悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2024©りょんりょん) ※(主に)映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。ごめんなさい。

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ゴジラvsデストロイア


最後のネタバレをしてます。少しdisってもいるかな。




 映画としては面白いんですが、特撮がチャチな部分があるというか、雑な部分が目に付いてしまって、そこが気になりすぎてしまいました。

 最後の戦いですが、オキシジェン・デストロイヤーとか関係なくなってますよね。ゴジラメルトダウンを防ぐために、デストロイアをぶつけるって作戦だったのに、普通にゴジラデストロイアをボコった後で自衛隊がとどめを刺してるし。

 そして、メルトダウンするゴジラを高嶋兄(この映画で一番おいしい役だったw)の冷凍光線でやっつけるという形でした。いやいや、デストロイアゴジラジュニアを犠牲にしてまで(最後復活したっぽいですが)ぶつけた意味ないじゃん(笑)。途中も高嶋兄がゴジラを凍らせてますし、展開的にも同じものを二度見せられただけになっちゃってるんですね。

 『シン・ゴジラ』にしても、この前のハリウッド渡辺謙ゴジラにしても、ゴジラ映画というよりかは平成ガメラな雰囲気だよなって思ってたんですが、本作を見てどうしてそう感じたのかがわかりました。

 個人的な印象ですが、昔の特撮映画って本編(人間が主に出演するドラマ部分)と特撮(怪獣が主に出演する激闘部分)が、撮影自体も分離していたからか、一本の映画としての品質に差ができてしまっているっていうのが多かったように思います。でも、平成ガメラはそんな印象がなく、本編、特撮という区別というか壁を感じなかったんですよね。

 それが、この前のハリウッド渡辺謙ゴジラでも、『シン・ゴジラ』でも、そういう壁は感じなかったんです。だから、ゴジラ映画という印象よりも、平成ガメラっていう印象を持ったんだなぁと、本編と特撮の品質が分離している本作を見てわかったんです。それがわかっただけでも、個人的には本作を鑑賞してよかったと思います。

 

ゴーストバスターズ

disってます。ちょっとネタバレもあるかも。




 旧作は大好きですし、かなり前からのリメイクの噂や、その変遷も少しは知っていたので、気にはなっていました。そして、予告編からは面白そうなバイブを感じたので、先行公開期間中に観に行きました。

 オリジナルの主役達は理系男子(おっさん)三名+肉体派社員(おっさん)一名でしたが、本リメイクでは理系女子(おばさん)三名+行動派社員(おばさん)一名に変更されています。キャラ的な要素では、オリジナルでビル・マーレイダン・エイクロイドが演じたメインキャラは、今回の太っちょおばさんのキャラに集約されているような感じです。

 また、大まかな展開もオリジナルに沿ってるのかな。最後もマシュマロマン的な巨大なゴーストですし。あ、マシュマロマンも出てきますよー。

 うん、なんだろう。テンポが悪いのか。バトルは面白いところはあるんだけど、悪役がほぼフォーカスされていないのと(要するに影が薄いw)、主人公達とほぼ接点がないという部分で、盛り上がらないんですよね。2時間くらいあるのに、登場人物同士や世界観との関係性が描けていないという証拠になっちゃってますね。

 会話劇にしてしまったというよりも、会話劇に逃げてしまったという印象もあります。メインの二人はコメディアンらしいので、そういう罠に陥ってしまったのでしょうか。

 個人的にコメディ映画がダメになってきているというのもあるのですが、この映画の笑いにノレなかったのも楽しめなかった大きな要因かもしれません。

 オリジナルキャストもカメオ出演しまくっていますし、オジーも登場しております(本物みたいですw)。ヘビメタは悪魔の音楽であって、ゴーストの音楽じゃないですよね。

 何もかもクリヘムがかっさらっていきましたの一言で終了の映画でした。

 

シン・ゴジラ

評判がいいようですが、disってしまってます。



 『踊る大捜査線』に、織田裕二に代わってゴジラが出演したっていう印象でした。友人に言わせると丸っきりエヴァンゲリオンで、庵野氏が影響を受けた監督や映画からの焼き直しがかなりあったということでした。ボク個人としても、この場面は別の映画で観たことあるよなっていうのもかなり多く感じました。

 『踊る大捜査線』もエヴァンゲリオンの演出法とか諸々パクってたとは当時も言われていたように記憶しております。エヴァンゲリオンはほとんど知らないので、『踊る大捜査線』と思ってしまったわけです。でも、エヴァンゲリオンの監督は庵野氏なので、パクったというより、流用したっていうことですよね。

 そんなことよりも、ゴジラという映画で、日本の官僚とか政治とかを忠実に再現しようとしたものを観たいと思うかどうかで、この映画への好き嫌いが決まるのかなと思えました。

 ボクとしては、もっとゴジラが暴れまわってくれるのを期待してたんです。ゴジラが暴れまわっているところは迫力ある映像でかなり楽しめただけに、そこをもっと押し出してくれればという気持ちが強いです。

 それから、日本の官僚とかの場面も忠実に再現しようとするなら、セリフ回しが弱い俳優をメインに使うのは避けた方がよかったのではないでしょうか。それだけで、個人的にはもう忠実じゃないんですよね。キャラや場面に重みもなくなるし。それに、石原さとみが演じるキャラもいらなかったと思います。賑やかしにもなれていないのはどうなんかなと。

 エキストラの参加が多いであろう、逃げ惑う人々の風景ですが、明らかに熱意を持って参加してる人と、参加することに(自分にとってだけのw)意義がある人との温度差がかなりあって、結果的に緊迫感が削がれているように見えました。現実にはそこにはいないゴジラを想像できるかどうか、いや、想像しようとするかどうか、きちんと製作側はエキストラであっても選別すべきだったように思います。

 ゴジラを使って色々別の主張やテーマを内包した映画を作りたいっていう気持ちはわからんでもないけど、これってさ、(キャラクターとしての)ゴジラにとっては迷惑な話というか、被害者(怪獣だけどw)なんじゃねーのかなって。と言いつつ、ゾンビをそういう存在で起用するロメロの映画が好きなボクが言えることではなかった(爆)。

 ロメロのゾンビの起用は、きちんとゾンビの活躍も描くし、それをメインに表面上はきちんと持ってこれる手腕があるから許されるんだと思うのです。でも、この前のハリウッド版ゴジラといい、本作といい、その視点や方法論がすとんと抜け落ちているような気がするのです。

 

マッド・スピード

ネタバレしてます。disってるようなdisってないような。




 huluで鑑賞したのですが、始まったところのクレジットで、「げげっ、アサイラムかよ」って思いましたが、アサイラムで低予算な割には頑張っているのが随所に見受けられて、なかなか面白かったです。ツッコミどころ満載ではありますけどね!!!

 世界観や設定の説明は低予算映画でありがちな説明台詞によって観客に提示されるわけですが、一応、登場人物の会話劇という体裁の範囲ギリギリで収めており、説明だけの野暮ったさを回避していたように思います。

 マッドマックス+吸血鬼アクションって感じの映画ですが、マッドマックスぽさの無理矢理なはめ込み感を楽しめるかどうかがポイントでしょうか。低予算なのを(+アサイラムなのをw)、観る側がどれだけ補正して鑑賞できるのかを試されているような気もしました(笑)。緊張感が途中なくなったりしますが、ラストの展開でまたググっと緊張感を呼び戻してきたのも好印象です。

 世界観の設定は、あるウイルスが人類を襲い、感染した者は凶暴になり、人の血を追い求めるようになります。日の光は苦手ですが、死ぬまでには至りません。また、日中は洞窟や暗い場所で身を潜めています。集団で行動をすると、単体や少数での行動に比べより凶暴になるようです。吸血鬼と似たようなもので、昼間でも歩き回る感染者がいるという情報もあり、デイ・ウォーカーと呼ばれています。人類はほぼ壊滅状態で、幾つかの集団がポツポツを生きながらえているというものです。

 主人公は記憶を失った中年のおっさんですが、水を求めてフラフラと彷徨っているときにある集団にデイ・ウォーカーと間違えられて撃たれてしまい、うわっ、普通の人間やったっていうことで、その集団の基地で手当てを受けます。手当てをした女医さん(なのかな。ネイティブ・アメリカンっていう設定っぽいけど、東洋人っぽいんですよ、役者がw)が、主人公の体の傷や症状から、もしかしてウイルスに免疫がある人間なのかもと推測し、集団のリーダーに報告します。というか、この集団のリーダーが本当の主人公だったような。

 集団のバカップル男子が、映画の冒頭で感染者に不用意に接近して噛まれてしまい、バカップル女子(この役の役者が一応トップクレジットでしたね)に殺してくれって頼みますが、女性は殺せず、基地に連れ帰ってしまいます。

 他方、マッドマックスグループが女性一人を追いかけ回し、捕らえます。で、この方達、忘れられたかのように、終盤近くまで出てきません。

 銃弾も尽きかけているところで、主人公が途切れた記憶の中から、近くの町に銃弾を作れるような工場みたいなんがあったと言い出します。また、主人公が免疫を持ってるということは、血清も作れるだろうということで、その道具とかも探しに主人公を含む集団の一部メンバーが向かいます。その町でやっとマッドマックスグループの一部が再登場し、主人公もその仲間であったことがわかります。

 紆余曲折があり、主人公を含む集団の皆さんとマッドマックスグループが対戦し、人数で有利なはずのマッドマックスグループの皆さんはやられちゃいます。そして、マッドマックスグループに追いかけられていた女性は、主人公の彼女だったことが判明します。

 近くに大学があるというのを知っていた集団の皆さんは(えっw)、大学という名のあばら家で血清を作り、生かされていたバカップル男子に注入します。バカップル男子は感染してからはうーあーとしか叫べなかったのですが、血清の効果なのか、きちんと言葉を話すようになり、会話もでき、光にも過敏ではなくなりました。ただ、主人公と同様に記憶喪失な状態です。そして、感染者は水が飲めなくなり血を欲するようになるということから、テストの意味合いで水を飲ませようとしますが、飲めませんでした。

 ここで、主人公はウイルスに免疫を持っているのではなく、ウイルス保有者ということがわかり、今まで和気藹々と一緒に頑張ってきた集団の皆さんと戦闘状態に入ります。って、なんでやねん。まぁ、こういう展開を予想してなかったので、かなり楽しめましたけどね。でも、主人公は水を飲むし、血を求めないし、ウイルス保有者だったとしても通常の人間と変わらないと思うのですが、集団の皆さんは始末しようとします。

 主人公はマッドマックスグループの首領みたいなポジションであり、今のマッドマックスグループの首領から洞窟にいる感染者掃討中に、首領は二人もいらねぇ作戦という罠に嵌められ、感染者の巣窟となっている洞窟に彼女と一緒に置き去りにされちゃったのです。(おそらく)感染者を屠って脱出したものの、主人公は感染者に噛まれていました。ところが、彼女も既に感染者になっており、主人公は彼女に噛まれたことから感染者の仲間入りをし、記憶喪失になってふらついていたのです。

 彼女が言うには、都会では自分のような者がたくさんいる(=デイ・ウォーカーなのかな)ということです。で、デイ・ウォーカーになると血を求めなくなるのかもしれませんが、そこはあやふやでしたね。主人公の彼女も、主人公を襲ったとき以外は血を求めてませんでしたしね。ウイルス保有者ではあるけど、感染初期だけ血を求めるだけで、あとはほぼ普通の人間に戻る?のかな。

 バカップル男子はバカップル女子に対して見逃してくれって懇願しますが(特に何もやってないし、蘇生しても記憶がないので当然ですよね)、バカップル女子はここでは銃殺しちゃいます。映画の冒頭と同じように助けて、一緒に逃げればいいのにって思いましたけどね。

 と、血清ができてハッピーエンドな展開と思いきや、最後の最後にバッドエンドテイストな展開となりましたが、大どんでん返しっぽくて、これはこれでアリだなぁと。

 えっと、褒めてるように思えるかもしれませんが、まぁ、アサイラムに若干の耐性がないと、やっぱしつまんないって思われる映画でもありますが、ボクは大好きですね、この映画。

 

FAKE

かなり面白かったです。多分、disってません。ネタバレはしております。




 面白かったです。即興演奏を曲に仕立て上げたという感じの映画でした。ドキュメンタリーという表層的な体裁をとっているので、そう感じるのは普遍的なものなのかもしれませんが。

 あのゴーストライラー騒動って、まだ2年ちょっと前なのですね。もう4年か5年は経ったような気がしていました。世間一般ではかなり風化したんじゃないでしょうか。この映画は、その騒動の顛末を追いかけるというものではなく、その騒動の主役である佐村河内守氏の今とそれからを描こうとしています(ラスボスは新垣隆氏に設定していると思われます)。

 ボクは、ゴーストライラー騒動が出るまで、佐村河内守氏の存在は知りませんでした。広末涼子主演の映画『桜、ふたたびの加奈子』のテーマ曲を担当していたということで、その映画をいい映画だったなという感想を持っていたボクは、テーマ曲ってどんな感じやったっけって思ったくらいでした。未だに佐村河内守氏が作曲したと設定されていた曲を、自分の意思で聴いたことはありません。どこかで流れているのを耳にしたことはあるかもしれませんが、それを佐村河内守氏が作曲したと設定されていた曲として認識してはいません。

 そんなボクがこの映画を観に行った理由は、偶然観た予告編が面白かったことと、なかなか映画としての評判がよかったからです。

 佐村河内守氏を通して、報道や情報に対する接し方といった提示の部分もあるかと思いますが、愛情、友情、感情の揺れ、そういったものを主軸に置いて製作されたのかなと感じました。劇中の最後の方で、佐村河内夫婦二人を撮りたかったという旨の発言が監督からあったことからも、ゴーストライラー問題の内容とかはどうでもよくて、大きな騒動を引き起こした当事者のその後が知りたかったんだろうなって推測します。

 ところどころ飼われている猫が映されるのですが、ドキュメンタリー映画で関係ないカットをさも意味ありげに映すというものが個人的には多いと思っているのですが(場面転換の合図として用いてるのもあるのでしょうが、どうもそういう場面を入れることが高尚だと思い込んでるというか、それを利用しようとしてると感じるのです)、それをパロってるだけなんでしょうけど、そういうところがこの映画のあざといところでもあり、観客に対する問いかけにもなっているように思えました。

http://www.takashi-niigaki.com/news/576
 この映画を観る前に新垣隆氏のマネジメント会社から、このような経緯というかやり取り(上記のものが事実かどうかは不明ですが)があったことを先に読んで知っていたので、この映画を事実を基にしたドキュメンタリー映画として捉えるのは、個人的には抵抗がありました。ただ、ドキュメンタリー映画だからといって、事実(または真実)を映している、事実(または真実)を追いかけているわけではなく、あくまでも事実(または真実)、あるいはそれに類似する事象を映像に捉えて構成することがメインの映画の手法の一つってだけですもんね。ドキュメンタリーの体裁をとった映画はモキュメンタリーとして区分されるように思っていますが、そもそもそういう区分が間違っているように、最近は考えるようになっています。

 佐村河内氏が豆乳とケーキが大好きというのは、紛れもない事実なんだろうと思います。この映画での唯一の事実と真実が一致しているところではないでしょうか(笑)。

 これが最大のネタバレですが、終盤で、監督が佐村河内守氏に曲を作ってみようよと提案というか煽ります。佐村河内守氏は、昔に住んでいた部屋が狭いという理由から楽器は捨てたらしいのですが(こらこらw)、改めてシンセサイザーを買って作曲活動に励みます。その曲がエンドロールにも流れるのですが、そのエンドロールにも、パンフレットにも、公式サイトにも、作曲者名とかが出ていないのが不穏です(笑)。

 監督も、音楽家としての佐村河内守氏の設定で遊びながら、実在の人物としての佐村河内守氏の人柄にその設定を再び落とし込んだときにどうなるのかという実験みたいなものをしたかったんじゃないかな、なんて思ったりも。

 

フェーズ6

少しネタバレしてます。少しdisってもいます。




 致死率100%のウイルスが発生し、人類はほぼ滅亡状態。そんな状況下で、二人の兄弟と、兄の恋人、弟の友人女性の4人は、兄弟が昔に家族でよく来ていた海辺のホテルを目指して車を走らせるという、終末映画系ロードムービーです。

 途中、ラジオでのワクチンが見付かったという放送に希望を見出し、その場所へ行こうとする父親と感染した幼い娘も一緒に行動することになります。しかし、その場所に到着したはいいものの、結局ワクチンは3日間しか効果がないというものでした。そこにいた医者が言うところの「生きることは時には死ぬことよりも苦痛だ」という、苦しみが3日延びただけだったという意味の言葉は重いです。この映画は、この言葉がテーマになってもいます。

 時間が短く、淡々と展開するので、こういう映画にありがちな重い展開、深く突っ込んだ展開はありません。途中で遭遇する、人種差別を象徴したであろう描写の移民者を虐殺する人達や、ホテルを根城とした集団、おばちゃん二人組といった面々との遭遇も、イベント消化という感じで処理されていきます。兄の恋人がウイルスに感染してしまい、途中で置いていくという重要な決断も、単なるイベントになってしまってるのはどうかなとは思いました。

 終盤になって、おばちゃん二人組を襲ったときの銃撃戦(というほど大層じゃないけどw)で、兄は足に重傷を負ってしまい、ウイルスに感染していたことも判明します。弟とその友人女性は、兄を置いて去って行こうとしますが、兄は連れて行けってダダをこねます。結局は弟が兄を銃で撃って殺します。

 兄がダダをこねると書きましたが、ボクは兄がダダをこねたんではなく、弟に目的地に着くためにどうすればいいのか自分自身で決断しろということを、自分の命をかけて伝えたかったという場面だったんじゃないのかな、なんて観終わったあとに思いました。

 ラスト、弟と友人女性は海辺のホテルに着きますが、誰か人がいるわけでもないし、二人はおそらく性格的に合わなそうだし、未来なんてないし、生き延びたからどうなんだろうっていう終わり方はよかったと思います。

 こういう終末世界ものは大好きではあるのですが、実際に起こったとしたら、原発とか安全に停止してくれるんだろうかって考えます。原発の構造を知らないのですが、勝手に停止してくれたとしても、トラブルがないとも限りませんし。

 弟の友人女性の役の人がエミリー・ヴァンキャンプで、この映画ではキャプテン・アメリカの映画で見せてくれるようなクールビューティーというよりかは、冷血な女性といった雰囲気でした。まぁ、少し病み始めてるっていう設定だったこともあいまっての印象です(その設定はあまり活かせることはできなかったようですがw)。

 

セトウツミ

えっとdisっていません。ネタバレも何も特にそんな展開のお話ではないのでしてません。




 予告編は何度か観ていたのですが、正直、「また池松壮亮菅田将暉かよ。染谷将太綾野剛が落ち着いたと思ったら」っていう感想しかなく、観たいとは思いませんでした。

 しかし、ツイッターでの評判がいいことや、最近ちょっと映画を観る回数が減ってきていて、なんでもいいから映画を観たいなと思ったこと、スケジュールが合ったこと、上映時間が短いのでサクっと観れるだろう、面白くなくても短いからいいかも、なんていう複雑でもない要素がうまく融合したので、観に行ってきました。

 素晴らしいとか、凄いとか、そんなんではなく、「いい映画」でした。勿論、素晴らしいし、凄いのですが、ボクの中ではそれよりも「いい映画」という印象で支配されています。そして、鑑賞後は、幸せな気分、ほっこりした気分になりました。こういう気分は久しぶりです。

 原作は漫画ということで、ボクは未読ですが、漫画の方もほぼ主人公二人が川辺に座ってダベるだけだそうで、映画化には非常に難しいような題材と思うのですが、うまく映画という枠組みに溶け込ませています。

 おそらく、池松壮亮菅田将暉の演技が、レベルのかなり高い点で噛み合い、それを製作陣がうまく拾っているというのが、この映画の最大の化学反応だったのでしょう。池松壮亮菅田将暉の二人の演技は、一年早くても遅くてもうまく噛み合わなかったでしょう。少なくともこの映画が求めているレベル(ベクトルの方が合った言葉かな)ではダメだったと思うのです。題材、製作陣、製作時期も含めての奇跡だと思うのです。同じメンバーが揃ったからといって、このレベルで別の映画を作るのは難しいと思います。

 また、空気感の構成がいいんですよね。その世界にずっといたいと思わせるような感覚。ボクは、こういう映画に弱いんだなって、改めて思いました。

 撮影について、カメラを何台か用意して、池松壮亮菅田将暉の二人にはミスっても最後まで演技させたりしたのかな。池松壮亮菅田将暉の演技にしても、事前にかなりリハーサルをしたのか、結構アドリブ満載でスポンティニアスにさせたのか。どちらでもあるし、どちらでもないように思わせる感じが、個人的にはツボに入りました。

 これ、堺市が舞台なんですね。ロケ現場に行ってみたい(笑)。

 

インデペンデンス・デイ:リサージェンス

微妙にネタバレしてますし、微妙にdisっています。




 劇場の問題もあるとは思いますが、3Dは画面が暗過ぎました。どうしても3Dで観たいという方は、IMAX 3Dなどを選択してください。ただ、3Dの意味、効果はあまりないので、2Dで十分だと思います。

 前作の内容をほぼ忘れた状態で鑑賞に臨みましたが、前作はおさらいしておいた方がより楽しめるでしょう。

 続編の宿命ではあるのですが、前作にかなり引きずられているのが、この映画の爆発力を奪っていたと思います。また、群像劇の弱点である視点の複数化も、物語の展開を軽いものにしてしまっています。

 そして、どこかの映画であったような設定だなとか、展開だなっていうものの盛り合わせになってしまっており、この映画の売りというものが「前作の続編である」というものだけに陥ってしまっていたのは意図的なんでしょうか。

 敵側の宇宙人に滅ぼされた別の宇宙人の協力によって撃退するっていう展開を否定はしないですが、もっと人類の叡智や卑怯な作戦で倒すという展開を個人的には期待していたということもあり、ノレなかったのかもしれません。

 ドンドンバンバンだけを楽しむんだとかなり割り切って鑑賞に臨めば、料金分程度の満足感は得られるのではないでしょうか。

 元大統領の娘役の人を何かの映画で見たよなってずっと思っていましたが、『イット・フォローズ』という映画でイットさんにストーキングされてた主人公の方でした。あの映画よりかは、本作での方が美人に撮られてましたね。

 中国人パイロット役としてアンジェラベイビーさんも出ておりましたが、登場時は美しかったですが、だんだんと……。あ、いえ、個人の感想です。

 前作も、ジェフ・ゴールドブラムがなんだかんだいって主人公だったような気がしますが、今回もなんだかんだいって主人公だったような気がします。

 フィクトナーさんが、まさかの大統領になるとは(笑)。いやー、出世されましたねー。つか、シャルトッロ・ゲンズブールが出ておりました。いやはやお美しい。

 

貞子 vs 伽椰子

ネタバレしていますが、呪わないでください。


 結論から書きますと、大変面白く、大笑いできた映画です。ホラー映画で大笑い?と思われるかもしれませんが、会場は良い意味で爆笑が起こりました。最初から予想していたことですが、ホラー映画というよりも昔の怪獣対決映画のノリに近いです。貞子と伽倻子の二大怪獣の激突でした。

 振り返ってみると映画としてはかなりスカスカな出来栄えではありますが、貞子、伽倻子という二大キャラを単純に前に出すという方法が功を奏したのか、余計な装飾がなかったので、対決しちゃうんだっていうワクワク感が最後まで持続したのではないでしょうか。

 最後のネタバレですが、予告編にもあるように貞子と伽倻子をぶつけて呪いを相殺というか、二人を戦わして消滅させようとするのですが、結果、貞子と伽倻子が合体します。融合します。ドラゴンボールで言えばフュージョンします。マジです。2chとかでは「サヤコ」と呼ぶようです。主要登場人物も(多分)全員あぼんです。しかも呆気なく。もう人類は滅亡しかないようです。『呪怨』の映画の一作目も人類滅亡エンドだったような気がしますが(笑)。

 昔の怪獣対決映画って、プロレスで言うところの両者リングアウト的な決着の仕方が多かったように思います。この映画もそうなるんかな、なんて考えていました。ラストバトルのところで、この二人がオトモダチとなってタッグを組んだら、ハンセン・ブロディの超獣コンビのようなチームになるよなぁと思ったら、予想外の合体決着を見せられてしまいました。これにはやられました。確かに二人共思念体みたいなもんだし、合体しやすいですよね。ついつい対決だから決着をっていう思考に陥ってしまっていたので(最近はプロレス観戦に注力しているっていうのもありますがw)、個人的にはかなりブラインドを突かれた結末でした(勿論、良い意味で)。

 不満点というのではないのですが、ちょっと貞子の方を描き過ぎというか。そこはもうちょっとバランスを取った方がとも思いました。出張型の貞子と引き込み型の伽倻子(with 俊雄)では仕方がないと思いますし、監督のインタビューでも苦労した跡が伺えます。

 ただ、貞子は強力な霊能者相手に無双したりしてるのに対して、伽倻子の出番はヒロイン二号の母親を屠ったくらいでほぼ登場は最後のバトルのみで、俊雄も小学生4人とヒロイン二号の父親を屠った程度で、素人(一般人)しか相手にしてないんですよね。この描写によって力量の差が意図せず提示されちゃってたように思います。最後のバトルでも、伽倻子と俊雄は貞子に一回瞬殺されますしねー。

 これ以上disったら呪われるのでやめます(爆)。マジで面白かったですしね。

 次は、貞子vs伽倻子(with 俊雄)vs富江とか、貞子vs伽倻子(with 俊雄)vs加奈子(師匠シリーズ)とか、海外からジェイソン・ボーヒーズ氏を招待して、伽倻子ハウスで貞子の呪いのビデオを鑑賞するジェイソンとかやってくんないかなー。

 

10 クローバーフィールド・レーン

ネタバレしておりますし、disってもおります。




 元カレ軍団を結成できるくらいの女性だった人も、今や中年のおばさん予備軍となりました。今は同棲している彼氏と口論したくらいで家を飛び出していくような女性になっちゃってました。昔だったら、こんなときは元カレ軍団徴集したんでしょうけど。という映画です。

 前作の内容もあまり憶えてはいませんでしたが、観ていなくても大丈夫です。続編というよりも前作と同じ世界(設定)の別の場所のお話という作り方です。

 ハワードは自宅地下にシェルターを作っています。エメットはシェルターを作った業者の一人です。ミッシェルはブラッドリー・クーパー(声の出演w)と同棲していましたが口論の末に別れて、実家(なのかな)に向けて車を走らせていましたが、途中で監禁目的のハワードに車をぶつけられて事故ってしまいます。

 ただ、おそらく同じ時間に宇宙人(前作では怪獣じゃなかったでしたっけw)が地球をガス攻撃したりしたので状況が変わり、ミッシェルを助けたようになってしまい、エメットまでシェルターに来てしまったのはハワード的には誤算でした。

 ハワードは、配偶者と娘に逃げられて(多分、ハワードの暴力と異常さが原因なのではないかな。もしかしたら、殺されているのかもしれません)、近くの少女を誘拐して虐待等した挙句に殺していたようです。

 ミッシェルは最初はハワードを疑って逃げようとしますが、そのときに偶然宇宙人の毒ガス攻撃に合った女性がシェルターに助けを求めにきたのとバッティングして、ハワードの言ってたことは本当なんだ(実は違うw)ってなって、ハワード、エメット、ミシェルのほのぼのした地下生活が暫く続きます。

 エアコンの故障でミシェルがエアコン整備室に入ったとき、窓に書かれたHELPの文字とイヤリングを拾います。そこで、前にハワードが自分の娘だと見せてもらった写真の少女が別人だったこと(娘を知ってるエメットと確認)が分かり、エメットと共に脱出するためにガスマスク全身仕様バージョンの作成を開始しますが、あともう一歩のところでハワードにバレて、エメットは頭を撃ち抜かれて死亡。ミッシェルは決死の逃避行でハワードを撃退しやっと外に出たら、マジ宇宙人いるやんか状態(笑)。

 でっかい宇宙船に飲み込まれそうになったんですが、って、あれ自体が宇宙人っぽいです。で、口があったので、アルコール飲料と紙とライターで爆弾作って投げ込んで撃墜しました。すげー。

 ミッシェルは車をあてどもなく車を走らせますが、ふとラジオをつけると人類側が反撃開始ということで、バトンルージュに行けば難民キャンプがあって、ヒューストンに行けば戦闘要員か医療要員として戦いに参加ということで、悩みますがヒューストンに向けて車を走らせる場面で映画は終了です。

 うん、この最後の場面はよかったんですが、それまでがなんというかかったるいというか。

 

ディストラクション・ベイビーズ

かなりdisってます。




 予告編からは地雷臭を嗅ぎ取っていたのですが、ツイッターのTLでの評判がいいので(←ツイッターに単純に騙されるヤツw)、地雷臭は嗅ぎ取らなかったんだと過去の自分に嘘をついてまで、ごっつ観たくなってきたのですよ。

 前半はよかったのになー。後半はいきなり失速して、映画から聞こえる音は息切れした叫びだけ。うーん、失敗するべくして失敗したんかなって感じです。自分の体力、スタミナを把握してなくて、マラソン大会でスタートダッシュを華麗に決めてみたけど、途中でもう走ることができなくなって、ハァハァゼェゼェと歩きながらゴールインしたという高校時代の自分の黒歴史を思い出しましたよ。思い出させるなよ、んなことをさー(笑)。

 溢れんばかりの暴力が画面から湧き出してくるのかって思ったら、ごっつ映画と観客の間に大きな高い壁を建てられて、映画の中にだけ暴力的なものを封じ込めてしまっていて、そういうのをもっと溢れ出させるのが映画なんじゃないのか、なんて思ったり。喧嘩の場面も、アクション映画に慣れてしまってるっていうのも大きいのですが、迫力がないというか、音がしょぼかったりするし。それがリアルなんかもしんないけど、映画っていうことを考えてほしかった。ボクが観た映画館の音響があかんかったんかなぁ。

 柳楽優弥の前半の存在感が嘘のように、後半は空気になるのってどういう意図があったんだろうか。菅田将暉小松菜奈が壊れていくというか、本性を現していくほど、柳楽優弥の理由なき喧嘩が色褪せていくのは、そういう演出だったんだろうか。

 製作陣が映画をどう転がしていこうか、着地点にどうやって辿り着こうかと迷ってるうちに、時間がきて終了したなという気持ちが拭えません。こじんまりとまとまってしまったのがねー。

 そして、ここでも、池松壮亮が……(メインキャストで菅田将暉も出てるけどw)。もうね、数年前の染谷将太みたいに、池松壮亮菅田将暉も使えるだけ使われて、出汁が出なくなったらフェードアウトっていう道が見えているような。綾野剛はまだ踏ん張ってますね。頑張ってほしい。っていうか、この映画とは関係ありませんでしたね。

 

ヒメアノ~ル

凄い映画でしたが、ちょこっとdisっちゃったりもしています。




 原作未読です。というか、原作がどんなものかも全く知りません。この映画が公開されるのを知ったのもつい最近で、映画館でポスターが何気なく視界に入ったのと、タイトルが面白いなと思ったこともあって、頭の片隅に残っていただけでした。予告編すら観たことありませんでした。

 ツイッターのTLでは何気に評価が高いということや、ホラー映画という記述もネットで読んだこともあり、「あのタイトルが面白い映画か、ちょうど映画の日だしな」ということが重なって突撃してきました。

 凄い映画でした。観るのにかなり精神力を使いました。もう当分は観たくはないです。映画がつまんなかったからという意味ではありません。今のボクには、もう一回観る気力がありません。それほど、心に重い何かが乗っかりました。

 役者陣が特に凄かったというか。優柔不断、キ○ガイとか、イライラする人物を皆さん好演していました。主演の人はジャニーズらしいですが、いいんですか、あんな役やって。しかも、演じてるというよりかは、素を曝け出したって感じがするんですが(笑)。もう、アイドルには戻れないんじゃないですかって、他人事ですが心配してしまいましたよ。

 ただ、小道具面の失敗が足を引っ張っていたと思います。主人公二人が再会して居酒屋で飲む場面で、せっかく生温くなったビールであの空間や人物関係を表現しているのに、場面によってそのビールの量が違ったりとかして、映画の世界観に没入することを妨げてくれたんですよね。一つの場面でたくさんのカットを撮ったとは思うのですが、その弊害か、それらの繋ぎ方が雑な面が見えてしまったりとかも多かったように思います。

 この映画って、雰囲気というか、映画の世界に引き込むという手段もかなり重要なものだと思うのですが、そういう細かいミスで現実世界に戻らさせられてしまうのはかなり残念です。気にするポイントが違うだろって言われればそうなんですが、気になったらずっとそこに注力しちゃうのは仕方がないじゃないですか(泣)。

 原作もそうなのかどうかわかりませんが、警察の扱いをかなり間抜けに描いているのも、興醒めしてしまうポイントではありました。あと、登場人物の危機管理能力のかなりの低さとか。

 あれ、結構disってしまってるけど(笑)、凄い映画には違いありません。あ、主演のジャニーズの人、この映画での風貌が岩城滉一に似てるなって思いました。

 

スノーホワイト/氷の王国

ネタバレしていますし、disっています。



 前作の主演女優と監督が不倫した結果、監督は降板、主演女優も最終的には降板となり、元々三部作として作ろうとしていた計画も頓挫したのかな。思いっきり負の影響を受けてしまっている状況にありながら、続編が作られてしまったということにビックリです。しかも、クロニクルってタイトルにあったような気がしますので、これからも続けて作っていくという意思は変わらないのだろうか。

 前作の続きなのか、前日譚なのか、スピンオフなのかよくわからないまま鑑賞に臨んだのですが、よく考えてみたら、前作の内容を憶えてないので、そんなことはどうでもよかったのかもしれません。一応、本作の序盤が前作の前日譚で、中盤より前から後が前作からの続きとなります。

 ネタバレなあらすじを。セロンさんはスノーホワイトに前作でやられちゃいましたが、魂を鏡に封じ込めて、スノーホワイトに言葉責め(多分w)で病むくらいまで追い込みかけました。スノーホワイト陣営は、鏡を持ってたらあかんわと、聖域と呼ばれるところに持って行って封印しようとしますが、紆余曲折があって鏡は行方不明となってしまいます。

 スノーホワイト陣営の王子は、無職になってるクリヘムに鏡の捜索を依頼します。で、クリヘムですが、ソーのように強くはありません。当たり前か。でも、本作で繰り上げ主人公に祭り上げられてしまったからか、主人公補正も弱いというか、ほぼありません。普通のちょっと強い兄ちゃんレベルです。

 街の酒場でクリヘムがボコられて殺されそうになったところを、死んだと思っていた配偶者のチャステインさんが助けてくれます。生きててよかった。つか、前作の悲しみは何処へ(笑)。

 またまた紆余曲折があって鏡を探し出します。そして、その道中でクリヘムとチャステインさんがよりを戻しますが、セロンさんの妹のエミリーさんが軍隊を引き連れてやってきて、多勢に無勢の中、エミリーさんの精鋭部隊の自称最強のメンバーだったチャステインさんも実はエミリー側のままでしたということで、鏡は取られてしまいます。クリヘムもエミリーさんの精鋭部隊の最強の一人ではありました。弱いけど。

 エミリーさんは「鏡よ、鏡」と鏡に問いかけたことで、セロンさんが復活。勝手にエミリーさんの軍隊を使ってスノーホワイト陣営に戦争を仕掛けようとします。そのことに少しご立腹なエミリーさん。「私が女王なのよ」プンプンって感じです。

 エミリーさんは、不倫の結果、娘が生まれてしまうのですが、不倫相手が娘を焼き殺してしまい、それが引き金となってなんでも凍らせるという能力が発動します。実は、これはセロンさんが仕組んだことで、その娘が成長したら自分より美人になると鏡に言われてしまっていたことと、能力があるはずなのに発動しないエミリーさんにちょっと不満があったことからでした。実の妹なのに、えげつなー。

 エミリーさんはこのこともあって、征服した国のお子様を集めて訓練して自身の精鋭部隊にしていたのですが、そこには捻くれてはいましたが、愛情はあったのでした。

 ちょこちょこと展開があって、チャステインさんは実はクリヘムを裏切ってはいなくて、二人してセロンさんとエミリーさんの前で処刑されそうになります。でも、元仲間を助けるために、エリミーさんの精鋭部隊が裏切ります。セロンさんは容赦なくそういう精鋭部隊に手をかけていきますが、自分の子供に手を出されたという思いのエミリーさんは遂にセロンさんに攻撃開始。ここで、壮絶な他人を巻き込みまくる姉妹喧嘩になってしまいます。

 セロンさん対その他全員という戦いになりましたが、セロンさんは強いです。しかし、エミリーさんの捨て身の攻撃で、主人公で結構出ずっぱりなのに印象に残らないクリヘムがやっと鏡を撃破してセロンさんはあぼん。エミリーさんもお亡くなりになったことから、エミリーさんが治めていた北の国も解放されてめでたしめでたしで映画は終了でした。

 しかし、元々三部作の予定だったからなのか、どうも次回作を作りたいような気満々です。もう止めた方がいいと思いますよ。

 展開は早いので、ほぼ2時間という長さ的なものはあまり感じませんでしたが、とにかく見せ場がないというか。アクションももっさりしていて、キレがないんですよね。ラストバトルは少し面白かったですが、そこまでが盛り上がってもいない状況なので、すぐに醒めてしまうというか。

 豪華な俳優陣と予算を潤沢に使っていますが、はっきり言って無駄遣いですよ、これは。特にチャステインさんが合ってないというか、おばさん過ぎるというか。いや、役者としては申し分ないんですよ。ただ、この映画に合ってないというか。この役はほぼ無名の若手枠でよかったんじゃないでしょうか。

 それに先にも書きましたが、クリヘムがね、存在感が薄いというか。クリヘムにしても、セロンさんにしても、前作からの契約上の関係で出演せざるを得なかったんかなとは思うのすが、エミリーさんもチャステインさんも、売れっ子なんだから断っても問題ないと思うんですよね。なんで出演したんやろうか。

 

全日本プロレス ファン感謝デー

 エディオンアリーナ(大阪府立体育館)第二競技場で行われました、全日本プロレスファン感謝デーに行ってきました。

 先月のチャンカン優勝決定戦に比べると少し空席が目立つかなという感じでした。8割から9割くらいの入りでしょうか。いつも会場でお見かけする方が多かったので、固定客の集客については問題ないけど、新規顧客の集客という面ではまだまだというところなのでしょうか。いい試合をしていることが新規顧客の集客に直接的に繋がっていないということは、発信力が弱いということなのかもしれません。

 最近は、YouTubeやニコプロへ積極的に動画をアップしたりしていますが、まだまだそれは全日本プロレスを元々知ってる方や、既にファンの方に対しての発信なんですよね。プロレス自体を知らない方、メジャー団体である新日本プロレスしか知らない方へどんどん発信していってほしいんですけどね。今の固定客を大事にして、強固なものにするということを優先しているのかもしれませんけどね。今はファンだけど、次もファンでいてくれる保証はないわけですしね。

 と、まったく大会に関係ないことを口走ってしまいましたね(笑)。

 今回の大会はファン感謝デーということで、通常のシリーズとは少し気色の違った試合構成となっているようです。ファンクラブ会員のみのサービスとして、今回はリング上に全日本プロレス所属選手全員との集合写真撮影がありました。当然、ファンクラブ会員なので参加しましたよ!!!

 試合の前に、ジャンボ鶴田選手の17回忌ということで、10カウントが鳴らされました。お亡くなりになられて、もうそんなに経つんですね。

 第1試合は我らがワイルド取締役の大森選手と、地元大阪で活動しているTORU選手のシングルマッチでした。TORU選手は、この前に行った大日本プロレスにも出場されていたように記憶しております。

 TORU選手も頑張ったのですが、大森選手の牙城は崩せず、アックスボンバーの前に沈んでしまいました。これはTORU選手の査定試合だったのかな。なんかそんな感じがしました。TORU選手は雑な動きも多かったですが(緊張していたのかな)、大きいですし、全日本にこれからも継続参加すれば大化けするかも、なんて思いました。

 第2試合はSUSHI選手対くいしんぼう仮面選手の異色対決でした。密かに、この試合を楽しみにしていたのですが、思ったよりも手が合ったようで、また見たいなと思える試合でした。しかし、最近のSUSHI選手のジョバーっぷりは半端ないですね。何かの罰ゲームなんでしょうかね。確かに、SUSHI選手は負けてもまぁ格落ちはしないという選手ではありますが(大森選手も同様ですね)、ちょっと酷いなとも思います。SUSHI選手自体があまり動けないという事情があるのかも知れませんが。新日本プロレスのスーパーJカップに、全日本プロレスの出場枠が1選手分与えられるようなのですが、個人的にSUSHI選手を推したいです。

 第3試合は中島洋平・ビリーケン・キッド組対丸山敦・竹田誠志組でした。大阪プロレス出身者の活躍って、大阪プロレスのファンだった方には嬉しいことでしょう。今のプロレス界って、アニマル浜口ジム出身者も多いですが、大阪プロレス出身者もかなり多いですよね。この試合はファン感謝デーっぽく、観客がリングアナとなって選手をコールするというサービスがありました。いいですよね、こういうのって。

 第4試合は青木篤志佐藤光留組(Evolution)対伊藤崇文・奥田啓介組でした。青木選手と佐藤選手は同じチーム同士ですが、青木選手が保持する世界ジュニアのベルトへの挑戦を巡って少し距離ができています。というか、佐藤選手が一方的にめんどくさくしているんですが(笑)。

 青木選手は野村選手もEvolutionにいてはダメだってニコプロでも述べていましたし、諏訪魔選手も欠場中、ジョー・ドーリング選手も病気で復帰が難しい今、Evolution解散もありそうな気がしますね。

 第5試合はザ・ビッグガンズ対ツバサ・バファロー組でした。まんま数年前の大阪プロレスではないですか。試合は想像以上の肉弾戦となり、ザ・ビッグガンズが保持する世界タッグのベルトを賭けてもよかったんではないかと思う内容でした。

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 第6試合は秋山準渕正信・青柳優馬組対藤波辰爾ザ・グレート・カブキ・LEONA組でした。LEONA選手の秋山選手への対抗意識がかなり強く、秋山選手もエグい攻めをLEONA選手に喰らわしていました。また、同年代でもある青柳選手もLEONA選手をかなり意識していたように思います。

 秋山選手は、橋本大地選手やLEONA選手のような二世選手が好きなのかもしれませんね(笑)。LEONA選手は、所属のドラディションでの試合が少ないので、全日本プロレスのシリーズに帯同してみてはどうでしょうか。全日本プロレスもそんなに多くの大会はないので、慣れるにはちょうどよい環境な気がします。

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 LEONA選手を生観戦では初めて見たのですが、個人的な感想は、藤波選手のご子息という価値しかないかなと。肉体改造中なのかもしれませんが、引き締まった肉体美を持つわけでもなく、大きくもなく、技もまだ弱々しいし、光る部分というのを感じませんでした。ここは、青柳選手のような同年代の選手と切磋琢磨してみましょうよ。

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 メインの第7試合はNEXTREAM対船木誠勝・野村直矢組の対戦でした。野村選手が宮原選手に突っ掛かりまくり、それがこの試合の白熱さを生み出していました。野村選手はかなり吹っ切れた戦い方をするようになったなと思います。それに比べて、最近のジェイク選手の悩んだような試合運びというか、優等生になろうなろうとしているような感じはどうなんでしょう。なんか行き詰まっているような印象もあります。

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 ジェイク選手はスタミナがないのと(スタミナ配分を知らないと言った方が正解なのかな)、技の繋ぎ方が雑という部分がかなり目立つのですが、このどちらもパートナーの宮原選手は素晴らしいので、練習方法とか参考にしてみればどうでしょうか。バックドロップを自分の必殺技にしたいというのは大変いいのですが、バックドロップにまで至る行程をもっとイメージして実践していくというプロセスが、今のジェイク選手には必要な気がします。

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 大会の締めは、試合で負けてしまったにも関わらず、三冠王者である宮原選手に託されました。流石、全日本プロレスのエースであり希望でもあります。試合後なのに息切れしてないって、どんだけスタミナがあるんだよって感じです。5月25日の三冠戦も防衛してくれると思いますし、これからも全日本プロレスを引っ張っていってほしいですね、宮原選手には。

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 次の大阪大会はいつなのかわかりませんが、次の大会も観戦の予定です。全日本プロレスは最高でした。

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アイアムアヒーロー

少しだけネタバレしています。




 観てきました。原作は未読です。

 思い出作り系ではないゾンビ映画との遭遇って、かなり久々なような気がします。何故か、低予算で自分の思い出のためだけに映画を作る記念にゾンビという題材を選ぶ人が多く、完成しても仲間内だけで楽しめばいいのに、何故か商業流通させてしまう愚か者共に、正座させて鑑賞させてやりたいくらい面白かったです(笑)。

 観終わったあとから思い返すと、オマージュなのかパロディなのかパクリなのかのラインが微妙ではありますが、ゾンビ映画ファンにとっては楽しめるものでしょうし、この映画で初めてゾンビ映画を観ましたっていう方にとっても楽しめるようには作られているところが、重要なポイントなんじゃないかな、なんて思いました。

 原作のどこまでを映画化したのか、そもそも原作通りなのかどうかすらわかりませんが、この映画の終わらせ方は、ロメロの『ゾンビ(DAWN OF THE DEAD)』が大好きな人にはかなり受け入れられるようなものではないでしょうか。この先不安だらけだけど、希望を持つしかないじゃんって感じの締め方は。

 主人公の暮らしてる街がZQN(ゾキュンと言うらしい)に襲われ始める部分は、『28週後…』や『ドーン・オブ・ザ・デッド』の序盤で主人公がゾンビから逃げようとする緊迫感満載の名場面をかなり参考というかパクって作ってるとは思いますが、パクリでもここまで作られるとありがとうございますって言っちゃいますね。こんなんをたくさんたくさん観たいんですよ、ボクは。

 ゾンビ映画でのゾンビから逃げ出すという行動は、ゾンビ=日常、逃げる=旅立ちと考えられるのかな。で、日常からの旅立ちという風景を入れ込むと面白くなるのかな、なんてボンヤリ考えてしまうくらい、この映画は余韻を楽しめる映画でもあると思います。