悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2024©りょんりょん) ※(主に)映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。ごめんなさい。

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SYNCHRONIZER (シンクロナイザー)

一部ネタバレdisってもいるかも。でも、パンフレット買うくらいには気に入ってます。





 鑑賞後に監督の舞台挨拶がありました。知らんかった(笑)。ちょっとうろ覚えですが、舞台挨拶の内容を書いてみます。メモってもいなかったので、間違ってたらごめんなさいということで。こういうニュアンスのことを話していたと思ってください。

 立教大学文部科学省とで行ったプロジェクト内の映画で、両者の折半で映画費用が出ており、本映画も含めて合計3本が製作されている。短編や長編、内容の縛りはなかったので、長編での映画を作ることにした。(補足:パンフレットから、うち1本は『SHARING』、もう1本は筒井武文氏が監督する映画とのこと)

 脚本は監督も含めて3人で書いているが、監督自身が脚本は苦手ということで、他の方に手伝っていただきたかったことと、他の人のアイデアも映画に取り込みたいという気持ちがあったのが理由。脚本の役割分担的には、最初のざっくりしたアイデアを監督が出し、3人でそのアイデアを膨らませて取りまとめ、それを小出氏がある程度脚本にしたものをベースに、一旦別件で脚本作業から離れていた竹内さんが復帰して、主に主人公とヒロインと主人公の母親の3人の場面を担当した。

 本映画は、デヴィッド・クローネンバーグの『ザ・フライ』に影響を受けているというか、意識して作っている。

 本映画も恋愛の要素があるが、自分が映画を二十歳のときから作り始めたときから恋愛映画を作っており、それが大好きなんだからだと思う。

 主人公と母親がシンクロしている場面で母親が喘ぎ声を出すが、脚本段階にはなく、撮影が進んでいくなかで、この場面の撮影の2日か3日前に(監督が思いついて)入れた。スタッフに話したときは、そっち方向に行くの?という感じで引いていた。母親役の美谷和枝さんは最初に話したときは嫌がっていたが、いざ本番になると喘ぎ声をしっかりと出してくれた。シャンソン歌手としての活動もされており、オーディションのときに会ったときはそのときの服装も含めて、エロいおばちゃんに見えた。

 最後の場面で、若返った母親がベッドの上で仁王立ちしているのも、その場面を撮影する2日か3日前に思いついて入れた。結果的に若返った母親が神々しく見えた場面になったと思う。

 文部科学省が製作費を出してる映画ということで、どうしてもそういう映画で濡れ場を入れたくなったので、主人公とヒロインの濡れ場があります(笑)。

 主人公の母親が三段階に変わっていくのは、母親、熟された女性、処女性という3つを女性に求めているからなのもしれない。

 以上が、舞台挨拶での監督のお話と観客からの質問への回答です。もっとあったかもですが、もうかなり忘却の彼方です(てへ)。最初にも書いたように、こういう感じのことを話していたという捉え方でお願いします。

 ここからは私の愚痴。舞台挨拶の司会をされた第七藝術劇場のスタッフの方が、監督への質問を募り、3問ほど質問があったのですが、「まだないですか。ないようですね」と不満げな形で締められたんですよね。みんなさ、終電の時間もあるし(23時前でした)、観客数も20名ちょっとだったし、観客全員が楽しめたかどうかも不明だし、別に質問したいと思わない人もいるし(それが悪いわけでもない)、温度差もあるんだから、そこはさ「質問ありがとうございました。時間も遅いので本日はこれで終了します」と締めた方が、舞台挨拶した監督も、鑑賞した観客も含めて、すんなりと舞台挨拶終了にできたと思うんですよ。なんかモヤったよ。

 まぁ、ミニシアターのスタッフをしてるくらいだから映画が大好きなんだろうけど、このときのスタッフは、映画監督にも、観客にも、映画自体にも目を向けてなくて、映画が好きな自分に目を向けていただけなんですよね。おそらく、ミニシアター病(MTD)という病気に罹患してるんでしょう。この病気、映画関係者や観客も関係なく発症してしまい、伝染することもあるから要注意なんですよね。治療薬はないし、自然治癒しか望みはないんです。というか治るのだろうか。恐ろしい病気です。

 ということで、映画の感想に移りますが、役者陣が下手というか、特に脇役の人がね、もうちょっと役者への演出をしっかりとしてほしかったですね。主人公役の方も、もうちょっと変わっていく様への過程を演技として出してほしかったというか。ヒロインはまぁ出せていたと思いますが。

 あと、主人公が実験用のハムスターとシンクロした結果、お菓子の食べ方がちょっとハムスターに影響を受けたとか、主人公と母親がシンクロした結果、母親にもそのハムスターの影響が出ていたと思われる場面(母親がヒロインの手を噛むところ)とかあったけど、そういう伏線を張ったわりにはそこを回収してないよなーとか。

 最初に主人公とシンクロした実験用のハムスターは翌日くらいに死んでしまうんですが、その死体を業者が回収するので冷凍保管してたら、死体が四散してたということで、主人公の母親もそうなるのかと思ったら、別にそういう終わり方ではなかったし。ヒロインが主人公のところに駆け付けるキッカケにしていただけで。なんか、人体四散を期待してしまったというのもあり(マテ)、無駄な伏線だったなと強く思ってしまいました(自業自得w)。

 低予算だから仕方がない部分もありますし、低予算だからこそできたこともあるかと思います。個人的にはもう少し製作面で余裕(予算や人的な面)があり、うまい役者さんを絡めることができてればなぁと。凄い惜しい映画になってしまってると思います。嫌いじゃないし、こういう映画だからこそ好きになってしまうという側面もあるし。あぁ、私もミニシアター病に罹患してしまったのかなー。