悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2024©りょんりょん) ※(主に)映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。ごめんなさい。

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ザ・フラッシュ

ネタバレしています。disっています。さり気なく『アベンジャーズ/エンドゲーム』のネタバレもチラっとしてしまっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

新宿ピカデリーにて鑑賞

 

 様々な制約や条件があったりしたと思われますが、製作者側に俯瞰して展開や内容を確認する人がいなかったのかなと思ったほどに、ごちゃごちゃしていたというか。具が煮えきっていないごった煮の料理を出されたような感じです。もうタイムトラベルとかマルチバースとかやめようよと言いたい。タイムトラベルしちゃう『江ノ島プリズム』が大好きな私なのに(笑)。

 タイムトラベルにしてもマルチバース(並行世界的なものも含む)にしても人それぞれの定義というかイメージみたいなものがあるでしょうけど、タイムトラベルのイメージなりはそれなりに一般化してそうだけど、マルチバースはまだ一般的にこうだという共通項として定まってはいないのかなと思うのです。それを映画の本編内で定義付けしつつ前提化して、タイムトラベルと絡めて展開していくというのはかなり無理があるでしょうし、今回もえっ?てな感じの決着の付け方だったのがイヤでした。

 ここからあらすじを書いていきます。いきなりネタバレですが、バリー・アレンは3人(というか3タイプですね、2人登場し、うち1人の若い頃と老いた頃が同時に出現)登場しますので、映画の冒頭の世界(『ジャスティス・リーグ』の世界というか、基準となる世界ですね)のバリー・アレンをそのまま「バリー・アレン」、映画のほぼ舞台となる時代の世界の18歳のバリー・アレンを「18歳バリー」、超時空間(?)のバリー・アレンを「おっさんアレン」と記します。

 母親殺しで父親が収監され、明日が最後の裁判(再審)という日、ブルース・ウェインから送られてきた父親のアリバイを証明する、犯罪時刻に父親がいたとされるスーパーでの防犯カメラによる映像は、現代技術で映像に鮮明な処理を施しても映っている人物の顔がはっきりと見えていないため(顔が下を向いているからとカメラの角度から)、決定的な証拠にはなり得ないだろうということにショックを受けるバリー・アレン

 自暴自棄的な走り込みから過去に戻れる能力に気付いたバリー・アレンは、ブルース・ウェインの忠告も左から右に受け流し過去に遡り母親を助ける行動に出てしまいます。

 母親を助ける行動に成功したバリー・アレンは現代に戻る途中の超時空間で何者かに邪魔され、バリー・アレンが18歳の頃、フラッシュの能力を得たその日に投げ出されます。それは母親が生きていた世界でした。

 投げ出された場所が自宅前だったこともあり、バリー・アレンは久し振りに母親の温もりに触れながら、今日この日が自分が能力を授かった日だということを知り、未来の自分が能力を失わないために18歳バリーにも能力を得られるよう準備します。この時点でのバリー・アレンは自分がいた世界と同じ世界と思っています。しかし、能力を得るために浴びた雷によって、18歳バリーは能力を得たものの、逆にバリー・アレンは能力を失ってしまう結果となります。

 そんな中、ゾッド将軍の襲来が迫り、それに対抗するためにジャスティス・リーグのメンバーを探すバリー・アレンですが、過去を変えた影響からか、ワンダーウーマンもアクアマンもサイボーグもこの世界には存在していないようでした。徐々に自分がいた世界とは異なる世界だと思い始めるバリー・アレン

 バットマンはこの世界でも有名で実在していたのでブルース・ウェイン宅を訪ねますが、この時代のブルース・ウェインはもう引退した身でした。しかも、バリー・アレンが知っているベン・アフレック版ではなく、マイケル・キートン版のブルース・ウェイン(以後、キートンマンとします)でした。

 ゾッド将軍が来たということはスーパーマンはいるだろうと調べた結果、ロシア(ソ連だったかな)の監獄に監禁されていることを知り救助に向かいますが、そこにはスーパーマンはいませんでした(スーパーマンは幼い頃にゾッド将軍に屠られたみたい)。監禁されていたのは若い女性でした。彼女もスーパーマンと同様の強さを持っており、その力もあってロシアの監獄から脱出することに成功します。若い女性はスーパーマンのいとこであるスーパーガールでした。彼女はスーパーマンを守るために地球に送られてきたのでした。しかし、こんだけ強いのになんで監禁されてたんだろう。クリプトナイトの影響?かな。って、クリプトナイトって劇中には出てきてなかったような。

 キートンマンやスーパーガールに協力してもらい能力を再び得たバリー・アレンは、キートンマン、スーパーガール、18歳バリーと新生ジャスティス・リーグっぽいチームを組んでゾッド将軍の軍勢との戦いに挑みますが返り討ちにあい、キートンマンもスーパーガールも敗北し亡くなってしまいます。

 諦めません勝つまでは精神で時間を逆戻りさせればええやんと、ちょっとスーパーガールに惚気っぽくなっていた18歳バリーは何度も何度も時間を巻き戻しますが、全てゾッド将軍側の勝利に終わります。そこで、バリー・アレンは気付きます。これは何度やっても結果は同じで、キートンマンが言っていた時間軸の交差ポイントにより、どうやっても不変だということを(多分、こういう解釈だったかと)。

 それでも諦めきれない18歳バリーと、諦めようとしていたバリー・アレンの前に(ああ、ややこしいw)、バリー・アレンが自分の世界の現代に戻ろうとしたときに邪魔した奴が登場します。そいつこそは、18歳バリーの成れの果てであるおっさんアレンでした。「諦めたらそこで試合終了ですよ」を人生を賭けてやり続けていた結果、超時空間の主っぽくなってしまっていたのでした。

 バリー・アレンは、おっさんアレンに諦めようよと問いかけるものの聞く耳持たず殺されかけますが、18歳バリーが身代わりの盾となり亡くなります。そのことでおっさんアレンも消滅してしまいます。自分殺ししちゃったわけですもんね。しかも若い頃の自分を。

 バリー・アレンはこの事態を収拾するには、過去に戻って母親を救った行為をなかったものとするしかないということで、再び母親が殺される日に戻り、自分がした行為をなかったことにして、ようやく自分のいた世界・時代に戻ることができました。ただし、スーパーの防犯カメラの位置調整はしてしまいました。

 その結果、スーパーの防犯カメラの映像にも父親の姿がはっきりと映し出されており、アリバイの証明として重要なものとなり、再審において父親の無罪がほぼ確定された(んですよね?)ことで、バリー・アレンもやっと母親の死を受け入れることができたような感じです。

 最後、バリー・アレンの前に現れたブルース・ウェインはなんとジョージ・クルーニーでしたというオチです。元に戻したと思っていましたが、スーパーの防犯カメラの位置を修正したかのが原因なのか、何らかのバタフライ効果で微妙に当初の世界とは少し異なっていたようです。エンドロール後ではアクアマン(本作でもジェイソン・モモアが演じています)とお酒を飲み、泥酔している彼を見て、この人は本物だと言って映画は終了です。ところで、ヴァル・キルマーって出てましたっけ?

 簡単に言えば母親の死を受け入れて前に進み出すというお話で、終盤の母親とのスーパーでのやり取りはちょっと泣きそうになりましたが、ただ、映画本編での積み重ねがほぼないのがねー。

 バリーの父親役が、ビリー・クラダップからロン・リビングストンに変わっていました。どういう事情なのかは知りませんが、こういう映画でメタ的な意味で変わってしまっているのはマイナスポイントかなぁと。色々と事情はあるのでしょうけど。映画本編の世界も、前の映画内の世界(『ジャスティス・リーグ』)とは異なるのかなと思ったりしてしまうじゃないですか。あ、しないか(爆)。まぁ覚えて言える人はいないかもしれない配役ですが、ビリー・クラダップは好きな俳優さんなので覚えていたんですよねー。

 一応ラスボス扱いであるゾッド将軍ですが、バリー・アレンらが倒すわけでもないんですよね。18歳バリーの世界の地球はゾッド将軍によって惑星改造されてしまうという結果になるのですが、いやいや、映画としてそういう終わらせ方でいいのかよ、と。こういう脳筋系映画はぶん殴って分からせるのが正当な解決方法じゃないのかと(ちょっと誤解されそうw)。残尿感があるというか、ね。

 『アベンジャーズ/エンドゲーム』もタイムトラベルしてって流れですが、しっかりと最後は脳筋バトルで決着していますので、スカっとはしないかもしれませんが、まだ納得というか、残尿感はありませんでした。

 バリー・アレンの行動によって、18歳バリーやおっさんアレンらの世界は救われないものになってしまったわけですが、それは劇中で語られているように運命というもので決められていたのかもしれないけど、こういうエンタメ映画は残尿感が残らないような作りが個人的には好みなので、どうにもモヤります。

 バリー・アレンというキャラは、母親を小さい頃に殺され、父親がその犯人に間違われて投獄され辛い人生を歩んできましたが、18歳バリーからすれば両親の温かい愛情を受けて育ったけど、並行世界の自分に邪魔された挙げ句に若くして死んでしまう(年老いたバージョンもいたけどw)ということになり、どっちがよかってんという投げかけもないまま終わるというメタ的にも報われないキャラになってしまってますので、それもモヤります。そもそも、映画の舞台となった世界(もしくは時代)は存在しなかったとものとして扱われる設定なんでしょうか。

 DCユニバースの映画におけるバリー・アレンのキャラクター性を考えて、バリー・アレンを中心というか主人公に据えた映画を作るとしたら、こういう展開、内容しかないのかなとも思い始めてきましたが、鑑賞中はずっと無理があるよなーという気持ちが消えることはありませんでした。映画内のバリー・アレンのキャラクターはメインという役割は難しいし、狂言回しかサブ(悪い意味ではありません)として動かすのが適しているのかなと感じました。

 冒頭のアクション場面ですが、なんか00年代中期頃のCG臭が抜け切らないような人の動きでしたが(個人的には不気味の谷現象っぽくて気持ち悪いんですよね)、予算がなかったとは思えないのでああいう動きを意図したんでしょうけど、なんか重みがないアクションになっていて勿体ないなぁと思いました。冒頭での掴みのところなので、そこから私はこの映画への没入に躓いてたんかなぁ。

 最後によかったところを。エズラ・ミラーの演技力もありますが、バリー・アレンと18歳バリーとのバディスタイルは面白かったです。それから、マルチバースということで、ニコラス・ケイジ版のスーパーマンが登場したのもよかったです。誰得か分からないけど(笑)。少なくとも私は本作の中で一番楽しんだ場面です。ほんの少しだったけど、ニコケイは救われたかもしれませんね。

 あ、バリー・アレンは童◯ということが映画冒頭で暴露というか、自分から告白しちゃいます。これが最大のネタバレですね。