悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2024©りょんりょん) ※(主に)映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。ごめんなさい。

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クロニクル

じわじわと好きになってきてます。ネタバレしてます。




ネットでは既にかなり前から評判になっていて、日本公開が期待されていましたが、やっと公開が決まったと思ったら、首都圏だけという、日本国家お得意の首都圏優遇措置が施され、それに辟易してしまって、UK盤(だったかな)のブルーレイには日本語字幕が付いていてリージョンフリーで値段も安かったことから(ボクの買った店、新宿のビデオマーケットでは送料込みで3,000円もしなかった)ついポチってしまった翌日に、好評につき首都圏だけではなく全国公開が決まってしまうという仕打ちに耐えつつ、数日後に届いたブルーレイで鑑賞しましたが、評判になるだけあるわ、面白いわって思いました。

えっと、前置きが長くなりましたが、劇場公開されていることだし、映画館でやっぱ観ないとなっていう変な義務感を抱き、この映画についてはいつも特別料金(1,000円)ということもあり、そそくさと映画館でも鑑賞してきました。

先ずボクが観たブルーレイでは、ディレクスターズカット版が収録されていて、そうとは知らずにそっちを観ちゃったのですよ。

で、日本での劇場公開はディレクターズカット版じゃなくて、通常公開版での上映でした。ディレクターズカット版でやればよかったのに。5分ほど長いのですが、それでも上映時間は90分はないし、ラストの場面からカットされたアンドリューの銃弾捌きは入ってないと、マットの、アンドリューの暴走を食い止めないといけないという決意と、あのタイミングでしかアンドリューの暴走を阻止出来ないという焦りが弱く映っちゃうと思うのですよ。

この映画は、POV形式ではあるのですが、POV形式でよくあるファウンドフッテージ(後で撮影されたものが見付かりました)形式じゃないですよね。劇中でもマットがアンドリューに問いかけるように、ビデオカメラはアンドリューにとってのバリアという意味と、世間(社会)を覗くための道具という意味であって、だからこそのPOV形式の選択(まぁ、監督がこの方式が得意ということもあるのでしょうが)だったのではと思うのです。

最後の場面は、POV形式ではない映画のようでもありますし、色々なカメラがアンドリューとマットを映し出すのは、彼らだけの超能力ではなくなった、もう彼らだけの秘密ではなくなったという意味もあると思うのです。

強引な力技ではありますけど、POV形式とこれまでの通常形式の融合(というか移行かな)をスムーズに行った手腕は凄いなって思います。『REC3/レック3 ジェネシス』の清々しいまでの切り替え方も好きですけどね(笑)。

よく言われているように、確かにAKIRAっぽい部分もかなりあります。青春の鬱積した力の暴走をよく描いていますし。

ボクは、ほとんどの人は、超能力を手に入れた途端に、アンドリューと同じ選択をしちゃうよなぁと思いながら観ていました。だからこそ、マットの最後の選択が、凄いキラキラした、もう一つの青春の希望として眩しく映りました。

この映画も、『江ノ島プリズム』と同様に、結末を知ってからの二度目の鑑賞の方が、切なくて悲しくて、アンドリューの孤独感がビンビンに伝わってくるようでした。初回鑑賞時はマットの希望に救われて、二回目の鑑賞時はアンドリューの底知れない孤独に打ちのめされました。

新しいPOV形式の表現も感じられたし、今後もカルト的な人気に支えられる映画じゃないかなと思います。画期的で、凄い映画です、これは。