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悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。

演歌・オブ・ザ・デッド 公式サイト(2005-2016©りょんりょん) ※映画感想dis blogです。かなりdisってるので、不快になられた方にはお詫び致します。

皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ

一部ネタバレしています。

 

 

 昔のヨーロッパ映画の質感だなぁと思った。詩的な感じの映画だなぁとも思いました。余韻に浸れる映画は久しぶりかも。

 

 アニメの『鋼鉄ジーグ』がイタリアで実写化されたのかと思ったら、ヒロインが『鋼鉄ジーグ』の大ファンで、超力を得た主人公にジーグジーグとまとわりつく映画でした。

 

 面白かったし、素晴らしかった。絶妙なバランスって感じです。これ以上長かったらダレるだろうし。主人公の過去があまり描かれることがないので、急に正義感を持ち出してもっていう理由でこの映画にノれない人もいるだろうけど、そこで描いちゃうとダレると感じる人も出てくるだろうから、難しいんですよね。このバランスって最後は人の好みなので、合うか合わないか、好きになれるかどうか、しかないのですが、私はドンピシャに合っちゃったみたいです。

 

 ヒロインが終盤で殺されちゃいますが、それで主人公の正義への渇望が決定的になったと思いますし、あの演出はありきたりかもしれませんが、よかったと思うのです。ただ、ヒロインがもっと美人だったらと思いました。あ、それだったら、この映画のよさはなくなってしまうかもしれないか。

 

 敵役がキレた悪人ではあるけど(しかも小さい組織の共同ボスみたいな立場で、ラスボスととしてもショボいし)、超力を得ている主人公と張り合うには少し弱いよなって思ってたら、主人公と同じように川に落ちて廃棄されたドラム缶の液を浴びて超力を得るのもよかったところです。つか、あれをきちんと計画立てて使えば、イタリアは無敵国家になるじゃないですか(笑)。

 

 主人公の主食のあのヨーグルトみたいな食べ物はなんなんだろうか。イタリアではメジャーなんだろうか。食べてみたい。それが一番気になりました。

 

 最後にヒロインが編んだ鋼鉄ジーグの頭を模した編物を主人公がマスク代わりに被るのですが、それを被った主人公の活躍も観たいです。続編作ってくれよー。

 

スプリット

ネタバレしています。








 まかぽいの演技は素晴らしい。

 『アンブレイカブル』の続編というか、同じ世界でのお話。ラストに、ブルース・ウィリスが登場します。次回作では、どうやらまかぽいと戦うみたい。

 まかぽいよりも、連れ去られた3人のJKのうちの一人がどちらかと言えば主人公。この主人公は、幼少の頃、おそらく叔父さんに性的暴行を受け、直後に猟銃で殺そうとしますができなかった過去を持っています。しかも、それから暫くして父親が心臓発作で亡くなり、叔父さんに引き取られます(母親は既に他界か離婚してかいない模様)。叔父さんと一緒にいる時間を可能な限り少なくしたかったり、そもそも一人でいたい(人間不信だと思う、当然か)ので、高校では問題行動をわざと起こしています。

 だたこの主人公、イライラします。まぁ、まかぽい以外の登場人物全員が危機管理能力ゼロというか抜けてるので、主人公の間抜けさもこの映画世界では標準なのかもしれません。

 まかぽいの中には、23人の人格があります。元々は一人でしたが、母親からの虐待によって、基の人格(ケビン)を守るために、段階的に23人の人格が作られていった模様。心(?)の中の部屋に、照明に照らされた椅子があって、そこに座った人が肉体を操れるっぽい。人格によって、思考や性格は勿論、頭の良さとか体力とか腕力とかが変わります。

 ここを映像化してほしかったなー。暗闇の中でぽつんと照明に照らされる椅子を巡って、23人のまかぽいが椅子取りゲームをするところを。ここを映像化せずに、何が映画なんだ(笑)。スキップするまかぽいとか、黙々と椅子の周りをうろつくまかぽいとか、遠巻きでぶつぶつ言いながら歩くまかぽいとか、子供のようにはしゃいで走り回るまかぽいとか、屁理屈こねまくるまかぽいとか。ほら、萌えてきただろ。

 一部の人格(デニスとパトリシア)は「群れ」と呼ばれ、他の人格から危険だということでハブられていて表に出てこれなかったのですが、おそらくケビンの人格のときにJK2人(今回誘拐された人達と同一人物かは不明)のセクハラに合ってしまい、それがきっかけとなってケビンを守るためにデニスとパトリシアが主導権を握ってしまいます。

 デニスとパトリシアはビーストと呼ばれる人格を信じていて(その存在はケビンを守るためのもの)、そのビーストを出現させるために(人格の完全固定化と言った方が正解かな)JKを誘拐していたのです(食べるためね)。

 ビーストになると、ショットガンを近距離で撃たれても弾が貫通しないし、食用ナイフで近距離から刺そうとしても刃が折れます。人間の限界を超えるのです。

 ちなみに本名をフルネームで呼ばれると、どの人格が表に出ているときもケビンが登場しますが、ビーストはそれすらも克服したかもしれません(うろ覚え)。

 ビーストになるってことで、まかぽいは五分刈りだし、プロフェッサーとかのX-MEN繋がりかと思いましたよ。しかも、最後は車椅子云々とか言ってたし、これはもうX-MENネタだろうと。『アンブレイカブル』を観たことないんでわからんかったんよー。

 映画としては、まかぽいの23人の人格を描きたかったのか、誘拐された3人の脱出劇を描きたかったのか、焦点が定まってなくて緊迫感がなかったのが残念。いや、ブルース・ウィリスの敵役を紹介する映画として作っただけ、ですね。

 まかぽいがビーストになるのは、もっと映像的に人外っぽくしてほしかった。ちょっと体が青白くなって、血管が浮き出る程度ではねー。あれでは足りない。

 

メッセージ

ネタバレしてます。




 この映画の構成を見習って、思ったことを書き殴ってみました。なので、時系列を揃えてはいません。

 主人公(エイミー・アダムス)の娘のパパはジェレミー・レナー。

 時々挿入される主人公と娘との交流は過去の場面ではなく、実は未来の場面。

 散々この映画のポイントは語られると思いますが(雰囲気系の映画ですが、語りたくなる映画でもあると思います)、主人公がどの言語で思考するようになったのかというのは大事なポイントです。

 「ばかうけ」に乗ってやってくる宇宙人は、時間の流れを過去・現在・未来の直線的な流れではなく、未来も含めて全てわかっている中で(地球人的視点からの)現在の時間軸に存在しているということ(という私の理解)。宇宙人の言語が丸い(サークル)のが、それを表していると思います。時間の概念は、流れというより円環しているということ。

 人間のDNAの中にも、生まれてから死ぬまで(突発的な事故での死亡とかも含めて)記録されているという説がありましたが、この映画の宇宙人はそれと同様に自らの人生(宇宙人生かw)を既に知っていて、それを受け入れて、というか当然のこと捉えて生きていること。でも、その事柄が「運命がわかっていて、それを受け入れている」というのとはまた違うような気がします。

 主人公が、娘が不治の病に冒されて若くして(15歳くらい?)死んでしまうとわかっていても、その選択肢を選んでしまうのは、主人公にとってはそれは選択肢という概念ではなくなっているからとも考えられます。

 娘の名前が「ハンナ」(hannah)と、前からも後ろからも同じ読み方になるというのも、宇宙人的思考だったからでしょう。

 所々、主人公が回想しているように思える場面は、実は未来ですよっていう提示は劇中でも示されています。娘が作っている粘土細工の中に宇宙人がいたり、数学博士のパパにうんたらと娘に言ったり。

 映画は詩的な感じ。映像はずっと曇天模様な感じなんだけど、多分意図的。

 映画表現の素晴らしさを感じるとともに、映画表現の限界(不得手な部分と言うのが正解かな)を感じてしまう映画でもありました。

 主人公が未来を回想する場面で老けていないのは、ミスリードさせるためというのもあるけど、それがこの映画の欠点にもなっています。もう少し提示の仕方はあったのではないかなと。

 主人公が宇宙人の言語の本出したり、宇宙人の言語を理解することで、過去・現在・未来という時間の流れではない思考になってしまったのって、結局、これは宇宙人の侵略が一部にせよ成功したってことじゃないのか、と思えたり。

 

マンチェスター・バイ・ザ・シー

ラストをぼんやりとネタバレしてますし、かなりdisってます。




 かなり期待してたんですよ。予告編を観たときから、「あー、この映画はごっつ感動できるわー」って勝手に舞い上がってました。ケイシー・アフレックの演技の凄さも伝わってきましたし。

 映画は、ケイシー・アフレック演じる主人公とその甥を中心に描かれ、時々過去の描写が挿入されます。そして、段々と何故主人公は街を出て行ったのか、どうして戻ってきたくないのかが示されます。単純にその流れだけを追った映画ですが、人物描写がうまいんです。役者の演技と相まって、セリフの説明がなくてもこういう人物だなっていうのが、きちんと示されるんです。

 ただね、その人物描写のうまさの弊害なのかもしれませんが、主人公一族がね、まともじゃないというのがダイレクトに伝わってきて、主人公とかに感情移入できなくて、「だからどうしたよ」ってなり、お話についていけませんでした。感動もへったくれもありません。ただただ、お話の中心である主人公とその甥に嫌悪感しか生まれなかったんです。親戚?のジョージは普通にいい人設定ですが、クズ主人公一族のお陰で聖人に思えてきますしね。

 お話の視点からだけで言うと、予告編詐欺だと思うのですよ、日本版のは。主人公も結局新しい一歩なんて踏み出さないし。踏み出せないという結果を再確認したんですから。

 もう一つこの映画を好きになれなかった部分は、景色が美しくなかったというか。十分美しかったと思われる方もいるとは思いますが、個人的にはのっぺりしてて、あまり工夫せずに撮影してるのかなって思ってしまいました。もうちょっと季節による空気感の違いを出してほしかったかな。

 それと、ふと過去のお話が挿入されたりするのですが、ケイシー・アフレックの姿とかが現在とあんまり変わんないし、景色も変化を描き切れていないから、最初は戸惑いましたし、下手だなぁと思いました。ただ、今になってみると、わざとそういう風にしてたのかなとも思います。それは、劇中の主人公にとっては出来事は過去だけど、自分自身は過去ではないという意味なのではないかなと。

 ケイシー・アフレックの演技は凄いですが、一人浮いてます。逆に、浮かなくするのが映画としてのテクニックだろとも思うんですけどね。この映画は一言で言って、ケイシー・アフレックの演技力のPR映画以外の何物でもありません。

 と、なんか感想を書こうとして映画を思い出そうとしているうちに、この映画、実は大好きなんじゃないか、なんてふと思うことも。主人公一族がクズじゃなかったら大絶賛していたように思いますが、私にとっての映画は、映像、役者の演技、映画テクニック的なもの、そしてお話も含めてのトータルパッケージ力が大事で、特にその中でもお話が占める部分が多いので、お話がつまんないともうどうしようもないわけなんですよ。

 

全日本プロレス 5.12守口大会(超力シリーズ開幕戦)

 今回の大会は、全体的に技のミスが多くてキレもなく、動きも悪く、私が今まで生観戦した全日本プロレスの中では一番クオリティの低い大会でした。団体の大会運営が緩慢になっていたというか、浮き足立っていたというか。

 で、この日の観客数が1,438人の発表になってます(最後に公式動画のリンクを張りますので、自分の目でご確認ください)。大阪府立第二よりも入ってるじゃないですか。実際は、多く見積もっても750から800人程度でした。ボディガー選手が三冠に挑戦した大阪府立第二の方が人は多かったと思いますよ。金曜日ではありましたが、平日の夜の大阪の地方での大会でこれだけ集客できたらかなりいいんじゃないかと思うのですが、何故、こんな数字で発表したんだろうか。こういうところが、慢心になってる部分の現れのように思います。

 また、崔選手が、諏訪魔選手のエルボー(ラリアットらしいです)を避け損なってか、左側頭上部あたりから流血し、1分38秒でTKO負け(レフェリーストップ)というアクシデントも発生しましたし。結局、諏訪魔選手は右手第2・3・4中手骨不全骨折、崔選手は頭部挫創でシリーズ欠場となりました。

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 宮原選手はそういう空気を察してか、いつものほしがりパフォーマンスも含めて、空気を一新しようとしていました。素晴らしい三冠王者です。でも、それを察知して対応しようとしたのが宮原選手だけだったというのも現実です。

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 宮原選手は最近は小さな子供が会場にいれば、その子供をターゲットにしてまとわりつきますが、今回は会場に来ていた女の子にまとわりついておりましたよ、三冠王者。女の子は迷惑そうでした(爆)。

 世界タッグは、ジェイク・野村組があと一歩というところまで王者組を追い詰めますが、最後は野村選手がボディガーさんのバウンスを喰らってジ・エンドでした。期待していた試合でしたが、内容が大味過ぎてというか、雑という表現が正しい試合でした。

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 色々とdisってしまっていますが、大会の動画に映り込んでる自分の表情を見ると、結構楽しんでるやんって思ってしまいました(笑)。なんてこったい。

 

SYNCHRONIZER (シンクロナイザー)

一部ネタバレdisってもいるかも。でも、パンフレット買うくらいには気に入ってます。





 鑑賞後に監督の舞台挨拶がありました。知らんかった(笑)。ちょっとうろ覚えですが、舞台挨拶の内容を書いてみます。メモってもいなかったので、間違ってたらごめんなさいということで。こういうニュアンスのことを話していたと思ってください。

 立教大学文部科学省とで行ったプロジェクト内の映画で、両者の折半で映画費用が出ており、本映画も含めて合計3本が製作されている。短編や長編、内容の縛りはなかったので、長編での映画を作ることにした。(補足:パンフレットから、うち1本は『SHARING』、もう1本は筒井武文氏が監督する映画とのこと)

 脚本は監督も含めて3人で書いているが、監督自身が脚本は苦手ということで、他の方に手伝っていただきたかったことと、他の人のアイデアも映画に取り込みたいという気持ちがあったのが理由。脚本の役割分担的には、最初のざっくりしたアイデアを監督が出し、3人でそのアイデアを膨らませて取りまとめ、それを小出氏がある程度脚本にしたものをベースに、一旦別件で脚本作業から離れていた竹内さんが復帰して、主に主人公とヒロインと主人公の母親の3人の場面を担当した。

 本映画は、デヴィッド・クローネンバーグの『ザ・フライ』に影響を受けているというか、意識して作っている。

 本映画も恋愛の要素があるが、自分が映画を二十歳のときから作り始めたときから恋愛映画を作っており、それが大好きなんだからだと思う。

 主人公と母親がシンクロしている場面で母親が喘ぎ声を出すが、脚本段階にはなく、撮影が進んでいくなかで、この場面の撮影の2日か3日前に(監督が思いついて)入れた。スタッフに話したときは、そっち方向に行くの?という感じで引いていた。母親役の美谷和枝さんは最初に話したときは嫌がっていたが、いざ本番になると喘ぎ声をしっかりと出してくれた。シャンソン歌手としての活動もされており、オーディションのときに会ったときはそのときの服装も含めて、エロいおばちゃんに見えた。

 最後の場面で、若返った母親がベッドの上で仁王立ちしているのも、その場面を撮影する2日か3日前に思いついて入れた。結果的に若返った母親が神々しく見えた場面になったと思う。

 文部科学省が製作費を出してる映画ということで、どうしてもそういう映画で濡れ場を入れたくなったので、主人公とヒロインの濡れ場があります(笑)。

 主人公の母親が三段階に変わっていくのは、母親、熟された女性、処女性という3つを女性に求めているからなのもしれない。

 以上が、舞台挨拶での監督のお話と観客からの質問への回答です。もっとあったかもですが、もうかなり忘却の彼方です(てへ)。最初にも書いたように、こういう感じのことを話していたという捉え方でお願いします。

 ここからは私の愚痴。舞台挨拶の司会をされた第七藝術劇場のスタッフの方が、監督への質問を募り、3問ほど質問があったのですが、「まだないですか。ないようですね」と不満げな形で締められたんですよね。みんなさ、終電の時間もあるし(23時前でした)、観客数も20名ちょっとだったし、観客全員が楽しめたかどうかも不明だし、別に質問したいと思わない人もいるし(それが悪いわけでもない)、温度差もあるんだから、そこはさ「質問ありがとうございました。時間も遅いので本日はこれで終了します」と締めた方が、舞台挨拶した監督も、鑑賞した観客も含めて、すんなりと舞台挨拶終了にできたと思うんですよ。なんかモヤったよ。

 まぁ、ミニシアターのスタッフをしてるくらいだから映画が大好きなんだろうけど、このときのスタッフは、映画監督にも、観客にも、映画自体にも目を向けてなくて、映画が好きな自分に目を向けていただけなんですよね。おそらく、ミニシアター病(MTD)という病気に罹患してるんでしょう。この病気、映画関係者や観客も関係なく発症してしまい、伝染することもあるから要注意なんですよね。治療薬はないし、自然治癒しか望みはないんです。というか治るのだろうか。恐ろしい病気です。

 ということで、映画の感想に移りますが、役者陣が下手というか、特に脇役の人がね、もうちょっと役者への演出をしっかりとしてほしかったですね。主人公役の方も、もうちょっと変わっていく様への過程を演技として出してほしかったというか。ヒロインはまぁ出せていたと思いますが。

 あと、主人公が実験用のハムスターとシンクロした結果、お菓子の食べ方がちょっとハムスターに影響を受けたとか、主人公と母親がシンクロした結果、母親にもそのハムスターの影響が出ていたと思われる場面(母親がヒロインの手を噛むところ)とかあったけど、そういう伏線を張ったわりにはそこを回収してないよなーとか。

 最初に主人公とシンクロした実験用のハムスターは翌日くらいに死んでしまうんですが、その死体を業者が回収するので冷凍保管してたら、死体が四散してたということで、主人公の母親もそうなるのかと思ったら、別にそういう終わり方ではなかったし。ヒロインが主人公のところに駆け付けるキッカケにしていただけで。なんか、人体四散を期待してしまったというのもあり(マテ)、無駄な伏線だったなと強く思ってしまいました(自業自得w)。

 低予算だから仕方がない部分もありますし、低予算だからこそできたこともあるかと思います。個人的にはもう少し製作面で余裕(予算や人的な面)があり、うまい役者さんを絡めることができてればなぁと。凄い惜しい映画になってしまってると思います。嫌いじゃないし、こういう映画だからこそ好きになってしまうという側面もあるし。あぁ、私もミニシアター病に罹患してしまったのかなー。

 

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色々とネタバレしています。あらすじ書いてますが、かなり長くなりました。






 南インド映画祭の一つとして、シネ・ヌーヴォで上映されていたので観てきました。折角の黄金週間なので、なんか映画を観に行こうと思い調べた結果、SFでタイムトラベル系の映画ということでこの映画に決めました。勿論、シネ・ヌーヴォの会員なので1,000円で観れるしと思ったのは内緒です。しかーし、南インド映画祭はあらゆる割引が対象外なのでした。知らなかったっす。受付できょとんとしてしまって申し訳ありません。もっとちゃんと調べないといけませんでした。情弱から脱却したい。

 そして、そう言えば私はミュージカルが嫌いな設定でした。いや、設定ではない(笑)。マジでダメなんですよ。バンドの演奏場面とかあったりする映画は大好物なのです。でも、いきなり歌い出したり踊り出したりするのってかなり辟易しちゃうのですよ。そういう理由で、評判がよくてライアン・ゴズリングエマ・ストーンが共演している『ラ・ラ・ランド』も観てません(予告編ですら無理というか気持ち悪かった)。あの二人が出るんだから、それだけでいつもは観たいと思うのですが、やはりミュージカルの壁は私には高いです。乗り越える気持ちすらありません。

 それを、チケットを買ったあとに、「あ、南インド映画祭ということはインド映画じゃん。ということは、歌ったり踊ったりがあるんじゃねーのか。イヤやなー」と思ったのですが、後の祭りです。しかも長かった。3時間近くありました。途中でインターミッションって出てくるし(笑)。俺達観客に休憩なんてなかったけどな。

 と、いきなり愚痴ったりしてますが、映画はとても面白かったです。劇中での歌ったり踊ったりは3回くらいあったのかな。それを入れても面白かったということは、もしそれらがなかったら超面白かったという気持ちになっていたと思います。よくインド料理屋で映画の歌い踊りの場面のみ抜き出して店内で流されていることがよくあったりしますが、それに慣れていたのか、歌ったり踊ったりの場面も、インド料理食べたいなって思う程度で流せたのもよかったのかもしれません。

 あらすじは、主人公の父親がタイムマシン的な時計(過去、未来含めて現在時間から24時間内だけ移動可能。時をある程度止めることも可能。スタンドのザ・ワールドみたいな能力)を発明したのですが、主人公の父親の兄(伯父)が悪党でそれを奪いにきます。結局、両親は殺されましたが、生後間もない主人公だけは父親から育ての母に渡されて助かります。

 26歳になった主人公は時計修理工として店を構えていました。自身が預けられたときに一緒に渡された箱を開ける鍵が、偶然が重なって手元にやってきたので開けてみたら、なんと中身は時間を操れる時計でした。その時計で色々遊ぶ、ち、違う、試す主人公。

 ヒロインが登場してきますが、ヒロインに対しても時間を操って自分のことを好きになるように洗脳しようとします。酷い悪党じゃねーかよ、主人公さんよ(笑)。

 悪党である伯父は主人公の両親を殺害したときに列車から川に飛び込んだ後遺症(多分)で26年間昏睡状態でしたが、入院先の病院が火事になったのを切欠にして昏睡状態から目覚ますが、下半身不随になっていたのでした。伯父は体が不自由になったことと外見が老化したことに耐えられず、弟が発明した時計で26年前に戻ろうと策略します。

 そのために弟のボロくなった屋敷を改修し研究を進めさせますが、なかなか成功しません(成功したのも偶然というか、予期せぬ要素が加わってですしね)。そこで計略として、こういう時計を探していますと新聞広告を出し(外見のみが似ているものを募集して、本当の機能は知らせてないと思います。また、懸賞金が高く、普通の人が一生働いても稼げない額という設定)、それが主人公の元に伝わります。主人公はその時計を持っているので、形だけ似せたレプリカを作ります。しかも、なまじ本物を持っていたので、新聞広告には載ってなかった裏面まできちんと作ってしまっていたのでした。

 主人公は自分の生い立ちを知りませんが、伯父は主人公が甥だとわかり、しかも探している時計を持っていることも知り、奪い取ろうと戦いの末に殺してしまいます。マジ、主人公、途中で一回死んじゃいます。ところが、その時計は24時間以内にしか移動できないので、伯父は主人公にこの時計を自らの意思でバージョンアップさせるように仕向けるため、主人公を殺す前に時間を戻します。いや、24時間前へ移動を9,500回くらいしたら26年前に戻れるとは思うけど(しんどいけどねw)。

 伯父は腹心の部下に時計を主人公の元に返しに行かせ、いつもは左腕に装着しているのに、今回はわざと右腕に時計を装着させるように指示します。主人公は起床後おかしいことに気付き、伯父の腹心の部下が来た時まで時間を巻き戻して、部下の跡を付けて伯父の居場所を探し当てます。

 主人公が覗いてることを知った上で、自分が主人公の父だと偽った場面を、腹心の部下と一緒に演じて、主人公に自身の境遇を知らせます。主人公は家に戻り、育ての母に真相を聞きますが、赤ん坊の主人公を抱いて実家に帰ったので、それが原因で実家と絶縁状態になってしまったのでした。

 主人公は、許してもらおうと育ての母と実家に一緒に帰りますが、なんとそこはヒロインの実家でもありました。ヒロインは育ての母と同じ名前だったのですが、その理由はヒロインの母は主人公の育ての母の妹で、姉の名前を自分の娘に付けたからなのでした。

 そこに、主人公の伯父がやってきます。主人公の父親の振りをして、育ての母親一家にも取り込みます。時計のバージョンアップをするにしても、主人公を脅しても絶対にやらないから、主人公に自主的にその作業をさせる必要がある。そのためには、主人公の心の中に、父親として入り込まないといけないということからです。なんという知能犯。

 紆余曲折あり、主人公は時計をバージョンアップさせますが、その過程で伯父が父親を騙っていることを知り、26年前のあの事件のときに戻ろうとしますが、伯父も一緒に戻ってしまいます。

 26年前に戻ったことにより、伯父の襲撃をなんとか凌いだ両親は(伯父さんはまたも紆余曲折の末にあぼんしました)、逃亡途中に列車に乗ります。その列車には育ての母が乗っており、主人公がえらい懐くので、父親は育ての母の実家が運営する学校の教師となり、育ての母も両親も近くにいるという状態で、その村で幸せに暮らすのでした。ちゃんちゃん。

 主人公は赤ん坊に戻ったとはいえ、それまでの26年間の記憶も経験もきちんと残っているので、両親だけではなく育ての母とも一緒にいたかったので、最後のこの展開にはちょっとウルっときたというか、うまくまとめたなーと思いました。

 ヒロインは少ししてから生まれてくるのですが、小さい頃から自分を好きになるように英才教育を施すという小悪党振りを主人公が発揮している場面で映画は終了です。

 ひやー、あらすじ書いてたらえらく長くなったなー。まー、3時間近くある映画だしねー。ギャグ場面が続いたりとかして、ちょっと冗長だなと思ったりもしますが、色々と伏線が張られていたりして、きちんと作られてもいるなぁと思いました。

 伯父であるボスの腹心の部下(名前失念。3文字の名前でした)の献身さに涙しましたね。悪人だけど。ボスが26年間昏睡状態のときも組織を維持し、ボスの弟の会社を乗っ取っているばかりか、きちんと規模を維持していたし(もしかしてもっと拡大させていたかもしれない)。しかも、ボスを裏切らない。凄い。ボスも、最初に時間を戻るときに連れて行きますし。信頼関係がぱねぇ。しかも、26年前に戻ったときも、ボスを助けるために自分の命を投げ出して死ぬくらいですから。

 主人公がかなり戦闘力が高い設定には笑いました。伯父の部下の警備員(トンファータイプの武器所有)何人かに襲われるのに真正面から戦って撃退するし。町の時計修理屋さんなのに。

 雨が降り出したときに主人公が時間を止めるのですが、そこの場面がごっつ美しいんですよ。そこは必見です。

 

全日本プロレス 4.26大阪大会(チャンピオン・カーニバル)

 約一ヶ月振りの全日本プロレス観戦です。チャンピオン・カーニバルの開幕戦だった後楽園ホールは、久々のバルコニー開放など、当日券も売り切れるくらいにパンパンに入った模様。今回の大阪大会も、2月にボディガー選手が三冠に挑戦したときと同じくらいの数の席の配置で、主催者発表は841人でした。まぁ、750人は確実に入っていたと思います。熱気も、前回同様かなりありましたし、凄く満足度の高い大会でした。

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 あ、感想終わっちゃった(笑)。

 

アラン・ホールズワースのこと

 プリンスが亡くなって一年後にホールズワースまで亡くなるなんて。2017年4月16日(現地時間)死去。享年70歳。今の時代としては、少し死には早い年齢か。2014年9月30日の大阪・ブルーノートで行われたライブに行っておいてよかったという気持ちと、まだホールズワースが亡くなったという実感を持てない気持ちが、私の心の中で複雑にフュージョンしています。

 私が初めてホールズワースを知ったのは、当時大好きだったエドワード・ヴァン・ヘイレンが影響を受けたギタープレイヤーとしてホールズワースの名前をインタビュー等で挙げていたからです。私が一番初めに聴いたホールズワースのアルバムは、当時の最新作であった『Secrets』でした。

 そして、ホールズワースのプレイに多大なる影響を受けて、スタインバーガーアラン・ホールズワース・モデルを買ったんですよね。初めて自分で稼いだお金で買ったギターでした。35万円くらいしたなー(遠い目)。

 今の私がホールズワースで連想することは、孤高で不遇のギタープレイヤーだったということです。雑誌とかのインタビューで、お金がなくて機材を売ったとかっていうお話もありました。自分の理想の音が出せる楽器「Synthaxe」が登場するも、一般的には売れなくて製造販売が短期間で中止となり、修理部品もないことから、自身で所有する現物が壊れてしまうとどうしようもないという危惧・不安から、あまりライブツアーには持ち出せなくなってしまったというお話も。そういう逸話を聞く度に悲しくなったりもしたものです。

 それと、ホールズワースに影響を受けたというギタープレイヤー、エドワードにしてもそうですが、そういう人達のプレイからはあまりホールズワースの影響を垣間見ることができないというのが孤高のギタープレイヤーという印象にも拍車を掛けてしまっていたように思います。エドワードのライトハンド奏法は、ホールズワースのコードボイシングやソロプレイを真似しようとしたけど、指が届かなかったので両手でやるようになった結果生まれたなんていうお話もありました。

 または、ビル・コナーズの一時期のように、U.K.リユニオンのときのAlex Machacekのように、ホールズワースのコピープレイに終始してしまうか。ホールズワースからの影響というと、このどちらかでしかなかったような印象が深いのです。このことからも、孤高度合いがわかるかと思います。

 ホールズワースの音楽活動において、一番の転機になるかもしれなかったっていうのは、当時の大メジャーレーベルであるワーナーから出したアルバム『Road Games』の頃ではないかと思います。このアルバムは人気もありました(CDでの再発は遅かったですが)。

 この当時、レコード契約がなかったホールズワースに、エドワードが強引?にワーナーと契約させて(Van Halenがワーナー所属)、エドワード自身がプロデュースをする予定だったそうです。エドワードのVan Halenでのツアーが終わり次第、二人でレコーディングに入る予定を当初は立てていたそうですが、ホールズワースがそれを待てずに勝手に(って言ったら失礼だけど)作り上げてしまったとのことです。

 私は、ホールズワースに足りなかったのはコマーシャル性というか、もうちょっと一般的にもわかるような翻訳だったと思うのです。ホールズワースはそんなものはいらないと言ったと思いますが。この『Road Games』のときに、もしエドワードがプロデュースしていたら、ホールズワースに足りなかったものが付け足されていたのではないか、それも、ホールズワースも快く受け入れるような何かが、と思えてなりません。

 正直、私が若い頃はホールズワースのギターソロが大好きで、曲自体はそんなに好きにはなっていませんでした。ホールズワースの批評でよく書かれていたのは曲の弱さだったように記憶していますが、私もそう思っていました。ただ、今は、曲自体も悪くない、というかいいじゃんって感じに変わってきています。聴き慣れたからなのかどうかは、自分ではよくわかりません。ただ、若い頃よりもすっと自然に心に馴染んでるような気がするのです。

 ホールズワースと言えば、ドラムはゲイリー・ハズバンドが一番合っていたと思うのですが(ゲイリー・ハズバンドはブライアン・アダムスに似ていたぞw)、あるときの日本公演で、ゲイリー・ハズバンドのプレイが激し過ぎて、バスドラのペダルが折れたか何かで壊してしまったことがあったのですが、バンドメンバーであったスティーブ・ハントやジミー・ジョンソン、ホールズワース自身がその出来事を微笑ましく見ていました。その光景が凄く記憶に残っています。

 そういやー、その頃は『Road Games』はまだ聴いたことがなくて(CDは出てないわ、LPはもう売ってないわで)、ネットもなかった時代でなかなか調べたり聴いたりは簡単ではなくて、ライブに来られてたホールズワースのマニアの方に「あれは『Road Games』っていうアルバムに入ってる曲ですよ」って教えられたんだよなー。それを知ってるマニアの方を羨ましく思うと同時に、恨めしくも思ったものです(笑)。

 いつもながら支離滅裂ですが、私がギターを弾いていた時期の一番の憧れであったのはアラン・ホールズワースであることは事実です。アラン・ホールズワースのようなギターソロが弾きたい人生でした。それは今でもです。

アラン・ホールズワース R.I.P.

2017 魔界都市めぐりツアー 〜梅田篇〜

 大阪・梅田のamHALL(アムホール)にて催されました、TEARS OF TRAGEDY、Mardelas、Silex(梅田篇での出演順)による「2017 魔界都市めぐりツアー」に参加してきました。

 まず、ライブの感想を述べる前に苦言を。整理番号順の入場となっていて、AMからの整理番号の人達と、Bからの整理番号の人達がいました。AMとBからという分け方については、発券のシステム上仕方がないとは思います。他会場でもAとBといった区分で、入場については並列入場という方法を採っているようでした。

 会場前で待っていた私達観客は、整理番号の若い順から階段を昇ってくださいとアナウンスされました。観客から、AMとBのどっちから?とか、並列なの?っていう声が上がります。一部の観客はホールのスタッフに尋ねられたようですが、「ホール(の上の人?)からも主催者からも何も聞いてないので」という返答でした。あほか。聞いてないんやったら、今から聞きに行けよ。アルバイトでもその程度はしなあかんやろ。それに、手元(というか受付の台にね)にきちんと整理番号順に書かれた購入者リストを持ってたやんけ。AMとBとに分けられているのはそれでわかってたやろが。

 折角がんばって若い整理番号を取った人の中で、きちんと開場前に来ていたのに、順番どおりに入れなかった人もいたと思う。その人達は、会場のいいポイントや自分のいいと思うポイントを陣取れなかったかもしれない。その人達に対して、ホール側も主催者側もきちんと謝罪してほしい。整理番号が関係ないんやったら、整理番号なんて記載するなよ。この日のライブを楽しみにして来た人に、最初からテンション下げさせるような行為は誰の為にもならんやろ。

 この件については、amHALL側も悪いし、主催者側も悪い。お互いになあなあになっている結果だと思う。猛省して次に活かしてほしい。こういうことからも、客足は遠のきますよ。

 ほんで、ライブ本番。今回は、TEARS OF TRAGEDYが先発1番手で登場。いやー、いいわー。前回のアメ村でのライブはCDを再現という感じだったのですが、今回はちょっとワイルドというか、昔のバンドっぽい感じで、アンサンブルより勢いを重視というか。TORUさんのギターの音が適度に荒ぶっていて、他の楽器よりも音が大きてく存在感があって、バランスとしては悪いんだろうけど、凄く生々しい迫力を届けてくれていたと思います。

 前回のアメ村のライブは完成度も高くて、バンドとしての実力も出ており、ほぼCDでのバンド像を再現されているといった具合に、客観的にはこちらの方がライブ演奏としては品質は高かったと思います。ただ、個人的には、今回のライブの方がバンドの生演奏を聴いているという感じが凄くあって、楽しめました。私が、ギターが大好きということも多いにあるとは思います。

 ボーカルのHARUKAさんは相変わらずクルクルしておりました。間近で拝見させていただきましたが、いやー、お美しい。「Void Act」でのMVでも思ったのですが、時々麻生久美子さんに似ているなって思っておりました。普段は似ていないけど、時々似た表情をされるというか。うん、お美しいということでしょう。

 2番手はMardelasです。2nd CDしか持っていないけど、かなり気に入っていったCDでしたし、及川樹京さんのギターの音は結構いいなーと思っていたりしましたし、ベースのhibikiさんは自分好みの派手系ですし。ということは、自分にとってはかなりの大好物なバンドということになります。TEARS OF TRAGEDYのライブは一回体験済みということもあり、実はこのMardelasのライブを一番の楽しみにしていたのでした。

 いやー、やっぱうまいわー。よかったですわー。蛇石マリナさんのボーカルがCDよりもちょっとキンキン系だったのにびっくりしましたが。それと、観客を煽るやり方が80年代のダサいと言われていた日本のバンドっぽかったのにもびっくり。いや、ちょっとガッカリ。確かにダサい。当時はダサいと言われていたことに反発してたような気がするけど(笑)、一歩引いた今の視点からはダサく思えました。音で勝負できる、演奏で勝負できるんだから、もっとそっちで煽ってほしいですね。上から目線ですが。それから、蛇石マリナさんの左の付け睫毛(多分)が外れかけてように見えて、そればっかりが気になったのは内緒です。

 新曲も披露されました。「Jaywalker」という曲名でしたが、あのバンドからは訴えられないのだろうか、心配です。あ、あのバンドは、これから夏を迎える季節で、何も言えないか(爆)。横断歩道とかを横切るっていう意味の単語ですよね、多分。

 今回のトリはSilexです。全くの知らないバンド。バンドの情報もシャットアウトし、音も敢えて当日のライブで聴いてみようと思って、この日まで聴かずじまい。外国人の方がボーカル(日本語はペラペラですw)でびっくりしたのと、ベースにはMardelasのhibikiさんが。これまたびっくり。今はバンドの掛け持ちも珍しくないですが、そういう情報を知らないで現実を目の当たりにすると、やっぱし最初はびっくりしちゃいますよ(笑)。

 いざ、演奏が始まってみると、なんとも懐かしい感じの音と曲調。曲は凄くよくて、ライブ終了後にシングルCD2枚、買ってしまったじゃねーかよー。ボーカルの煽りも80年代っぽくて、ノスタルジーな気持ちになりました。そういう意味では蛇石マリナさんとやってる方向性は同じなんだけど(手段は若干違うけど)、こうも感じ方や受け取り方が違うというのは、煽り行為を自然とやってるのか、無理してやってるのかっていう違うなのかな。いや、受け取る側の当方になんらかのバイアスとかでもあるのかな。うーん。

 ギターの演奏については、一番大好物かも。インギーやシュラプネル系のネオクラというよりかは、それらに影響を受けつつ、日本の中で揉まれていったネオクラって感じでしょうか。昔の中間英明さんとか。シュラプネル系にちょっとリッチー・ブラックモアの要素を入れたっていう感じというか。ただ、ちょっとキレがないかなとは思いました。これまた上から目線ですみません。

 3バンド共素晴らしい内容で、体的には疲れましたが、心は十分に満たされました。本当にありがとうございます。

雪女

えっとかなりdisっていますが、映画愛故です(嘘)。ちょっとだけネタバレしてるかなー。




 「私を見て、理解して、そして好きになって」というオーラがウザかった、構ってちゃん系・察してちゃん系の映画でした。

 いやー、まさかのSF(少し不思議)系というか架空世界系な設定にはビックリしたけど、それを活かそうとするわけでもなく、どうしてこういう世界観にしたのって考えてしまうのが、実はトラップです。観客に引っかかりをもたせて、映画に引きずりこもうというトラップなのです(そういう仕掛け自体は悪くはないんだけど)。と、なんかこの映画はそういうことが多くて、人間模様だとか何かを語るっていう映画ではないんです。

 多くを語らないから、観客がより理解しようと努力してくれるなんていうことを期待するのは、傲慢でしかないですよ。

 人の描き方が薄いなーって最初は思っていました。淡々と描こうとしてるからかな、とも。中盤くらいになってきてわかりました。雪女ということもあるんでしょうけど、冷たいんですよ、描き方が。映画の中の世界観も、そこに住んでいる登場人物達も、全て突き放されている存在というか。上からの冷たい目線で見ている感じというか。

 冒頭、水墨画みたいな映し方だなと思ったんですが、そこにこの映画の本質が込められていたのかもしれません。

 と、こういう感想を書いてしまうということは、この映画のトラップに引っかかったというか、構ってしまい、察してしまったわけですよ(笑)。

 

グリーンルーム

かなり期待していたことの反動でかなりdisっているかも。ネタバレも一部しております。




 昨年、27歳で亡くなってしまったアントン・イルチェンの晩年の主演作の一つが、大阪でもやっと公開されました。バンドものであること、なんかと戦うお話(笑)であることから、かなり期待していました。予告編は未見での鑑賞です。

 全体的な設計が甘いと思いました。それが原因で、場面ごとのキレも、登場人物の行動のキレも甘くなってしまったように思います。ところどころ、種明かしというか説明している場面もあるのですが、そこもキレの悪さが影響して、そうじゃない場面との違いがよくわからないという渦に巻き込まれてしまっています。観客に提示してこその種明かしであり、説明なんですけどね。そう、この映画の製作者の目線の先に観客がいないのです。

 それから、移民、人種差別、ネオナチ、音楽区分としてのパンク、そういったものへの知識と関連性をある程度は知っておくことが、この映画を観るうえでの前提条件となっているので、一般観客にとってはかなり不親切な世界観にもなっています。特に、日本で暮らしてる日本人はそれらのことはあんまり興味もなく、知らない人が多いと推測されますしね、この映画の前提条件は。なので、これから観ようと思われる方は、ネタバレ踏んでもいい覚悟で情報収集しての鑑賞か、何回か鑑賞する気合いで臨まれることをオススメします。

 お話はこんな感じだったのかな。主人公のいる売れないパンクバンド(個人的には音楽をジャンル分けすることに意味はないと思うけどね)が出演ブッキングされたライブハウスは、ネオナチがヘロイン精製していて販売もしている会場(地産地消かw)でした。観客の中には、音楽を聴きにくるのではなく、ヘロインを買いに来る人も多い模様。ただ、従業員や関係者の中でも、ヘロインの売買をやってることは知ってても、ここでヘロイン精製までしていることを知っている人はそんなにいない、という設定だったのかな。

 主人公のバンドのあとにトリで演奏する予定だった「カウパッチャー」(というバンド名だったと思う。主人公のバンドの名前は「AINT RIGHTS」)の為に楽屋を追い出されていたけど、楽屋の中に携帯電話を忘れていたので主人公が取りに入ってみたら、カウパッチャーのバンドメンバーが殺されていました。主人公は慌てて警察を呼ぼうとしますが、会場関係者はヘロイン精製がバレると困るので警察には内緒で処理しようとしていた関係から、主人公のバンドメンバーを楽屋に押し込めてしまいます。

 カウパッチャーの殺されたメンバーは女性で、殺したメンバーは男性です。痴話喧嘩のもつれで、男性がやっちまったようです。ヘロイン中毒の影響もあったようです。女性は、会場関係者と浮気していて、今回予定していたライブの後にその浮気相手と一緒に逃避行する予定だったようです。

 会場関係者は、結局主人公のバンドメンバーを極秘に処理しないといけないことから、色々とやりますが、主人公らの反撃もあり、最後は生き残った主人公とカウパッチャーの殺されていない女性メンバーの二人が残って、会場のオーナー(ヘロイン精製のオーナーでもある)をぶっ殺して映画は終了です。

 とまぁお話のさわりを書いてみましたが、私がそういうお話だと思っただけで、実際には違うかもしれません(笑)。楽屋に閉じ込められる、出てみたら殺られてしまって楽屋に戻る、を3回くらい繰り返すだけの映画、でもあります。

 思わせ振りな場面を作りたい、印象を残したいという思惑はわかるのですが、それをキレの悪い構成の中でやられてしまうと、観客的にはどれをどう取捨選択、処理していいのかわからないんですよね。

 例えば、主人公のバンドが会場で「Nazi Punks Fuck Off!」という曲を演奏して、会場が不穏な空気になり、観客の中で受け渡しされるものがあるという様が描写される場面があるのですが、これって結局、主人公のバンドの選曲にブーたれつつも楽しんでる客と、いつものヘロイン密売風景を描写しているだけで、主人公のバンドに何かがあるかもしれないよという思わせ振りな場面なだけなんですよね。キレがないもんだから、直接的に描写している場面との差別化も得られず、中身が悪い意味でごっちゃになるだけの効果しかないという結果に陥ってしまってるんです。

 ヒロインも、主人公達に何が起こったのかをはっきりと説明しないしね。ヒロインも混乱していてっていう理由なんだろうけど、このあとにあっさりと躊躇なくカッターで人の腹をかっ捌いたり、喉元を掻き切ったりしてるのになー。ここでもキレの悪さが響いてるんですよね。

 この映画のヒロインであるイモージェン・プーツは、『28週後…』のときはもう天使みたいでしたけど、劣化しちゃいましたね。今まで信じたくないから見て見ぬ振りをしておりましたが……。

 

キングコング:髑髏島の巨神

disっていますし、少しネタバレしていますが、観て損はないと思いますねん。



 トムヒが一応主人公ポジなのに目立ってなかったなぁ。『アベンジャーズ』のロキ役のときの方が目立ってました。キャラ設定にアクもなかったし、元SASという設定も活きてなかったし。そして、サミュエルが目立ち過ぎていたしわ寄せもあったかなぁ。

 もうちょっと巨大生物と軍隊(人間)との戦いが見たかったし、コングの最後の相手の髑髏クローラー(超巨大トカゲ?)も、対戦相手としてはどうも迫力がなかったんですよね。

 前半は結構wktkしたんですよ。髑髏島に乗り込んだヘリがコングに片っ端から落とされてから、なんか妙にトーンが落ち着いてしまったというか。もっともっと最後までグイグイと引っ張ってほしかったところです。

 コングがゴジラと戦うというのが事前に情報として提供されているっていうのもあるけど、本編はエンドクレジット後のエピローグへの壮大な予告編だったのかなという感じがしました。エンドクレジットの時点で、ゴジララドンモスラキングギドラの権利はうんちゃらって表示されていたんで(笑)、あ、これはこの後に何かあるなって思ってたら、怪獣達が壁画に描かれていましたよ。なんかね、『GODZILLA ゴジラ』も合わせてアベンジャーズというか、ジャスティス・リーグと同じようなノリというか。モンスターバースと言うらしいです。そんな世界、住みたくねぇ(笑)。もうここに『パシフィック・リム』もぶち込んでしまいましょうよ。

 

全日本プロレス 四條畷大会

 大会前のファンクラブ会員撮影会は、今回は所属選手から一人指名ということで、青柳優馬選手をお願いしました。ロックスタータオルのニューバージョンも買って、サインもいただきました。ありがとうございます。次のファンクラブ撮影会で選手指名のときに野村直矢選手を指名すれば、NEXTREAM全員ソロでのツーショットコンプリートだぜ。

 ゼウス選手が、東修平四條畷市長にリング上でブレーンバスターをかけたり(投げてはいないよw)しつつで大会はスタート。なんという始まり方なんだ(笑)。

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 第1試合は、中島洋平選手VS岡田佑介選手。岡田選手はかなり動きがよくなっていてビックリ。これはもう少ししたら化けるかも、なんて思ったり。細かい動きが凄くいいんですよ。つかさ、試合を作ってたのって岡田選手じゃないかなと。

 第2試合は、丸山敦選手&ビリーケン・キッド選手VSウルティモ・ドラゴン選手&田中稔選手。全日本プロレスで虎ビリーじゃないですか。懐かしい。試合は、4人ともそつなくこなしていただけというか。悪くはないんだけどねー。細かいミスもかなりあったし。テーマがないっちゃーないんで、モチベーションが上がらんかったんかなー。この4人にはもっと高いレベルを期待しちゃってるというのもあるけど、かなり辛い意見になってしまいました。

 第3試合は、長井満也選手&南野タケシ選手&ブラック・タイガーⅦ選手VS秋山準選手&アルティメット・スパイダーJr.選手&タコヤキーダー選手。想像以上に噛み合っていて面白かったです。ブラック・タイガーⅦ選手に座っていた椅子を投げられるし(投げられていたのはタコヤキーダー選手)。いい体験だった(笑)。

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 で、ここで休憩なのですが、長井選手がT-シャツを売っていたので買ったのです。そこで、ついさっきまでオラーと怒鳴ったりとか、チェーン振り回したりとか、ツバはいたりしていた人がですよ、「今日はどちらから来られたのですか」と、腰が低く、優しく丁寧に問いかけられて、ビックリして少しキョドってしまったじゃねーかよー。「またお越しください、ありがとうございます」とか言ってさ、優しく握手するんじゃねーよ。ファンになってしまいそうになるだろうがー。DNM(Dark Nightmare)というチームのリーダーなのにぃ〜〜(←喜んでいますw)。

 第4試合は、大森隆男選手&岩本煌史選手VS青木篤志選手&佐藤光留選手。悪くない試合なんだけど、どうもお互いのよさが噛み合ってなかったような気もします。変態自衛隊はうまいんだけど、今日はそれだけだったかなという感じ。大森さんのアックスボンバー(空振りでも可)が見たかった。

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 第5試合は、崔領二選手&ジェイク・リー選手VS諏訪魔選手&ジョー・ドーリング選手。4月からのチャンカンを睨んでの組み合わせ。ジェイク選手がいい動き。表情も様になってるし。諏訪魔選手もジェイク選手を引き抜きたいような、そんな表情をしてたように思います。個人的には、ジェイク選手はNEXTREAMを抜けて崔選手と組んでいくか、Evolutionへ電撃加入するとかの方がいいと思います。要するに、宮原選手と対角線上に立ってほしいということです。宮原選手とのNEXTREAMタッグは大好きなんですが、ジェイク選手の今からの伸びを考えると、そうした方がいいような気がするのです。秋山社長も言ってましたが、宮原選手を脅かし、そのポジションを奪い取るのはジェイク選手だと思うのです。というか、ジェイク選手が奪ってほしいのです。

 この試合は、デカい選手がぶつかり合うという昔ながらの全日本プロレスっぽい試合で、単純な攻撃なのに諏訪魔選手やドーリング選手がやるだけで会場は沸くし、それを受けるジェイク選手にも手に汗握るし。試合を見ている限りでは、もうドーリング選手の動きは心配ないのかな。

 メインイベントは、宮原健斗選手&野村直矢選手&青柳優馬選手VSゼウス選手&ボディガー選手&KAI選手。今の全日本プロレスが誇る試合展開。これが今の全日本プロレスの試合だよと大満足するメインイベントでした。ただ、ちょっと健斗の陰が薄かったかな。入場時に、小さなお子様一人にケントクラップを執拗(笑)に強要してたのと、場外でボディガーさんに決めたヘッドバッドが、ボディガーさんの方が頭が固かったようで、攻撃を仕掛けておきながら倒れる姿は、流石全日本プロレスの顔と思いましたよ。こういうところでも注目を浴びたいんだろ(笑)。

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 試合後、先ずは勝利したボディガー選手がマイクを取って、世界タッグ王座の相方でもあるゼウス選手、そしてKAI選手に対して、チャンカンを控え、お前らも敵だと宣言。それを聞いてリングから立ち去るゼウス選手。えええええ、ザ・ビッグガンズに不協和音なのか。いや、レスラーは最終的には一人なんだから、ボディガー選手の気持ちは痛いほどわかりますが。ボディガー選手はそれだけを言うと、最後の締めのためにゼウス選手を呼び戻して去っていきます。

 最近、試合巧者ぶりを遺憾無く発揮しているボディガー選手ですし、今まではタッグ屋として見られることも多かったと思うのですが、年齢もあるからかもしれませんが大きな自己主張をしたということでしょうか。シングルも、この前の宮原選手に挑んだ三冠戦にしてもそうですが、かなり魅力ある試合をするようになっています。シングルプレーヤーとしても、ここで大きく羽ばたきたいという思惑なのでしょう。ゼウス選手との関係も含めて、これからが楽しみです。

 ということで、会場は四條畷の駅から少し遠かったですが(徒歩15分弱かな)、大満足の大会でした。次は4月のエディオンアリーナ第2競技場でのチャンカン公式戦、その次は5月の守口大会を観戦します。チャンカンの優勝は宮原選手と思っていますが、どうなりますでしょうか。

 

雨の日は会えない、晴れた日は君を想う

微妙にネタバレしてますし、disってるかもです。





 原題は『Demolition』で、そう、あのスタローンが出演した『デモリションマン』の「デモリション」と同じだ(笑)。意味は、「取り壊す」らしいです。原題が示すように、配偶者を交通事故で亡くしてしまった主人公が、少しずつ自分を取り壊していって、新しい生活(というか新しい自分にかな)に一歩踏み出すという、よくあるテーマの映画です、ゾンビ映画よりもたくさん作られているかもしれないくらいに。

 面白かったのですが、いらない設定といらない場面がちょっと多いと感じてしまって、中弛みではないのですが、テーマ(というか主人公の再生条件かな)がボヤけたり、ラストの感動が霞んでしまったような、そんな気がするのです。

 いらない設定は、主人公の配偶者が、主人公に愛されていないと思ってなのか、浮気して子供ができたんだけど堕ろしてしまっていたということを隠していた部分(配偶者の母親のみ事実を知っていた模様)。どんな理由があれ、浮気するノータリンへの愛情が実はあったなんて言われても、その浮気の原因が自分(=主人公ね)だったという設定でも、感動できるわけないでしょう。感動できるんなら、それはもうプリン脳だから。

 主人公が自分の家を壊す場面っていうのは、自分の過去を壊す、イコール決別するっていう意味も含めていたと思うのですが、その前に主人公が解体業者さんが家を壊そうとしてるのを手伝ったり(というか強引にお金渡して割り込んだりw)してる場面っていうのは、主人公の感情の遷移を見せようとしてるんだと思うのですが、特にいらなかったと私は思います。なんでも解体してしまいたいという精神状態になってしまった主人公の行き着く先が、いきなり自分の家を破壊っていう方がインパクトがあったように思うのです。

 あ、それからちょっと疑問というか、わざとやってたのかわかんないのですが、主人公は電車通勤なのか車通勤なのか。その日の気分で変えてたっていう設定なのか。どっちやねん。最初は、どちらかが現実で、どちらかが非現実的(というか夢みたいな感じ)なんですよっていう使い分けかと思ったのです。ヒロインの登場も主人公が作った妄想なのかっていう感じが最初はちょっとあったし。

 この映画のネタバレとしては、マイマイガが実は主人公の心臓を食べていたので、主人公は当初は感情のない生き物のようになってしまっていたということです。だから、配偶者が死んでも悲しまなかったんです。嘘は書いてないぞ(笑)。

 大好きなバンドであるFreeの「Mr.Big」が使われてる場面があるんですが、それだけでちょっとアガってしまいました。好きな音楽を使われてしまうと、どうにも弱い(苦笑)。