(没)/193cm・125kg

ケビン・フォン・エリック/1957年5月15日/188cm・107kg

デビッド・フォン・エリック/1958年7月22日~1984年2月10日(没)/201cm・118kg

ケリー・フォン・エリック/1960年2月3日~1993年2月18日(没)/191cm・120kg

マイク・フォン・エリック/1964年3月2日~1987年4月12日(没)/188cm・108kg

クリス・フォン・エリック/1969年9月30日~1991年9月12日(没)/165cm・73kg

※長男のジャック・アドキッソン・ジュニアは幼少期にお亡くなりになられておりプロレスラーとして活動もしていないため、ここでは省略しております。

 兄弟構成で末弟のクリス・フォン・エリックが本作内では描かれておりませんが、キャラクター的にはマイクに統合したんだと思いますし、拳銃自殺したという点でケリーと被り、映画の展開的にはNWA王者にもなったケリーの拳銃自殺をキッカケにケビンが父親から独立するという流れにしたかったと思われるため、構成上仕方がない対応だと思います。エリック一家を知らない人には兄弟が多いことで情報過多になる懸念もありますし。エンドロールにはしっかりとクリス・フォン・エリックにも敬意を示されています。

 ケビンの結婚式でデビッドが吐血(喀血?)した場面で日本に行く件についての会話がありますが、この時期前後(1984年2月)のデビッドはUNヘビー級王者で、日本で天龍源一郎氏を挑戦者に迎えてタイトル戦を行う予定となっていた件にあたります。また、この時期前の1981年にケビンとデビッドの二人は全日本プロレスに参戦しており、アジアタッグ王者にもなっています。

 ケリーがNWA王座を戴冠した日の夜に交通事故にあって右足切断になってしまったような描かれ方になっていますが、実際にはNWA戴冠が1984年5月6日で、事故は1986年6月4日と2年後となります。また、王座戴冠から3週間後に日本で行われたリック・フレアーを挑戦者に迎えた試合で王座を奪還されています(全日本プロレスで開催)。

 ケリーがWWF(現WWE)でWWFインターコンチネンタル・ヘビー級王座を戴冠(1990年8月27日)した年のクリスマス前に実家に帰ってきて、もうWWFとは契約がなくなるみたいなことを言っており劇中ではまだ王者みたいな扱いでしたが、王者だった期間は83日でその年のクリスマス前は既に王者ではなく、実際にWWFとの契約が解除されたのは1992年となり、1年以上の開きがありますし、WWFの契約解除後も米国の複数のインディー団体に参戦していました。

 ケリーが自殺したのは自宅であり実家ではありません。(←このときの自宅は実家なのかな。ここは私が間違ってるかもしれません。)

 兄弟で亡くなった順は、ジャック・アドキッソン・ジュニア(幼少の頃に事故死)、デビッド、マイク、クリス・フォン・エリック、ケリーとなります。

 フリッツはWCCWを経営(プロモーター)していたほか、一時期NWAの会長にもなっています。

 

<余談>

 昔のアメリカンプロレスをご存知ない方に簡単に説明しますと、昔は各地区毎(日本で言えば都道府県別くらいに思ってください)にそれぞれ独立したプロレス団体・組織があり、それらが集まり連携・提携して作っている組織(連合体)がNWAやAWAとなります。WWE(昔のWWWFWWF)は元々はニューヨーク地区の団体でしたが、そのまま全米全体をテリトリー(興行地区・範囲)とし今の隆盛に至ります。

 フリッツが設立したWCCWはテキサス州をテリトリーとしたプロレス団体で、NWAに加盟していました。

 NWA世界ヘビー級王者は、NWAに加盟しているその地区毎のプロレス団体に参戦(巡業)し、その地区のエース級の選手と王座を争うことから、昔は世界で一番権威のある王者と言われていました。

 

<その後>

 ケビンは1995年にプロレス引退後ハワイに移住します。その後、息子二人が日本のプロレス団体ノアに一時期入団することになります。ケリーの娘も一時期プロレスラーとして活動しています。