悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2024©りょんりょん) ※(主に)映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。ごめんなさい。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2024@りょんりょん) ※(主に)映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。ごめんなさい。

シン・ウルトラマン

あべのアポロシネマ スクリーン1にて鑑賞

 

ネタバレしています。disってはいないと思います。つらつらと感想を垂れ流します。

 

 

 

 『シン・ゴジラ』が好みに合わなかったということもあり、当初は鑑賞を予定していませんでした。ただ、かなり賛否両論が出ていたことから、どういうお話になっているんだろうとネタバレを踏みました(笑)。すると、そこそこ面白いお話ではないかと思って興味が少し湧いたところに、鑑賞した友人からも面白かったという話を聞き、観たい気持ちが急激に高まり映画館に突撃してきました。2022年になり初めての映画館での鑑賞となりました。

 面白かったです。特に当初の『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』のテレビシリーズが好きな人は楽しめるのではないでしょうか。短い時間の中で、最初の『ウルトラマン』の(全体の)ストーリーを軸にリメイクし、『ウルトラQ』の残り香を漂わせ、『ウルトラセブン』の風味をスパイスしてふりかけられているのは、これらの番組が好きな人にはたまらない仕掛けだったと思います。でも、『ウルトラマン』自体のテイストは感じなかったんですよね。そことは意識的に距離を置いているというか(それが悪いという意味ではありません)。ちょっと不思議な感覚ではあります。

 マニアがマニア向けに作りつつ、一般層への目配せもした映画としては、現時点では最適解に近いのではと思います。個人の嗜好を抜きにすればギリギリセーフというラインを際どいタイミングで攻めきった映画だったのではという感想です。

 これまではマニア向けか一般層向けか、劇中のセリフ的に言えばゼロサムにしかならなかったのが(そういう意識しかなかったとも言えます)、マニアと一般層のどちらの利益も追求可能ですよという少し希望というか、いろんな選択肢があるということを示すことができたのではないかと思います。

 カット割が狙いすぎてるのがうざいのですが、これをやめてしまうとマニアが作るマニア向けの映画ではなくなってしまうので痛し痒しというところですね。

 山本耕史さんが登場して画面がピリっと締まった感じになったのが凄いなーと思いました。演技面での軸ができたというか、終盤に突入していくという段階だったこともあるのでしょうが、ピリッと締まった空気感になっていたのではないでしょうか。

 怪獣(禍威獣)2体、宇宙人(外星人)2体、破壊兵器(ゼットン)1体との戦いがあるのですが、もうあと1体くらい怪獣と戦う場面があってもよかったかもと思いつつ、テンポよく進めていくにはこれが丁度よい塩梅だったかもしれないですね。ゼットンの破壊兵器としての造形はよかったと思います。

 ゼットンとの2回目の戦いは最初のタイマン勝負で敗れたウルトラマンのリベンジですが、別にあの方法(見せ方)なら人間の叡智の結集っていう展開は関係ある?必要ある?とは思いました。それなら、地球人の作った兵器でゼットンを破壊するというテレビのまんまな展開でもよかったのではないでしょうか。本作の禍威獣特設対策室はジェットビートルとか持ってないので、(現代という設定的にも)宇宙に行っての戦闘は無理な描写だとしても、何か方法がなかったのかなと思いました。2回目の戦いはラストバトルになるのでもっと高揚感とか戦い切った感、カタルシスがほしかったところです。呆気なさすぎでしたね。ここはかなり残念です。

 『シン・ゴジラ』と同様、逃げ惑う人々はエキストラだと思うのですが、危機感がなくて浮いてしまっているのも残念ポイントでした。その場面は多くはないのでそんなに気にはならないというか、場面転換後にすぐに忘れてしまうレベルではありますが、こういう細かい部分も煮詰めていけるようにはなっていかないと映画の品質は上がっていかないでしょう。エキストラへの演出って大変だとは思いますが。

 それと、これは残念とは違うのですが、にせウルトラマン好きな私としては折角本作にも登場させてるんだから、もうちょっと目をとんがらせててほしかったですね。

 光の星からきたあの方は「ゾーフィ」という名称のようですが(元ネタはゼットン星人との誤解でしたっけ)、ウルトラマンは最初は「ゾーフィ」と呼んでいたのに、途中から「ゾフィ」と呼んでいたのは気になるところ。わざとなのか、単なる撮影時期が違うとかの理由でそうなっちゃったのか。

 カラータイマーが胸にないという個人的な違和感は拭いきれなかったけど、本作のウルトラマンの造形は結構好みです。ただ、カラータイマーがピコンピコンした場面は見てみたかったなー。

 現代兵器というか、実際にある兵器でも怪獣(禍威獣)を倒せることがあるというのは元々の科学特捜隊がドラマシリーズ中でも怪獣を数体倒していることへのオマージュなのかな。

 この映画だけで完結してるといえばしてるんですが、続編の構想も元々あるみたいです。次はおそらく『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』のシン化ではないかと思ったり。勿論、ウルトラマンの中の人は庵野さんがやられるんでしょう。それが本当の目的かもしれない、本作を作ったのは。

 最後のスタッフロールで庵野さんのクレジットが多いこと多いこと(笑)。で、監督補とか、副監督とか、准監督とか、これは何?

 一部、特に長澤まさみさん出演部分での描写がセクハラにあたるのではという意見があるようです。個人的にはそこはギリアウトなところもあったかな、このカットは必要ないよなというところはありました。そこは大きな反省点として次に活かしてほしいところです。意識と価値観のアップデートは、製作陣も観客側も同時に実行しないといけませんね。

 

簡単なネタバレ

 

 たまたま地球近辺に来ていたウルトラマンは、自分が(半分)原因で地球人である禍特対の神永を殺してしまう。神永は少年を助けようとして自らの命を犠牲にしたが、ウルトラマンにとってはその行動が興味深く、禁じられていた地球人との融合を果たし、神永の肉体を使って地球に留まることにする。

 その頃地球では環境破壊により太古の時代に外星人が仕掛けていた生物兵器である禍威獣が復活しており、それを利用して地球を我が物にしようとしている外星人が暗躍していました(メフィラスさんですね)。

 地球でのウルトラマンの活躍を光の星(ウルトラマンの出身地)では苦々しく思い、またベータカプセルを用いた地球人との融合は、地球人を巨大化し兵器として活用可能なことを証明してしまう事案ともなったため、地球を破壊することを決定(なんて勝手なw)。その為に、ゾーフィと破壊兵器であるゼットンを派遣します。

 ゾーフィはウルトラマンを光の星に戻るよう説得するが決別し、ウルトラマンゼットンに戦いを挑むも敗北。人間の叡智により発見したゼットンを倒す作戦をウルトラマンは命賭けで実行し、ゼットンを破壊し別の宇宙(?)に持っていくことに成功するも、自身もその別の宇宙(?)で漂流することに。

 ウルトラマンは強く生きたいという気持ちを持っており、その信号をゾーフィがキャッチし救出。地球破壊は撤回されたことをウルトラマンに告げ、改めて一緒に光の星に帰ることを提案するが、そうすると地球人である神永は死んだままとなるため、自分の命を神永に与えてほしいとゾーフィに依頼し、ゾーフィはウルトラマンの強い希望により命を神永に与えます。そして、神永は禍特対メンバーが見守る中、目を覚ます場面で映画は終了です。

 なんだよ、ゾーフィは命を2つ持ってきてないんかよ(笑)。神永について、テレビシリーズのハヤタ隊員のように、ウルトラマンと融合していたときの記憶がないのかどうは不明です。ただ、劇中の表現からは、ウルトラマンは神永の肉体を借りていただけで、中身自体はウルトラマンだったのではと思います。実際に神永の死体を眺める場面もありましたし。ただ、神永自身の気持ちや体験、記憶もフィードバックとして得ていて、それがリピア(ウルトラマンの本名)ではなく、融合体としてのウルトラマンとして形成されていったんじゃないかなと思います。あっ、そう考えると辻褄が合わないような場面があるような(げふんげふん)。まぁいいか。