悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2017©りょんりょん) ※映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。

パワーレンジャー

一部ネタバレしていますし、少しdisってるかな。






 大味というよりも薄味というか、薄く広く引き伸ばした映画という印象です。戦いもほぼ終盤だけですし、そこは盛り上がるとはいえ、それまでが長いので集中力も途切れがちで、少し乗り切れなかったなという感じです。半分くらいの長さがちょうどいい内容ではなかったかなと思います。

 米国の映画を観ていていつも思うのは、米国の学校っていじめしかないんだろうかということです。なんか悲しい世界だなって思いますし、この映画もそういう描写があります。個人的にはかなり辟易なんですよね、そういう場面や展開って。

 パワーレンジャーになるまでの仲間5人の葛藤や関係性を一応描写しているのですが、ただ薄味と冒頭に書いたように、表面的に描いているだけで(この方法自体が悪いわけではないのですが)、特に深く掘り下げようともしていないので、気持ちの盛り上げ方に戸惑うというか。

 終盤のバトルは面白かったですし、変形ロボットが敵の巨大黄金グニャグニャ(どう言えばいいのだろうかw)を投げっぱなしジャーマンで投げ捨てる場面は最高です。ここはよかった。

 ただ、ロボットもスーツとかも、トランスフォーマーの影響から抜け出せないのでしょうか。これが世界のトレンドなのでしょうか。トランスフォーマーと言えば、バンブルビーの変形前の車を敵への攻撃に使って、バンブルビーって呼ぶ場面があります。

 まとめますと、悪くはないんだけど、何度も観たいかって言われると、薄味ながら一回でお腹いっぱいになって、特に何回も観たいとは思わないなという映画でした。

 続編作りたそうだったけど(次はグリーンを6人目として登場させるっぽい?)。今回の敵は前のレンジャー裏切り者という設定でグリーン担当だったので、今回の敵を再登場させる布石というのもあり得るかな。敵は最後は変形ロボットのビンタ(マジですw)で宇宙にぶっ飛ばされて凍っただけで、倒したとは言い難いですし。

 

WRESTLE-1 TOUR 2017 SYMBOL 7.16大阪・平野区民ホール大会

 7か月ぶり、3度目のレッスルワン生観戦。かな。平野区民ホールには初めて訪れましたが、暑い日差しの中、地下鉄の駅から一直線ではありますが、思った以上に歩いて汗だくになりながら到着。結構いい会場だったと思います。客入りは240席前後くらいかな。

 試合前に、土肥熊Tシャツを買って、土肥選手と熊ゴロー選手にサインを書いていただいている間に、(その日タイトル戦のある)土肥選手には「応援しています」、熊ゴロー選手には「応援していませんが頑張ってください」と伝えたところ、熊ゴロー選手にツッコミを入れられる展開(笑)。

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 本大会はタイトルマッチがUWA6人タッグ、リザルト、クルーザーと3つあり、リザルトとクルーザーの挑戦者にとっては地元開催という流れでした。また、NEW ERAを裏切った児玉選手と、一方的に言い寄られフラれた形の稲葉選手との絡みもあり、大変楽しみにしておりました。

 大会は、最初はちょっと熱気がないなと思っていましたが(個人的には落ち着いて観戦できるので悪いとは思いませんが)、試合が進むにつれて徐々に熱気が伴ってきました。

 エキシビジョンとしてダークマッチで、練習生の佐藤さんとPro-Wrestling ACEの皇選手との一戦がありましたが、佐藤さんは練習生じゃなくてもうプロの選手としていけるんじゃないかと思いました。逆に、既に一応はプロとして活動している皇選手の方がもうちょっとなんとかした方がいいんじゃないかな、なんて思いました。

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 リザルトは土肥選手を応援していたのですが、地元出身(大学が地元だったっけ?)の伊藤選手の圧巻のジャーマンで、伊藤選手がシングル王座戴冠。普通に堅く土肥選手の防衛だろと思い込んでいたんですよね。

 この伊藤選手の活躍は凄いものがあります。一部では、素人をリングに上げるなとか言われたりしていますが、プロレス学院出身だろうが、キャリアが短かろうが、試合数が少なかろうが、伊藤選手はもう立派なプロレスラーだと思います。決め技のジャーマンも素晴らしい、蹴りもいいし。タナカ岩石選手もそうですが、もうレッスルワンになくてはならない選手になっていると思います(Pro-Wrestling ACE所属だけどなw)。

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 クルーザーは、どう転ぶかわからない展開でしたが、MAZADA選手が余裕をぶっこき過ぎたのか、王座から転落。アンディ選手が勝利者賞を貰う前に、段取りを知らなかった吉岡選手(笑)が登場して次回の挑戦をアピール。これまた楽しみです。

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 個人的に、前に座った方が座高がかなり高くてリング内の攻防が見え難い状況での観戦となり、楽しみも半減。運が悪かったと言えばそのとおりなのですが、かなりモヤモヤ。なので、10月8日(日)に開催の神戸サンボーホール大会のチケットは最前列を購入してしまったじゃねーかよー。奮発しちまったじゃねーかよー。

 チケットを購入したあと、観客をお見送りしていた熊ゴロー選手と再度握手をしてもらい、土肥選手が負けたのは自分の責任でしょうかと尋ねたところ、熊ゴロー選手から(熊ゴロー選手も含めて)応援しなかったからだという返答をいただきました。ごめんなさい。土肥熊を応援するべきでした。

 土肥選手は何気にシングル三連敗?かな。これからの巻き返しに期待したいです。

 櫻田愛実さんはかわいかった。凛々しかった。

ライフ

ネタバレしてますし、ちょっとdisってもいるかな。







 真田広之が出ていたのにびっくり。知らなかったんだよぉー。そして、結構おいしい役。終盤まで生き残っていたし。主人公とヒロインを残して死んじゃったけど。そのポジションまで生き残っていたのは予想外でした。

 司令官をはじめとして、科学者とか、判断がトロかったり、うっかりが多かったりという描写が頻繁なせいで、緊迫感が全くなく、ダラっとした感じで、ギャグ映画かとも思ってしまったり。そう言えば、宇宙ステーションの中という閉塞空間なのに、閉塞感もなかったなぁ。

 司令官が宇宙ステーションの外でカルビン君(火星の生物の名前です。アメリカのとある小学校の名前から付けられました)に巻き付かれて、宇宙ステーションのハッチまで必死に逃げてきたのに、ハッチを開けずに閉めてカルビン君と心中しようとする場面で、えっ、さっきまで必死に生き延びようとしてたのに、急な心変わりは何?って感じたんです。この映画、心象風景なんて描こうともしていないので(それは問題ないんだけど)、そういう心変わり的な描写は?が連発するだけだと思うのですが、なんかそういうチグハグさが目に付きました。

 ほかには、科学者がカルビン君に殺されるのを、主人公、ヒロイン、真田広之が眺めていて、科学者が息絶えたあとにすぐに逃げればいいのに、真田広之だけぼぉーっとしていて、結局、そのせいで主人公とヒロインとはぐれてしまうし、カルビン君を結果的に助けてしまうことになるし。と、登場人物が間抜けにしか描かれていないのは意図的なんだろうか。科学者と真田広之との間に特別な関係性があったわけでもないし。

 カルビン君を地球に入れてはいけないと何度も劇中で言われていたので、カルビン君には地球に是非入ってほしいと願いながら(笑)観ていたのですが、最後の最後、主人公とヒロインが脱出ポッドで脱出し、主人公はカルビン君と一緒になって地球に行かずに反対方向に行く、ヒロインは地球に戻るという流れになって、これは主人公とカルビン君は地球に行くフラグだよなって思ったら、本当にそうなって笑いました(いい意味でね)。

 ラストは本当によかった。バッドエンドですが。それに、ヒロインが逆に宇宙を彷徨うことになるのもスパイスが効いていてよかったと思います。

 アジア?のどっかの海に主人公とカルビン君が乗った脱出ポッドが落ちて、近くにいた小舟に乗った地元の人がわらわらやっていて、開けるなと叫んでいる主人公を尻目に脱出ポッドのハッチを開けた場面をロングショットで捉えているのもよかった。続きが観たいまでは思わなかったけど。

 うん、この映画、ラストだけはよかった。

 

ジョン・ウィック:チャプター2

ネタバレしてますし、disってもいます。悪くはない映画なんですが……。




 前作同様、アクションはいいし、キアヌはかっちょええし、ガン・フーもいいんだけど、どうも肩透かしを喰らったような気分なのです。

 いい場面は結構あるし、部分部分はノレるんだけど、どうして諸手を挙げて楽しめなかったのかって観終わったあとに考えたのですが、これ、『仮面ライダー555』のライブ感(そこ、ここは笑うところじゃないぞw)を醸す作り方に似てるからだわって思いました。555も、一週間という間が空いての1話ずつの鑑賞なら、毎回ノリノリで続いていくのでテンションも上がって面白いのですが、DVDとかで一気にまとめて鑑賞すると、どうも細かいところの辻褄や(整合性)や、設定があやふやなところがメチャクチャ引っ掛かってしまうというのと同じ印象やわと。

 ジョン・ウィックは、マフィアや裏稼業の人達の間でリビングレジェンドになっているのに、思ったほど強くはないという描写も、最強オヤジ系を見慣れた今となっては引っ掛かるといいますか。確かに世界トップクラスというか、単体での実力はトップなんだろうけど、彼に匹敵する能力の人も何人もいますからねー。リビングレジェンドなんだから、そこはもっとぶっちぎりじゃないといけないと思うのですよ。特に映画ではそうしないと、うまく観客に伝わらないと思うのです。

 確かに5年ほど引退していて、能力は衰えたんだろうとは思いますし、前作はそういう感じで作っていたとは思うのですが、その説明というか提示の仕方が下手というか。それはジョン・ウィックがあまり喋らないというキャラクターということで、なかなか難しいのは分かるのですが。狂言回し的なキャラクターもいないですし。

 もう一つ、ジョン・ウィックの強さも、場面毎に微妙に設定レベルが違うのかなと思ってしまうこともあるのも、ノレない要因の一つでもあります。これは、映画としてこの場面はこういう形がかっちょええよねっていうことのみを実践してしまって、全体のバランスを見ていないからそうなってしまってるんだなと思います。それをやるには、もうちょっと映画全体のパワーを付けないと、細かいアラはかき消されないのではないでしょうか。先ほどは555に例えましたが、ジョン・ウィックの強さの提示のゆれって、ライブ感を押し出してしまっているから生じてしまう悪い副作用となってしまっているのではないでしょうか。

 また、この映画は世界観の設定には結構こだわって、細部まで作りこんでいるのではと推測しますが、それを劇中に反映させる作業が甘いようにも思うのです。この映画の世界は、バットマンゴッサムシティみたいなもので、現実世界をベースにはしてるけど、お伽話な世界なんですよっていうのを、もうちょっと分かりやすくした方が、もっとジョン・ウィックというキャラクターや、他のキャラクターも活きてくると思うのです。スーツだけで銃弾が貫通しないとかさ、もろお伽話でしょ。それを作劇的にも隠さざるを得ないのは、『47RONIN』の呪いなんだろうか(笑)。

 ラスト、ジョン・ウィックは最初は歩いて公園から去ろうとするのに、徐々に小走りになっていって、すぐに結構本気の走りになるのは、組織連合体から(ということは全世界の裏組織の人達から)狙われるようになってしまったジョン・ウィックがビビってるっていう演出なんだろうけど、そういう風に見せてしまったことで、ジョン・ウィックの強さの提示が更に消えてしまいました。ジョン・ウィックすらビビる組織という意味かもしれないですが、マイナス効果しかないと思います。しかも、キアヌの走り方がなんか滑稽だから、奇妙な場面としかなってないのも問題なのです。

 ちょっと色々とdisってしまいましたが、悪くはない映画だと思いますし、キアヌを含めてのバトルアクションは素晴らしいです。躊躇のないヘッドショットは最高です。続編に期待したいです。

 

YASHIRO 1st ソロ・アルバム「ASTRAIA」リリース記念ワンマンライブツアー ”Colors of ASTRAIA” @KING COBRA(2017年7月8日)

 アメリカ村でのKING COBRAというライブハウスで行われました、YASHIROさんのソロワンマンライブに参加してきました。YASHIROさんのギタープレイは勿論のこと、バックバンドのメンバー、ライブ自体、そしてお客さんまで含めて、全てがうまく絡み合って、素敵な時間と空間が作られていました。いやー、行ってよかったー。

 

 YASHIROさんを知ったのは、この前の5月10日に発売されたソロCD『Astraia』に関連して、BURRN!誌(そこ、笑うとこじゃないぞw)にインタビューが載っていたからでした。ギタープレイヤーのソロアルバムは大好物だし、何気に美人だし(写真とかでは美人タイプですが、実際は可愛いタイプです。いや、タイプとかじゃなくて、マジ可愛い)、ちょっと聴いてみようかなと軽い気持ちでアルバム紹介のトレーラーをYouTubeで見たのですが、曲もそうですが、ギタープレイがかなり好みだったので、翌日速攻で買いました。

 

 同時に、ソロライブツアーを行うということも知り、最近ライブハウスに行くことがまた増えてきたので、躊躇なく行く決心をしたのでした。デジタルチケットってあるんですね。これは便利だわー。

 

 CDを聴いていて思ったのは、TUBEの春畑道哉さんの初期のソロ活動でのギタープレイになんとなく似ているということ。春畑さんのギタープレイは、ギターを弾くのが楽しいんだろうなぁって思わせてくれるのですが、YASHIROさんのギタープレイもそれに似ているように感じるのです。それに、ギターの音が凄くいい。抜けがいいというのか、聴きやすいし、耳障りもいいし、それでいて印象に残る音で、没個性になっていない音。と書くと褒め過ぎですが、そう思ってしまったもんはしょーがない(笑)。

 

 BURRN!のインタビューでも仰られていましたが、サーフィンしていた頃のサトリアーニにも似ているように思います。特に曲のメロディの解釈というか弾き方が。あの頃のサトリアーニが好きな人も気にいるかもしれません(私はあの頃のサトリアーニしか知らないけど)。

 

 さて、ライブですが、YASHIROさんのギターの音は素晴らしいし、プレイも同様。サポートメンバーのギターの方のソロのときの音は、結構キンキンしてて、細くて、グチャグチャになってたんですが(disってすみません)、余計にYASHIROさんのギターの音のよさが目立って聴こえました。

 

 先にも書きましたが、写真とかではYASHIROさんって美人系なのですが、実際は可愛い系でした。MCから想像するに、この人は天然系かなと思いました。ご自身でも仰られていましたが、かなりなブラコンらしてく、確かに妹キャラな感じでもあるよなーと。ギタープレイからは想像もできませんけど。

 

 歌も、CDではまぁアイドルが歌ってると思ったら許せるかなレベルでしたが、ライブでは、これまで歌の練習をしてきたのか、CDのときに比べると、かなり声が前に出るようになっていると思いました。自分の歌声の性質と歌い方のコツを掴んだのかな(上から目線になってしまいました。すみません)。

 

 某ビリー・シーンが組んだバンドの曲(財団J対応の表記ですw)を演奏して歌ったのはビックリでしたよ。あのリフを聴いて、えええええと心が踊ってしまったのは、まだあのバンドを好きでいたいからなのかな。いや、あの当時のあのバンドが好きだっただけだ、きっと(また脱線しようとしてるw)。

 

 ライブから帰ってきて勢いで書いてみましたが、本当に素敵なライブでした。YASHIROさんのソロライブがあればまた行きたいです。いや、行きます。

 

http://www.kurosawagakki.com/yashiro/colors-of-astraia/

 

ディストピア パンドラの少女

ネタバレしています。disってはいない、かな。

 

 

 

 

 

 邦題がネタバレしてるっちゃーしてますね。まぁ、だから何って程度ですけどね。一応、感染系のゾンビ風映画で、感染者達は劇中では「ハングリーズ」と呼ばれています。無駄にかっちょええ呼称だ(笑)。ゾンビ風と書いたのは、死者ではないというか、死んだらなるっていう系統じゃないからです(おそらく)。噛まれたら、傷の度合いにもよりますが、数秒から数分でそれに変化してしまいます。

 

 実際にあるキノコ(どんなものだったかは失念、公式サイトによるとタイワンアリタケ)が原因で、人類のほとんどが人を喰らう思考能力の低下したハングリーズになった世界(マタンゴみたいだ)。この世界の描き方はよかったです。プリピャチ(チェルノブイリ原発事故のあった付近の閉鎖された都市)でもロケをしたみたいです。こういう映画には、確かにあそこはうってつけのロケーションポイントかもしれません。

 

 母親が妊娠している状態で感染して生まれた第二世代の子供達からワクチンを作ろうとしている軍や科学者達。母親が妊娠している状態で感染ってブレイドかよ(笑)。というか、この映画、色々と新しい試みをしているように見せかけて、色々な古くからあるものを組み合わせて新しいものとして提示しています。

 

 第二世代のお子さん達は、一見ごく普通の人間のようにお話もしますが、食べるのは虫(ゴカイだったかな)だったり、人間が肌と肌の触れ合う距離程度に近付くと匂いが誘引となるのか興奮状態になり本能のままに活動するハングリーズに変化します。そのため、人間はブロッカージェルを皮膚に塗って、ハングリーズを刺激しないようにしています。日焼け止めクリームを塗るみたいなものです。

 

 一応、主人公ポジの女性教師が、マッツ・ミケルセンに似てるんですよ。で、情が深いのはいいのですが、それによって多数の人が迷惑になるかもってことまでは頭が回らない、リアル世界では厄介な人とレッテルを貼られるタイプです。

 

 主人公達のいた基地がハングリーズの襲撃に耐え切れずに崩壊。主人公達はロンドンを突っ切って別の基地(ビーコンという基地、ここが本拠地なのかな)に向かいます。この逃避行は、画面は凄く面白かったのですが、お話の転がり方がちょっとテンポが悪かったというか。この映画は、テンポをよくするために人間関係とか人間模様を結構軽く描写しているのですが、だからこそ、テンポが悪くなるとスッカラカンになってしまうんですよね。

 

 パンドラの匣には災難とか色々なものが入っていましたが、最後に匣の中に残っていたのは希望でした。この映画でも人類で生き残ったのは女性教師だけでした。これは第二世代の少女メラニーにとっての希望が女性教師であり、ハングリーズがこれから生きていくための教育(=希望)を与えるために匣から解放されずに残されてしまったっていう解釈でいいのかなー。

 

 ハングリーズが植物化?(胞子化?)して、大木となり、そこから胞子を撒き散らして人類全員ハングリーズ化してやるぜっていう設定は面白かったです。でも、人間が全員ハングリーズ化したら、人間を喰えなくなるよって思ったのですが、動物ならなんでもいいみたいだったから、逆に人間からの進化というか変化という扱いだったのかもしれないですね。

 

コール・オブ・ヒーローズ/武勇伝

ネタバレしてします。





 ヒロインだと思っていた人が、序盤が終わった辺りで教え子の児童と共にラスボスのルイス・クーに銃殺されるところで度肝を抜かれました。緊張感のないアホが真っ先に殺られていく展開は大好き。そういうところも含めて、この映画のあっさりと人が殺されていくところが妙にリアルだったりするんですよね。お話はファンタジーなのに。

 主人公は自警団の団長のおっさんなんだけど、もうかっちょええしか言葉が出ない。まっすぐで、でも他者をきちんと労わり、他者の気持ちも汲み、それでも自分の信じた正義、良心に従って生き抜くという姿勢は見習いたいというか、しないとダメだよね、人間なら。

 団長の配偶者は普通の人かと思ってたら、これまた武術の達人なんだけど、中盤で敵と戦闘中、あっさり敵をやっつけてドヤポーズしてるときに、後方から敵にやられた転がってきた味方にぶつけられて足を痛めるアクシデント。なんで、ここで笑わせポイントを持ってくんねん(笑)。でも、最後まで足を引き摺ってたから、ガチのアクシデントで足を怪我して、そういう設定に変更したのかなと思いました。

 守る価値のない村人という設定といい、展開自体もよくあるものでしたが、テンポを大事にするために人間関係が希薄になっているという弱点はあるけれども、120分をダレることなく楽しませるということを第一に置いて製作した結果だと思いますし、個人的にはダラダラと人間関係を描くよりも好みなので、この割り切り方が私には合っていたように思います。

 もう一人の主人公ポジの人の陰が薄くなりがちだったし、ウー・ジンが演じるキャラのお陰でかろうじて観客に忘れ去られなくて済んでたけど、予告編からはこの人が主人公だと思っていたというのもあり(実際、映画の中でも団長と共に中心人物なんだけど)、余計に本編では存在感が薄かったと思ってしまいました。

 最後は、主人公の攻撃を凌ぎきって生きているルイス・クーでしたが、村人達によってたかって刺されたりなんやかんやされたりでお亡くなりになります。このラスボスの倒され方には賛否両論あると思います。個人的には、こういう倒され方の方がこの映画の雰囲気には合っていたように思います。ただし、守る価値がないと認定されてしまった(映画的にね)村人達が、自分達が団長達を裏切ったことをすっかり忘れて被害者ヅラして(まぁ被害者ではあるねw)ルイス・クーに憎悪をぶつけるという展開はリアルでもあるんだけど、なんかモヤるね。

 トンファー使ってる人はサモ・ハン・キン・ポーのご子息とのこと。似てねー。

 

スペース・スクワッド ギャバンVSデカレンジャー

ネタバレはしてないですが、かなりdisってます。





 異星人がいる設定はいいとして、今の肥えた目で、被り物・作り物全開の異星人を出されたら、よくてコメディにしかならないですよ。そこでシリアスな展開の物語を見せたいのなら、余程の手練手管な猛者でないと無理でしょう。結果、無理でしたよね、この映画は。

 『ガールズ・イン・トラブル スペース・スクワッド EPISODE ZERO』と続けて観たということもあるかもですが、敵の組織よりも、宇宙警察の方がヤバい組織(やり方も含めて)のように思わせてしまうのもかなりなマイナスにしかなってないと思います。

 外国のヒーローものって、色々な年齢層に楽しんでもらおうという姿勢を感じますが、日本のヒーローものって、昔から子供向けと蔑まれながら、大人の鑑賞にも耐えうるものというか、そういうエッセンスを入れつつやってきたような歴史があったと思うのですが、今は全力で子供向けというか、子供層しか相手にしないという姿勢になったのですね。それが悪いということではなく(資源の集中と選択という観点からは正解だと思いますよ)、もう自分は付いていけないなと思っただけなのです。

 映画(というかVシネ)という形態なので、ちょっとは大きなお友達向けかと思ったんですよね。観客も大きなお友達しかいなかったのに。まぁ、ギャバンは最初のテレビシリーズも、2代目になってからの映画も観ていますが、デカレンジャーはほとんど知らないので、そのせいもあったとは思いますが、それにしても……。

 なんだろうね、この観終わったあとの虚無感と疲労感は。

 

22年目の告白 ―私が殺人犯です―

ネタバレしています。微妙にdisっているかも。






 リメイクとは知らずに鑑賞。終盤まではかなり面白かったです。終盤は、色々と説明しないといけないし、きちんと着地しないといけないしという諸々の事情のためか、失速してしまったように思います。そこが残念でした。

 冷静になると色々とツッコミをしてしまう映画だと思うけど、劇中の雰囲気と、やっぱりこいつはゲスいと自然に憎まれる藤原竜也、ツッコミポイントをうまく容姿のかっこよさと行動力でカバーする伊藤英明という配置が功を奏し、特に中盤過ぎまで主人公ポジとして活躍した伊藤英明の存在感は、うまく観客の目をツッコミどころからカモフラージュさせていたと思います。

 リメイク元の映画を知らなくても、藤原竜也は本当は犯人じゃないだろうし、クレジットのトメポジションの仲村トオルが真犯人だろうしというのは予想がつくと思います。観ている途中で、藤原竜也伊藤英明はグルだろうし、野村周平が成長して(実は自殺未遂からの整形だったけど)藤原竜也になったんだなっていうのはもうほとんどの観客が思っていたでしょうし。

 それが確信に変わりつつある頃合いで、野村周平の自殺場面が挿入されたのですが、ここはうまいなと思いました。現在と過去の入り混じりかたがどうなんだろうとは思ったのですが、この映画、22年前の場面もかなりあり、おそらくCGを使っているのでしょうけど、若い頃の伊藤英明とか凄く自然なんですよね。だから、こそミスリードに少し引っかかってしまって、ドキドキ感が継続したと思います。

 ただ、色々とミスリードさせたいという流れの反動もあって、それの最たるものが伊藤英明を主人公として行動させることによって、被害者遺族の心情的なものが薄味になってしまっているのと、逆に真犯人は誰なんだっていうポイントのみに観客の視点を集中させてしまう結果になってしまったんじゃないかなと。それが、終盤の失速の要因だと感じました。

 

LOGAN/ローガン

disりながら、さり気なくネタバレしています。





 ヒュー・ジャックマンが演じるウルヴァリン最後の映画という触れ込みで、予告編からも重く哀切な雰囲気がかなり充満しているのが想像できましたが、本編もそんな感じでした。

 前半は面白かったんだけど、後半はかなり失速してしまい、平凡な映画になってしまったなぁと思いました。無理やりウルヴァリンと教授という、映画のX-MENをこれまで引っ張ってきたメインキャラに退場(死亡)してもらって、新しい世代で頑張りますという宣言をされても、ちょっと付いていけませんよ。

 観終わって暫くして、これって、最終回前の展開とかを全く知らずにいきなり最終回を観てしまったような感覚だよなって思いました。ヒュー・ジャックマンが出ているX-MENの映画は勿論全て観ていますし、全てDVDなりBlu-rayなりを購入しています。まかぽい版のも同様です。なので、これまでの映画での展開を知らないということではありません。でも、そう感じてしまったのです。

 フューチャーパストでもそうでしたが、ウルヴァリンがあまり強くなく活躍しないという点も不満に感じているんだと思います。それは、ヒュー・ジャックマン最後のウルヴァリンなのにという気持ちも強く作用しているのでしょう。

 後半が失速したと感じたところは、ラスボスというか敵側とウルヴァリンの因縁の薄さ(あるにはあるんだけど)とか、なんであの家族(の構成)で安らぎを見出すんだよとか。物語の構築が何をどうしたいのかがハッキリしていないように思えたんです。世界観とかの設定ももっと詰めようよ。

 悪い映画ではないとは思いますが、観たかったのはこんな映画じゃないんだよっていう典型的なものでした。

 

GHOST'S SABBARTH VOL.4 "DEORUM FESTUM" RELEASE PARTY IN NAGOYA

Ghost Cries / THE UNCROWNED / EREBOS / Six Sense / BLASTURGE

 THE UNCROWNEDのライブが見たくて、名古屋の今池3STARに行ってきました。ライブに行こうと決めて暫くしてから、ベースのNaoki氏が今池3STARでのライブを最後に脱退されることが公式サイトでアナウンスされました。ビックリしましたが、こういうのを虫の知らせと言うのかなと思ったりしました。

 ライブはGhost Criesのレコ発ライブとして催されましたが、明らかにTHE UNCROWNEDだけ別枠というか、他のバンドとフィールドが違うなと思いました。どうしてTHE UNCROWNEDがブッキングされたんだろう。ボーカルが女性だからかな???

 ライブ全体で、ギターソロの音が小さいというか細く設定されていたのは、今池3STARというライブハウスでの通常営業だったのだろうか。全体のバランスとしては悪くはなかったんだけど、ギターソロがかなりあるバンドが多かったのに、ギターソロの音だけ小さくて細くて、聴こえてないときもあったし。最初はそれで、ギターソロ下手だなって思ってしまったじゃないですか。ライブハウスのPA側での設定の問題だなってわかったのはTHE UNCROWNEDのときでした。それも、THE UNCROWNEDを知ってるからわかったわけですし。

 当日のトップバッターはBLASTURGEから。ベースの人が可愛かった。ベースプレイはそんなにうまいとは思えなかったけど(失礼)、本当に可愛かった。アイドルでもやっていけるほどの可愛さだった。

 ライブは日本のバンドのダサさを再確認したというか、その場にいる自分が恥ずかしくなったというか。自分達らしさを出すんじゃなくて、誰かさんらしさを追求したいのかわからないけど、それならそれでもっと別の道があるんじゃないな、なんて思ったり。

 次に登場したのはSix Sense。どうやらボーカルが交代してからの初ライブの模様。このボーカルの人も、上から見下すS系の美人さんだった。ただ、全く歌えてなかった。美人だから許されるものの、これではノれない。バンド全体もまとまっていなかったように聴こえたし。でも、ボーカルの人は美人さんだった。これは間違いない。

 ボーカルの美人さんが頻繁に新しい景色を見せたいと仰られていましたが、新しい景色を見せるのも素晴らしいことではありますが、まずは今の風景をきちんと見せる方が大事なんじゃないかなと。

 ここまで2バンドを聴いて、全く自分の好みではなかったというのもあるけど、かなり精神的に疲れたというか。貧乏性なので、目当てのバンド(THE UNCROWNED)だけではなく、出演バンドを全部聴きたいと思ってしまって最初から突撃してしまいましたし、初めて聴くのはライブ会場でと思って、事前に音源等をチェックしなかったというのもありますが、ちょっとこのやり方も次回からは修正が必要かな、と休憩中に考えてたりしました。というか、スマホの電波(ソフバンだよw)が届かないのか圏外になってしまっていて、休憩中にスマホで暇つぶしができなかったんだよ〜〜。泣ける。

 3番目に登場したのは大阪のバンドであるEREBOS。またもやボーカルは女性の方。しかも、ゴソウさんに影響を受けたというか、コピーしてますっていうのが丸わかり。でもうまい。地声との差もキャッチー(地声はきゃわゆいw)。しかも、一番自分好みの顔立ちだった(←アホ)。

 少し前にバンドとしてのライブ活動に終止符を打ったLA界隈のバンドの曲を演奏したのはいいのですが(えっ、そのバンドの曲やるの?っていう意表を突かれました)、歌詞を覚えていないからと紙を見ながら歌うというのは、ちょっとこのバンドの雰囲気にも合っていなかったし、流れを悪く断ち切ったかな、と。この曲を演奏しなくても全体構成としては問題はなかったと思うので、選曲ミスじゃないかなー。でも、ギターが兄弟だった某バンドの某曲をラストの曲に持ってきていたのですが、これは萌えた、じゃなくて燃えた。※財団Jを警戒して、濁す書き方にしています。

 EREBOSは当日出演していたバンドの中で、一番観客を自然に音で、音楽でノせていたバンドだったと思います。そこはかなりうまかったのではないかと。前の二つのバンドでちょっと疲れていた私でしたが、腕挙げたり首振ったりしてましたもんね、自然と。ということで、CD買っちゃいました。

 次はいよいよTHE UNCROWNEDの登場。スーパーベーシストNaoki氏(バンド名を決めた人でもある)の在籍最後のライブ。ということで、EREBOSで興奮していたのか、ステージの最前列、しかもNaoki氏側に陣取ってしまうという愚挙。でも、陣取ってよかった。Naoki氏のスーパープレイを目と耳に焼き付けることができました。しかも、Naoki氏が最後ということからか、前回の大阪でのライブよりもベースの音が前に出ているようなバランスだったし。

 Naoki氏作曲(アルバム唯一)の「TOWARD YOU」もライブで初披露されました。SHALねーさんが少し涙ぐんでしまっていましたが、いやー、あれは泣けますよね。色々な思い出が蘇ったのだと思います。

 MCでは、Takeshi氏から、Naoki氏とは兄弟としてあまり接点はなかったかもしれないというお話が。音楽という共通の趣味での話題はあったけど、日常会話的なことはしてこなかったかもと。兄らしいこともしていなかったなーって。それで、今回一緒にバンドをやるようになって、悪いところも良いところも見えたと。

 Naoki氏は感謝の一言らしいです。素人に毛が生えただけのような自分が、CDも出して、ライブもできて、読者だったBURRN!等の雑誌にもインタビューされて掲載されて、と。話のニュアンスからは、これまでの生活と両立してやっていると思っていたが、現実にはなかなか折り合いが付けられなかった的な印象を受けました。それが脱退の理由というのは公式サイトでも語られていますが、個人的にはこれからも音楽活動は続けていってほしいですし、THE UNCROWNEDへの楽曲提供とかで繋がりは保っていてほしいなって思います。

 また、新しいベースの人もおいおい発表していくということと、ドラムの松崎さんも正式メンバーになるというのではないかもですが、これからもドラマーを勤めていっていただけるようです。つか、正式メンバーに引き込めよ(笑)。

 ライブは終わってほしくはなかったです。終わったときは、勿論ライブはよかったのでそれによる興奮もありますが、切なさみたいなものがごっつ込み上げてきました。

 ライブでも発表されましたが、9月10日(日)、東京の吉祥寺CRESCENDOにて、1st『REVIVE』の完全再現を行うとのこと。 SCHONBERG、Amiliyahが出演し(オープニングアクトはVERATLIA)、THE UNCROWNEDがトリとなります。早速、THE UNCROWNEDのライブ終了後、物販コーナーに立たれた脱退するNaoki氏に9月10日のライブの予約という鬼畜な行為をしてしまった私(笑)。この時期は、某宗教団体(ジークザリとか言ってるけど、ザリガニ教ではないはずだw)の年に一度の集会に参加するため、東京にいる予定ですしね。

 トリはGhost Cries。サポートのキーボードの人が可愛かった。ただ、ギターソロと同じで、キーボードソロも音のバランスが小さかったように思いました。このライブハウスは楽器のソロが嫌いなのか(そんなことはないだろうけど)。それと、終始ベースの人(巨漢)がにこやかに笑顔でプレイしておられるのが印象的でした。

 名古屋まで遠征してしまいましたが、電車で我が家から今池まで2時間くらいあれば行けるんですよね。お金はかかりますけどね(笑)。なんか、遠征という感じでもなかったなー。

BLASTURGE
https://blasturge.wordpress.com/

Six Sense
https://www.facebook.com/SixSense66666

EREBOS
http://artist.aremond.net/erebosxmetal/

THE UNCROWNED
http://uncrownedband.wixsite.com/uncrowned

Ghost Cries
http://ghostcriesmail.wixsite.com/ghostcries

皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ

一部ネタバレしています。

 

 

 昔のヨーロッパ映画の質感だなぁと思った。詩的な感じの映画だなぁとも思いました。余韻に浸れる映画は久しぶりかも。

 アニメの『鋼鉄ジーグ』がイタリアで実写化されたのかと思ったら、ヒロインが『鋼鉄ジーグ』の大ファンで、超力を得た主人公にジーグジーグとまとわりつく映画でした。

 面白かったし、素晴らしかった。絶妙なバランスって感じです。これ以上長かったらダレるだろうし。主人公の過去があまり描かれることがないので、急に正義感を持ち出してもっていう理由でこの映画にノれない人もいるだろうけど、そこで描いちゃうとダレると感じる人も出てくるだろうから、難しいんですよね。このバランスって最後は人の好みなので、合うか合わないか、好きになれるかどうか、しかないのですが、私はドンピシャに合っちゃったみたいです。

 ヒロインが終盤で殺されちゃいますが、それで主人公の正義への渇望が決定的になったと思いますし、あの演出はありきたりかもしれませんが、よかったと思うのです。ただ、ヒロインがもっと美人だったらと思いました。あ、それだったら、この映画のよさはなくなってしまうかもしれないか。

 敵役がキレた悪人ではあるけど(しかも小さい組織の共同ボスみたいな立場で、ラスボスととしてもショボいし)、超力を得ている主人公と張り合うには少し弱いよなって思ってたら、主人公と同じように川に落ちて廃棄されたドラム缶の液を浴びて超力を得るのもよかったところです。つか、あれをきちんと計画立てて使えば、イタリアは無敵国家になるじゃないですか(笑)。

 主人公の主食のあのヨーグルトみたいな食べ物はなんなんだろうか。イタリアではメジャーなんだろうか。食べてみたい。それが一番気になりました。

 最後にヒロインが編んだ鋼鉄ジーグの頭を模した編物を主人公がマスク代わりに被るのですが、それを被った主人公の活躍も観たいです。続編作ってくれよー。

 

 

スプリット

ネタバレしています。








 まかぽいの演技は素晴らしい。

 『アンブレイカブル』の続編というか、同じ世界でのお話。ラストに、ブルース・ウィリスが登場します。次回作では、どうやらまかぽいと戦うみたい。

 まかぽいよりも、連れ去られた3人のJKのうちの一人がどちらかと言えば主人公。この主人公は、幼少の頃、おそらく叔父さんに性的暴行を受け、直後に猟銃で殺そうとしますができなかった過去を持っています。しかも、それから暫くして父親が心臓発作で亡くなり、叔父さんに引き取られます(母親は既に他界か離婚してかいない模様)。叔父さんと一緒にいる時間を可能な限り少なくしたかったり、そもそも一人でいたい(人間不信だと思う、当然か)ので、高校では問題行動をわざと起こしています。

 だたこの主人公、イライラします。まぁ、まかぽい以外の登場人物全員が危機管理能力ゼロというか抜けてるので、主人公の間抜けさもこの映画世界では標準なのかもしれません。

 まかぽいの中には、23人の人格があります。元々は一人でしたが、母親からの虐待によって、基の人格(ケビン)を守るために、段階的に23人の人格が作られていった模様。心(?)の中の部屋に、照明に照らされた椅子があって、そこに座った人が肉体を操れるっぽい。人格によって、思考や性格は勿論、頭の良さとか体力とか腕力とかが変わります。

 ここを映像化してほしかったなー。暗闇の中でぽつんと照明に照らされる椅子を巡って、23人のまかぽいが椅子取りゲームをするところを。ここを映像化せずに、何が映画なんだ(笑)。スキップするまかぽいとか、黙々と椅子の周りをうろつくまかぽいとか、遠巻きでぶつぶつ言いながら歩くまかぽいとか、子供のようにはしゃいで走り回るまかぽいとか、屁理屈こねまくるまかぽいとか。ほら、萌えてきただろ。

 一部の人格(デニスとパトリシア)は「群れ」と呼ばれ、他の人格から危険だということでハブられていて表に出てこれなかったのですが、おそらくケビンの人格のときにJK2人(今回誘拐された人達と同一人物かは不明)のセクハラに合ってしまい、それがきっかけとなってケビンを守るためにデニスとパトリシアが主導権を握ってしまいます。

 デニスとパトリシアはビーストと呼ばれる人格を信じていて(その存在はケビンを守るためのもの)、そのビーストを出現させるために(人格の完全固定化と言った方が正解かな)JKを誘拐していたのです(食べるためね)。

 ビーストになると、ショットガンを近距離で撃たれても弾が貫通しないし、食用ナイフで近距離から刺そうとしても刃が折れます。人間の限界を超えるのです。

 ちなみに本名をフルネームで呼ばれると、どの人格が表に出ているときもケビンが登場しますが、ビーストはそれすらも克服したかもしれません(うろ覚え)。

 ビーストになるってことで、まかぽいは五分刈りだし、プロフェッサーとかのX-MEN繋がりかと思いましたよ。しかも、最後は車椅子云々とか言ってたし、これはもうX-MENネタだろうと。『アンブレイカブル』を観たことないんでわからんかったんよー。

 映画としては、まかぽいの23人の人格を描きたかったのか、誘拐された3人の脱出劇を描きたかったのか、焦点が定まってなくて緊迫感がなかったのが残念。いや、ブルース・ウィリスの敵役を紹介する映画として作っただけ、ですね。

 まかぽいがビーストになるのは、もっと映像的に人外っぽくしてほしかった。ちょっと体が青白くなって、血管が浮き出る程度ではねー。あれでは足りない。

 

メッセージ

ネタバレしてます。




 この映画の構成を見習って、思ったことを書き殴ってみました。なので、時系列を揃えてはいません。

 主人公(エイミー・アダムス)の娘のパパはジェレミー・レナー。

 時々挿入される主人公と娘との交流は過去の場面ではなく、実は未来の場面。

 散々この映画のポイントは語られると思いますが(雰囲気系の映画ですが、語りたくなる映画でもあると思います)、主人公がどの言語で思考するようになったのかというのは大事なポイントです。

 「ばかうけ」に乗ってやってくる宇宙人は、時間の流れを過去・現在・未来の直線的な流れではなく、未来も含めて全てわかっている中で(地球人的視点からの)現在の時間軸に存在しているということ(という私の理解)。宇宙人の言語が丸い(サークル)のが、それを表していると思います。時間の概念は、流れというより円環しているということ。

 人間のDNAの中にも、生まれてから死ぬまで(突発的な事故での死亡とかも含めて)記録されているという説がありましたが、この映画の宇宙人はそれと同様に自らの人生(宇宙人生かw)を既に知っていて、それを受け入れて、というか当然のこと捉えて生きていること。でも、その事柄が「運命がわかっていて、それを受け入れている」というのとはまた違うような気がします。

 主人公が、娘が不治の病に冒されて若くして(15歳くらい?)死んでしまうとわかっていても、その選択肢を選んでしまうのは、主人公にとってはそれは選択肢という概念ではなくなっているからとも考えられます。

 娘の名前が「ハンナ」(hannah)と、前からも後ろからも同じ読み方になるというのも、宇宙人的思考だったからでしょう。

 所々、主人公が回想しているように思える場面は、実は未来ですよっていう提示は劇中でも示されています。娘が作っている粘土細工の中に宇宙人がいたり、数学博士のパパにうんたらと娘に言ったり。

 映画は詩的な感じ。映像はずっと曇天模様な感じなんだけど、多分意図的。

 映画表現の素晴らしさを感じるとともに、映画表現の限界(不得手な部分と言うのが正解かな)を感じてしまう映画でもありました。

 主人公が未来を回想する場面で老けていないのは、ミスリードさせるためというのもあるけど、それがこの映画の欠点にもなっています。もう少し提示の仕方はあったのではないかなと。

 主人公が宇宙人の言語の本出したり、宇宙人の言語を理解することで、過去・現在・未来という時間の流れではない思考になってしまったのって、結局、これは宇宙人の侵略が一部にせよ成功したってことじゃないのか、と思えたり。

 

マンチェスター・バイ・ザ・シー

ラストをぼんやりとネタバレしてますし、かなりdisってます。




 かなり期待してたんですよ。予告編を観たときから、「あー、この映画はごっつ感動できるわー」って勝手に舞い上がってました。ケイシー・アフレックの演技の凄さも伝わってきましたし。

 映画は、ケイシー・アフレック演じる主人公とその甥を中心に描かれ、時々過去の描写が挿入されます。そして、段々と何故主人公は街を出て行ったのか、どうして戻ってきたくないのかが示されます。単純にその流れだけを追った映画ですが、人物描写がうまいんです。役者の演技と相まって、セリフの説明がなくてもこういう人物だなっていうのが、きちんと示されるんです。

 ただね、その人物描写のうまさの弊害なのかもしれませんが、主人公一族がね、まともじゃないというのがダイレクトに伝わってきて、主人公とかに感情移入できなくて、「だからどうしたよ」ってなり、お話についていけませんでした。感動もへったくれもありません。ただただ、お話の中心である主人公とその甥に嫌悪感しか生まれなかったんです。親戚?のジョージは普通にいい人設定ですが、クズ主人公一族のお陰で聖人に思えてきますしね。

 お話の視点からだけで言うと、予告編詐欺だと思うのですよ、日本版のは。主人公も結局新しい一歩なんて踏み出さないし。踏み出せないという結果を再確認したんですから。

 もう一つこの映画を好きになれなかった部分は、景色が美しくなかったというか。十分美しかったと思われる方もいるとは思いますが、個人的にはのっぺりしてて、あまり工夫せずに撮影してるのかなって思ってしまいました。もうちょっと季節による空気感の違いを出してほしかったかな。

 それと、ふと過去のお話が挿入されたりするのですが、ケイシー・アフレックの姿とかが現在とあんまり変わんないし、景色も変化を描き切れていないから、最初は戸惑いましたし、下手だなぁと思いました。ただ、今になってみると、わざとそういう風にしてたのかなとも思います。それは、劇中の主人公にとっては出来事は過去だけど、自分自身は過去ではないという意味なのではないかなと。

 ケイシー・アフレックの演技は凄いですが、一人浮いてます。逆に、浮かなくするのが映画としてのテクニックだろとも思うんですけどね。この映画は一言で言って、ケイシー・アフレックの演技力のPR映画以外の何物でもありません。

 と、なんか感想を書こうとして映画を思い出そうとしているうちに、この映画、実は大好きなんじゃないか、なんてふと思うことも。主人公一族がクズじゃなかったら大絶賛していたように思いますが、私にとっての映画は、映像、役者の演技、映画テクニック的なもの、そしてお話も含めてのトータルパッケージ力が大事で、特にその中でもお話が占める部分が多いので、お話がつまんないともうどうしようもないわけなんですよ。