悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2024©りょんりょん) ※(主に)映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。ごめんなさい。

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ゴジラvsコング

若干ネタバレしています。disっちゃってますね。

 

 

 

 

 

 

 

アマゾンプライムビデオにて鑑賞

 

やっと観ました。凄くモタモタした映画だなと思いました。展開自体は速いのですが、緊張感がないように感じて、それでモタモタしていると思ってしまったのかなと考えています。

 大きな流れとしては、アレクサンダー・スカルスガルドのパートと、ミリー・ボビー・ブラウンのパートが交互という形で、色々と仕掛けはあるのですが、本当にモタっているとか、ダラっとした感じが最後まで拭えなかったんですよね。

 広げた風呂敷の畳み方を忘れたので、開き直って更に風呂敷を広げようとしたというような印象も残りました。

 今回は、コングが主人公の席に座る変わりに、ゴジラへの負けブックを飲んだという形ですよね。ラスボスのメカゴジラを最終的に(最後の一撃で)倒したのもコングですし。ゴジラは今回は影が薄いというか、ゲストみたいな形でしょうか。客演感バリバリでしたね。一応、ゴジラ映画ですよね、これ……。

 地球で最強の生き物はゴジラになったようですが、生き物カテゴリー関係なく地球最強はメカゴジラだったというヲチでしたが、それで納得してもいいんでしょうか。宿命のライバルであるゴジラとコングが、各々タイマンでは倒せないメカゴジラを協力して倒すという胸熱展開にしたかったんでしょうけど、描写がコング寄り過ぎて共闘という面での熱量を生み出せなかったのは痛いところだったと思います。

 どうして、ゴジラとコングを戦わせたくなるのか分かりませんが、どちらにとってもLose-Loseな関係にしかならないように思えます。

 小栗旬さんの白目芸はよかったけど、彼を芹沢博士の息子という設定(ですよね)にする必要はあったのでしょうか。キャラとしての味付けは、親の仇を討つみたいな印象も受けなかったし、ゴジラに対する執念みたいなものもなかったように見えましたし(そういった部分は編集でカットされたのかもしんないけど)。「ゴジラ」の発音は日本式でしたけど、そこだけ親の意思を継いだってことなんかな。最後は昇天したみたいな描写がありましたが、死んだということなのでしょうか。よく分かんないっす。

 小栗旬さん的にはたったこれだけの出演で、しかも特に重要なキャラとして描かれていないのであれば、拘束時間とか諸々の制限がかなりありそうなことを考慮したら、無理してハリウッド映画に出る必要はないよなと、そりゃ思っちゃうよなーと。だって、芹沢博士の息子じゃなくても映画としては成立しちゃうようなキャラの描き方でしかなかったですから。ポッと出のキャラでも成り立つ程度の描き方でしたし。

 メカゴジラは、アサイラム映画に出てくるようなデザインのものをお金をかけてアップデートしましたって感じで、チープだけど個人的にはよかったです。でも、かっちょよくはないですね(笑)。あ、映画自体もお金をかけたアサイラム映画だったように思えてきました。うん、この映画の感想を一言で言うなら、これだわ。<予算をバリバリ使ったアサイラム映画>。うん、なんか自分で納得してしまった。

 名作の(あ、名作なのは一作目でけですよ)『パシフィック・リム』と繋げる(モンスターバースでしたっけ?)構想もあったんですよね。なくなったようですけど、それでよかったと思います。