悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2024©りょんりょん) ※(主に)映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。ごめんなさい。

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aftersun/アフターサン

ネタバレっぽくなっていますが、実際のネタバレとはちょっと違うような。でも、観ていない人にとってはネタバレか、というような内容になっております。映画の感想というよりかは、本作を鑑賞して私はこういう設定、内容だったのではないかというのをつらつらと書いているものとなります(考察的な感じ?)。本作について映画本編以外の情報(監督の発言等)を調べたりはしておりませんので、本来の設定や製作陣が意図したものとは異なる部分も多々あるでしょうが、ご了承ください。

 

 

 

 

 

 

新宿ピカデリーにて鑑賞

 

 名作になるには一歩及ばずかなというのが率直な感想です。ざっくりと誤解を恐れずに書けば、初期のジャームッシュやハートリーの作風に70年代のアメリカンニューシネマ的なふりかけをしたって感じです。あ、いや、ハートリーの映画の皮を被ったジャームッシュの映画に、アメリカンニューシネマ風味の粉を入れてシャカシャカポテトしたって感じ、かな。

 極論を言えば察して系の映画で、シンプルに見えるようで結構階層深く作ってるけど説明はほぼしないという内容です。ただ、それを理解しなくても楽しめますよという作りにしているのはうまい、本当にうまい。

 この時期(タイミング)にしか撮れないであろう映画で、ノスタルジックな物語を表面に塗布し、切なさの調味料をまぶすことで、狭間で踠く年頃の視点からのセンシティブな題材を狂おしいまでに美しい様に見せようと上手に料理していると思います。映画的な表現テクニックが抜群にうまい、本当にうまい。

 鑑賞中、イーグルスの名曲「ホテル・カリフォルニア」を思い起こしていました。あのホテルに一時でも滞在したとしたらこんな感じなのだろうか、と。

 本作の視点は娘であるソフィーのものがほぼですが、だからこそ、視点の先にある父親の印象がより強くなるんだと思います。

 また、劇中に漂う不穏な空気感が終始観ているこちら側の肌をヒリヒリさせてくるような感覚になりました。父親は太極拳?の動きみたいなのをよくしているのですが、娘が異国の地で誘拐されてそれを救出する展開とかになるんじゃないか、実は父親は元CIAだった、なんていう妄想を抱くくらいに劇中にずっと不穏な空気が充満しています。(あかん、そういう映画を観すぎなんやw)

 父親はあまりいい少年時代を過ごしてこなかったのでしょう。おそらくグレてて、今もカタギの仕事はしていないのかなというのを匂わせています(完全に反社ではなく、普通の会社員というよりも個人事業主でちょっと危ない系、ブラック系の仕事にも首を突っ込みかけているっていう印象を受けました)。それで借金やらなんやかんやで結構追い詰められている部分があるのかもしれません。

 ソフィーの母親とも実際には結婚していなかったのではないかと推測します。若い時の過ちみたいな感じでソフィーが生まれて、ソフィーは一応父親側の姓を名乗ってはいるけど、親権(扶養義務でしたっけ?)は母親にあるようなので、父親ともおそらく一緒に住んでいた時期はほぼなく(というかないと思う)、そのことからソフィーは母親ともうまくはいってないけど、母親と一緒に住む選択肢しかないのでしょう。

 父親も本音は望んでいなかった子供で、どう接していいのか手探りなんだろうなと思いました。お互いに大切で愛おしい存在なんだけど、ギクシャクした関係でもあり、二人共になんらかの義務感で父娘の関係を続けているといった感じに見えました。

 ソフィーは11歳という年齢から、少女から若者(ティーンエイジャーは13歳から)へと移行する狭間の段階で、どちらにも属せないもどかしさと切なさと寂しさを痛いくらいに心に刻んでいる時期です。その頃に見える景色というか感触は、大人になって明確に覚えてなくても、なんとなく手触り感みたいなものはずっと片隅に残っているような感覚があります。

 ソフィーはおそらく現在は31歳(劇中の父親も31歳だろうと思われる)で、パートナーは同性の人で同棲中(ギャグじゃないっすw)。父親も同性愛者だったのかもしれません。そういう対比なのかな。だから、母親とは結婚しなかったという理由にもなりますしね。

 でも、そういう直接的な表現はなかったように思いますし、劇中では女性にアタックしかけていたようなことをソフィーと談笑していたように記憶しております。それは同性愛者であることを隠したかったということ(本編内の時代的にね)かもしれませんが、その設定によって映画的に現代パートのソフィーの環境がクローズアップされる要素とはなりますけど、どうなんでしょうね。このあたりの表現は見る人によって大きな幅があると推測しますので、わざと曖昧にぼかしているのかもしれません。赤ちゃんの泣き後も聞こえていたので、どちらかの子供で、ソフィーのように望んだ子供ではなかったけど母親側が育てているという、これも対比だったのでしょうか。

 父親としては自身が親になるというのもまだ受け入れられていないのかもしれません。それが太極拳ムーブを連発したり、ソフィーのことを気にかけながらも自分が中心の動きをどうしてもしてしまうといったところからの想像となりますが。

 そういう大人や親になりきれないということも理由の一つとして、父親には情緒不安定な部分があるのかもしれません。冒頭、右手を骨折してギプスをしているのですが、そのことを暗喩として表現しているのかな。突然感情が爆発して海の中に突入していったりしてましたしね。これもソフィーの年齢的な表現との対比かもしれません。うーん、ここらへんの描写は察してじゃなくて、もう少し明確にした方がよかったようにも思います。

 現代パートのソフィーは、自分が11歳の頃のバカンスのビデオを寂しげな表情(プラス生活というか人生に疲れてるような表情)で見ていることから、既に父親は死んでおり、自分があの時の父親と同じ年齢になったからこそ、その時のビデオを見返しているというお話ではないかなと思ったんですよね、最初は。

 ビデオカメラやビデオテープは父親が持っていたけど、それを今はソフィーが持っていることから、父親は既に亡くなっている設定だと推測しました。おそらく死後の形見分けなのでしょう、ビデオ関係は。ビデオテープのダビングもめんどくさいですし、そんなことしてなさそうだし(これはかなりの偏見w)。

 と考えていくと、ソフィーがこのビデオの映像を見ること自体、初めてだったのではないかなと思い始めました。映画的なインパクトもこの方がいいようにも思えましたし。あ、初めてということは、父親が亡くなったのは最近のことになるのか。そして、自分があの頃の父親と同じ歳になったことで、懐かしくも切なく思い返してるということかな。でも、それなら31歳というタイミングは都合よすぎるか。

 それか、父親はかなり以前になくなって、自分が31歳になった時にふとあの頃のことを思い出して、そういやー録画したもんがあったなーと見返してる、ということなのか。うーん、実際の設定はどうだったんだろう、と言いつつ調べてないけどね(笑)。正解の答え探しの映画ではないと思いますしね。

 どちらにしても、記録として残っている映像の中の父親と同じ歳になって、昔を思い出しながら、あの頃の父親はどう考えていたのだろうか、どう感じていたのだろうか、ということを哀悼を込めてソフィーは回顧しているという設定には違いないと思います。

 この11歳の時の父親との休暇旅行が、ソフィーにとってはおそらく父親と会った最後の時だったのでしょう。だからこそ、特別に記憶に残っているのではないでしょうか。もし、何か言いたいことがあれば、劇中で父親が言ったとおりに実際に会って話せばいいと思うのですが、それができない理由というのは、この休暇後に父親と再び会うことは叶わなかった(連絡が取れなくなったとか、檻の中に入っていたとか、国外逃亡してたとか、入院していたとかの理由で)からで、そうして長い年月が流れて父親の訃報があり思い出に浸っているというのが現在の設定ではないでしょうか。鑑賞後すぐは現在のソフィーのパートはいらんかなと思ったけど、ごめんなさい、いりますね、超重要だわ、ほんまに。

 現在を2023年近辺とすると、どうも時代が合わないようにも思えます。劇中は80年代の終わりから90年代初頭だと思いますので、そうするとソフィーはアラフォー以上になると思います。31という数字自体に意味はなく(いや、まぁ、若くもなく、かといって中年でもない、間の世代であるという部分は重要なのですが)、父親と同じ年齢ということに大きな意味があると思いますので、あの父親の容姿や劇中での描写(10代の高校生くらいから、父親とソフィーは兄妹と最初は思われていること)等から41歳ではないと考えられます。そうなると劇中の時代はミレニアム前後になるのか。それならもっと携帯電話は普及していた頃なんですけどね。トルコ(本作の舞台のホテルのある場所)やイギリス(ソフィーや父親が暮らす国)と日本では事情は異なるのでしょう。

 最後に、こう色々と考察しながらも楽しめるけど、全体としては(見た目はというか被った皮はw)シンプルな映画に久し振りに遭遇しました(作り込みというか、表に出していない設定とか構造上はシンプルじゃないけどw)。私がもっと若い頃にこの映画に出会っていれば、かなり好きになっていたかもしれません。