悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2024©りょんりょん) ※(主に)映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。ごめんなさい。

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ガタカ

若干ネタバレしております。




 切なくて、美して、そして、希望を持つことの素晴らしさが物悲しく描かれている映画でした。

 評判のよい映画でしたが、なんとなく今まで観る気持ちにならなかったんですが、もっと早く観ておけばと思いました。

 主人公は、現実世界にとってはごく普通の生まれ方ですが、この映画の世界(少しだけ先の未来)においてはあまり歓迎されない生まれ方でした。そう、この世界では遺伝子操作で子供を作るのは当たり前だから。

 当然、主人公は不適正者として生きていかざるを得なくなります。遺伝子操作で生まれた弟に差を見せつけられて育ちますが、それでも、宇宙飛行士になるという夢だけは諦め切れなかったというよりかは、それが生きがい、それが主人公の力となっていったのでした。

 ある日、弟と遠泳勝負をしてはいつも負けていたのに、その日は弟に余裕を持って勝ってしまったのです。そこで、主人公は自分の夢に向かってどんな方法を使っても突き進むことにするのです。そう、止まってしまっては自らの可能性を手放してしまうことなんだ、と。

 ジュード・ロウに髪の毛があるよ〜〜って映画を観ながら叫んでしまいましたが、私が初めてジュード・ロウの存在を知ったときも、彼は髪の毛があって、イケメンというよりも、美しいという言葉が似合う俳優さんでした。それを思い出しました。

 ジュード・ロウは主人公が自分に成りすますために、血液、尿、髪の毛、あらゆるものを提供します。この世界、特に主人公が勤める「ガタカ」という宇宙関係の企業(?)は、入館にも血液チェックが必要ですし、何かあれば尿検査とか、色々と面倒なのです。

 ガタカ内で、主人公を怪しんでいた主人公の上司が殺されるという事件があり、野次馬してしまった主人公の睫毛が殺人現場付近で落ちてしまったため、警察は主人公を容疑者というよりも犯人と決め付けて追いかけるのですが、犯人はガタカの局長でした。

 殺人の理由は、主人公の上司が70年に一度のタイタンへの宇宙飛行のチャンスを潰してしまいかねないからというものでした。もしかして、局長は主人公の正体に気付きながらも(不適切者だとわかっていながらも)、主人公の才能だけを評価していたのかもしれません。

 殺人事件を捜査していた警察のお偉いさんが実は主人公の弟で、主人公は殺人の容疑からは解放されましたが、身分詐称という罪は残っていました。主人公は弟に、またもや遠泳勝負を持ちかけ、勝利します。そこで、弟も主人公が言う可能性を信じたのでしょう。主人公は身分詐称で逮捕されませんでした。

 宇宙飛行の当日、搭乗前にこれまでなかった尿検査が行われます。いつも検査していた医師も、おそらく主人公の正体を知っていたのでしょう。主人公も、ジュード・ロウの尿を用意していなかったのか、自らの尿を差し出します。そして、不適正者の表示が当然出ますが、医師もまた可能性を信じて表示を詐称します(おそらく、かなり前から主人公の正体を知っていた模様)。

 ジュード・ロウは、自ら才能のある人生を放棄(自殺未遂?)しましたが、主人公と出会ったことで再び人生を謳歌したんだと思います。主人公と一体になっていく感覚だったのかな。そして、主人公が夢を叶えたとき、ジュード・ロウの夢も叶ったんだと思います。そして、主人公が自身の身代わりとしてこれからも生きていけるように、自分の血液や尿を大量に残し、自分自身は死体が残らないように、そして廃となって主人公と同じ宇宙に行けるように(戻るように)と、炉の中で焼身自殺(この場合の自殺はネガティブな意味ではなくて、再生、再出発という意味が込められていると思います。輪廻転生というか)します。

 この映画は、結構淡々と話が進んでいきますが、ところどころでギアチェンジというか、急にちょっとだけ速度アップして、また淡々とした流れに戻るという形を取ることで、主人公とこの映画の中の世界との接点を強く印象付けようとしていたのかな、と思いました。

 この映画がきっかけで、イーサン・ホークユマ・サーマンって結婚することになったんでしたっけ。結局、イーサン・ホークの浮気が原因で離婚しちゃったんですよね。