※ネタバレ、はしてないと思いますが、注意は必要です。うんうん。
ボクは大好物ですよ、この映画。素晴らしい映画でした。長澤まさみを眺めるという目的のためだけの、正統派アイドル映画だったと思います(褒めてます)。
ですが、個人的には、かなりの居座りの悪さというか、チグハグさが心にずっと残った映画でもありました。
長澤まさみは超美人ですが、どう見ても15歳には見えません。初々しさがないんですよ(悪いことじゃないんですけどね)。目元の小じわもはっきりと映ってるし。
そうなんですよ、そこなんですよ。この映画は、長澤まさみ演じる主人公が15歳の時と23歳の時、二つの時代を舞台としているのですが、それぞれの舞台に同じ俳優を充てているために、おかしなことになっちゃってるんです。
この15歳から23歳の年代って、凄く変化が激しい時期だと思うのです。特に外見においては。似てない俳優を使うよりも、同じ俳優でという気持ちはわかるのですが、同じ俳優に拘ってしまったことにより、15歳の時代の舞台が、23歳の時代の舞台に引っ張られ過ぎているんですよね(特に負の要素に)。
15歳の時代の舞台が、破綻とまでは言わないまでも、ギャグとして観て欲しいのかなと思えてしまうんですよ。23歳の時代がメインとはいえ、15歳の時代の舞台をこんなに破綻寸前にしなくっても、と。
例えて言うと、志村けんがバカ殿を演じるときにあのメイクを施すのは、見た目から笑って欲しいという仕掛けであり、笑わせるためにあらゆる方向から攻める手段なわけですよね。あのメイクのままシリアスな演技をしても、最後に笑わせるための踏み台として、今はシリアスさを演出している、という思考になる人がほとんどなのではないでしょうか。
ボクもそうなりました。そういう思考から抜け出せなかったのです、最後まで。
15歳の時代に出ていた俳優さん達は、素晴らしい演技をしていたと思います。そこに疑問の余地は全くありません。でも、15歳ですって言われると、笑うしかないんですよね。
また、全員が15歳に見えないよっていうことであればまだ救いはあったのですが、一部の俳優さんは15歳にも見えるなんていうこともあって、これはもう、ギャグじゃないのかと思い込んでしまっても仕方がないでしょう。
岡田将生の15歳(彼の役の場合は15歳かどうかは不明ですが)は、まぁ、見えなくもないかなって感じなのですが、映画的には、というより、個人的にはここら辺りが限界というかボーダーラインだと思うのです。見えなくもないかなという印象(感想とした方がいいのかな)は、映画としては正しくはないんじゃないかと考えてしまうのです。
高良健吾はもう横道世之介にしか見えないし(これは、ボクの問題か)。っていうか、高良健吾は23歳の時代の舞台には登場しないんやから、彼じゃなくてもよかったじゃん。15歳に見える俳優を使った方が、より23歳の時代の舞台が活きたような気がしてきた。あ、俳優としての高良健吾には全く文句はないですよ。彼は素晴らしい俳優ですから。この映画での演技も素晴らしいです。単に彼じゃない方がよかったのかなってことです。
長澤まさみは超美人です。何度でも書きます。現時点で日本一の美人です。でも、23歳にすら見えないかもっていう部分がまた恐ろしい。それだけ大人な女性になったということなんでしょうけれども、役の設定的には、彼女は合っていなかったんじゃないかなと。ミスキャストだったんじゃないかなと。
それでも、この映画(の製作陣)は長澤まさみと心中することにしたのだと思います。そして、素晴らしい映画になっているという事実を、ボクは受け入れたいんですが、何かが邪魔をするのです。それは、自分の中に巣くっている凡庸な常識というものなのかもしれません。
原作があるし(原作は未読です)、それに縛られてしまうのは仕方がないのですが、映画化するにあたっては、特に年齢設定の部分は脚色してもよかったのではないでしょうか。
15歳の時代は、全く別の俳優を使うことにして、現代の年齢設定をもうちょっと上げて、長澤まさみの実年齢くらいにしたとしても、物語としても、テーマ(再スタートということですよね)としても、問題はないと思うのです。
そうしていれば、ボクの中では、もう忘れられない映画になってしまったのに、という感情があるんですよね。それが、ボクの中で、居座りが悪いのに居座ろうとする感情になり、チグハグさを感じさせてしまう正体なのかもしれません。
色々と書いてるうちに、映画の詳細な内容を忘れてしまってるぞ(泣)。まぁ、どうせブルーレイ出たら買うし、そのときにゆっくりと観よう。